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現地時間2025年4月30日から5月4日にかけて,ブラジルのサンパウロで開催されていた南米最大のゲームイベント「gamescom latam 2025」。その期間中,ゲーム業界の黎明期に多大な功績を残したヘンク・ロジャース(Henk Rogers)氏が登壇し,基調講演となるトークセッションを行った。
テトリスのブロックをプリントした特製スーツに身を包んだロジャース氏は,知る人ぞ知る日本ゲーム業界の黎明期を支えた人物である。まだ“ロールプレイングゲーム”という用語さえ,多くの日本のゲーマーには馴染みがなかった1980年代に日本に在住し,1984年にダンジョンRPG「ザ・ブラックオニキス」をPC-8801向けにリリース。前年に光栄(KOEI)が「ダンジョン」をリリースしているが,「ザ・ブラックオニキス」が影響を与えたことで知られている。
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今回のイベントでは,GamesBeatの名物ジャーナリストであるディーン・タカハシ(Dean Takahashi)氏による,Q&Aセッションという形式で進められたが,特に「テトリス」の経緯についてのロジャース氏のトークが圧巻だった。
2023年にはApple TV+で映画「テトリス」が公開されたが,映画的な制約や端折られた部分が気に入らず,2025年4月には「The Perfect Game: Tetris: From Russia With Love」という自伝を上梓している。今回のセッションは,同書の内容を解説するものになっていた。
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年代や性別を問わず誰もが知るであろう「テトリス」は,1984年にロシア人のコンピュータ技師であったアレクセイ・パジトノフ(Aleksei Pazhitnov)氏が開発した落ちものパズルゲームである。
今の若いゲーマーにはピンと来ないかもしれないが,当時はまだ共産主義体制にあるソビエト連邦(ソビエト社会主義共和国連邦:略称はソ連)という国家であり,冷戦下にあって西側諸国との国交などほとんどなかった時代だ。
「テトリス」は1986年に壁を越えて西側諸国でもプレイされるようになったが,そのゲームの面白さに目を付けたのがロジャース氏だった。そして当時のターゲットは,携帯型のゲーム機を開発中だった任天堂である。
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ロジャース氏は,京都の任天堂本社に赴き,当時の社長であった山内 溥氏との面談に成功。テトリスの面白さを口頭で説明すると,山内氏はゲームそのものについての質問はせず,「(開発に)いくら必要なのですか?」と問いただしてきたという。
ロジャース氏は考えられる現実的な開発費用の最大値である「3000万円です」と答え,山内氏は「ディール!」とだけ答えて握手したとされる。
こうしてソ連に渡ったロジャース氏だが,「日本在住でアメリカ式英語を話すオランダ人」という,かなり怪しい背景を持っていたこともあり,モスクワに到着するや尋問室で複数の人物から質問攻めにあったという。まだソ連には「ゲーム産業」が存在せず,誰もゲームの買い付けというビジネスがあるなど信じていなかったのだ。
長い説明の後,尋問室の中にいた人物に,目を光らせている男がいた。当時は英語も話せず,おそらくは政府高官から何も言わないように指示されていたと思われるが,プログラマーだったパジトノフ氏はゲームデザインを主に行うロジャース氏のような人物にはあったことがなく,新種の動物を見るような眼差しをロジャース氏に向けていたという。
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こうして,当初はソ連政府に知的財産利用料を支払う形で契約が実現し,日本に渡航できないパジトノフ氏に代わって,横井軍平氏らゲームボーイ本体の開発に関わったスタッフが,「テトリス」の移植作業を行ったという。その後については語る必要もないだろうが,1989年にリリースされた「テトリス」は今でもシリーズの売上本数が史上最高(5億2000万本)の作品となった。
ロジャース氏は1995年にハワイに移住しているが,それまでも自身の会社であるビーピーエス(Bullet-Proof Software)でいくつものゲームをリリースしており,任天堂本社に赴く機会は多かったという。
ロジャース氏は「いつも,山内氏の仕事あがりの最後の面談で会っていた」と語る。いくらヒット作を連発していたとは言え,随分と優遇されていたように聞こえるが,ロジャース氏の武器だったのが“囲碁”だ。日本人のゲーム企業社長でも,ゲームでなきゃゴルフといったような時代に,囲碁の趣味があった2人は対戦相手として親交を深めていったのだという。
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驚くほどの行動力とビジネスセンスを持つロジャース氏だが,1996年には「テトリス」の著作権やライセンスを管理するThe Tetris Company及びTetris Holdingsをパジトノフ氏と設立する。
しばらくすると,パジトノフ氏はMicrosoftに迎え入れられる形でワシントン州シアトルへと移住するが,ロジャース氏はハワイを基盤に様々な起業を行い,さらにはハワイ州の珊瑚が死滅していく現状を憂いて,2008年に非営利団体であるBlue Planet Foundationを設立している。
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これを基盤にロジャース氏は地元政府に働きかけを行って,ハワイ州が化石燃料に依存するのを止めるよう活動しているという。今は,これが彼の情熱になっているが,ほとんど0%に近かったハワイ州におけるクリーンエネルギーの利用は,今では35%になったと説明し,同じくアマゾンの森林破壊が話題になっていたブラジルのゲーム開発者から大きな喝采を浴びていた。
なお,ロジャース氏は筆者の取材に対して,「The Perfect Game: Tetris: From Russia With Love」の日本語化を進めるために,「数週間後には渡日する予定」と話してくれた。最近はゲーム系クリエイターたちの自伝や回顧録が増えてきているが,日本のゲーム産業の黎明期に一役買っていたロジャース氏の新刊がリリースされるのを楽しみにしたい。
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