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推しが文化を超える時、国境とアルゴリズムの狭間で見えたものとは加々本裕樹⌇TV局のデジタル請負人

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概要

この記事では、「推し活」(推しを応援する活動)が国境を超えて広がり、文化の変異やアルゴリズムによって新しい形態を形成している現状について論じています。特に、日本のポップカルチャーがSNSやアルゴリズムによってグローバルに拡散し、受け手の多様な解釈を生む過程を考察しています。

要約

  • 推しの国際的浸透: バンコクのアニメコンベンションで、日本語の「推ししか勝たん」のうちわを掲げる若者たちが目撃され、推し活が国境を超えた現象であることが示された。
  • 文化輸出の時代錯誤: 過去は「ローカライズ」が行われたが、現在は日本語のままでも受け入れられ、感情の普遍性によって支えられている。
  • グローバル化と文化の変異: 推し活が広がる中で、文化的解釈の違いが生じ、日本では「尊い」とされる関係性が海外では「toxic」とされることもある。
  • アルゴリズムの役割: プラットフォームがキャラクターを自動的に選別し、個々の感情を最適化する過程、それが「出会い」でなくなる点について考察。
  • 感情のクラウド化: 「私の推し」が「みんなの推し」になることで、個人的な感情が共有されるプロセスが進んでいる。
  • 世界を横断する推し: 国境や文化、アルゴリズムを超えて推しが広がる中で、個人の感情と他者との繋がりに光を当て、最初の感情の重要性を強調。

この記事は、推し活がもたらす新たな未来についての考察へとつながっていくことが示されています。

推しが文化を超える時、国境とアルゴリズムの狭間で見えたものとは加々本裕樹⌇TV局のデジタル請負人

加々本裕樹⌇TV局のデジタル請負人

2025年5月27日 07:39

前回の推し活は…

 ある日、タイのバンコクで開催されたアニメコンベンションの映像が流れてきた。そこには、日本語で書かれた「推ししか勝たん」のうちわを掲げ、推しキャラのコスプレをした若者たちが詰めかけていた。
 ステージでは、Vtuberの等身大パネルに拍手が送られ、グッズ売場には“謎の漢字”をプリントしたTシャツが並んでいる。彼らの多くは日本語を話さないが、「推し活」という言葉だけは、世界共通語のように浸透していた。

 そう、推しとは“言語の壁を超える体験”だ。
 かつて文化輸出は、「ローカライズ」を前提にしていた。翻訳され、吹き替えされ、現地に合わせて“調整”されたコンテンツが届く時代。しかし、いまは違う。日本語のまま、字幕も不完全なまま、それでも「推し」として受け入れられる。その背景には、感情の普遍性と、SNS・アルゴリズムの無国籍性がある。

 推しは、もはや“日本のもの”ではない。あるいは、最初から“国のもの”ではなかったのかもしれない。

 YouTube、TikTok、Twitter(現X)など、世界中のタイムラインが推しでつながっていく。ローカルIP(知的財産)が、グローバル共感を呼び、瞬間的に熱狂が生成される。いわゆる「プラットフォーム原産国の優位性」とも呼ばれるもので、GAFAが築いた構造の上に日本発のキャラクターが“感情資本”として流通していく様を呈した。

 だが、そこにあるのは単なる“輸出”ではない。

 グローバル化した推し活は、「文化の変異」も伴っている。 日本では“尊い”と表現される関係性が、海外では“toxic(有害)”とされ、逆に“エモい”とされる演出が、異なる文化圏では拒絶されることもある。

 それでも人々は“解釈”し、自分の文脈に引き寄せ、推しに再構築していく。この柔軟性こそが、推し活という文化のしぶとさであり、広がりの源なのだろう。

 注目するもう一つの転換は「アルゴリズムによる推しの自動選別」だ。

 いまや誰かの“推し”になるキャラクターは、人間が発掘する前に、プラットフォームが提示する。再生数、検索傾向、クリック率、滞在時間──それらを計算したAIが、「あなたはこのキャラを推すべきだ」と提示してくる。
 推しは“出会い”ではなく、“最適化された結果”として現れる。これは明らかに、20年前のオタク文化とは異質な風景だ。

 だが、人は“自分で選んだ”と思いたい。
 たとえ背後でアルゴリズムが働いていようとも、自分の感情が動いた瞬間には、それが“必然だった”と信じる。ここに、現代の推し活が抱える一つの錯覚がある。

 推し活は、個人的なはずなのに、構造的に共有されている。
 グローバルに広がっていくことで、“私の推し”は“みんなの推し”になり、個人の感情は集合知として溶けていく。それはある種の“感情のクラウド化”であり、“自分の好き”が外部に接続されていくプロセスでもある。

 国家を超え、文化を超え、アルゴリズムさえも超えて、推しは世界を横断する。だがそのとき、果たして“推し”は、誰のものなのだろう?

 好きだったはずの存在が、バズり、グローバルで有名になり、自分の知らない言語で語られるようになる。そこに、どこか取り残されたような感覚が残ることもある。推しが遠くに行ってしまったような、もう“あなただけのもの”ではなくなったような。

 それでも、私たちは推す。

 なぜなら、どんなに世界が変わっても、最初に胸を撃ち抜かれたあの瞬間だけは、誰のものでもなかったからだ。

 次回はいよいよ最終回。「“推し活が描き出す未来”」をテーマに、個人の感情が社会の構造を再設計するこの営みの、その果てに何があるのかを展望します。

ぜひ ♡ を押して…いや推していってください。

加々本裕樹⌇TV局のデジタル請負人

経営者/投資家/講演/プロポーザル方式等事業者選定委員/行政メンター/上級SNSエキスパート/NLPマスター/実践心理学/ファシリテーター/マーケッター/企業研修講師/スタートアップ支援/京都をつなげる30人/宣伝広報塾/イベントプロデュース/F.I.R.E済/アニメの宣伝担当



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