月曜日, 6月 9, 2025
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ホームレビュー映画小津安二郎の『戸田家の兄妹』~辛辣な家族崩壊ドラマと特別な兄と妹の関係~ヒデヨシ(Yasuo Kunisada 国貞泰生)

小津安二郎の『戸田家の兄妹』~辛辣な家族崩壊ドラマと特別な兄と妹の関係~ヒデヨシ(Yasuo Kunisada 国貞泰生)

🧠 あらすじと概要:

あらすじ

小津安二郎監督の『戸田家の兄妹』は、1941年制作の作品で、家族の絆と崩壊を描いたドラマです。物語は、戸田家の母の還暦祝いを迎えた大家族が集まるシーンから始まります。父が突然倒れ、その死をきっかけに、家族間の関係が次第に崩れていく様子が描かれます。特に、二男の佐分利信と三女の高峰三枝子の兄妹関係が中心的なテーマとなっています。兄妹は非常に特別な結びつきを持ち、家族の危機の中で互いに寄り添う姿が強調されています。物語は、様々な家族の葛藤、そして彼らの利己的な行動を通じて、家族の難しさを赤裸々に描いています。

記事の要約

『戸田家の兄妹』は、小津安二郎が描く家族の崩壊と絆をテーマにした映画である。物語は家族が集まるシーンから始まり、父の死が引き金となって、家族間の関係が崩れていく様子が描かれる。特に、兄妹の佐分利信と高峰三枝子の特別な関係が焦点となり、高峰三枝子の兄への依存が際立つ。兄妹の絆の中に、家族の冷たさや身勝手さが色濃く描かれ、上流階級の自己中心的な姿勢が批判的に描写されている。また、小津の映像スタイルや日常の描写が作品に深い感情を与えており、家族のつながりとその脆さを強調する構造になっている。

小津安二郎の『戸田家の兄妹』~辛辣な家族崩壊ドラマと特別な兄と妹の関係~ヒデヨシ(Yasuo Kunisada 国貞泰生)

©1941 松竹株式会社

小津安二郎映画でまだ見ていなかった作品。中国戦線から帰還した小津安二郎1941年の映画。大家族がバラバラになっていく物語は『麦秋』のようでもあり、老いた母が娘や息子たちの家を盥回しになる意味では『東京物語』の原型とも言える。古い映画なので、台詞など音がやや聞きづらいところがあった。

最初は家族の記念写真から始まる。『麦秋』でも家族が解体する前に最後に記念写真を撮るシーンがあったが、『戸田家の兄妹』では、まず始めに大家族の記念写真があり、そして「死」と「家族の解体」が描かれるのだ。

戸田家の母の還暦の祝いで家族みんなが集ってくる。戸田家の家族全員を集合させながら、人物関係を紹介していく。いわゆる上流階級の大家族の物語である。財界の要職にある父(藤野秀夫)、母(葛城文子)に長女・千鶴(吉川満子)、長男進一郎(斉藤達雄)、長男の嫁(三宅邦子)、二男晶二郎(佐分利信)、二女綾子(坪内美子)、二女の夫(近衛敏明)、三女節子(高峰三枝子)である。両親と二男の佐分利信と三女の高峰三枝子が一緒に暮らしている。この映画でタイトルにもなっている兄と妹とは、二男の佐分利信と三女の高峰三枝子である。母の還暦祝いで家族で食事に行った夜、突然父が狭心症で倒れる。円満で楽しそうだった大家族が父の突然の死によって、一気にバランスが崩れ、暗転していくのだ。

必ず家族が集る場面で遅れてくる男が二男の佐分利信である。記念写真にも、父の葬儀にも、また一周忌にも遅れてやってくる。そしてそんな兄を迎え、いつもそばにいるのは三女の高峰三枝子である。高峰三枝子は、兄の前ではいつも泣いている。兄が遅れて葬儀に駆けつけたとき、兄が天津に行ってしまうことになって荷造りする場面でも、高峰三枝子は泣く。この兄と妹は、強く惹かれ合っている特別な関係なのである。だからラストで、高峰三枝子は友達の時江(桑野通子)を兄の佐分利信の嫁にどうかと提案するところでは弾むように軽やかで楽しそうであり、兄の佐分利信もまた、高峰三枝子の夫に自分の友達を紹介するとお互い約束するのだ。そしてお互いが「任せる」という形になる。母の一周忌で姉や兄たちを一喝した強い男のイメージである佐分利信が、女性に関しては苦手で、妹から時子(桑野通子)を紹介されそうになり、家から逃げ出すという笑えるラストも、兄と妹の特別な関係を匂わせている。『晩春』『秋刀魚の味』での父と娘、『麦秋』での兄と妹、『東京物語』での父と息子の嫁など、近親者で惹かれ合うのは小津映画でいつも繰り返されている。家族の娘や息子たちのそれぞれの身勝手さと同時に、惹かれ合う絆の強さを描き続けたのが小津安二郎なのかもしれない。

物語は父の死と共に借金が判明し、本宅の土地や美術工芸品などの財産を売り払って処理することにする。二男の佐分利信は「帰る家がなくなった」と天津支店への転勤を会社に申し出て、さっさといなくなる。住む家がなくなった母の葛城文子と三女の高峰三枝子は、まずは長男の家に同居するが嫁の三宅邦子から冷たい仕打ちをされ、続いて長女の吉川満子の家へ移る。いずれもお手伝いさんがいるような立派な邸宅で部屋も余っているのだが、学校をサボる長女の息子(葉山正雄)の教育問題で長女と母が揉め、外で働きたいという高峰三枝子の願いも世間体を気にして長女に却下される。居心地の悪くなった二人は鵠沼にある古びた別荘に移り住むことにする。そんな姉や兄たち家族の仕打ちに一周忌で戻ってきた佐分利信が怒りだし、法事の会食は目茶苦茶になるという話だ。上流階級の自己中心的な身勝手な冷たさが辛辣に描かれている。

息子や娘たちにはそれぞれの生活があって、その身勝手さから両親を邪魔者扱いするのは『東京物語』と同じ図式であり、長女の吉川満子が父が倒れたと聞いて実家に駆けつけるとき、喪服の心配をするのも同じだ。この映画では父の死後、母の葛城文子がどんどん侘しい感じになっていく。最初に夫が死ぬ前に語り合った老夫婦の夜の笑顔がいちばん幸せそうなのであった。また、佐分利信が友人たち(笠智衆、山口勇)と死んだ父の思い出話をする料亭のシーン、小津安二郎はイマジナリーラインを越えてカメラアングルを自在に選びながら、同じ料亭で、同じ杯で父と酒を飲んだ思い出話をする場面もいい。父の耳にハエが止まって父がうるさそうに手で払うのにまた止まるという話。そういうなんでもない仕草の記憶が、いつまでも心の残るのは、いかにも小津映画らしいエピソードだ。

正面からの切り返しはそれほどなく、短いカット割りではなく引きの画面がわりと多い映画だが、日本家屋の廊下のショットや鉢や置物などの佇まいはすでに小津スタイルが完成されている。九官鳥が父の死んだ姿と重なるように母・葛城文子と高峰三枝子と一緒について回る役割になっている。父の死をキッカケに家族がバラバラになっていくところに、死の影が映画に色濃く反映している。1941年製作/105分/日本配給:松竹監督:小津安二郎脚本:小津安二郎、池田忠雄撮影:厚田雄春音楽:伊藤宣二

キャスト:佐分利信、高峰三枝子、葛城文子、藤野秀夫、三宅邦子、坪内美子、吉川満子、桑野通子、笠智衆、山口勇、葉山正雄



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