スマホで誰とでもつながれるはずの時代に、私たちはかつてないほど「ひとり」でいる――。
孤独の蔓延は、うつ病や早死にリスクを高める“静かな公衆衛生危機”として語られてきました。
しかし最新の神経科学と社会学が示すのは、さらに深刻なシナリオです。
いまや世界各国で問題視される孤独は、単なる個人の心の問題にとどまらず、社会を分断させ、権威主義を台頭させる大きな要因の一つだというのです。
ナチス政権を逃れた政治哲学者ハンナ・アーレントは、早くも20世紀半ばに「孤独こそが全体主義を生み出す温床になる」と警鐘を鳴らしていました。
この継承はナチス時代だけに留まりません。
1990年代の旧ユーゴ紛争では、都市部の若者が失業と孤独感を抱えたまま民族主義の過激派に取り込まれました。
イスラム過激派組織のオンライン勧誘も同様で、「居場所の欠落」を抱えた個人に疑似コミュニティを提供する構図が指摘されています。
今日のデジタル空間では、フォロワー数の多寡がつながりの質を保証するわけではありません。
アルゴリズムが作る“井戸”のなかで、似た不満を抱える人々が「怒りの共鳴箱」を形成し、陰謀論や排外的ミームを増幅させる──それが現代版の「否定的連帯」です。
米国ランド研究所の2024年調査では、孤独感が強い層ほど陰謀論的投稿(Qアノン系投稿)をシェアする頻度が2.3倍に達していました。
SNSでの誹謗中傷や陰謀論の盛り上がりも、その底流には「共有できる居場所のなさ」つまり「孤独」があるかもしれません。
孤独に苛まれた社会は、強力なリーダーや単純な敵味方の構図を求める心理に陥りがちで、結果的に権威主義が勢いを増すのです。
そうした環境では、力強く断定的に語るリーダーや、明快に“悪者”を定義する言説が支持されやすくなり、結果として権威主義的な政治が台頭しやすいのです。
最新の研究でも、慢性的な孤独によって人々のストレスホルモンや免疫システムが乱れるだけでなく、互いへの信頼感が失われ、極端なイデオロギーやデマが拡散しやすい環境が生まれることが示唆されています。
そこで今回は孤独が体と社会の両方を蝕みながら、権威主義台頭にいかにつながるかを、これまでの研究成果をもとにみていきます。
まずは「孤独が体をどのように攻撃するか」です。
目次
- 孤独は体を攻撃する
- 孤独が社会を攻撃する理由
- 社会的免疫を再構築する実践
孤独は体を攻撃する
私たちは今、「孤独」という社会問題に改めて向き合おうとしています。
2018年、イギリス政府が「孤独担当大臣」を任命したというニュースは大きな話題を呼びました。
日本においても2021年に「孤独・孤立対策担当大臣」が設置され孤独・孤立問題を省庁横断で扱う司令塔と位置づけられました。
アメリカでも2023年に米国公衆衛生局長官が孤独と社会的孤立の流行に関する勧告報告書を発表し、孤独を公衆衛生上の危機と位置付けています。
新型コロナウイルス禍は人々の交流を断ち切り、この「孤独の流行」を一層悪化させました。
世界中で多くの人が長い隔離生活を経験し、その副作用としてメンタルヘルスの悪化や社会への不安感が広がったのです。
しかし孤独の影響は、一人ひとりの心の健康や気分にとどまりません。
人は本能的に社会的なつながりを求める生き物です。
実際、私たちの祖先にとって仲間から切り離されることは命に関わる危険でした。
そのため進化の過程で、孤立を感じたときに私たちの体が警報を発するようになったと考えられています。
これが「孤独感」という主観的な痛みであり、他者とのつながり不足を脳が知らせるサインとして働くのです。
本来であれば、このサインをきっかけに社会的な絆を結び直すはずですが、長期間にわたって孤独が続くと問題が深刻化します。
シカゴ大学の神経科学者であるジョン・カシオポ博士とルイーズ・ホークリー博士の研究によれば、孤独を感じ続けること自体が慢性的なストレス要因となり、脳と体は常に警戒状態になります。
具体的には、視床下部—下垂体—副腎系(HPA軸)が過度に活発化し、ストレスホルモンであるコルチゾールが過剰に分泌されるのです。
このホルモンバランスの乱れは炎症反応を高め、免疫機能を弱体化させるとされています。
例えば血液検査で炎症の指標となるCRP(C反応性タンパク)などが上昇しやすくなる可能性も指摘されています。
このように孤独は体にとって、慢性的な炎症を誘発する大きなリスク要因と言えます。
健康面での影響も無視できず、孤独な人ほど高血圧や睡眠障害、さらにはうつ病や不安障害などメンタルヘルスの不調を抱えやすいことが多くの研究で示されています。
ブリガムヤング大学のジュリアンヌ・ホルト=ランスタッド教授によるメタ分析では、十分な社会的つながりがない人は、喫煙を1日15本行うのと同等のリスク増で早死にしやすい可能性があると報告されています。
孤独や社会的孤立が肥満や運動不足以上に健康に悪影響を及ぼすという結果もあり、もはや孤独は「気持ちの問題」にとどまらず、医学的にも放置できない状態と言えます。
しかし孤独が攻撃するのは体だけではありませんでした。
孤独は社会を激化させる主要因になり得るのです。
孤独が社会を攻撃する理由

興味深いことに、孤独による「炎症反応」は個人の体内にとどまらず、社会という有機体にも起こり得ると考えられています。
ハンナ・アーレントは著書『全体主義の起源』(1951年)で、孤独こそが全体主義、すなわち極端な権威主義を生み出す温床になると指摘しました。
彼女によれば、人々が孤立し、互いへの信頼や共通の現実感覚を失った社会では、極端なイデオロギーに染まりやすくなるといいます。
事実が見えにくい状況下で、現状への怒りと不安のみを共有する「怒れる群衆」が生じたとき、権威主義的な指導者が付け込む余地が生まれるのです。
こうした大衆は互いに連帯する絆を持たないため、差別や憎悪といった負の感情による疑似的な連帯、アーレントの言う「否定的連帯」に飛びつきやすくなります。
アーレントはまた、「事実と虚構、真実と偽りの区別がつかなくなった人々」こそが全体主義の格好の支配対象になると警告しました。
彼女は戦後の混乱期だけでなく、大量消費社会や情報社会が進んだ現代においても、共有される現実が失われ孤独が蔓延すれば同じ危険が訪れると予見しています。
近年の社会心理学調査もこの洞察を裏付ける傾向を示しています。
孤独な人ほど他者への不信感を募らせやすく、怒りやすいと報告されており、陰謀論や排外的な主張に脆弱になりがちなことが指摘されています。
2021年のRAND研究所の調査(※レポート名未公表)では、孤独感の強い人の方が過激主義団体に勧誘されるリスクが高い可能性が示唆されました。
またオランダの研究チームによる国際比較研究でも、社会的孤独感が強い地域ほどポピュリズム、すなわち急進右翼政党への支持が高い傾向が確認されています。
これらはまだ因果関係を直接証明したわけではありませんが、孤独と政治的過激化との間に強い相関があることは確かです。
私たちの周囲でも、孤独が社会における「炎症」を引き起こしているかのような兆候が見受けられます。
SNS上での誹謗中傷の蔓延や、あちこちで噴出する怒りや陰謀論は、一人ひとりが孤立し苛立ちを募らせた結果、社会全体が慢性的な緊張状態に陥っている証拠かもしれません。
実際、対面での人付き合いが減少し孤独を感じる人が増えるにつれ、不安や抑うつがかつてない規模で広がっています。
その一方で左右の政治的対立が先鋭化し、民主主義の機能不全が進行しているとの指摘もあります。
まさに「孤独は社会の結合組織を炎症で蝕み、民主社会という身体の免疫系を弱体化させる」と言えるでしょう。
その結果、社会は分断と怒りに満ち、権威主義的な主張や強権的なリーダーが支持を集めやすくなるのです。
社会的免疫を再構築する実践

孤独がこれほどまでに個人と社会を蝕むものであるなら、私たちはどう向き合えば良いのでしょうか。
幸い、孤独の問題に対して世界各国でさまざまな革新的な試みが始まっています。
その一つが医療とコミュニティを結ぶ新しいアプローチである「社会的処方(ソーシャル・プリスクリプション)」です。
例えばイギリスの一部地域では、医師が孤独を感じている患者に対し、薬の処方箋を書く代わりに地元のサークル活動やボランティア団体を紹介する取り組みが行われています。
ガーデニングクラブへの参加券や美術館の無料招待券が「処方」されるケースもあり、実際に不安や孤独感の軽減に効果を上げていると報告されています。
特に自然の中でのグループ活動を促す社会的処方プログラムでは、参加者の不安が有意に減少し、幸福度が向上した例が見られます。
薬に頼るだけではなく、人と人との結びつきを「治療」に活用するという発想は、まさに孤独による慢性炎症に対する社会的な特効薬と言えます。
実際、地域社会での交流や奉仕活動に積極的な人ほど、健康状態が良く幸福感が高いという研究報告があります。
こうして人とのつながりが回復すれば、互いへの信頼感も蘇り、怒りや不安に支配されにくい社会が実現しやすくなるでしょう。
これは社会全体で見れば「免疫力の回復」にほかなりません。
ハンナ・アーレントは、どれほど孤独が深刻化したとしても、それは「可逆的(reversible)」な状態だと論じています(※アーレントの著作全般からの趣旨)。
つまり、人々が連帯して共通の世界観や信頼関係を取り戻すことができれば、社会は健全さを回復できるのです。
孤独による慢性炎症に対処し、人々のつながりという名の治癒力を最大限に引き出せるかどうかが、今後の民主主義社会の方向性を左右すると言っても過言ではありません。
幸い、世界各地で始まったさまざまな挑戦は、孤独に苛まれた社会にもなお希望があることを示しています。
孤独という見えない炎症を癒やすことが、人々の健康と自由な社会を守る鍵になるのです。
参考文献
The origins of totalitarianism. Harcourt, Brace.
https://search.worldcat.org/ja/title/236549
元論文
Social Relationships and Mortality Risk: A Meta-analytic Review
https://doi.org/10.1371/journal.pmed.1000316
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部
🧠 編集部の感想:
孤独が権威主義を助長するという指摘は非常に重要です。現代社会では、孤立感を抱える人々が極端なイデオロギーに惹かれやすい状況が一層深刻化しています。社会的つながりの回復が、自由で健全な社会を維持するための鍵となることを再認識しました。
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