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呪われた運命、どう楽しむか。大統領ではなく詐欺師の一人語りだよ「とらんぷ譚」。|ドント・ウォーリー📘Kindle自費出版中


ドント・ウォーリー📘Kindle自費出版中

2025年5月27日 22:57

いかにもフランス的な、皮肉なエスプリの切れ味を特色とし、ときに驚くほど大胆な映画的実験も行ったサッシャ・ギトリ。1930年代のフランス映画らしい、ぴりりとはりつめた詩的リアリズムの緊張感を期待して、背筋をピンと伸ばして再生したあなたは、冒頭でいきなり楽屋落の先制をくらって、面食らい脱力することになるだろう。

「これから語るのはフィクションですよ」と言わんがばかりに、監督自身はもとより、撮影セット、音楽担当のピアニスト、美術担当、キャスト、はてはプロデューサーまで本名で顔出しさせてみせる。

内容もどこかユーモラス。諸星あたるよろしく呪われた運命の男が面白おかしく語る一代記。

基本過去時制で、しかし時に現代時制で自分のことを語るという、映像でしかありえない独白の語り口が、本作の魅力だ。

一言でいえば、盗みをはたらいたせいで食べることを禁じられたため、主人公の少年ただひとりを残して家族全員が毒キノコにあたって死んでしまうというとんでもないファースト・シーンにはじまる荒唐無稽な詐欺師のメモワール。

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すべての不運は、少年時代、6スーの盗みから始まった。父母が経営していた店からお金をくすねた罰で、父親から夕食抜きを命じられる。その夕食に含まれていたのが毒キノコだった。一夜にして十一人の大家族を失う。その後、養父に引き取られる。しかしこの父母、「にんじん」に(そして1920年代サイレント映画に)出てきそうな、見るからにして悪人面であった。養母は新聞記事に折り目を付けて彼に示す。「自分で食い扶持を見つけて生きて行け。」かくして、盗みのおかげで命をとりとめた主人公は、犯罪に対してなんの疑念ももたず、イカサマ師まがいの人生を送る、という人を食った人生の第一歩を始めることになる。

青年時代、彼の人生は幾多の高級ホテルのボーイから始まった。そこで有閑マダムと出会い、愛のしるしに金時計を渡される。

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間もなく徴兵され、母娘で売春婦をしているシャンソン酒場に入り浸る。これではいかんと、除隊後、再びディーラー稼業に戻ってモナコ国籍を得る。

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しかし、数ヶ月後、第一次世界大戦が勃発。モナコ国籍を返還させられ、前線に引っ張り出される。前線で砲弾を食らうも、同軍のとある兵士が、自身の片腕と引き換えに主人公を救い出してくれる。

兵役が終わってモナコへの帰途に着く男は、後方に下がっている間にバルザックなどを読み耽り、たくわえた髭を剃ってみれば、壮年期の渋みのある顔になっている。可愛い女の子と懇ろになるダンディなおじさま。

しかし、そこは戦後の混乱が許した悪戯か、この女の子、宝石泥棒だった。女の子に指示されるまま泥棒に加担、見事な手業で成功するが、怖くなって逃げ出すのだった。

元のディーラー生活に戻る。そこで運命の女と出会う。彼女が賭けをする場では、自分の落としたいところに球が落ちるようになるのだ。

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これは運命というものか?「この女と一緒にいなくては、危ない。」そう信じて、結婚という「契約」を結ぶ。そして、「落としたいところに落とせる運命」に拠った大儲けの計画を立てる。

本番。しかし運命の女神は微笑まず、今度は「落としたいところに全く落とせなくなる」。それどころかルーレットの0の周辺にばかり、落ちるようになる。何度やっても同じ結果。たちまち客のカモになる。
運命の女にも逃げられた主人公は「運命はどうやっても俺を悪人にしたいんだな」——そう思って、いかさま師になることに決める。

20年間、あらゆる国籍の変装を駆使し、あらゆるカジノを荒らして回る。その中で、かつての愛人と元妻に再会。今度はこちらから騙してやる。

以上の運命を、ちっともセンチメンタルには語らず、むしろ過ぎたこととして笑ってみせる。それが潔い。彼が自叙伝を綴り、ときに周りの者たちに自分の話を聞かせてみせる喫茶店が物語の現在地点だ。そこに、あの、金時計を譲ってくれた、有閑マダムがやってくる。あの時の面影のかけらもなく、すっかり老いて。マダムは、金時計の思い出をこれ見よがしに語る。

「思い出は美しく…」そう思って、主人公は肌身離さず身につけていた金時計を、こっそりマダムに返してやる。

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ここから映画は最終章に入る。彼を破滅に追い込んだのは、女ではなく男だった。ある日、カジノで自分を戦場で救ってくれた男と再会する。彼に恩返しするため、組んで大きな上がりを得て山分けする。

情けは人のためならず、いや、自分のためならず。これが良くなかった。「賭け事は罪」と思いながらいかさまで稼いでいたのに、これをきっかけに「賭け事は楽しい」と、いかさま抜きの純粋な博打にハマっていったのだ。

かくして主人公は、長年間かけて稼いだ全資産を、わずか8ヶ月で溶かしたのだった。

映画の最後、一度は帰途についた有閑マダムが事の次第を思い出して戻ってくる。そして再会を喜ぶ。そして早速、「目の前の屋敷から美術品を盗み出しましょう」と男に持ちかける。男は断る。なぜなら彼は、「呪われた運命に飲み込まれず、平凡な日々を送りつつ、自分のスキルを活かせる」刑事という仕事に再就職したからだ。そして彼が座っている喫茶店からは、そこに座っていれば、彼が、トランプで得て、トランプで失った大屋敷が目の前に見えるのだった。

まとめ。
タンタンの冒険「レッドラッカムの宝」2ページ目でハドック船長が打つかる広告になぜか記されている以外は、サッシャ・ギトリの作品はおろか、名前すら満足に見られなかった我が国ニッポン。フランスでもギトリの地位が微妙なのは、中途半端にナチス・ドイツとつるんで映画を撮ってしまったせい。
それでもこの映画は、同世代の詩的リアリズムとは一線を画す:全編をオフ(画面外)の声によるモノローグで綴っていく、作者自身が映画を語るという、フィルム・ノワールから現代の映画につながっていく語り口と、地中海に位置しカラッと晴れたモナコの底抜けに博打にうつつを抜かす不道徳なエスプリでまぶされている点で、今見ても古臭くなく実にスタイリッシュなのだ。

本記事の画像はCriterion公式サイトから引用

ドント・ウォーリー📘Kindle自費出版中

過去の日記からはプロレス観戦記、観劇記録を。現在進行形では映画レビューを細々記しています。プライムビデオ、Netflix、映画館での鑑賞を中心に。好きなものだけなるべくは語りたい。



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