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概要
この記事は、創作活動における自己評価と他者評価の違いについての考察を行っています。著者は、自己満足と他者からの評価の間での葛藤を「カレー味のウンコ」と「ウンコ味のカレー」という比喩を用いて表現。最終的には、自分が納得するものを作り続けることの重要性を説いています。
要約
- 自分が納得できる創作物と他者からの評価にはズレがある。
- 趣味での創作活動では自己満足が大切で、義務感で続けるのは難しい。
- 「カレー味のウンコ」と「ウンコ味のカレー」の比喩を使って、感じ方と実態の違いを説明。
- 音楽などの創作物では、心に響くものが最も価値があると主張。
- 他人の感じ方はコントロールできず、自分が感じるものを追求することが重要。
- 最終的に自分が納得できる作品作りを目指し続けることの重要性を強調。
※この記事では「ウンコ」という単語が何度も出てくるので、下ネタが苦手な人や食事中に読んでいる方は御注意ください。
先日新曲を投稿したのですが、自分では納得のいく出来の力作だと感じていたものの、身近な人に感想を聞いてみたら微妙な反応だったので、その落差で精神的ダメージを大きく受けてしまいました。
しかし、「納得のいく出来になって自己評価は高いけど他者からはあまり評価されなかった作品」と「自分では納得のいかない出来だけど他者からは評判の良い作品」では、評価されなさの度合いにもよりますが前者の方がマシかな、と思いました。
仕事ではなく趣味でやってるなら尚更、満足感の方を追求すべきだと考えています。
義務感や使命感では趣味は続かないので。
よくよく考えてみると、これって「カレー味のウンコ」と「ウンコ味のカレー」のどっちが良い?という話みたいだな、と感じました。
誰でも一度は受けたことのある質問だと思いますが、おそらく多数派は「ウンコ味のカレー」なのではないかと思います。
食に対しては味よりも安全性の方を重視する人のほうが多いのではないのでしょうか。
しかし、これを創作活動に当てはめてみると、味は「その作品に触れた人がどう感じたか」という主観的な評価、カレーかウンコかの実態は客観的な評価、と考えることが出来ます。
こと音楽に関しては、どんなに客観的には優れたプロの曲であっても心に響かないのであれば、プロには及ばない拙い出来だしあまり評価されていないものの自分の心には響く曲の方が良い、と感じる人の方が多いと思われるので、「カレー味のウンコ」の方が良いということになるのではないでしょうか。
これを作り手側としてどう作るかを考えると、味付けは自分でコントロール出来ますが、最終的に他人がどう感じるかはコントロール出来ません。
また、アドラー心理学では課題の分離という概念があり、自分で解决出来る・解決すべき課題と、他人の機嫌のような自分ではコントロール出来ない課題は切り分けて考え、前者に注力すべきだ、という考え方です。
(専門家ではないので間違っていたら申し訳ありません)
そう考えると、最終的にカレーになるかウンコになるかは完成して聴いてもらうまでは分からないので、だったらいつか「カレー味のカレー」が出来るまで自分がカレー味だと思うものを作り続けていくしかない、と思います。
他人からのウケを狙って自分では大して作りたくないものを作った結果、「ウンコ味のウンコ」になっては目も当てられません。
仮に「ウンコ味のカレー」が出来上がったとしても、作っている間は何度も味見することを考えると「カレー味のウンコ」を作る方が満足度が高いのではないでしょうか。
もちろん「カレー」を作ることを目指す必要はないということではありませんが、カレーを作ることそのものよりも自分の理想のカレー味を追求することにこだわることを大事にしたいな、と思います。
ウンコ食ってる時にカレーの話すんじゃねーよ!という汚い記事でお目汚し失礼しました。
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