🧠 あらすじと概要:
映画『14歳の栞』のあらすじ
『14歳の栞』は、中学校の2年6組に密着した青春リアリティ映画です。物語は、学生たちが抱える思春期の葛藤や友情、悩みを描写しており、特に中学2年の3学期に焦点を当てています。クラスの35人それぞれの物語を丁寧に紐解き、彼らがどのように日常を過ごし、何に心を躍らせ、何に傷ついているのかを追います。劇的な展開や大きなどんでん返しはなく、むしろ誰もが経験したことのある「ありふれた青春」をリアルに映し出しています。
記事の要約
執筆者は映画『14歳の栞』を観た感想を述べ、拍子抜けするほど自然なカメラワークと中学生たちの生き生きとした姿に驚かされます。映画が描くのは、教室内外での学生たちの多様な一面。特に、クラスメートとの関わりや個々の家庭事情、課外活動の様子が丁寧に描かれています。この作品を通じて、観客は自分自身の中学時代を思い出し、人生の多様な交流とつながりを反芻します。最終的に、彼らが成長してどのような大人になったのかが気になり、「元気でなくてもいいが、元気だといい」との思いで締めくくられます。
ミニシアターで『14歳の栞』という映画を観た。
(※一部ネタバレを含みます)
あの頃、一度も話さなかったあの人は、何を考えていたんだろう。中学2年生の1クラス35人全員に密着した青春リアリティ映画。とある中学校の3学期、「2年6組」35人全員に密着し、ひとりひとりの物語を紐解いていく青春リアリティ映画。まだ子供か大人かも曖昧なその瞬間、彼らは、私たちは、何に傷つき、悩み、そして何に心がときめいていたのか。劇的な主人公もいなければ、大きなどんでん返しもない、けれども確かに懐かしくて目が離せない、「誰もが通ってきたのに、まだ誰も観ることができなかった景色」を映し出す。
公開されたのは2021年3月のこと。当時から気になってはいたもののタイミングを逃していて、どうやら毎年春になると1ヵ月ほどの期間限定で上映されているという噂を聞きチケットを予約した。
-作品の魅力
約2時間の上映を通して何より驚いたのは「撮影の自然さ」
普通ならカメラを向けられると、どこか照れたり、挙動が不自然になってしまいそうな思春期ど真ん中の中学生たち。でもスクリーンの中の彼ら彼女らは自然に笑ったり、照れたり、ふざけたり —— どの場面も、まるで自分がそのクラスメイトの一員になったかのような感覚で映し出されていた。
作品は3学期の修了式間近の様子を撮影していたので、てっきり2学期頃からカメラを入れて慣らしていたのかと思っていたが、後から調べてみると、どうやら3学期に入ってからカメラ入りしたらしい。
どうやってこんなに自然な空気を切り取れたのかと驚かされると同時に、年々プライバシー感覚の厳しくなる現代の価値観や公教育において、この企画が教育委員会や保護者の理解を得られたという事実のすごさにも感心してしまった。
あと、「知らないクラスなのに、知ってるクラス」という感覚。知らない学校の2年6組だけど、こういうおちゃらけ男子がいたよな、こういうスポーティー女子いたよな、先生がちょっとうざくて、学期末に球技大会があって、卒業式の準備でパイプ椅子とか並べたよな。どこの学校出身だとしても、多くの人が中学時代に経験したことがある中学2年のクラスの日々の最大公約数的な部分がとても効果的に切り取られていて、それに反して安易なエモに走らない等身大な部分もあって、多くの人の共感を生みやすいのがヒットの秘訣かなと思った。
(効果的といえば吹奏楽部のシーンの音楽の使い方もとてもユニークで痺れた。これはぜひ観て体感してほしい。)
-思い出した当時の悩み
この映像を見て抱く感想は人それぞれだけど、きっと多くの人が自分の学生時代を思い出したことだろう。私も例に漏れず、自分の中学時代のことをずっと思い出していた。クラスの中にはいくつかのグループがあって、なんとなくのカーストもあって、「私たち仲良し」と言っている子と「実は私はそんなに…」と話す子が同じグループにいたりもする。
人間関係のドラマが大きく展開するわけではない。けれど、そこには確かに“生きた教室”があった。そうそう、私のクラスもこんな感じだったなと思いながら、画面に映る一つ一つの出来事を丁寧に眺めた。
作品の中で特に印象的だったのが、教室という閉じられた空間だけでなく、家庭や部活動、地域との関わりといった“教室の外”にもカメラが向けられていたこと。
教室では気だるげなのに部活では真剣な表情を見せる子、学校ではなくクラブチームやボーイスカウトなど他の場を持つ子、家庭で兄弟や家族と過ごす姿や、家業のことで悩んでいる子。教室という箱庭のような小社会以外にもそれぞれが多様な世界を営んでいて、自分がもしクラスの一員であったら本来は見ることのできない「この子にはこんな一面もあるんだ!」という部分もカメラが追っていたのが面白かった。
私は中学生のころ、家庭・学校・部活などで自分のキャラが違うことに悩んでいた。大人になった今でこそ「会社でONの自分と、友人との飲み会でOFFの自分」などキャラが切り替わることは当たり前だが、「元気キャラ」「オタクキャラ」などなにか捉えやすい名前付けに当てはめてしまいがちな中学生時代の自分はそんなキャラの切り替わりをうまく消化できずにいた。
小さな社会の思春期は悩みも尽きないものだけど、その時にしか抱けない悩みもなんだか愛おしいものだなと懐かしく思った。
-14歳の今と未来
映画の終盤で、カメラマンが「大人になったらまたインタビューさせてよ」と声をかけるシーンがある。今ごろ彼らは大学生や社会人になっているのだろうか。大人になればなるほど様々なハードルがあるだろうからおそらくありえないとはいえ、いつか大人になった2年6組の映画を観れたら素敵だなと思う。
この映画を観ながら、もう一生思い出すことのなかったかもしれない記憶が、次々と蘇ってきた。あの子は、今どこで何をしているんだろう。SNSで繋がっている子もいるけれど、繋がっていない人の方が圧倒的に多い。
そしてそれの想起は過去だけではない。子どもの頃に関わって今関わってない人もいるし、大人になってから知り合った人もたくさんいる。子どもだったあの子は、いったいどんな大人になったのだろうか、大人のあの人は、いったいどんな子どもだったのだろうか。
よく、「Aコミュニティで仲良くなった人が、実は元々Bコミュニティの知り合いと共通の知人で…」なんて話があったりするが、重なる縁、離れる縁、そんな縁の絡み合いをたくさん思い出させる時間だったような気がする。
最近、大人になっていろんなことを経験して思うのは、結局「みんな元気でいてくれればいいなぁ」ということだ。
別に、すごく幸せじゃなくてもいい。うまくいってなくても、どこかで泣いていてもいい。でももし元気だったら、それはそれでうれしい。そんなふうに、そうやって自分と関わってきた多くの人たちが、今日もこの地球のどこかで生きているのだろう。
元気でなくてもいいけど、元気だといいな。
入場特典で配布されたお便り
わら半紙を使っているのがなかなか良演出中学時代のクラス写真は見つからなかったので、部活のコンクールの集合写真をサムネイルに。頭上でピースをする謎ポーズで
なぜ撮ることになったのかは覚えていない。
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