🧠 概要:
この記事は、作詞家である祇是 未在(タダコレ ミザイ)の音楽活動の起源や、作詞に興味を持った理由について語られています。彼は中学2年生から作詞を始め、特に自身がやりたかったギターロックに対する思いを述べています。記事では彼の音楽生活の初期のエピソードや、作詞のスタート地点について詳細に触れられています。
### 概要
– 音楽活動のスタートは中学2年生からの作詞
– 1994年の音楽シーンについて言及
– ピアノの経験とその影響
– ギターロックを目指したがギターが持てず、作詞を始める
– 替え歌的手法で作詞を試みた体験
– 当時の歌詞の思い出とそれに対する懐かしさを表現
### 要約の箇条書き
– 音楽生活は中学2年生から始まった作詞がきっかけ
– 1994年、ミスチルや篠原涼子の楽曲がヒットした年
– 小学時代はピアノを習ったが、自分に合わず
– ギターロックを志向したがギターが手に入らず作詞を選択
– 学校や帰宅中にも歌詞を書いていた
– TM NetworkやB’zの影響を受けた替え歌的なスタート
– 書いた歌詞は後に消失し、懐かしさを感じる
– 主に作詞についての思い出や考えを述べ、次回へ続く気配がある
時代は1994年、ヒット曲で言うと、ミスチルの innocent worldや篠原涼子の 愛しさとせつなさと心強さと、などTKとコバタケ両名からなる
プロデューサー時代の開幕みたいな年でした。
厳密に言うと小学1年生から5年生の終わりまでピアノを習ったりはしていましたが、正直なところ、習わされていた感は否めません。クラシックは自分に合ってなかったのと、半ドンの土曜日の昼からなんて子供だったら、みんなと遊びたい時間帯じゃないですか?なので、余計にね。ちゃんと弾こうと改めてピアノに向かったのは、氷室京介のアルバム『Higher Self』の一番最後に収められているLOVER’S DAY -SOLITUDE というピアノインスト曲を弾きたい!よし耳コピしよう!となったときなんですが、それはまた別の記事でお話します。話を戻して、作詞についてですが、何故、作詞からになったのかと言うと、先ずオリジナル曲を作りたい、しかしながら、やりたい系がギターロックものだったんですが、そもそも、ギターを持っていない!…致命的ですね。親に反対されて買ってもらえませんでした。なので、高校入ったらバイトして買おう!それまでに自分が歌いたい歌詞を書いて準備をしておこう!と、なったワケです。ちなみにピアノですが、両親の離婚に伴い、ピアノは運べなかったので諦めてしまいました。さて、そんな流れで、作詞をすることがライフワークになり、家に帰ってからも果てには授業中でも歌詞を書いていたのですが、その手法は⚫︎好きなミュージシャンの曲の
メロディを引用して作詞を当て込む
と言ったもので、当時、TM NetworkとB’zが好きでしたので、脳内ではGet WildをALONEな状態で首でリズムを取って歌詞を考えていました。
って、なんのこっちゃ?
あとは当時、初めて出来た彼女が好きだった
LUNA SEAとかもですね。
つまりは、要するに
原型のない替え歌
だったワケです。
ただ、そのときに思ったのが、曲が書けるようになるのはどうせ数年先だし、これ(自分が書いた作詞)の元ネタなんて
忘れてしまうだろう、でした。
でも、たぶんこの替え歌手法って
多くの人が通った入り口だったんじゃないかな?
作詞を始めて1年半くらいで、50個くらい書いた気がしますが、
それをどれも思い出せない、と言うね(汗)
その当時好きだった彼女のことだったか、となりのクラスのイヤなヤツのことだったか、漆黒の闇より出でし欲望の悪魔のことだったか、
全てが記憶の彼方です。
ルーズリーフにだったか、手帳にだったか。記憶から消滅しているということは高校生に入って曲を作るようになって改めて読み返したときに、
恥ずかしくなって処分したんだと思います。
黒歴史ですけど、あの頃の感性には二度と戻れないので、今になって、捨てて惜しいことをしたと後悔の波が押し寄せてますね。
※B’z それでも君には戻れない、より引用
そんなこんなで、
次回の、作詞について③に続きます。
ご清聴ありがとうございました。
Views: 2