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概要
この記事は、情報を「伝える」ことの難しさと面白さについて筆者のもりまゆこさんが考察しています。伝達の方法やその背景にある心理を探りながら、自身の体験や観察を交えて「伝える」ことの意義について考えています。
要約(箇条書き)
- 人の想いや活動をどう伝えるかを考える機会が多い。
- マーケティング、PR、広報の目的や役割が異なることを説明。
- マーケティングは届け方、PRは見つけてもらう工夫、広報は「声」を外に運ぶ役割を持つ。
- 伝わる瞬間、言葉以外での感情の読み取りの重要性を指摘。
- 心理学者メラビアンの研究を引用し、非言語的要素の影響を強調。
- 聞くことによって人の背景や意味を理解する喜びを感じる。
- 自分の価値観を確認するために日々の発信が役立っていると感じる。
- 伝わらないことへのもどかしさがあるものの、他者の想いに触れることで自らの理解が深まる瞬間を大切にしたいと締めくくる。
- 最終的に、伝えることの難しさと魅力を再確認している。
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マーケティングは、届け方を設計すること。
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PRは、見つけてもらうための工夫。
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広報は、組織の中の「声」を外に運ぶ橋渡し。
ドラッカーは、「マーケティングの理想は、販売を不要にすることだ」と言っている。私が感じているのも、それに少し似ているかもしれない。うまく伝えようとしなくても、伝わってしまうものがある。
そんな瞬間を、信じてみたいと思っている。
昨日、息子が友達から借りたものを壊した。本当は、大人に助けを求めることもできたはずだけれど、
時間のなさや恥ずかしさが勝って、「もういいや」と壊してしまったらしい。
私は、怒った。
“激霊に触れた”というのが近いかもしれない。
ー 人のものを、人の想いを、大切にしてほしい
言葉を尽くして伝えようとしたけれど、どれくらい伝わったかは、よくわからない。でも、怒ったあとに残った静けさのなかで、
自分が「何を守りたかったのか」は、少し見えた気がした。
伝えるって、なんだろう。わかってほしいという気持ちと、ほんとうに届くということのあいだには、いつも少しの“ずれ”がある。
その“ずれ”の中で、自分の大事なものに触れてしまうことがある。
「伝わらない」
そう感じた出来事があったとき、
言葉にしても届かないもどかしさに、私はよく立ち止まる気がする
心理学者メラビアンの研究では、人は相手の感情やニュアンスを読み取るとき、言葉そのもの(7%)よりも、
声のトーン(38%)や表情・しぐさ(55%)といった非言語の情報をもとにしているという。
たとえば、「大丈夫」と言われても、
声のトーンや目の動きで、“本当は大丈夫じゃない”ことが伝わってくるように。
言葉って、便利なようで、
ほんとうのことを伝えるには不自由なときもある。
一方で誰かの話を聞くとき、その人の使うことばの選び方とか、一瞬迷ってから話し出す間とか、あ、この人はこの場所が好きなんだなって思えるような場面に出会うと、
私はたまらなくうれしくなる。
うまく言えないけれど、そういう空気に出会いたくて、今の仕事をしているのかもしれない。
認知心理学者のブルーナーは、「人は物語によって意味を見つける」と言っていた。
その人のストーリーを知ることで、行動や表情の理由が、ふっと立ち上がることがある。
私は、そんな瞬間が好きだなあと感じる
最近は、その人の生き方を私の視点で語って見たいなと思うようになって、「ヒカリノヒト」や「100人の越境人」という企画をしていて、
その人の物語を、そっと映すような記事を、少しずつ書いている。
一方で、こうして日々、自分のことを発信しているのは、誰かに伝えるためというより、
自分自身の価値観だったり大切にしていることを確かめるためかもしれない。ジャーナリングに似ている気がする。
息子との出来事もまた、私にとってはそうだった。何が自分にとって大事だったのか、何に怒ったのか。
そういう問いが、自分のかたちを少しだけ照らしてくれた。
ひとつの記事で伝えきれることなんて、ほんのわずか。
だから私は、毎日、ほんの少しずつ、言葉を置いていく。
少しずつでも書いておかないと、見落としてしまうことがあるから
…なんて、あーだこーだ、伝えることについて考えてきたけれど、
要するに私は、誰かの想いに触れたとき、自分の中の何かも少しだけ輪郭を持ちはじめる、そんな瞬間を大切にしたいんだと思う。
伝えるって、むずかしい。だけど、やっぱりおもしろい。
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