🧠 あらすじと概要:
映画『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』あらすじ
この映画は、冴えない大学生・小西が魅力的な桜田さんと出会い、日常の中での恋愛や人間関係に悩む姿を描いている。高校時代の思い出や、理想と現実のギャップを抱えながら、彼が感じる孤独や痛み、また、誰かを大切に思うことの尊さがテーマとなっている。映像や音を通じて、彼の心情や大学生活の揺れ動く感情がリアルに表現されている。
記事要約
島田亜紀恵は映画『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』の鑑賞後、感情が高まり、思いを綴る。彼女は大学時代の自分を思い出し、映画が描く「生きづらさ」に共感。音や映像が感情を強く伝え、観客がそれを受け入れる様子を称賛。映画が自らの感情を代弁してくれたように感じ、時に痛みとともに、それを表現しようとすることが生きる喜びであると述べている。彼女は、観ることを強く勧める。
— 映画『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』 (@kyosora_movie) April 25, 2025
すごい映画だった。
痛かったし、嬉しかったし、辛かった。
それで、誰かに話したかった。
うまく話せる自信はなかったけれど、ラジオのオープニングトークで話してみました。限られた時間だし、辿々しいですが。
それで、ラジオ局からの帰り道、また映画について考えていたら色々と溢れてきたのでこれを書いている。
ぐちゃぐちゃな気持ちをそのまま書いたらうまく書けそうにないので、気持ちを一旦落ち着けるために、遅い夕食の焼きそばをつくって食べ、コーヒーを淹れ、YouTubeでガクテンソクさんの出ている動画を観てからパソコンを開いた。
関根勤さんとのトーク、声を出して笑いました。
最近ガクテンソクさんが好きで毎晩動画を観ている。お蔭で寝不足。観ながら寝落ちするので夢にも出てきました。すみません。
さて、「今日空」の話。
偶然SNSか何かで見た爽やかな男女のポスター画像に、大学生のみずみずしい恋愛物語を想像していた。それでも観たいと思ったが、インターネットで検索して観た人の感想を少し読んでみたら、どうやらそうではないらしい。映画のストーリーを知らずに観たいので検索をやめ、渋谷の映画館の上映時間を調べ足を運んだ。
すごかった。
冴えない毎日を送る大学生の小西くん。まるで15年前の自分。小西くんが出会ってしまった魅力的な桜田さん。こんな大学生でいたかったんだよ私は。
そして、さっちゃん。とにかくまぶしい。こうはなれない。
彼らのストーリーを観ながら、大学生の頃の自分を思い出した。
何気ない大学生活で、自分しか感じられないと思っていた生きづらさ。周りに馴染めなかったり、馴染みたくなかったり。自分を大きく見せたり、中身のない自分を隠そうとしたり。
理想に追いつけない怠惰な自分を呪ったり。
なかなかうまくいかない人間関係に涙が溢れたり。明日が楽しみで寝られなくて
目に映る全てがキラキラするほどときめいたり。
言ってもないのに、変なこと言っちゃったかな、とか悪口言われてないのに、何か言われてるな、とか
気持ち悪いメール送っちゃったかもしれないと不安になったり、とか。
聴きたくない音、人の声、言葉。
一人になりたい時と、誰かといたい時。
そういうのが、ぜんぶ、表現されていた。音、映像、セリフで。たとえば「生きづらさ」といった直接的な言葉じゃないから、よりリアルだった。
共感した、というより、映画が自分に共感してきてくれた、という感覚。
それから、誰かを大切に思う気持ち。
だからこその苦しみ、悲しみ、痛み。
そんなのも含めて、人を想う気持ち。
(「好き」の反対は「嫌い」じゃなくて「無関心」だ。)
この世で見てきたすべてのものを使って、生まれてきてから感じたすべての感覚、身体から出てくるすべての言葉を尽くして、目の前の人への気持ちを表現しようとする長台詞の独白シーン。
たまらないじゃないかよもう。
そして気づく。あの時の孤独は、苦しさ(少し愛しいとも感じる痛み)は、私だけが感じていたものではなかった。
あの時の大人たちよ、教えてくれよ。「私たちもそうだったよ」と。
帰り道、この映画を観終わった時の気持ちは、宇多田ヒカルの『初恋』を聴いた時の気持ちと少しだけ似ているとふと思った。作品を他の作品で説明しちゃいけないですよね。
でも、誰かを大切に思うことの尊さを、私は何度でも忘れ、時々こうやって素晴らしいアーティストたちに教えてもらうんだ。
もう一つ。
たぶん、この映画で重要なのが「音」だ。
うるさいくらいに、感情を音(と振動)で伝えてくる。
私は大きな音が少し苦手で、
子どもの頃は、たとえば掃除機、大人の怒る声、飛行機、テレビ放送されるアクション映画、そういうのが怖かった。
だけど、そのうるさいくらいの音が良かった。
ちょっとビクッとしたり、ザワザワしたりはしたけれど。
私が日常生活で感じていたそれだったから。私のいつも感じているのと同じじゃないか、と。たぶん、私の感じているものを表現してくれたんだと嬉しかった。
(他の人がどう感じているかは知らないけれど。)
私はヒューマントラストシネマ渋谷の「odessaシアター」で観たのですが、できれば音のいい環境で観て欲しいです。
最後にかかるあの曲も。ようやく聞かせてもらえたと思ったらベース音が身体中を殴打。お前何やってんだよもう、と。画の中の小西くんが急に自分かと錯覚する。
もう一度あのイントロを浴びたい。
ここまで書いてみたけど、うまく言葉にできなかった。
言葉にできない気持ちを言葉以外で表現してくれたことへの感動を言葉にするなんて野暮だと思う。
でも私は、作品を作った人に、私が心を動かされたことをちゃんと伝えたい。たとえばSNSの「いいね」とか、「👍」ボタンとか。黙って享受するのはちょっと居心地が悪い。生きているうちに、伝えたい。
良いと思ったものは良いとすぐに伝えたい、声をあげたい。
もしもこれがつくった人の目に止まったのであれば、すごく良かったです、言葉にできないけど、
すごく痛かったです、いやじゃないけど、痛かった、と伝えたい。
どう受け取るかは受け手の判断だ。
誰かを思うことも、誰かを分かろうとすることも、自分の思いを伝えることも、
どれも簡単じゃない。
どうしたって独りよがりになってしまうし、自惚れる。
でも、伝えたいと思うことが、どうにかして表現しようとすることが、生きることじゃないか、生きている喜びじゃないか。
今日自分が許せなくても、どうしようもない現実があっても、私は明日の空を見上げたい。
いい空だな、綺麗だな、好きだなって、思いたい。
よかったら、ぜひ観てください。
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