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概要
この記事では、著者が幼少期に経験した叔父の葬儀の出来事を通じて、人生観や価値観がどのように形成されたかが描かれています。特に、葬儀で一人の男性が感謝の叫びをあげる場面が心に深く刻まれ、その影響を受けた著者は「多くの人に愛される必要はない」と考えるようになったことが綴られています。過去の出来事が今の自分に与えた意義について振り返り、自分の趣味や創作活動にそれがどう関わっているかを探求しています。
要約
- 小学生の頃、母の弟の葬儀に参加。
- 一度しか会ったことがない叔父の死に実感が湧かなかった。
- 葬儀で、スーツの男性が土下座して感謝の叫びをあげた。
- その瞬間、感謝の強さを感じ、自身の生き方に影響を与える。
- 「自分がこの世界からいなくなった時、誰かに感謝される人間になりたい」と思うようになる。
- 幼少期の出来事が、音楽や文章創作のモチベーションに繋がる。
- 亡くなった叔父のギターを愛用し、彼を胸に生き続ける決意。
- 「多くの人に愛される必要はない」という考えを持ちながら、創作活動を続ける。
小学生の頃、母の弟が亡くなった。僕は、訳もわからないまま、葬儀に参列することになった。その母の弟とは住んでいる県が違っていて、生前に会った記憶はたった一度だけ。だからこそ、彼が亡くなったという実感も薄かった。けれど、その葬儀で、僕の人生に深く刻まれる出来事が起きた。人生初の葬儀。幼い僕には、すべてが新鮮で、少し興奮していた。でも、長時間椅子に座っているのが退屈で、少し飽き始めていた。そんな時だった。スーツ姿の男性が一人、会場の入口からスッと入ってきた。彼はそのまま素早く床に跪き、額を地面に押し付けた。そして、会場に響き渡る声で叫んだ。
「ありがとうございましたああああ」
突然のことに、僕はその光景に釘付けになった。お葬式の張り詰めた空気を切り裂くような、まるで魂の叫びのようだった。きっと、生前に伝えきれなかった感謝を、あの瞬間に絞り出したのだろう。幼い僕にも、その想いの強さが痛いほど伝わってきた。
「自分がこの世界からいなくなった時、誰か一人でもこんな風に心から感謝されるような人間になりたい」
不謹慎かもしれないが、幼い僕はその瞬間、感動していた。まだ「死」を理解していなかったけれど、あの叫びが、ただ事ではないことだけは分かった。あの光景は、今でも鮮明に覚えている。10年以上経った今でも、ふとした瞬間に蘇ってくる。そして、その度に心に響く言葉がある。
「多くの人に愛される必要はない」
あの日の出来事が、僕の生きる理由の一つになった。例えば趣味で作っている曲も、まずは誰か一人に確実に届くものを作ろうと思っている。写真も、文章も、誰か一人の心に届くようなものを意識している。
そして僕は、趣味でギターを弾く。
そのギターは、亡くなった母の弟が愛用していたものだ。親族の中で唯一、音楽を愛していた彼のギターを、僕が引き継いでいる。人は、二度死ぬ。一度目は肉体が死んだ時。二度目は忘れられた時。僕がギターを弾き続ける限り、彼は僕の心の中で生き続ける。腕が動かなくなるか、あの日の記憶が消えない限り、僕はこのギターを弾き続けるだろう。彼の音色と共に。
(終
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