まるでホラー映画のクリーチャーのように、ヒトの細胞を“かじり取って”殺し、その膜を奪って自分の体を覆い隠す――
アメリカのカリフォルニア大学デービス校(UC Davis)で行われた研究によって、赤痢アメーバが「他人の皮膚をまとって免疫の目を欺く」驚異のメカニズムと、それを下支えする異常なゲノム構造・RNA干渉ネットワークの全貌が捉えられました。
赤痢アメーバと言えば、多くの人がお腹を壊す「赤痢の原因」という程度の認識しか持たないかもしれませんが、このアメーバには先に述べたような人間の細胞を模倣する恐ろしい擬態能力があるのです。
しかも、その謎めいた振る舞いには、私たちが教科書で習った“ふつう”の遺伝子構造とはまったく異なる特徴――染色体の一部が過剰になったり不足したりする不均一な倍数性――まで関わっているといいます。
いったいこの「ヒトの細胞の皮を被ったバケモノ」はどのようにして免疫システムをすり抜け、私たちを苦しめるのでしょうか?
研究内容の詳細は2025年4月17日に『Trends in Parasitology』にて発表されました。
目次
- 思ったよりえげつないことをしている「赤痢アメーバ」
- 「ヒトの細胞の皮を被ったバケモノ」の真実
- “着ぐるみ”を剥がせ――治療標的としての偽装回路
思ったよりえげつないことをしている「赤痢アメーバ」
赤痢アメーバは、古くから赤痢の原因として知られるだけでなく、人間の免疫を巧みにすり抜ける性質がある寄生虫としても注目されてきました。
世界保健機関(WHO)の推計では、年間およそ5000万人が感染し、最大で7万人以上が亡くなるともいわれています。
感染後に腸内で増殖するだけでなく、肝臓など他の臓器へ侵入し、重篤な症状を引き起こすケースもあります。
にもかかわらず、たとえばマラリアや結核など他の感染症と比べると、研究の優先度は低く、驚くほど多くの部分が未解明のまま残されてきました。
近年の観察によって、赤痢アメーバがヒトの細胞を“かじり取る”ように破壊する動きを見せることが分かってきました。
一部の研究者たちは、この微生物を「スキンウォーカー(Skin-walker)」と呼ぶほど巧妙な免疫回避能力があると指摘しています。
“Skin-walker” はもともと ナバホ族の伝承に登場する邪悪な魔術師(yee naaldlooshii)の俗称で、「他者の皮をまとって姿を変える者」というニュアンスをもつ形容です。
このかじり取りによって、寄生虫の外面が“ヒト由来”の分子に覆われるため、本来ならすぐに攻撃されるはずの寄生虫が免疫に発見されにくくなるのではないかと考えられています。
ただし、赤痢アメーバが実際に何をどうやって奪うのか、そしてどのような遺伝子がかかわるのかについては、これまで詳細がはっきりしませんでした。
さらに、赤痢アメーバが示す“不均一な倍数性(アニュープロイディ)”やRNA干渉(RNAi)が、どれほどこの寄生虫の変身能力や免疫逃避に影響しているのかも大きな謎のままです。
そこで今回研究者たちは、顕微鏡を使って赤痢アメーバの偽装の過程を詳細に暴くとともに、遺伝子解析、RNA干渉の評価など多角的な手法で総合的に検証し、その免疫回避メカニズムを突き止めようと試みました。
「ヒトの細胞の皮を被ったバケモノ」の真実

研究者たちはまず、赤痢アメーバがヒト細胞にどのように接触するのかを顕微鏡で観察し、その動きを詳細に記録しました。
すると、寄生虫はヒト細胞の表面に取り付くと、小さな断片を“かじり取る”ように切り離し、まるで「皮膚」や装飾品のように身につけているかのように見えたのです。
これは外膜を破るだけではなく、細胞質の一部を含む“塊”をちぎり取っており、先行研究で示唆されていた“偽装”行為を裏付ける決定打となりました。
次に研究チームは、この免疫回避をさらに探るため、赤痢アメーバの遺伝子レベルの特性を調べることにしました。
注目されたのが、“アニュープロイディ”と呼ばれる不均一な倍数性です。
通常の生物では、細胞分裂のたびに染色体の数が等しく増えますが、赤痢アメーバの場合は特定の染色体が過剰に複製されていたり、逆に少なかったりと、不規則な状態が観察されました。
それでも寄生虫自体は問題なく活動しており、大きな遺伝子異常が見当たらなかったのです。
この矛盾を解くカギとして研究者たちが着目したのが、RNA干渉(RNAi)という遺伝子サイレンシングの仕組みです。
RNAiには、増えすぎた遺伝子の働きを抑制しながら、必要な遺伝子を補うように調節する力があると考えられています。
そこで赤痢アメーバが、どの遺伝子をどの程度働かせているかをモニタリングしたところ、染色体の配分にばらつきがあってもRNA干渉が活発に行われ、必要なタンパク質をほぼ無駄なく生産している形跡が見つかりました。
これらの結果から、赤痢アメーバはヒト細胞をかじり取って取り込むことで偽装を行い、さらに通常の生物とは異なるアニュープロイディやRNA干渉を組み合わせて柔軟に遺伝子を制御している可能性が高いといえます。
一部の研究者が「スキンウォーカー」と呼ぶほど神出鬼没な姿をとれるのも、この巧妙な仕組みこそが大きな要因なのかもしれません。
“着ぐるみ”を剥がせ――治療標的としての偽装回路

今回の研究で新たに浮き彫りになったのは、赤痢アメーバがヒトの細胞膜をまとうように偽装し、不均一な倍数性やRNA干渉を組み合わせて柔軟に遺伝子を制御できるという点です。
この仕組みによって、環境変化や免疫細胞の攻撃といった厳しい条件下でも、形質を自在に変えながら生存や増殖を続けることが可能になっていると考えられます。
実際、ヒト由来の膜タンパク質を表面に取り込む動きは、単純に外側を覆うだけでなく、免疫系に「自分の細胞」と錯覚させる点で非常に巧妙です。
一方で、こうした偽装やアニュープロイディを支える分子機構を解明できれば、ピンポイントでそれらを阻害する薬剤の開発も視野に入るかもしれません。
たとえばCRISPR/Cas9を用いる研究が進めば、より正確に病原因子を切り分ける技術が確立され、今後の治療戦略に大きく貢献すると期待されています。
ただし、ヒトとは異なるゲノム構造や増殖サイクルが障壁となり、実用化にはさらなる研究と時間が必要です。
それでも、赤痢アメーバの特異な性質を理解することは、従来の薬剤に頼るだけでは対処しきれない感染症対策へ向けて重要な一歩になるでしょう。
参考文献
Wily Parasite Kills Human Cells and Wears Their Remains as Disguise
https://biology.ucdavis.edu/news/wily-parasite-kills-human-cells-and-wears-their-remains-disguise
元論文
Work with me here: variations in genome content and emerging genetic tools in Entamoeba histolytica
https://doi.org/10.1016/j.pt.2025.03.010
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。
大学で研究生活を送ること10年と少し。
小説家としての活動履歴あり。
専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。
日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。
夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部
🧠 編集部の感想:
赤痢アメーバの驚くべき能力に驚かされました。自己防衛のために他者の細胞を模倣するというメカニズムは、自然界の奥深さを実感させます。今後の研究によって、治療法が進展することを期待しています。
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