木曜日, 7月 10, 2025

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【映画感想】国宝フジコ

🧠 あらすじと概要: 映画「国宝」のあらすじと要約 あらすじ 映画「国宝」は、歌舞伎をテーマにした人間ドラマです。主演の吉沢亮が演じるキャラクターを中心に、彼の葛藤や成長を描きながら歌舞伎の世界に焦点を当てています。映画全体を通して、役者たちの圧倒的な表現力が際立ち、観客は彼らの情熱や苦悩を深く感じ取ることができます。 記事の要約 感想文では、映画「国宝」を映画館で観た記録が綴られています。著者は映画の重厚感や人間味に強く感動した様子で、音楽の影響や役者の表現力についても言及しています。特に歌舞伎シーンの演技に心が揺さぶられ、劇中の役者たちがいかに素晴らしいパフォーマンスを提供しているかが強調されています。観る者を惹きつけるカメラワークや登場人物の表情に感銘を受け、映画館での鑑賞が特別な体験となったことを述べています。映画は純粋なエンターテイメントであると同時に、深い人間ドラマを描いた作品であることが強調されています。 #映画感想文 映画「国宝」を映画館にて観てきました全体を通じて重厚感が凄い。静かなトーンの中に詰め込まれた人間くささの密度が高すぎる作品でした。エンドロールでは井口理さんの歌う「Luminance」という曲が流れるんですが(ギリネタバレじゃないよね)、なんだか久しぶりに音楽を聴いたような気持ちになりました。つまりは「あれ?劇中BGMって流れてたっけ?」ってなった。これは私的にはものすごい誉め言葉です。それだけ息をのむように集中して視聴していたことになるし、流れていたBGMがあまりにそれぞれのシーンに馴染んでいたということだと解釈しています。事前情報をなにも入れて行かなかった。久しぶり、いや実に1年半ぶりの映画館であった。なんとなく「映画館で映画みたいナ~」という気分だった。元々舞台鑑賞や大衆演劇が好きな影響で、SNSで国宝の公式投稿がおすすめで流れて来たんだと思う。つい最近Netflixで映画「正体」を観たばかり。横浜流星さんの役者っぷりが良かったのもあって、観に行くことを決めた。いやはや、本当に映画館で観て良かった映画だった。人の踊りを観て実物で泣いたことはあるが、スクリーン越しでは初めてのことでした。歌舞伎シーンの観客エキストラにもし選ばれていたら息できてなかった気がする。あんなの現地で浴びたら心揺さぶられすぎて、とんでもないんじゃないか。劇中の年代や環境、役の心情によって吉沢亮氏の顔が全然違う。めちゃくちゃすごい。役者ってすごいよなぁ。歌舞伎の知識など全くなくても大丈夫◎ 吉沢亮さんと横浜流星さんのダブル主演ではなくあくまでも”吉沢亮”が主役なんだなと最後までみるとしみじみします。初めて歌舞伎役者を生で観たのはいつだっただろうたぶん、5年ぐらい前。「衛生 リズム&バキューム」というミュージカルにて、尾上右近さん。洋装、というか確か白いタンクトップと半ズボン、ショート丈ソックスにスニーカーみたいな衣装で、キラキラの金の紙吹雪が舞う中での大見得を浴びました。現代劇だし、ミュージカルなので歌舞伎の要素は一切ゼロだったんだけど。このラストシーンで一気に「ああああ歌舞伎役者ってこういう凄さがあるんだ…!」となったのを覚えています。一瞬にして右近さんの体重が増えたんじゃないか?と感じさせるぐらい全身の筋肉に力が込められ、板が沈むんじゃないか?と思うぐらいグッと重みのある踏み込みがあって。あの瞬間に尾上右近の身体が8倍ぐらいデカく見えました。あとは歌舞伎役者ではないのだけど、劇団☆新感線の舞台「バサラオでの生田斗真氏。生田斗真さんはNetflixドキュメンタリー「挑む」でも歌舞伎を習い、舞台をこなした様子を拝見しました。赤胴鈴之助だっけな。バサラオでの生田斗真、いや、役名で言いたくなっちゃうな。ヒュウガはまさに歌舞伎者。劇団新感線の演目は座付き演出のいのうえひでのりさんの名前をとって「いのうえ歌舞伎」と称されるものが多くあり、私も大好き。演出面で歌舞伎の要素が取り入れられることが多々あります。バサラオではヒュウガが六方を踏むシーンがあるんですよ。「歌舞伎」と聞くとイメージに上がりやすい、両手を広げて顔を突き出し片足でケンケンするように歩くステップのようなやつです。ヒュウガの六方めっちゃ怖かったんだよね。なんかこの世のものではないような畏怖感がありました。舞台にグーっと奥行が増したようで、ヒュウガが衣装や鬘以上になんだか得体のしれないオーラを纏って、このまま観客席の方へ魂ごと乗り込んでくるんじゃないかみたいな。右近さんの大見得と同じくだったのはとにかく役者がデカく見えた。Netflixドキュメンタリー「挑む」では、その六方を練習する生田斗真さんがめちゃくちゃたっぷり見れます。バサラオのエンドロールでも「六方指導 尾上松也」って出てたな。六方のシーンだけのための指導があったってすごい。そりゃあの禍々しいえげつない六方が見れちゃうよな。すごい。ああ語彙力が下がりました。国宝の話に戻ります歌舞伎がテーマではあるものの、これは歌舞伎の映画というよりも人間ドラマ。舞台シーンであれど寄りのカメラワークが多く。登場人物の表情や汗や涙がありありと見えたところにそれを感じました。途中までは自分や自分の人生に置き換えて考えながら観ていたところもあるけど。途中からそんなこと言ってられなくなる。とにかく集中しちゃった。そういう意味で、いい意味で、重みのある作品でした。映画館で刮目せよ!フィルマークスとスレッズやってますフジコの映画レビュー | FilmarksFollowers:3人 / Following:3人 / レビュー数:110件filmarks.com 映画やドラマ、アニメの感想とレビューを投稿するだけのストイックなSNS「Filmarks」。私もこっそりやってます。TreadsではInstagramと連携しているものの、自分の作品や暮らしの話は殆どしていません。映画・ドラマ・アニメ・舞台・漫画など様々なエンタメの感想をコソコソ更新しています。エンタメって存在してくれて本当にありがたいなぁ。それに集中していればよいという問答無用のチルタイムになるのだ。久しぶりの映画館楽しかった。無駄にちゃんとオシャレしてメイクして行った。なんだか特別な日にしたかったから。ひとりで映画や舞台を観に行って、帰りの電車で馴染ませて帰りに直帰せず、ただ感想を口から垂れ流すこともせず、いつもの飲み屋でサクッと一杯だけ飲んで気持ちだけ荷下ろしして家に帰る。これはこれは、とても充実のオフの過ごし方である◎ 続きをみる

映画『片思い世界』感想→坂元裕二の〇〇法批判だと思う。まくのうち

🧠 あらすじと概要: 映画『片思い世界』は、子供を殺人事件で亡くした母親と、その子供たちの幽霊を中心に描かれた重厚なドラマです。物語は、幽霊の視点から進行し、彼らが生きていた頃の思い出や母親との関係を追体験することで、無念や悲しみが深く掘り下げられます。 要約 この記事では、映画『片思い世界』の感想が述べられています。著者は、坂元裕二監督の作品に特有の社会批評が本作にも見られることを指摘します。特に、少年法に関する批判が透けて見える構成が強調され、被害者遺族の苦悩が描かれています。また、物語の中では、視覚的美しさでテーマの重さを保っていると述べられています。映画の展開は奇跡が起こらないリアリズムに溢れており、努力が報われない無常感が漂っていますが、最後には共に歩むことで希望を見出す様子も描かれています。 全体を通じて、悲劇を乗り越えようとする幽霊たちの姿は強いメッセージを持ち、観客に深い感慨を与える作品と言えます。 片思い世界の感想です。この映画は予告で語られていない重大な要素があり冒頭から驚きます。以下、核心的なネタバレを含みます。まず観たあとに思ったのは「やっぱり今年の日本アカデミー賞は『ファースト・キス』でお願い…」だった。本当にあの映画良かった。国宝より良かった。まず「片思い」ってそういうことなのね、というところと、3人のビジュアルの美しさによってギリギリ保たれているテーマの重さ。かなり重い。結構冒頭以降ずっと重い話。子供を殺人事件で亡くした後の世界坂元裕二的に〇〇〇への批判だったのではそういや『カルテット』でも言ってたけど、〇〇は叶わないのか。だと思いました。残酷な現実。① 子供を殺人事件で亡くした後の世界について子供を殺人事件で亡くすより惨い現実はない。この映画は3人の幽霊の目線で物語が進んでいく。幽霊だから、生きている人間に干渉することは叶わないし、叫んでも誰にも届かない。被害者の女児たちは9歳のときに理不尽に殺された。合唱コンクールのリハーサル中、風景の中に猟奇殺人鬼がやってきて、次々に女の子を殺していった。その中の1人が、たまたま「私」だった。3人のうちの1人は「お母さんに会いたい」という思いから、もう一度生きてみたいと願うようになる。ある日お母さんを見つけると、今は花屋をやっていた!でもお母さんを追いかけてみると、再婚していたし、自分の死後に生まれた妹もいた。再婚相手のお父さんも優しい人だった。②坂元裕二的に〇〇〇への批判だったのでは多分これ坂元裕二的 少年法への批判なんじゃないかな。物語が進むにつれ、被害者遺族が12年間ずっと戦ってきたことがわかってくるシーンへ突入。このへんは酒鬼薔薇聖斗事件のメタファーで、「少年A」として描かれていたのかな?と思った。この映画相当被害者遺族のその後に切り込んでいると思う。しかも被害者遺族の努力虚しく3人殺して有期刑とのことでその現実も惨い。このお母さんは犯人を死刑にするために相当頑張ったんじゃないか?とも思った。いくら結局、死刑にはならずでなんの罪もない3人の命を奪った犯人は12年後に出所。出所前には就職先も斡旋してもらえてお昼は唐揚げ弁当を食べていて、来月結婚するらしい。自分の娘が殺されていて何もかも叶わないのにこんな姿を見たら業腹ものだと思う。幽霊たち → 「私たちは9歳の時からお母さんにも会えないし、誰とも声を通じさせることもできないのに……唐揚げ弁当食べてた……」遺族 → 「9歳で自分の娘の命は奪われたのに、何不自由なくご飯を食べ、就職して、結婚までしようとしている犯人。もう娘はご飯も食べられないし、生きることすらできないのに……」批評とカルテットのあのシーン見せ場の少なさについて正直、この映画は見せ場が少ない。普通、映画やアニメなら現実では不可能な願いが叶うフィクションならではの見せ場がある。・『君の名は。』は中身が入れ替わったから好きな女の子を助けられる。・『レナードの朝』は重度のパーキンソン病の主人公が30年ぶりに目を覚ます。といった、主人公の努力によって奇跡が起こる胸熱展開になる、と思っていた。この「ベタな展開」が嫌いな人ってそんなにいないと思うでも、『片思い世界』では主人公3人の頑張り物語こそあるけれど、奇跡は起きない。ちなみに坂元裕二の『カルテット』にはこんなセリフがある。カルテットのあのシーンこの世で一番の内緒話って、「正義はたいてい負ける」ってことでしょ。夢はたいてい叶わない、努力はたいてい報われないし、愛はたいてい消えるってことでしょ。そんな耳障りのいいこと口にする人って、現実から目を背けてるだけじゃないですか。(第5話 来杉有朱)この映画は、まさに「夢はたいてい叶わない」世界坂元裕二『カルテット』が大好きすぎて何周も見ている。あの映画も夢が叶う映画ではないんだけど爽やかな終わり方をする。片思い世界も同じく夢や希望は叶わないし、夢想するしかないけどでも仲間と横になって歩いて前に進んでいく終わり方をする。こういう報われないストーリーなのに何故か後味は悪くないのが坂元裕二の魔法だよねと思いました。ここまでご拝読いただきありがとうございました! 続きをみる

苺とパンちゃん

🧠 あらすじと概要: あらすじ 『苺とパンちゃん』は、50歳を迎えた女性が主役の物語です。彼女は、仕事と家事の両立、育児など、生活のあらゆる面で悩みながら過ごしてきました。完璧主義の彼女は、自分自身を誤魔化しつつ、常に「変わりたい」という思いを抱いてきます。しかし、いつしか自分の本音を見失ってしまいます。この作品は、「本音の保管庫」としての旅を描き、最終的には自分の本音と向き合い、自分自身を認め、付き合っていく姿を追います。 記事の要約 この記事では、映画『苺とパンちゃん』の感想を述べています。物語は50歳の女性が主人公で、彼女が人生の半分に達し、数々の葛藤を抱える様子が描かれています。完璧主義に陥った彼女は、自分の本音を見失いがちでしたが、物語の中で自己探求を進め、自分と向き合う姿勢が重要なテーマとなっています。感情の深みや成長に共感しながら観ることができる作品です。 50歳。ようやく人生の半分。仕事と家事の両立、育児、たくさん悩み、考え、もがいた半生。完璧主義で、自分で自分を誤魔化して、変わりたくて必死に生きていたら、いつしか自分の本音が聞こえなくなった。『本音の保管庫』スタート。いつか自分の本音と出会えて、自分を認め付き合えるように。50歳。ようやく人生の半分。仕事と家事の両立、育児、たくさん悩み、考え、もがいた半生。完璧… 続きをみる

【映画感想文】~誰ぞ1人ぐらいは無事にたどり着けるやろ~『来る』Credai

🧠 あらすじと概要: あらすじ 『来る』は、スタイリッシュな和製ホラー映画で、超常的な存在と戦う霊媒師たちの物語が描かれています。物語の中心には、襲いかかってくる「何か」を祓うために集結する霊媒師たちがいます。全国から集まった彼らは連携し、この未知の脅威に立ち向かうことになります。特に後半のヒーロー映画さながらの集結シーンが見どころです。 記事の要約 この記事では、映画『来る』についての感想が述べられています。映像やリズム感に加え、登場人物の魅力が強調されています。特に松たか子と柴田理恵の演技が高く評価されており、柴田理恵の存在感は見どころの一つです。また、霊媒師たちのセリフやコミカルな要素も印象に残ると述べられています。バイオレンス描写やジャンプスケアに注意を促す一方で、全体的には非常に楽しめる作品であると評価されています。 スタイリッシュな和製ホラー。監督がCMディレクター出身という事もあり、映像もテンポ良く心地よいリズム感な気がする(超適当)。ストーリーとしては、襲ってくる超常的な『何か』を祓っていこうという筋だが、特に面白いのは後半。全国から霊媒師を集めて『何か』と戦う流れになるが、ヒーロー映画さながらの集結シーンが熱くて痺れる。霊媒師側の主軸となる松たか子ももちろん素敵だが、映画を見た人であれば全員が感じると思いますがとにかく柴田理恵が最高に格好良い。この柴田理恵が見れただけでも価値はある一本なのでぜひ。コミックリリーフかと思いきやかっこよすぎるあとはモブだが、新幹線で移動する霊媒師グループのセリフ回しもめちゃくちゃ痺れるので誰かに共感して欲しくてたまりません。『誰ぞ1人ぐらいは無事にたどり着けるやろ』好きすぎるセリフ邦画の中でも屈指の名セリフバイオレンス描写やジャンプスケアっぽいシーンもそこそこあり個人的には目を細めて見たシーンも多いので、その辺が苦手な方は注意しながら見てもらえると。 普通の会社勤めのサラリーマン米国ペンシルバニア州で駐在業務をする事に(刑期は未定)パチンコ屋も無いし趣味のJホラーも映画館で見れなくなるし生きていけるのか 続きをみる

田中宏明

🧠 あらすじと概要: もちろんです。以下に映画のあらすじと記事要約を記載します。 ### あらすじ この映画は、主人公が予期せぬ出来事に巻き込まれ、自分自身を見つめ直し成長していく物語です。彼は過去のトラウマと向き合う過程で、多くの人々との出会いや別れを経験します。周囲の人々との関係が深まり、彼は自分自身のアイデンティティを再構築していくことが描かれています。 ### 記事の要約 この記事では、映画を通じて表現される人間の成長や絆の重要性について考察されています。映画のテーマやキャラクターの心情に触れながら、視覚的な表現や音楽の使い方にも言及され、全体として感動的なストーリーが描かれていることが強調されています。ネタバレを避けつつ、鑑賞後の深い余韻や思索を喚起する作品であることが伝えられています。 ライターをやっています。ビジネス関係を中心に、幅広いジャンルの文章を書いてきました。時折脚本家や構成作家になったりもします。仕事とは関係なしに、映画を30数年にわたって年間100本以上観てきたので、ここではその感想を中心に書き綴ろうと思います。ライターをやっています。ビジネス関係を中心に、幅広いジャンルの文章を書いてきました。時折… 続きをみる

时间之子(時間之子)紗愁

🧠 あらすじと概要: 映画「時間之子」のあらすじ 「時間之子」は、時を操る能力を持つ宝「时轮」を巡る青年十七の冒険を描いた作品です。彼はマフィアから逃れるために宝を探し続け、仲間との争いから宝を海に落としてしまいます。その後、指名手配されながらも、少女千晓(千暁)と出会い、意気投合します。千暁が宝を持っていることを知った十七は、彼女に返すよう求めますが、彼女は約束の一日を経て、共に冒険することになります。 記事の要約 雨模様の上海で、「時間之子」という映画を観ることで気分転換を図った作者は、作品の魅力に強い感銘を受けています。3Dアニメーションの質感やキャラクターの描写に驚かされ、豪華な声優陣にも注目。物語はクールな青年と天真爛漫な少女の組み合わせで、適度に実写的な要素を持ちながら、ディズニーっぽい雰囲気も漂っています。作者は、感情のこもった大きな愛の物語として評価し、エンドロールの演出にも言及。技術と心が融合した新たな中国アニメーションの可能性を感じています。 上海にも梅雨入りというものがあるのか、今週はずっと雨模様。このジメジメとしただるい空気をどうにか吹き飛ばさないものかと、気分転換に映画を観に出かけた。公開前から気になっていた作品だが、予想を超えてあまりにも好みで面白くて、もし日本で上映するなら私に字幕翻訳をやらせてくれと思うレベルだった。余韻を噛み締めながらこの記事を書いている。“しばらく世界を止め、時に逆らってあなたを愛す”あらすじ時を操ることができる时轮(時輪)という宝を手に入れ、それをボスに渡せばマフィアを離れられると言われた青年十七。無事に見つけたものの仲間と船上で口論になり、船も難破して宝を海に落としてしまう。裏切り者として懸賞金もかけられ指名手配されながらも探し歩いていると、ある少女千晓(千暁)と出会う。実は千暁は遠く離れた島で暮らしていたが、ひょんなことから街に流れ着いてしまったのであった。彼女が時輪を持っていることを知った十七は返すよう言うが、千暁は聞き入れない。1日経ったら返す約束をして、2人は行動を共にすることになったが……みどころこの作品は3Dアニメーションで作られているが、そのリアルさに引き込まれる。海、砂浜、冒頭の雪山、実写と見紛うほどの質感だ。驚くのは人物の描写だ。アップになった手の指の関節の皺、老人の顔の皺、傷跡が特にリアルで、今までのアニメーションでここまで表現した作品はあっただろうかと考えた。加えて声優陣も豪華だ。若手俳優の王俊凯が主演、さらにベテラン俳優の黄渤、歌手の周深までいる。周深は挿入歌およびエンディングも担当している。そして世界観。少女千暁は「映画のような素敵な人生」に憧れているだけあり、途中でミュージカルのようなシーンがあったり、往年の作品のオマージュと思われる部分もある。西洋と東洋の雰囲気が入り交じる街並みでストーリーが繰り広げられつつも、どこかディズニー作品を彷彿とさせる部分もある。今まで私が観てきた中国アニメーション作品では「ライオン少年」「兵馬俑の城」「新封神演義 楊戩」「傘少女」「ナタ 魔童の大暴れ」など、中国の伝統文化や古典に絡めたものが多かった。「時間之子」は街並みこそ民国時代っぽさを感じさせつつも、あくまで背景として溶け込んでいる。これは世界市場を見据えているな……と観ながら思わず考えてしまった。クールで訳ありな青年と天真爛漫な少女という組み合わせ、時間をテーマにしたファンタジーというのは往々にしてよくあるが、それを今の中国映画界が3Dアニメーション技術を駆使して作り上げるとこうなるのかと思わせられる作品だ。一人で観に行くも良し、だが作り手としてはおそらく誰か大切な人と一緒に観に行くことを想定している。一人一人の人生こそが映画であり、かけがえのない作品であり、それを共に観る人がいる。大きな愛情の物語である。余談だが、中国の映画館ではエンドロールが始まると同時にシアター内が明るくなり、清掃のスタッフが入ってくる。無言で清掃を始めるスタッフとそれに追い立てられるように席を立つ観客を横目に居座る私……というのがこちらに来てからの常であったが、この作品ばかりはそうでもなかった。エンドロール途中にエピローグ的なシーンがあり(明るくなってしまい少し見づらかったのが残念)、それを観ると立ち去る人もいたが、エンディングの周深の歌に清掃スタッフも聴き入っていたのが少し面白かった。曲名は「梦见你(夢見你)」。また大好きな歌が増えた。 続きをみる

中国版「キッズ・リターン」なのか?稲妻は恵みをもたらさなかったやどかり

🧠 あらすじと概要: あらすじ 映画『青の稲妻』(2002年)は、中国の地方都市を舞台に、経済成長の影に隠れた若者たちの不安や焦燥を描いた青春ドラマです。物語は2001年の中国山西省・大同を背景に、未来に立ちはだかる壁に苦しむ2組の若者の姿を追います。彼らは、バブル経済の影響を受け、自己実現を目指す中で様々な社会的・個人的な矛盾に直面します。台湾の楽曲「任逍遥」が劇中で重要な役割を果たし、青春の葛藤や夢の追求を象徴します。 記事の要約 この記事では『青の稲妻』を分析し、中国の急激な変化を描く映画としての側面が強調されています。ジャ・ジャンクー監督が描くのは、経済成長の陰で苦しむ若者たちの姿であり、彼らが抱える閉塞感や挫折感が物語の中心です。特に「法輪功」の存在や、アメリカ資本主義による影響、昭和とバブル時代の日本の文化との関連についても言及されています。 映画では、主にバイクやカラオケ文化を通じて描かれる青春の旅路が描かれ、それに対する批評的な視点が提供されています。また、友情や愛情の葛藤、特徴的なキャラクターたちが立ち向かう困難も描かれ、最終的には若者たちの挫折が物語の結末となっています。全体として、中国社会の変化と若者たちの現実を交差させながら、時代の流れを感じさせる作品であることが強調されています。 『青の稲妻』(2002年製作/112分/中国・日本・韓国・フランス合作)前作「プラットホーム」で80年代の中国の若者たちをビビッドに描いて高い評価を得たジャ・ジャンクー監督が、再び中国の地方都市を舞台に、現代の若者たちの不安や焦燥を等身大で見せる青春ドラマ。2001年の中国山西省・大同(ダートン)。経済的、国際的にも急成長を遂げた現代中国の地方都市で、期待と恐れ、社会への矛盾とを抱え苦悩する2組の若者が、未来に立ちはだかる大きな壁に立ち向かう姿を描く。「好きなように生きる」という歌詞が受け、大ヒットした台湾の曲「任逍遥」が劇中印象的に使われる。第55回カンヌ国際映画祭正式招待作品。NHKオンデマンドで「愛と異端のシルクロード」を観て中国の激変映画、『新世紀ロマンティクス』に主演している趙濤(ちゃお たお)がナビゲーター役でこの頃はすでに中国が日本のGNPを追い抜いていたんだろうなと思える。その趙濤(ちゃお たお)が注目されたのが『青の稲妻』で『新世紀ロマンティクス』にも映像がつかわれていたと思ったのが「金太郎ルック」で、そういうえば日本でも流行っていたことがあったなと思い出したのだった。この映画は2000年の中国激変を描いているのだが、それが天安門事件と法輪功と西遊記で中国が資本主義のなかで金儲け主義に走る若者を描いていた。法輪功は宗教が禁止された社会主義国で、宗教という隠れ蓑のなかで金儲けしよとした新興宗教であり、日本でも80年代にオウム真理教や統一協会問題があったことを思えば、当時の若者の閉塞感を利用して勢力拡大をしていった宗教団体が理解できる。それは霊感商法という洗脳システムの中で伸長してきたものを感じる。法輪功 - Wikipedia ja.wikipedia.org さらに西遊記などに対する批判は、そうした中国の物語がアメリカ資本主義に利用されてアニメ化されるなどの害悪の影響も描いているのだが、日本でも『西遊記』というとシルクロードブームの最中に放映されたドラマでありゴダイゴ「ガンダーラ」をテーマ曲とするなど、80年代の鄧小平の中国資本主義に力を貸したものと思われる。ドラマは紡績工場の息子(最近観たワン・ビンのドキュメンタリー『青春』シリーズはジャ・ジャンクーのネガ的な中国を描いているようだと思ったが、この作品では汚れた裏通りの中国だった)が友人とつるんでいく中での閉塞感とミレニアム世界(アメリカ的資本主義の世界)の興奮と。大学の友人がランニング(下着)姿でオペラを練習している姿に西欧の憧れが感じられる。そしてカラオケで歌の世界に浸るなど、まさにこの時代(バブル)の文化であった。そこで歌われるのは「愛の流行歌」なのだった。まだ角川映画のエンタメ路線というよりもATG作品的なのだが日本側の出資者がオフィス北野なのが、この時代の流れを映し出しているようで興味深い。バイクのシーンなんかもろ北野映画(『キッズ・リターン』)のパクリだった。年上の女は資本主義社会の中で生きる姉御肌で、男二人の友情がホモフォビア的な「欲望の三角形」を形作っている。しかし最後は青年二人の挫折で物語が閉じていた。青春時代を大同で送る三人の若者(ドリカム関係か)。しかし鄧小平の経済社会は若者まで回ってこないで、行き詰まりの生活。その中で歌われるのが、中国のチャゲ&アスのような男性歌手二人組が歌う「任逍遥」で、流行歌が中国経済社会の未来を歌い、その中で生きる若者二人の挫折劇がメインのようで、ちょうど大同から北京へ高速道路が開通するのだが、一人は雨の中バイクがエンコしてしまい、もうひとりは銀行強盗未遂で警察に捕まってしまう。そのときに警官になんか歌えと言われて歌うのが、「任逍遥」でこの映画のテーマ曲のような。それで動画を探していたら懐メロのように出てきたのが上の動画で、続けて出てきたのが一年前に上げられた最近の中国の流行歌のようである。日本でも似たような曲があったな、と思ったのだが三人関係が若者と姉さんとオジさんコンビで面白かった。『青の時代』がそんな映画であり、詐欺師的なオジさんに騙されていく若者たちなのだが、そのバックに法輪功事件があるという。法輪功はなんとなく聞いたことがあったがキリスト教会系の新興宗教でオウム真理教や統一教会のような詐欺的な宗教組織であり、それがアメリカ経済と繋がっているという。アメリカのキリスト教福音派がそのバックのようでもあり、日本でも安倍元首相が関係していたという統一教会系なのかと思う(オウム真理教のように言っているところもあるが、元気が出る薬とか詐欺的な商売をしている)。法輪功はアメリカで保護法案が出されたり、日本でも政治がらみのニュースが検索すると出てくるので、けっこう組織的に今度の選挙なんかにも躍進してくるのだと思う。最近の歌の明るさはそんな感じなのかとも思う。まあ流行歌もプロパガンダになっているというのが『青の稲妻』の裏テーマかもしれない。それで趙濤(チャオ・タオ)扮するイケイケ姉さんは「三峡ダム」や北京に逃れていくのが昨日観た『新世紀ロマンティクス』だった。題名にあるロマンは、中国の現実ということなんだろうが。それで孫悟空のアニメがそういう若者たちを鼓舞していたアニメだったのか?日本だと「シルクロード」ブームの『西遊記』ということだが。 続きをみる

小津安二郎の『戸田家の兄妹』~辛辣な家族崩壊ドラマと特別な兄と妹の関係~ヒデヨシ(Yasuo Kunisada 国貞泰生)

🧠 あらすじと概要: あらすじ 小津安二郎監督の『戸田家の兄妹』は、1941年制作の作品で、家族の絆と崩壊を描いたドラマです。物語は、戸田家の母の還暦祝いを迎えた大家族が集まるシーンから始まります。父が突然倒れ、その死をきっかけに、家族間の関係が次第に崩れていく様子が描かれます。特に、二男の佐分利信と三女の高峰三枝子の兄妹関係が中心的なテーマとなっています。兄妹は非常に特別な結びつきを持ち、家族の危機の中で互いに寄り添う姿が強調されています。物語は、様々な家族の葛藤、そして彼らの利己的な行動を通じて、家族の難しさを赤裸々に描いています。 記事の要約 『戸田家の兄妹』は、小津安二郎が描く家族の崩壊と絆をテーマにした映画である。物語は家族が集まるシーンから始まり、父の死が引き金となって、家族間の関係が崩れていく様子が描かれる。特に、兄妹の佐分利信と高峰三枝子の特別な関係が焦点となり、高峰三枝子の兄への依存が際立つ。兄妹の絆の中に、家族の冷たさや身勝手さが色濃く描かれ、上流階級の自己中心的な姿勢が批判的に描写されている。また、小津の映像スタイルや日常の描写が作品に深い感情を与えており、家族のつながりとその脆さを強調する構造になっている。 ©1941 松竹株式会社小津安二郎映画でまだ見ていなかった作品。中国戦線から帰還した小津安二郎1941年の映画。大家族がバラバラになっていく物語は『麦秋』のようでもあり、老いた母が娘や息子たちの家を盥回しになる意味では『東京物語』の原型とも言える。古い映画なので、台詞など音がやや聞きづらいところがあった。最初は家族の記念写真から始まる。『麦秋』でも家族が解体する前に最後に記念写真を撮るシーンがあったが、『戸田家の兄妹』では、まず始めに大家族の記念写真があり、そして「死」と「家族の解体」が描かれるのだ。戸田家の母の還暦の祝いで家族みんなが集ってくる。戸田家の家族全員を集合させながら、人物関係を紹介していく。いわゆる上流階級の大家族の物語である。財界の要職にある父(藤野秀夫)、母(葛城文子)に長女・千鶴(吉川満子)、長男進一郎(斉藤達雄)、長男の嫁(三宅邦子)、二男晶二郎(佐分利信)、二女綾子(坪内美子)、二女の夫(近衛敏明)、三女節子(高峰三枝子)である。両親と二男の佐分利信と三女の高峰三枝子が一緒に暮らしている。この映画でタイトルにもなっている兄と妹とは、二男の佐分利信と三女の高峰三枝子である。母の還暦祝いで家族で食事に行った夜、突然父が狭心症で倒れる。円満で楽しそうだった大家族が父の突然の死によって、一気にバランスが崩れ、暗転していくのだ。必ず家族が集る場面で遅れてくる男が二男の佐分利信である。記念写真にも、父の葬儀にも、また一周忌にも遅れてやってくる。そしてそんな兄を迎え、いつもそばにいるのは三女の高峰三枝子である。高峰三枝子は、兄の前ではいつも泣いている。兄が遅れて葬儀に駆けつけたとき、兄が天津に行ってしまうことになって荷造りする場面でも、高峰三枝子は泣く。この兄と妹は、強く惹かれ合っている特別な関係なのである。だからラストで、高峰三枝子は友達の時江(桑野通子)を兄の佐分利信の嫁にどうかと提案するところでは弾むように軽やかで楽しそうであり、兄の佐分利信もまた、高峰三枝子の夫に自分の友達を紹介するとお互い約束するのだ。そしてお互いが「任せる」という形になる。母の一周忌で姉や兄たちを一喝した強い男のイメージである佐分利信が、女性に関しては苦手で、妹から時子(桑野通子)を紹介されそうになり、家から逃げ出すという笑えるラストも、兄と妹の特別な関係を匂わせている。『晩春』や『秋刀魚の味』での父と娘、『麦秋』での兄と妹、『東京物語』での父と息子の嫁など、近親者で惹かれ合うのは小津映画でいつも繰り返されている。家族の娘や息子たちのそれぞれの身勝手さと同時に、惹かれ合う絆の強さを描き続けたのが小津安二郎なのかもしれない。物語は父の死と共に借金が判明し、本宅の土地や美術工芸品などの財産を売り払って処理することにする。二男の佐分利信は「帰る家がなくなった」と天津支店への転勤を会社に申し出て、さっさといなくなる。住む家がなくなった母の葛城文子と三女の高峰三枝子は、まずは長男の家に同居するが嫁の三宅邦子から冷たい仕打ちをされ、続いて長女の吉川満子の家へ移る。いずれもお手伝いさんがいるような立派な邸宅で部屋も余っているのだが、学校をサボる長女の息子(葉山正雄)の教育問題で長女と母が揉め、外で働きたいという高峰三枝子の願いも世間体を気にして長女に却下される。居心地の悪くなった二人は鵠沼にある古びた別荘に移り住むことにする。そんな姉や兄たち家族の仕打ちに一周忌で戻ってきた佐分利信が怒りだし、法事の会食は目茶苦茶になるという話だ。上流階級の自己中心的な身勝手な冷たさが辛辣に描かれている。息子や娘たちにはそれぞれの生活があって、その身勝手さから両親を邪魔者扱いするのは『東京物語』と同じ図式であり、長女の吉川満子が父が倒れたと聞いて実家に駆けつけるとき、喪服の心配をするのも同じだ。この映画では父の死後、母の葛城文子がどんどん侘しい感じになっていく。最初に夫が死ぬ前に語り合った老夫婦の夜の笑顔がいちばん幸せそうなのであった。また、佐分利信が友人たち(笠智衆、山口勇)と死んだ父の思い出話をする料亭のシーン、小津安二郎はイマジナリーラインを越えてカメラアングルを自在に選びながら、同じ料亭で、同じ杯で父と酒を飲んだ思い出話をする場面もいい。父の耳にハエが止まって父がうるさそうに手で払うのにまた止まるという話。そういうなんでもない仕草の記憶が、いつまでも心の残るのは、いかにも小津映画らしいエピソードだ。正面からの切り返しはそれほどなく、短いカット割りではなく引きの画面がわりと多い映画だが、日本家屋の廊下のショットや鉢や置物などの佇まいはすでに小津スタイルが完成されている。九官鳥が父の死んだ姿と重なるように母・葛城文子と高峰三枝子と一緒について回る役割になっている。父の死をキッカケに家族がバラバラになっていくところに、死の影が映画に色濃く反映している。1941年製作/105分/日本配給:松竹監督:小津安二郎脚本:小津安二郎、池田忠雄撮影:厚田雄春音楽:伊藤宣二キャスト:佐分利信、高峰三枝子、葛城文子、藤野秀夫、三宅邦子、坪内美子、吉川満子、桑野通子、笠智衆、山口勇、葉山正雄 続きをみる

500日のサマーももう一度見てぴ

🧠 あらすじと概要: あらすじ 『500日のサマー』は、恋愛の喜びと苦しみを描いた物語です。主人公トムはサマーという女性に恋をし、彼女との関係を通じて愛の本質や運命について考えさせられます。物語は、二人の出会いから別れまでの500日間を様々な視点で描き、トムの心の変化やサマーの態度が重要なテーマとなっています。 記事の要約 この記事では、映画『500日のサマー』を再度鑑賞した筆者が、自分の恋愛体験を通じて映画の捉え方が変わったことを語っています。初見時は恋人との関係の安定感からポジティブな感想を持っていましたが、今回の視聴では別れの経験を経て、主人公の感情に深く共感するようになったと述べています。サマーとトムの関係の逆転や、運命についての考察が心に響くと同時に、自身の気持ちと向き合わせるきっかけになったことを振り返り、愛する気持ちを正直に持ち続ける大切さを再認識しています。 同じ映画でも見る時期が違うとこんなにも感じ方が変わるのかと驚きです。初めて見たのは去年の夏。最愛の恋人とまだ付き合っている時。2度目に見たのは、恋人と別れて半年以上経った時。まさに今です。映画を見る目線が変わったと言うか、感じ方が違ったというか、言葉にできません。考察を読んだら尚、響いてしまって、こりゃあ大変だ。初めて見た時はね、主人公が前に向く姿によかったあって安心したり、環境を変えるって大事だよなあって思ったら、まあちょっと浅い感想(笑)そりゃ、別れを経験してなかったからね。そりゃそうだ。うんうん。でも今は違う。もうすごい。別れに対しての主人公の落胆、絶望、喪失感。全てにまず共感。「わかるわかる。その人しかいないもんね。そうだよねそうなるよね。」って。全然気持ちを表現してくれないサマー。友達でいいとお互い関係を持つけど、だんだん納得いかなくなってくるトム。運命を信じてるトムと信じてないサマー。それが、最後には逆転して、現実をみるトム。運命を信じるようになったサマー。もうここの時点ではあああああ、、、!って。やるせない気持ち。そして、これは考察を見て、ずきっっってきたんだけど、最後にサマーはトムとの運命を信じてみたかったんじゃないか?って。!?!?!?ですよ。確かにね、サマーがトムを見つめる眼差しはまだ好きが残ってるし、手を握るシーンなんて、!?!?!じゃん。考察では、ここで、サマーはトムが握り返してくれて、サマーを奪いとって欲しかったんじゃないかって。それこそが運命なんじゃないかって。書いてあって、うわーーーすごいわーーーってなった。そんなこと現実を見るようになった今のトムにはできないからこそ、もうもどかしい感じ。自分に置き換えました。自分は奪いとれるか?と。私も現実を見出すようになってきた。私より、今の人の方が相手を幸せにできるんじゃないか?って。だから、幸せになってねとか思ってもないことを言うようになった。でも、やめようって思った。自分の気持ちに正直に生きてこって。まだ好きだから。いつでも奪いに行く気持ちで、迎えに行く気持ちで、私はまだあなたを愛そうと思うよ。 続きをみる

「フォレスト・ガンプ/一期一会」9rohituji

🧠 あらすじと概要: あらすじ 映画「フォレスト・ガンプ/一期一会」は、知的障害を持つ主人公フォレスト・ガンプの人生を描いた物語です。彼はバス停のベンチで隣人に自らの経験を語りながら、様々な出来事に直面します。フォレストの明るさと行動力は、彼の人生に多くの試練があってもそれを乗り越えさせ、友情や愛情の大切さを学ぶ姿を映し出します。彼の人生を振り返る中で、特に戦争で助けてもらったダン中尉との心の交流が感動的なポイントです。この物語は、1950年代から1980年代のアメリカの歴史的背景も交えつつ進行します。 記事の要約 この記事では、「フォレスト・ガンプ/一期一会」の概要が述べられています。フォレスト・ガンプの人生は、数々の困難と向き合いながらも、彼の持つ明るさで切り開かれていく様子が描かれています。特に、ダン中尉との関係の変化が作品の見どころとして強調されています。また、映画はアメリカの歴史を取り入れつつ、フォレストの名前の由来や、映画公開後に設立されたレストラン「ババ・ガンプ・シュリンプ」の関連情報も触れられています。 2025年6月9日 12:55 知的障害を持つ主人公のフォレスト・ガンプの人生をバス停のベンチで隣の人に話しながら振り返る話。人生はシリアスでしんどいことの方が多いが、フォレスト・ガンプの持ち前の明るさと行動力で切り開いていく物語。戦争で助けてもらって後悔していたダン中尉がフォレスト・ガンプに心を開いていくところが見どころ。劇中でも紹介されているが、フォレストの名前の由来はKKKの結成者であるネイサン•ベドフォード•フォレストから。↓KKK(クー•クラックス•クラン)についてhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3ガンプは、アラバ州の方言で「間抜け」や「愚か者」を指す。この映画は、1950~1980年代のアメリカ合衆国の歴史を交えながら描かれている。(ベトナム戦争等)公開から一年後の1996年、劇中に登場する「ババ•ガンプ•シュリンプ」をモチーフにしたレストラン「ババ•ガンプ•シュリンプ•カンパニー」がアメリカに設立された。↓ババ•ガンプ•シュリンプ•カンパニーHPhttps://bubbagump.jp/ 続きをみる

リー・ミラーが伝えた真実あらかわてんこ

🧠 あらすじと概要: 映画「あらかわてんこ」のあらすじ 映画「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」は、20世紀を代表する写真家リー・ミラーの人生を描いた作品です。彼女は華やかなモデルから転身し、戦争報道写真家として活躍しました。映画では、彼女の遺した歴史的な写真を通して、第二次世界大戦という激動の時代における人々の苦悩や、見えない傷を映し出しています。若い男性ジャーナリストとの対話を通じ、ミラーの内面や彼女が抱える複雑な感情が紐解かれていく様子が描かれています。 記事の要約 映画を観た感想を交え、著者はリー・ミラーの存在に強く惹かれたことを述べています。彼女の写真には戦争の裏にある見えない傷や、本当の人間の姿が写し出されており、それを伝えることが彼女の使命だったことが感じ取れます。また、女性としての苦しみや不当な扱いを訴える意義も強調されています。著者自身は、ミラーの生き方が現代の女性たちにも影響を与えるものであるとし、観客が彼女の作品を通じて自身の生き方を考えるきっかけになればと願っています。また、ヒトラーの浴室での写真に関する考察も行われ、戦争の終わりを象徴する重要な記録として引き合いに出されています。 上映開始前、観客席に私はひとり。251人収容のスクリーン9。本編上映前に、もうひとり若い女性がやって来て、ふたりになった。貸切状態で観たのは、「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」恥ずかしながら、彼女のことは全く知らなかった。でも、恥じることはない。この映画の製作総指揮・主演をつとめたケイン・ウィンスレットだって、最初は戦争報道記者として名前は知っている、そんな程度だった。そんな彼女が使命感を持って製作した映画。Xでこの映画の投稿を見て、強く引き寄せられた。映画に呼ばれたという感覚。すぐに観に行こうと思った。今の私には、これだ!と。本作を観る前に「シビル・ウォー アメリカ最後の日々」を観るといいという、ありがたいアドバイスに従い、アマプラで「シビル・ウォー」を観た。主人公は、リー・ミラーがモデルとなっている。リー・ミラーは、華やかなトップモデルから報道写真家へ転身した、20世紀を代表する写真家。彼女の死後、自宅の屋根裏部屋にしまってあった、彼女が命をかけて撮った(まさに、生命と自分の精神を、全身全霊かけて撮った)歴史的記録の数々。若い男性ジャーナリスト(実は…私は最後まで気づかなかった)との対話を通して、遺された写真は紐解かれる。『傷にはいろいろある。見える傷だけじゃない』彼女が負っている傷が疼き出した第二次世界大戦。犠牲になる人々。とりわけ女性や子どもたち。彼女が愛する、楽しい時間を共にした友人たちの苦しみ、見えない傷を抱えているリーにとって、戦争で表になることない、知られることのなかったはずの、隠蔽された恐ろしい真実を撮り続けることは、リーが生きていく上で、どういう意味があったのだろうか。存命の間に、その意義を彼女は確信できたのだろうか。リー・ミラーを演じたケイト・ウィンスレットは言う。「恐らくリーは戦場で初めて、自分自身の真実に気づき本当のリーになった」と。戦争報道記者としての期待される役目と、リーの心は乖離している。破壊された家、束になった死体、リンチに遭う少女、銃を撃つ兵士…一瞬の見える断片を映しながら、リーの瞳は、『見えない傷』をも映していた。ドイツ人と交際していたフランス人の少女は、内通していたとして、大勢の前で、見せしめとして髪を刈られる場面。髪を刈られる彼女の、こぼれ落ちそうなほどの大きな瞳はリー・ミラーの瞳と対峙している。リーの押すシャッター音が、私の頭の中で重く響いた。実際、内通していたかは私にはわからないが、少女の瞳が語る言葉にならない悲しみが、私の瞳にこびりついて、胸が苦しくなった。抗えない不条理を逃すまい、戦争は人が死ぬだけではない、建物が壊れるだけではない、こんな見えない傷が生まれているんだ!という、知るはずもない真実を伝えたい!リーの写真には、そんな叫びが込められているように思う。リーが残したのは、写真だけではない。戦争報道記者という仕事を通じて、女性が前線で、意思を持って働く姿を示してくれた。ケイト・ウィンスレットは言う。「時代を間違えて生まれたと思えるくらい、今の時代に合っている」  私は、女性であることを軸(武器)に物事を発信されることには少しばかりの抵抗があった。世の中の不利益が全て『女』だから受けるものではないと思っている。だが、内通を疑われ、髪の毛を刈られた少女のように、「女性だから」受けた惨い仕打ちがある。(リーは、自分の受けた傷を真正面に受け止めていたと感じる)リーは、戦争の後ろにある見えない傷を映し出すのと同時に、当事者であるのに女性だからという理由で行動を制限されたり、男に決定権があることに憤りを感じていた。女性が不当な扱いを受けなくてはならない時代の中で、リーは突き進んで行った。タフはタフだったとは思うが、それは自らの精神を代わりに差し出していたものだった。本当は、強くはなかったと思う。でも、強くいなくてはならない理由があった。自らの見えない傷と、大勢の女性たちの傷と、消えていく命、隠蔽される惨状。リーは、それらを背負い、立ち向かっていた。リーが決死の思いで撮った写真は、「VOGUE」には掲載されなかった。「この写真は不安を煽ってしまう「みんな先に進まないと…」「先に進むですって?収容所にいた少女はどうやって先を進むの?」リーは戦争そのものではなく、戦争下で生きる、もしくは生きられない人たちを知ってほしかったのだ。リーの写真は、プロパガンダの材料なんかじゃない。リー・ミラーを映画にしたいという動きはずっとあったそうだ。大勢の「男性」たちが映画化しようとしていた。屋根裏部屋に脚本は保管されている。息子のアントニーさんは、持ち込まれた脚本に納得がいかず、なかなか実現には至らなかった。しかし、ケイト・ウィンスレットの熱い思い、生き方に共鳴したのだろうか、(彼女のファンであるのはもちろん)、母親リー・ミラーと重ねて見てたのだろう、ケイト自身もリー・ミラーと自分を重ねていたことを感じ取ったのもあるだろう、映画化が実現した。男性の書く脚本では、『ピン』と来なかったのも頷ける。ケイトの言う通り、今の時代に生まれていれば、間違いなく不条理な世界を打開する先鋒に立ち、導いてくれたに違いない。私も話してみたかった。「今、こんなことで苦しいんだ」って。「あなた、なんかに抗って、動いてる?」と笑われそうだ。リーの撮影した写真で、象徴的なものに、《ヒトラーの浴室のリー・ミラー》(1945)という写真がある。第二次世界大戦で最も象徴的な写真の 1 つヒトラーが自殺を図ったその日に、ヒトラーのアパートで、リーが被写体となり、撮影された。「ヒトラーでさえ、ふつうの人間の習慣を持っていたようだ」と書き残している。アメリカ人女性が、戦争下の敵国ドイツ・ミュンヘンのヒトラーの浴室に入る姿は、何か抗い、戦うミラーではなかったように感じた。リーの葛藤は感じられないが、ヒトラーの写真と共に撮影したことで、「戦争は終わり」だということを自分に言い聞かせるメモリアルにしたのかも知れない。この後のリー・ミラーのことを思うと、彼女が命をかけて築いてきたことに敬意を表するとともに、多くの若い方々にも、ぜひこの作品を観て、自らの生き方を考えるきっかけになればなと思う。 医療機関(眼科)に勤務、シュライバーしています。出版社ひろのぶと株式会社の株主。 旅することでエネルギーをチャージ。旅先では地元スーパーへ必ず行きます。 唐揚げ、豚の角煮、焼きたらこは毎日食べたいほど好きですが、毎日食べていません。 続きをみる

「ふたり~あなたという光~」を観た感想TANOSHIKAどんよりと晴れている

🧠 あらすじと概要: 映画「ふたり~あなたという光~」のあらすじと記事の要約 あらすじ 「ふたり~あなたという光~」は、統合失調症を抱える妹とその姉の物語です。姉は妹の症状と向き合い、彼女の存在が自分の人生にどのように影響するのかを考えながら、自分自身の幸せを追い求める中で結婚を決意します。この映画は、三間瞳さんの実体験を基に作られており、家族の絆や、障がいを持つ人々とその家族の苦しみと幸せを描いています。 記事の要約 映画を観た感想として、著者は自身も統合失調症を抱えていることから、作品に大きな影響を受けたと述べています。特に、妹の症状が重かったことに衝撃を受け、家族の中で抱える苦しみや葛藤について考えさせられました。姉が結婚を選ぶ過程は評価されていますが、物語が家族内の問題解決に限定されている点についての閉鎖的な印象があり、社会全体での理解や支援が求められると感じたようです。 また、姉妹の絆や社会的な孤立についても触れ、障がいを持つ家族を支える中で自身の幸せを求めることの重要性を訴えています。作品の続編を期待し、障がいを持つ人々の幸せを考えることの必要性を強調しています。 2025年6月9日 10:37 先日、「ふたり~あなたという光~」を制作した三間瞳さんにインタビューを行いました。統合失調症の妹を持った姉が結婚を決意するまでの物語です。三間さん自身の体験を元に制作されました。エグゼクティブプロデューサーとして携わった三間さんのインタビューした感想を踏まえながら、私自身統合失調症当事者としての映画を見終わった感想を書いていこうと思います。映画を見た感想妹さんの症状について私も統合失調症ですが、今働いているA型事業所でも、入院中でも、会話ができないくらい症状が重い人を見たことがないので、正直ショックを受けました。妹さんは自閉症などの他の障がいもあるのではないかと思ってしまいましたが、知的障害もあるということなのでそれで障害が重いのだなと思いました。あれだけ症状が重いと、ご結婚は相手方の親族から反対されるのはわかる気がします。しかし、統合失調症でも結婚し、子育てしている方も多くいらっしゃるので、症状も人それぞれだなと思いました。映画の内容について統合失調症って普通じゃないですよね。普通じゃない人を支える人も普通じゃなくなる。だから、普通の幸せを得る資格がないのかっていうとそうではなく、その家族にも家族の人生がある。一人の女性が自分の幸せをつかみ取るまでの過程をドラマ化したことは評価できます。しかし、統合失調症の妹がいる以外はごく一般的な、むしろ恵まれているご家庭でのお話であり、統合失調症の妹さんさえいなければ何の支障もなく、ご結婚されることができるという事実が、統合失調症当事者の私から見ると苦しくなります。自分の存在が家族の十字架になる可能性があることを思い知らされました。主人公の姉はそれでも結婚する道を選びます。妹が足かせになろうとも夫となる人と幸せになろうとします。その選択を選んでくれたことは喜ばしいことであり、妹さんも祝福したと思います。希栄さんが結婚に賛成してくれたことにより、お姉さんは一歩前に歩けたこともわかりました。「きょうだい」としての生きづらさを焦点に描かれた物語は多くの「きょうだい」の気持ちを代弁してくれるのでしょう。ここで取り上げなかったら、彼女たちは見えない存在として社会からも忘れられ、その苦しみも理解されず、なんの援助も受けられず、ひっそりとその苦しみに耐えるしかなかったのだと思います。もっと知りたかったこと・気になったこと統合失調症といってもいろいろあるのだなと思わされた反面、希栄さんご本人の気持ちがよくわからなかったなと思いました。統合失調症である姉の心の葛藤ももう少し深堀りしてもよかったかなとも思います。お姉さんも希栄さんを大切に思っており、希栄さんもお姉さんを大切に思っていることはわかったのですが、彼氏さんの母親となる人の意見に対抗する具体案は示されておらず、世間が病気を抱えた家族を支えるためには何が必要なのかまでは描かれていないのが残念に感じました。家族の心情だけで解決できる問題ではないのに、家族内だけで物語が完結してしまっていることになんとなく閉鎖的なものを感じました。家族だけで問題を解決しなければならない「きょうだい」の孤独が浮き彫りになっていると感じました。希栄さんの日常が家族だけに支えられているのが見ていてつらかったです。父親が他人事で子育てに積極的にかかわっていない様子や、妹さんに対して心無い発言を平気でしていることも気になりました。三間さんにとってはそれが真実の家族の形であるとは思いますが、なんかモヤモヤした気持ちになってしまいました。「きょうだい」について考えたこと「きょうだい」の存在をまず認めること。そこから光ある希望の一歩が始まると思うのです。障がいを持つ家族を支えるために生きていくのではない、その人自身の幸せを求めることは決していけないことではありません。「きょうだい」を孤立させない社会が求められていると思います。より多くの人にこの物語が届き、社会を巻き込んで個人の幸せを得るにはどうしたらいいのか考える必要があると思います。そして、続編の制作を期待します。「きょうだい」の親が亡くなった後の物語が知りたいですし、「妹さん自身の幸せがなんだったのか」「きょうだい」に社会が何ができるのか知りたいと思いました。「ふたり~あなたという光~」公式サイト↓こちらでも記事を書いています。興味のある方は読んでみてください。↓絵本を書きました。ぜひ、お読みください。 初めまして「どんよりと晴れている」と申します。長いので略して「どんはれ」とお呼びください。就労継続支援A型事業所TANOSHIKA CREATIVE でライターをしています。日々の生活の中で感じた些細だけれども面白かったことなど書き綴っていこうと思います。よろしくお願いします。 続きをみる

SA SHAING FEELSCOBRA コブラ会

🧠 あらすじと概要: あらすじ 映画「COBRA コブラ会」は、過去の剣道選手たちが再び集まり、一つの道場を舞台に繰り広げられるドラマです。元々は少年時代に名を馳せたキャラクターたちが、成長や挫折を経て、自らの信念を取り戻す姿を描いています。友情や対立、愛情の葛藤を通じて、彼らがどのように自己実現を果たしていくのかが中心テーマです。 記事の要約 この記事では、ギタリストNAOKIさんについての感想が述べられています。彼はバンドSAで活動しており、60歳を迎えても変わらぬパフォーマンスを披露しています。NAOKIさんの姿から、フル活用したエネルギーや野心を学びたいと感じることで、子育てや結婚などの言い訳をせずに前向きに生きる姿勢の重要性について考えています。このように、観る者に影響を与える存在としてのNAOKIさんが紹介されています。 2025年6月9日 09:30 こんにちはー、今回の動画は昨日投稿したNAOKI さんというギタリストが現在活動しているバンド SA. (エスエー)です。 NAOKI さん今年で60歳!思えないほどのパフォーマンス ラフィンノーズの時が20歳だったのでもう40年ステージにたち続けています。 私も、結婚しているからとか、子育てが大変だとか、言い訳せずにNAOKI さんみたいに、バイタリティーと野心を忘れず上を目指して頑張りたいと、NAOKI さんを見ていつも思います。 続きをみる

匂い立つ色気!!映画館で!!@岸辺露伴は動かない 懺悔室田中弥三郎◇『勃起は血流』Kindle出版しました◇健康ヲタク鍼灸マッサージ師◇「ちょんちょん」の人

🧠 あらすじと概要: 映画『岸辺露伴は動かない』のあらすじと感想要約 あらすじ 『岸辺露伴は動かない』は、『ジョジョの奇妙な冒険』第4部に登場する人気キャラクター、岸辺露伴を主人公としたスピンオフ作品です。岸辺露伴はマンガ家で、独特な世界観を持つ彼が新たな冒険に挑む姿が描かれます。特に、映像作品としてのアプローチにおいて、彼のキャラクターやストーリーがどのように視覚化されるのかが話題になっています。 記事の要約 この記事では、映画館での『岸辺露伴は動かない』鑑賞についての感想が述べられています。著者は映画館の魅力を強調し、特に映像美や音楽、作品への没入感を賞賛しています。特にヴェネツィアでのオールロケや、実際のオペラが取り入れられた音楽シーンに感動し、劇場ならではの体験があったとしています。岸辺露伴役の高橋一生の演技やキャラクターの魅力も特筆され、衣装の美しさや所作の独特さが印象的だと述べています。また、映画を観ることで得られる満足感や集中力の高まりについても言及し、観客に映画館での鑑賞を強く推奨しています。最後には、公開情報や特典情報も紹介されており、映画館での体験を通じて得られる喜びが伝わる内容です。 田中弥三郎◇『勃起は血流』Kindle出版しました◇健康ヲタク鍼灸マッサージ師◇「ちょんちょん」の人 2025年6月9日 08:37 映画館はお好きですか?家でも映画を観られる時代ですが、映画館って必要だ!!昼食直後でポップコーンを買わず、ちょっと後悔しました。なるべく避けますが多少のネタバレを含みます。岸辺露伴は動かないジョジョの奇妙な冒険からのスピンオフ週刊少年ジャンプに連載の『ジョジョの奇妙な冒険』第4部に登場する、人気マンガ家の岸辺露伴が主役のスピンオフ。NHKでスペシャルドラマになった初回から、リアルタイムでガッツリ追いかけています。ドラマ5話の猿之助さんの怪演は震えました。岸辺露伴を演じるのは高橋一生さん。相棒の編集者役は飯豊まりえさん。おっと!ウィキペディア見てたら、アマプラ限定で番外編の「もうひとつの密猟海岸」があるの???見ないと!!アニメ・TVドラマの時から、作り手の熱量がスゴい熱狂的なファンが多い、ジョジョ。実写ドラマになる前、アニメになる段階でも賛否が分かれたほどです。独特の効果音の描写が作品の大きな特徴で、アニメ化に際してとくに心配された部分でした。なんと効果音をマンガそのままの字体でアニメに表示するという離れ業で乗り切り、その演出は絶賛されました。そんな作品だけに、実写ドラマに際しても徹底的に世界観を保ちつつ映像化。作り手の熱量が伝わってきます。観ててしんどいくらい。でもそんな作品だからこそ、映画館で観たときの満足感は筆舌に尽くしがたいものでした。映画館で観て良かったポイント映像がキレイ物語の舞台はヴェネツィア。ヴェネツィアでのオールロケは、邦画史上初だそうです😳街並みの美しさは言うまでもないのですが、一番は演者たちの鬼気迫る表情です。浮浪者を演じた役者さん(めちゃくちゃ有名)が、エンドロールを見るまで誰か分からないほど。折角なので役者さんのお名前は伏せておきます。変幻自在、まさにマンガ的なカメラワーク。予備知識なんてなくてもぶったまげます。今の時代ならスタジオ撮影で予算を削ることも出来るでしょうが、話になりません。没入感という言葉では足りないほど引きずり込まれました。パンフレットには撮影時のエピソードもたっぷり収められています。オフショットの和やかさを見ると、映画との温度差に付いていけませんでした🤣音楽が良い劇中の終盤でオペラを鑑賞するシーンがあります。もちろん本物のオペラの舞台に立つ俳優さんたちが演じています。ロケ地も実際にオペラ公演に使われるホールだそうです。そのままオペラの歌唱がBGMになって続くなか、映画のクライマックスを迎えます。オペラの歌詞の内容が分かってたらどれほど興奮したでしょうか。映画館ならではの音響と音量で、あのシーンが体感できたことは幸福でした。セリフ回しも独特な作品なので、なおさら映画館で観てほしいと思います。ちなみに劇中のオリジナル音源は、すべて生成AIで作曲したとパンフレットに記載がありました。物語が強烈だったから、そこまで気が回らなかったです😓作品に集中できる私は映画館でも劇場でも、スマホをオフにすることで気持ちのスイッチを切替えて臨みます。でもこれはさすがに家ではしていません。この作品にはそんな雑音なんか存在させてはいけないです。ポップコーンは別です、劇中のキーアイテムですし(笑)映画館に来ると自然と作品への集中力が高まって、観終えたときの満足感が違うのです。お腹いっぱいどころじゃない、なにか一戦終えたかのような心地よい疲労感が残りました。作り手と観客の真剣勝負といったところでしょうか。真剣勝負にスマホは邪魔です。弥三郎的・作品の魅力(個人の感想です)所作が美しい原作マンガもそうなんですが、美しいのです。マンガのタッチが独特すぎて、初見のひとが面食らって避けちゃうのも"あるあるネタ"です。美しさはビューティフルというより、デコラティブでグラマラス。唯一無二の所作やセリフ回しは、ともすれば"やり過ぎ"な感もあるほどですが、このシリーズに限っては必要不可欠で絶対的な正解です。登場人物たちが狂っていくさまは、まさに圧巻。あくまでも冷静でありながら、マンガに対する凄まじい熱を見せる岸辺露伴(高橋一生)。岸辺露伴の所作のひとつひとつがクールでセクシー。歩く姿だけじゃなく、首を傾げるさま、しゃがみ込むさま、どこを切り取っても露伴先生の色気が匂い立つ。とくにページを繰るときの顔、ペンを走らせる手がね。もうね……。改めてヒトって美しいのね……🥺と思っちゃいます。映画館のデカいスクリーンで浸りましょう。観たあとはきっとアナタも、ちょっとセクシーに歩けています。衣装がお洒落✨️これもマンガからなのですが、衣装がとても凝っています。マンガのコスチュームを実写に落とし込むと、無理が出てしまうもの。でもこのシリーズにはそれがありません。ジグザクのヘアバンドなんて、誰が思い付くでしょうか?しかもそれが似合っちゃうってどういうこと?冷静に考えるとあり得ないんですけど、ちゃんと成立してしまうのです。そしてその衣装がヴェネツィアの景色にもマッチして、より作品世界を奥深いものにしています。他の登場人物の衣装や装飾品、ちょっとした小物、細部まで行き届いています。美しさは正義。そうでしょ?ご結婚おめでとうございます岸辺露伴役の高橋一生さんと、担当編集者の泉京香役の飯豊まりえさん、ご結婚されました。『岸辺露伴、動いていた!!』🤣🤣🤣全く噛み合わない露伴先生と泉くんですが、いつも露伴先生は泉くんには「敵わない」のです。そんなお二人が結婚なさってるのです。お祝いがてら、ぜひ映画館で観てほしいです。「幸せが襲いかかって」きます。大丈夫ですね。高橋一生さん、飯豊まりえさん、おめでとうございます💐auの方!!auPontaパス使ってますか?auの定額サービスで、ウイルススキャンやデータ預かりなどをしてくれるauPontaパス。月額548円税込ですが、その特典に映画の割引特典があります。映画は一般2000円になりましたから、賢く利用しませんとね。レイトショー1500円、60歳以上のシニアで1300円。高くなったもんだ😓SMT(松竹系)は、いつでも1400円!!具体的にはMOVIXグループですね。シネマ歌舞伎は対象外なのが惜しいところ。土日でも使えるのは強い!!TOHOシネマは月水1100円!!auマンデーとして毎週月曜日だけのキャンペーンが、水曜日も加わりました。月水だけとは言え1100円はアツい!!ということで我が家はほとんど月曜日に映画に行きます。話題の映画『国宝』も早く観たいけど、もうちょっと先になるわ😓でも、映画館って良いよね!!露伴先生も国宝も、ぜひ映画館で!!映画館でもらった!ヘッダー画像もコレです。左端が露伴先生。右っかわの写りが悪いのは私のせいです😓 『勃起は血流』Kindle出版しました。健康ヲタクが鍼灸マッサージ師をしています。気付いたことや気になったことを整理したいと思いました。まだまだ人体には分かっていないことがあります。それはつまり可能性があるんだと思うのです。日々、楽しい発見が積み重なっています。 続きをみる

映画 『ローン・ソルジャー極限戦場』KNG1983

🧠 あらすじと概要: 映画『ローン・ソルジャー極限戦場』あらすじと要約 あらすじ 映画『ローン・ソルジャー極限戦場』は、東部戦線で戦うハンガリー兵の二等兵ロンボスがソ連軍に捕虜となり、過酷な地雷原を歩かされる物語です。彼は、厳しい捕虜生活を送る中で、謎の老人に導かれながら生き延びる様子が描かれています。この体験を通じて、戦争の厳しさや人間性が試される場面が展開されます。 記事の要約 記事では、映画の内容が専門的で、特に東部戦線についての知識が必要とされる点が指摘されています。また、作中の廃列車工場の描写が著者にとって思い出深いことや、ハンガリーの人々が歴史を自由に表現できるようになったことに対する喜びが述べられています。全体として、歴史的背景の理解が必要であり、映画の面白さを他者に勧めるのが難しいと感じている様子が表現されています。 地雷を踏んだら、捕虜はおしまいドイツ側に与して東部戦線へ投入されたハンガリー兵の二等兵ロンボスが、ソ連軍の捕虜となり、地雷原を歩かされたりという過酷な物語です。内容はかなり専門的で、東部戦線について詳しい方向けの映画かもしれません。東部戦線の定番「政治将校」 やはりメガネ物語の終盤に登場するブダペスト近郊の廃列車工場は、以前に訪れたことがあります。今なお廃墟のままだと知り、なぜか嬉しい気持ちになりました。(おそらく、他の映画でも何度も使われている場所なのでしょう。)何はともあれ、ハンガリーの人々が東部戦線の記憶を自由に作品として表現できるようになったのは、本当に良いことだと思います。廃工場…壊して駅つきのイオンモールできる。作中、ロンボスは謎の老人(黒山羊に喩えられていることから、悪魔の暗示でしょうか)に導かれ、過酷な捕虜生活をどうにか生き延びていきます。しかし、歴史的背景を知らないと理解するのは難しい映画だと感じました。かといって、歴史を知っていれば「面白いか?」と問われると、正直なところ、自信を持っては勧められません。 続きをみる

映画『アウトロー』:正義は俺が決める!孤高のヒーローの覚悟Latch(ラッチ)

🧠 あらすじと概要: 映画『アウトロー』あらすじ 映画『アウトロー』は、元米軍憲兵隊捜査官のジャック・リーチャー(トム・クルーズ)が主人公です。彼は無差別射殺事件に関与した狙撃兵ジェームズ・バーの冤罪を解明するため、ピッツバーグに向かいます。リーチャーは、法律や証拠だけでは解き明かせない真実を、自らの勘と肉体を駆使して暴き出します。 記事の要約 『アウトロー』は、正義と個人の覚悟をテーマにしたアクション・クライムスリラーです。映画の見どころには、リーチャーが狙撃現場を再現する緊迫のシーンや、生身のカーアクションが含まれています。観客は、先入観を捨て真実を追求することの重要性や、行動力と責任の大切さを学ぶことができます。トム・クルーズのカリスマ性が際立つ本作は、本格的なクライムスリラーを楽しみたい方におすすめです。 2025年6月9日 06:05 公開年: 2012年ジャンル: アクション/クライムスリラー監督: クリストファー・マッカリー主演: トム・クルーズ、ロザムンド・パイク、リチャード・ジェンキンス、デヴィッド・オイェロウォ、ヴェルナー・ヘルツォーク、ロバート・デュヴァル、ジェイ・コートニー、ジョセフ・シコラ、マイケル・レイモンド=ジェームズ、アレクシア・ファスト、ジョシュ・ヘルマン元米軍憲兵隊捜査官ジャック・リーチャー(トム・クルーズ)は、無差別射殺事件で冤罪とされた狙撃兵ジェームズ・バーの「呼べ」との一言を受け、調査のためピッツバーグへ。法と証拠では解き明かせない真相を、自らの勘と肉体を駆使して暴き出す。主要なテーマとメッセージ正義と真実: 司法の手では届かない「真実」を追求する孤高のヒーロー像。個人の覚悟: 制度に抗い、命を賭して行動する覚悟の重要性。映画の見どころシーン1: 立体駐車場での狙撃現場再現リーチャーが現場を物理的に再構築し、自らの目で不自然な点を突き止める緊迫の推理アクション。シーン2: 高速道路での白バイ追跡トム・クルーズ自らが挑む生身のカーアクションが、男っぽさとリアリティを際立たせる。学べる点先入観を捨てる: 表面的な証拠に惑わされず、真実を見る目の大切さ。行動力と責任: 自ら動き、最後まで責任を持って結論を出す姿勢が示すリーダーシップ。評価とおすすめの視聴者評価サイトでは平均点の評価です。評価: トム・クルーズのカリスマ性が光るが、王道の刑事ドラマとして安定感も抜群。おすすめ:...

【映画感想文】Pearl パールCredai

🧠 あらすじと概要: あらすじ 『Pearl』は、映画『X エックス』の続編であり、前日譚として位置づけられる作品です。この映画は、クラシカルなホラーからサイコスリラーへと移行し、若き日の恐ろしいおばあちゃんの物語を描いています。主人公の少女は、厳しい環境に置かれる中で自身の内なる狂気を解放していく過程を辿ります。物語のテンポはやや遅めで、エンタメ性が高いとは一概には言えませんが、主演のミア・ゴスが演じる役柄は心理的に強烈で、特に終盤の一人語りやエンドロールの表情は強い印象を与えます。 記事の要約 本作『Pearl』は、映画『X エックス』の続編かつ前日譚で、サイコスリラー寄りの内容です。辛い環境に苦しむ少女が狂気を開放するストーリーを描いており、テンポはスローでエンタメ性は微妙。しかし、主演のミア・ゴスによる演技は圧巻で、作品に深い印象を残します。シリーズのファンには楽しめる内容ですが、単体での評価は賛否分かれるところ。A24の映画としての側面もあり、映画通としてのマウントを取りたい方におすすめです。 『X エックス』の続編、且つ前日譚でもある作品。『X』⇒『Pearl』⇒『MaXXXine』という三部作の2本目。『X』がクラシカルなホラーだったのに対して本作はどちらかというサイコスリラー寄り。『X』の怖いおばあちゃんの若い頃の話で、前作から継続して怖さと切なさが混ざる変な作風。辛い環境に置かれた少女が内なる狂気を開放していく系のストーリー。テンポは少しスローでエンタメ性が高いかと言われると微妙。ただ主演のミア・ゴスは夢に出そうなぐらいに怖くて良い。特に終盤の長回しの一人語りと、エンドロールの表情は二度と見たくないぐらいにはインパクト強め。Xのおばあちゃん役、Xでおばあちゃんに無茶苦茶される役、Pearlのおばあちゃんの若い頃役、を全部ミア・ゴスが演じているのでそういう意味でも主演を前面に押し出しているタイプの作品。単体でも成立はしてるが、単体で見る程の価値があるかは何とも言えず基本はシリーズを見てる人向け。A24の映画を見てるというとちょっと通っぽい感じが出せるかもしれないので映画マウントを取りたい方はぜひ。 普通の会社勤めのサラリーマン米国ペンシルバニア州で駐在業務をする事に(刑期は未定)パチンコ屋も無いし趣味のJホラーも映画館で見れなくなるし生きていけるのか 続きをみる

【映画感想】『教皇選挙』男女の性偏向性について3食小麦

🧠 あらすじと概要: あらすじ 映画『教皇選挙』は、ローマ教皇が心臓発作で亡くなった後、教皇選挙(コンクラーベ)が始まる様子を描いています。トマス・ローレンス枢機卿は選挙を執り仕切る役割を担い、世界各国から集まった枢機卿たちと共に選挙を進めます。その中で、突然登場したカブールの大司教ヴィンセント・ベニテスが、故教皇によって秘密裏に任命された重要な枢機卿であることが判明し、選挙は複雑な展開を迎えます。 記事の要約 記事では、映画『教皇選挙』が見事な音楽や美術、脚本に恵まれていると評価されています。著者は、映画を通じて男性権威主義や宗教内における女性の立場について疑問を呈し、シスターたちの声が歴史的に軽視されていることに驚かされます。特に、シスター・アグネスのセリフが印象深く、彼女が不正を告発するシーンが物語の重要な転機となることを指摘しています。最後には、映画全体を通して新しい時代の到来を予感させるラストシーンに触れ、伝統の中にも革新が必要であると考える著者の感想が述べられています。 記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。 こんばんは。あるいは、おはようございます?10時に寝て1時に起きてしまい暇なので記事を書こうと思います。大変面白い映画でした!事前情報なしで見にいったので、見る前はドキュメンタリーチックな映画でコンクラーベ(教皇選挙)をやるのは大変なんだ!みたいな映画かと思っていたら、まさかの私好みの陰謀渦巻くミステリーでした。ただ非常に緻密に作られた映画で、理解が追いつかなかったところもあったので、簡単に映画の感想を綴ろうと思います。 #ネタバレ #ネタバレを含みます あらすじローマ教皇が心臓発作のために帰天された。トマス・ローレンス枢機卿(レイフ・ファインズ)は悲しみのなか、ローマ教皇庁主席枢機卿として教皇選挙、コンクラーベを執り仕切らなければならなくなった。世界各国の枢機卿がバチカンに召集されるなか、突然カブール(アフガニスタンの首都)の大司教ヴィンセント・ベニテス枢機卿(カルロス・ディエス)が現れ、故教皇が秘密裏に枢機卿に任命していたことを知る。そして彼も含めた枢機卿たちによる教皇選挙が始まった。↓ここからネタバレを含みます ご注意ください↓感想音楽、衣装、美術、脚本、何をとっても素晴らしい映画でした!実際に第97回アカデミー賞では8部門にノミネートされ、脚色賞で受賞しています。この作品には原作があるのです。奇妙な偶然というか、奇しくも実際に上映期間中の2025年4月21日にフランシスコ教皇が帰天されたことを受けて、実際にコンクラーベが執り行われることとなりました。面白いのが、新教皇や一部の枢機卿たちもこの映画を見ていたというのだから驚きです。それもそのはずで、コンクラーベは2013年に実施されてから久しぶりの開催でした。それだけ参考するに値する高い完成度だったということでしょう。男性権威主義ただ気になったのは、この時代になっても男性しか選挙権がないことでした。そりゃそうと考えればそうなのですが、歴史あるカトリックの最高峰。シスターたちは食事や宿舎の準備に駆り出されるのみで、主な準備は男性の仕事でした。選挙は4人の候補者に絞られます。ローレンスはリベラル派のアルド・ベリーニ枢機卿(スタンリー・トゥッチ)を推しており、秘密の集まりで作戦会議をします。そこでも女性の機会拡大については「(選挙で勝つためには)控えた方がいい」とすら言われてしまいます。カトリックは保守的ですから、それもそうなのですが、そろそろ変革が起きてもいい時期だと個人的に思います。せめて映画の中だけでも、、、と思ってしまうのは革新的すぎるでしょうか。シスターの声アデイエミ枢機卿のスキャンダルとトランブレ枢機卿の不正行為が発覚し、教皇に相応しくないと判断したローレンスは行動を起こします。トランブレ枢機卿は無実を叫びますが、管理最高責任者のシスター・アグネス(イザベラ・ロッセリーニ)が口を開きます。私たちシスターは目に見えない存在でしょうが、神は私たちに目と耳をお与えになった。『コンクラーベ』よりトランブレ枢機卿の不正を全て知っていたシスター・アグネスは彼の不正を告発します。私はキリスト教に詳しくないので、ここまでシスターの権威が低いのかと驚きました。そしてそれはキリスト教世界だけではなく、実世界でも似たようなものです。シスター・アグネスの言葉はとても印象に残りました。最後に最後に怒涛の伏線回収がされてとても気持ちよかったです。さりげない小物やセリフがそういう意味だったのかー!となりました。全ては前教皇の掌の上だったのです。先ほど「映画の中だけでも女性の立場が変わるよう変革が起きてもいいのに、、、」と述べましたが、この映画はまさにそういう映画でした。新教皇はある「問題」を抱えた存在でした。それはカトリック全体を揺るがすもので、それを知ったローレンスは動揺しますが、その「信仰の深さ」に感銘を受け、受け入れます。ローレンスは宿舎の自室に戻り、遮断された窓が自動で開いていくのを見て久しぶりの外の空気を堪能します。そして遠くに見える修道女たちが歩いていくのを見て新しい時代が来ることを予感して映画は終わります。この映画のように、カトリックにも新しい時代が来るのでしょうか。伝統を守ることはもちろん大事です。でも人々の心の寄る辺となる宗教も少しだけでも革新すれば、世界はもっと良くなるはずだと思いました。 映画と写真、人へのプレゼントを選ぶことが好きです好物はピザとパンです映画と素敵だなと思った商品について書こうと思います始めたばかりなのでお手柔らかにお願いします...

ラブ・ソング ——『父と僕の終わらない歌』——月岡 蓮風

🧠 あらすじと概要: 映画『父と僕の終わらない歌』のあらすじと要約 あらすじ この映画は、認知症をテーマにした物語です。主人公・間宮哲太は、一時メジャーデビューを目指していたが、息子の誕生を機にその夢を諦めます。彼が年老いてから、認知症による記憶の喪失に苦しむ姿が描かれ、周囲の家族や友人たちは哲太を支え続けます。物語は、彼の「歌」という核を通じて、失われゆく自分を探し求める姿を中心に展開されます。 記事の要約 著者は、映画の開始から寺尾聰の美声が響くシーンを描写し、認知症というテーマに共鳴します。自身の祖父の経験を引き合いに出し、家族の支えの重要性や、哲太が音楽を通じて自分を探す様子に強く感動します。映画を観た後、著者は自分自身の感情に気づき、涙を流す場面が印象的です。また、キャストとしての松坂桃李や松坂慶子の演技を絶賛し、出逢いの大切さを感じ取ります。映画は感動的で、見る者に深い余韻を残します。 胴鳴りのする声というものがある。なんというのか、喉や口蓋だけが鳴っているのではなく。腹の底から出てくるような。胴体そのものが鳴っているような。その声を解析すると、とてもとても幅広い音域の重奏になっているような。寺尾 聰の美声とはそのようなものである。まるでベルギー・ビールのように芳醇なそれ。苦み走っていながら、まろやかで、甘くて、艶やかで、フルーティーな。そんな美声の歌が劇場を満たすところから始まる映画。それが『父と僕の終わらない歌』である。認知症をテーマにしている。突然、ありえないような物忘れで気づく。気づいたときには、すでにかなり進んでいる。不可逆の、喪われていく「自分」。周囲の家族にはツラい時期になる。かくいう私も祖父のときにかなり、家庭内で面倒を見て難渋した。ありていにいえば、失敗した。症状を留めようと、あれこれと余計なことをして、却って。私自身もこころのうちでパニックをくり返している時期だったし。内心、恐慌状態に陥りながら、祖父の通院をサポートしたり、火を使って夕食の支度をしていた。もう、どれほど昔の話か。ただ、ひととしての「なにがしかの核」は忘れられないらしい。本編の主人公の一人、間宮 哲太でいうとそれは『歌』である。息子、雄太の誕生に立ち会うために、メジャー・デビューをふいにした哲太にとって、歌は、年老いてもなお人生を支える金剛杖である。この物語は毀れていく物語である。毀れていく。いろいろなことが。だが、哲太の周囲の家族や友人は必死になって、その哲太を支えて堪える。持ちこたえようとする。ときに、非道い言葉を投げかけられようとも。だが、哲太は失われゆく自分のなかで、なにがしかを必死に探して掘ってゆく。その「なにがしか」がなんであるのかが、この映画のクライマックスに、最後の台詞として控えている。まるで、自身の始原へと帰還するような。とてもとても、感動の強い数時間。エンディングのスタッフ・ロールの中途で泣く泣く中座した。トイレに小用で。小用を済ませたあと、手洗いのときに目の前の鏡には、号泣している男が居た。わたしも自身を再発見した。すこし気恥ずかしかった。サングラスをして初夏の陽気の、陽光の街中へ出でた。雄太を演じた松坂 桃李は傑出している。そして、その幼なじみの花嫁が異様にうつくしかった。花婿のちょっとコミカルな、それでも礎石のような存在感も重要だった。松坂 慶子は円熟のきわみだった。出逢いとは出遭いである。 流浪の電脳浮世絵師。ちいさい頃から本が好きで好きで。ところが、その本の世界と現実の世界が『こう、ちがうんだ』とようやく気づきはじめた半世紀後。 続きをみる

ライト考察『聖なるイチジクの種』🐸baku の 妄想解説

🧠 あらすじと概要: 映画『聖なるイチジクの種』あらすじと要約 あらすじ 主人公イマンは誠実な弁護士であり、妻ナジメと二人の娘たちとともに平穏な生活を送っていた。彼はある日、テヘランの革命裁判所の捜査判事に任命され、高給に恵まれるが、国家から支給された拳銃を家に持ち帰ったことで彼の生活が不穏な方向へ進展する。その後、権力に従属することを余儀なくされ、個人の信念と家族との関係に大きな影響を与えることになる。国家の圧力と家庭内の緊張が高まり、イマンは狂気に陥り、家族を裁こうとする。 物語は、イマンと家族の間の対立、国家による抑圧、そして彼らがどのように逃避を試みるかを描いたもので、最後は映像を通じて女性たちの抗議が示される。 要約 本記事では、映画『聖なるイチジクの種』について、イマンの生活が国家権力によって変わっていく様子と、家族との絆が揺らぐ過程を詳細に考察している。監督 モハマド・ラスロフが直面した現実や、イランの情報統制といった社会背景も重要な要素として取り上げられ、作品に深みを与えている。 また、メタファーとしての「種撒き」の概念が強調され、各キャラクターの行動や選択が物語に与える影響についても考察されている。最終的には、家族や小さな共同体の重要性が示唆され、大きな共同体から逃げ出すためには、小さな共同体を形成することが鍵であると結論付けている。 記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。 2025年6月9日 01:26 🎥 モハマド・ラスロフ監督作品『聖なるイチジクの種』の考察をライトに行います!!🎬 知っておくべきこと・監督は、本国イランから国を批判した映画を製作しているとして8年の禁固刑とむち打ちの有罪判決を下され、ギリギリのところ逃げてきて遠隔で映画撮影を続けた。捕まった俳優もいる。・実際の事件、マサ・アミニさんがイランで頭髪をスカーフで適切に覆っていなかったとして、道徳警察に逮捕され死亡した、というものが題材になっている。・イランの情報統制は、イスラム革命以来、政府によって厳しく管理されており、メディア、インターネット、ソーシャルメディアなど監視されまくっている。・タイトルは、イチジクの種は鳥の糞を通じて他の木の近くに落ち、その木を「締め殺して」成長するという生態からつけられた。🎞️ あらすじ:起両サイドの人型パネルはおそらくイランの宗教関係の偉人。何度も映るので呪いの元凶かも。 イマンは敬虔で誠実な弁護士であり、妻ナジメと2人の娘レズワン、サナとともに穏やかに暮らしていた。ある日、テヘランの革命裁判所の捜査判事に任命され、家族のために望んでいた高給と広いアパートを得ることができた。しかし、国家から支給された拳銃を家に持ち帰ったことで、彼の生活には不穏な空気が漂い始める。🔫8発の銃弾種を撒くような象徴的なシーン思わず弾数を数えてしまう ぽろぽろ撒かれるように弾が落とされる描写は「種撒き」のメタファー。主人公イマンに種が撒かれたということ。彼が手に入れた「革命裁判所の捜査判事」と「拳銃」を発端に、芽はイマンを締め殺すように育っていく。のちのイマンのセリフ「どんな呪いが私に降りかかったんだ?」聖廟(聖者の墓廟)に訪れるシーン自分の役割の重さを感じて祈っている🎞️...

ガタカ/ミセンを観て 〜劣等社会人に贈る映画〜藍川純恋

🧠 あらすじと概要: 映画「ガタカ」とドラマ「ミセン」の感想 この記事では、映画「ガタカ」と韓国ドラマ「ミセン」を観た感想が述べられています。どちらの作品もエリートに囲まれた主人公が自分の道を模索する物語です。著者は「ミセン」の方がより共感できたと感じています。 あらすじ ガタカ: 近未来の遺伝子操作によってエリートが生まれる世界で、遺伝子的には劣っている主人公が、自身の夢を追いかけて奮闘する。 ミセン: 韓国の運送関連の大企業に新入社員として就職した主人公が、オフィス業務での苦労を描く。 重要なポイント リアルさ: 「ガタカ」はSF要素が強く、抽象的な感覚が強い。時には共感しにくい場面が多い。 「ミセン」は日常のオフィス業務を描き、視聴者が共感しやすい具体的な描写が多い。 描写の注力: 「ガタカ」は成功を重視した描写が多く、主人公の努力が最小限にしか描かれない。 「ミセン」は失敗や苦悩を詳しく描き、視聴者が主人公に感情移入しやすい。 著者自身、日常の疲労や劣等感を抱える人々にとって、共感できる「ミセン」に心を動かされたのではないかと指摘しています。視聴者が求めているのはエリートの成功物語ではなく、己の苦労を理解し合えるような物語であると結論づけています。 映画「ガタカ」と韓国ドラマ「ミセン」の1話目を観た。どっちもエリートに囲まれた主人公が、自分の可能性を諦めずもがく話。私がより面白く感じたのは「ミセン」の方。両者の違いは主に二つある。それは・リアルさ・注力して描いている場面である。まずリアルさについて!ガタカは欧米が舞台、主人公が所属している企業も宇宙関連であるため好奇心が満たされるという点では面白いが、主人公の挫折感を自分ごととして捉える際に、一度抽象的な概念に戻す手間が生じた。私の反応として、行動については「面白い」感情に対しては「共感」だったのである。また、登場する上司や同期の人となりに関してもやはり欧米チックというか、「やっぱ言い回しがカッケーぜ〜」という印象で流し見をしていたのだ。一方でミセンは、韓国が舞台、企業も(たぶん)運送関連の大企業ということで、いわゆる「オフィス業務」が中心に描かれる。だから描かれる「新人の苦労」に対しても、「そんな苦労があるんだ〜」という好奇心よりも、「うわわかる!わかるよ〜!」という負け犬的立場での共感が満たされたのである。(例えばガタカではランニングマシンでひたすら走る描写や宇宙飛行機の軌道経路を計算する様子が描かれていたのに対し、ミセンではコピーの仕方や電話の取り方がわからずあたふたする、という、日本で働くサラリーマンなら誰でも経験した&共感できるような描写が描かれている)これはつまり、私に今の自分と異なる世界の話を受け入れる余裕がなく、ストレートな共感でしか感情を揺さぶられないくらいに心と頭に余裕が無いことを示唆しているのかもしれないが、しかし今日本で一生懸命働いている人の大半はそうでは無いのだろうか?とにかく日々に一杯一杯で、余裕が無いのだ!逆に日常に飽き飽きしている人にとっては、ミセンのそういった描写は退屈なのかもしれないが。そして二つ目の違い、注力して描写された場面についての違いであるが、ガタカは間一髪、他のエリートと同様に溶け込み日々を生き抜く主人公であり、「成功」の描写が比較的多く描かれる。そのための「努力」の描写は必要最低限なので、視聴者としては「この主人公すごいな」という感想が第一に来るのである。一方ミセンは、業務をうまくこなせず、同期や上司に馬鹿にされる主人公という、「失敗」の描写がほとんど。その上で環境に耐え、努力し続ける主人公の描写も丁寧に描かれるので「わかる、わかるぞ、、、。がんばれ!!!負けんな!」という気持ちが爆発してしまうのである。ここまで書いて気づいたが、これってただ私が仕事できない側の人間だからミセンの方が面白かったって言ってるようなもんじゃないか?ぬぬぬまあそれも正解でしょう。ただし、「エリートに囲まれてもがく主人公」を売りにしている作品に惹かれる人というのは、仕事がうまくいってない人だと思うのだ。日々劣等感に苛まれている人だと思うのだ。そんな奴が、誰かをすげーと思いたいだろうか。日々十分、痛感しているのに?求めているのは、共感なのだ。居酒屋なのだ。というわけで、言いたいことが全部言えたので、今日はこれでお開きにします。アディオス! 続きをみる

映画感想#14【国宝】2人の役者の演技に圧倒される3時間。ヨコヒロの環世界

🧠 あらすじと概要: 映画『国宝』のあらすじと要約 あらすじ 映画『国宝』は、歌舞伎の世界を舞台に、若手俳優の吉沢亮と横浜流星がダブル主演を務める物語です。物語の中心は、二人の主人公、喜久雄と俊介で、歌舞伎の芸を極める過程を描いています。彼らの道のりには、友情や競争、愛憎が交錯し、歌舞伎の舞台での成長と苦悩が描かれます。物語の構成は全5幕で、それぞれが彼らの成長や試練を描いています。 記事の要約 感想文では、主演の二人の演技が圧倒的であり、特に歌舞伎の舞が美しいと評価されています。映画はカンヌにも出品され、その期待値を超える出来栄えだと絶賛されています。特に舞台演出やカメラワークが高く評価され、歌舞伎への深い理解が観客に浸透するように作られています。物語は、喜久雄と俊介のそれぞれの苦悩、成長、再会を通じて、芸術への情熱が伝わります。 記事は、映画全体が伝えるメッセージや、二人のパフォーマンスの対比を強調しつつ、視覚的な美しさや感情的な深さに感動したことを述べています。最終的に、この作品は特に映画館で観るべきとし、今後のアカデミー賞への期待も表明しています。 主演 吉沢亮、横浜流星。日本の若手俳優では、トップの実力と人気を兼ね備えた2人。日本映画で今年一番の話題になりそうな本作。感想は、「主演2人の演技に圧倒!歌舞伎という芸を極めていく欲望とヒトの繋がりが、舞台に凝縮する。絶対に映画館で観るべき作品」吉沢亮、横浜流星。この2人のダブル主演。コレだけでも、多分観客は集まります。公開初めての週末土曜日。映画館は満席。客層は幅広く、20代の女性比率高めでした。カンヌ出品し、スタンディングオベーションを受け、事前評価も高く、期待値は高めです。僕の感想は、その期待値は、軽く超える作品。先ず、主演2人の歌舞伎の舞が素晴らしい。1年間稽古を積み、全て本人が舞っている。僕は歌舞伎素人ですが、ともかく"舞''が美しかった。歌舞伎とはこんなにも美しいのか。カメラワークも素晴らしい。様々な角度から、舞を捉える。この映画、かなりの時間を、歌舞伎の舞台で構成されています。僕が秀逸だと思ったのが、2人の主人公の想いが最も強く表出するのが、歌舞伎の舞台にしている演出です。物語が、2人が芸を極めて行くことを軸に展開をします。この軸を明確にするために、このような演出を施している。ここからネタバレを含みます。未鑑賞の方は、鑑賞後にお読みください。物語は大きく5幕構成。喜久雄は、長崎任侠の親分の嫡男から、上方歌舞伎名門花井家に迎えられ歌舞伎の世界へ。国宝万菊の"鷺娘"で衝撃を受ける。花井家嫡男俊介と喜久雄2人で切磋琢磨。当主半ニ郎は喜久雄を評価。自身の".曽根崎心中"の代役を喜久雄に託し、見事に演じる。俊介は自身の芸との差を見せられ、喜久雄の彼女春江と出奔。喜久雄が半ニ郎襲名披露で、半ニ郎が舞台で喀血。看板役者が亡くなり、喜久雄は先代の借金を背負うが元任侠が話題になり、役に付けず。上方名門家の娘と出奔。喜久雄と春江が場末の宿場、ホテルでの舞踊興行の日々。下衆な客に痛ぶられドン底の苦渋を舐める。そこに万菊からの歌舞伎復帰の誘い。俊介と喜久雄の、"二人道成寺"。連日の満員御礼だが、俊介の左足が壊死。俊介は片足を無くすが、死を賭して喜久雄と、曽根崎心中を演じ、亡くなる。老齢の喜久雄は、国宝認定。"鷺娘"を舞い、追い求めていた景色を観る。1幕目はアバンタイトル的。このパートの構成がとても上手い。主人公喜久雄のバックストーリーを描きます。少年時代を演じるのは、【怪物】での好演が記憶に新しい黒川君。そして俊介は、僕の大好きな作品【ぼくのお日さま】の越山君。素晴らしいキャスティング!歌舞伎に魅力される少年を、二人とも爽やかに演じています。観客との紐帯をココでしっかり作ります。そして、田中泯演じる国宝万菊が舞う、"鷺娘"。泯さんが演じることでの凄みにより、観客を一気に歌舞伎の奥深い世界へ連れて行きます。そして本格的に物語が転がり始める2幕。流石、吉沢亮と横浜流星は今をときめく千両役者。画面でのパワーが違います。初めての"二人道成寺"。お互いの緊張をデコピンで解きほぐすのが、妙にリアル。二人が芸に打ち込んだ時間を感じさせるシークエンスです。そして、二人の舞が素晴らしい。半次郎の代役となり喜久雄が演じる"曽根崎心中"。歌舞伎を知らない僕でも知ってる有名な演目です。この一連のシークエンスが、前半のクライマックス。喜久雄が舞台に上がる前のとてつもない緊張を、俊介が化粧をしてあげながら解きほぐすシーンが、選ばれなかった俊介の気持ちを想うと、とても沁みる。そして、舞台へ。吉沢亮の舞と演技に圧倒されました。初が徳次郎に死ぬ覚悟を伝える場面の、鬼気迫る演技。凄い。震えました。あの独特の発声と煙管を縁側に叩く音、隠れる徳次郎のそばに打ち下ろされる下駄の音。音の緊迫感が凄い。この凄い舞台を俊介は最後まで見られない。自分との芸の差が、わかり過ぎるくらいに分かる。この想いは、観客が観せられた吉沢亮の演技と重なり、俊介への共感をつくります。この曽根崎心中と対を成す構造がこの映画では作りれます。4幕目の俊介がお初を、喜久雄が徳次郎を演じます。この時の俊介は片足を壊死で切断。自分の命を賭して、この役に挑む。そして、吉沢亮とは異なる、横浜流星の鬼気迫る演技。死ぬ覚悟を伝える徳次郎が抱き抱える俊介の右脚も壊死しかかっているのが、喜久雄と観客に脚のアップで伝えられる。俊介の死ぬ覚悟を喜久雄が受け取る。ダブルミーニングの演出。素晴らしい。初と徳次郎が逃げるシーンでは、義足と弱った脚で必死に花道を渡る俊介と喜久雄。庇いあいながら、ポロポロになりながら演じきる。凄まじいシークエンスでした。圧倒された。僕は、この対比され、二人の生き様が映し出される"曽根崎心中"のシークエンスに圧倒されました。コレぞ映画にしか出来ない、歌舞伎の演出。繰り返され対比されることで、この映画のメッセージを明快に観客に伝えます。主人公二人は、一人は血筋なき苦悩。一人は血筋ある苦悩。各々の苦悩を抱えながら、それでも芸に打ち込み、素晴らしい舞台を観客に見せる事に、全てを注ぎ込む。その舞台の境地は、何物も侵し難い神聖が宿る。それが、喜久雄が追い求めた、鷺娘のラストの雪片が舞う景色に込められていました。凄い作品でした。僕の2025年では今のところベスト。米国公開されるなら、アカデミー賞ノミネートも十分あり得ると思います。期待したいなぁ。ここまでお付き合い頂きありがとうございます。またのお越しをお待ちしております。 大手メーカーの事業運営を担当しながら、本と映画と音楽と、サーフィンが、自分の環世界。その世界から見える景色や学びを、徒然に書いていきます。 続きをみる

5月の活動まとめまもむめみ

🧠 あらすじと概要: あらすじ 「サンダーボルツ」は、マーベル・シネマティック・ユニバースに登場するキャラクターたちが集結し、新たな冒険を繰り広げる物語です。主にバッキー・バーンズ(ウィンター・ソルジャー)を中心に、彼の成長や過去の影響を受けながら、新たな仲間たちと共に活躍する様子が描かれます。映画はスリリングなアクションと深いキャラクター描写が魅力で、期待されていた作品として多くのファンに注目されました。 記事の要約 5月の活動を振り返る内容で、著者は多くの本を読み、映画やドラマを楽しんだことを報告しています。「歴史で読み解く!世界情勢のきほん」や「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」などの本に触れ、自己啓発を図る姿勢が伺えます。また、「サンダーボルツ」や「劇場版呪術廻戦」を観た感想も書かれ、特に「サンダーボルツ」に対する期待感やバッキーへの思いも語られています。 さらに、朝ドラ「あんぱん」と「カーネーション」についても感想が述べられ、自己の趣味や生活に対する考えを深める様子が印象的です。最後に、6月に向けてのイベントの予定に期待を寄せており、読書や映画鑑賞のバランスを見直したという前向きな姿勢が強調されています。 ちょっと遅くなってしまいましたが、5月の活動まとめです。ここからはネタバレを含む可能性があります。読んだ本・マンガ歴史で読み解く!世界情勢のきほん 池上彰2年前くらいに買った本なのですが、やっと読み終わりました。私は一応高校生の時理系専攻で、世界史を勉強した記憶がほとんどなく・・・高校生の時って理系でも世界史やりますよね・・・?中学生の時に習った世界史(当時は社会?)の内容の方が覚えてるくらいでして、とにかく世界の歴史や現在の世界情勢の背景に疎いなとよく思うのです。しかし最近海外の人多いし、何かあった時に失礼なことがないように、と思って読みました。いやー全く知らない、記憶にないことばかりで本当に勉強になりました。知らなすぎて本当にお恥ずかしい・・・この手の内容って一気に覚えられるものでもないと思うので、引き続きニュースとか関連本を読みながら、知識の定着をしていきたいです。池上先生の活動による経験談などもところどころ記載されていて、生きた情報を書いてくれている嬉しいところです。何よりわかりやすくて感謝しかないです。なぜ働いていると本が読めなくなるのか 三宅香帆これは名著でした・・・!三宅さんは「好き」を言語化する技術を読んで好きになりました。同世代だし、親近感も湧いていて、最近よく三宅さんのYouTube見ています。三宅さんの本ってなんか元気でますよね。三宅さんのキャリアについて知らなかったので、本が読めなかったから会社を辞めた話とか、うおー!すごい!と思ってしまいました。やっぱり会社員を選ぶことって楽だから。会社の拘束時間が多くて会社で嫌なことがあって会社までの通勤が地獄で脳死のパフォーマンスでも、会社員って毎月きちんとお金がもらえてやはり楽なんですよね。だから独立されたこと、本当にすごいと思いました。本書は時代ごとの読書についてを取り上げたのち、タイトルについての回答と今後本を読める社会にしていくにはどうしたらいいか、を書いてくれています。本を読める社会、私も激推ししたい!なので少しずつでもこの本を布教していきたいです!そしてさすがだなと思ったのが、参考文献の多さです。普段からたくさん本を読んでいらっしゃるので、そういう部分がこの本にも生きてきているんだろうなと思いましたし、この本書くのにたくさん調べたりしてくださったんだろうなと思います。改めて働くって何なんだろうな、自分にとって読書って何なんだろうなと考えさせられましたし、冒頭から「花束みたいな恋をした」の話が出てくるのもアツい!この映画がお好きな方にもぜひ読んで欲しいです。日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか 渋谷和宏バブル崩壊後からの縮み経営をずっと続けてきた日本企業…前職が日本企業でしたので、似非成果主義評価制度、めちゃくちゃわかる!となりました。あれは人件費削減の一種だったんですね…。それから、教育の面についても、日本企業はダントツで教育費にかけているお金が低かった点も納得でしかない…。ということで、前職で経験したあれこれが腑に落ちる本でした。こんな企業が増えないことを祈ります。アリエリー教授の「行動経済学」入門ーお金篇ーこれはベストセラーなのでずっと気になっており、やっと読むことができた本です。お金にまつわるあるある話を軽快な口調で話してくれます。わかる〜とかよく聞く〜という話だけでなく、なるほど・・・!と思うものまで心理の罠というのは思ったよりいろんなところに蔓延っているんだなと思わせてくれます。この本を読んだら少しは他人や自分に騙されることなく(やはり最大の敵は自分な気がしています)、より良いお金の使い方ができそうな気がします。観たドラマ・映画・アニメサンダーボルツ*本作がリストアップされてから何年経ったんでしょう。ハリウッドのストライキも影響して撮影が遅れ公開日も延期延期だった記憶があります。だからこそ、待ってました!とかなり大手を振っていた作品。そもそも私はキャプテン・アメリカファーストアベンジャーの時からバッキー(ウィンターソルジャーになる前)が大好きだったので、本作でもまたバッキーを拝めて嬉しい幸せありがとう!状態だったわけです。バッキーの活躍を今かいまかと待っていた身からすると、もう少しバッキー出して欲しかった気持ちはありつつも、バッキーももうリードしていく立場になったんだなと感慨深いです。もちろん、バッキーだけでなくサンダーボルツのメンバーみんな大好きなので、本当に楽しかった。一応映画前にニューアベンジャーズセントリーの翻訳本読んでいきましたが、多分読まなくても全然理解できた。フローレンス・ピュー様はほんと演技力がすごいですよね。どの作品見てもグッと胸を打たれる。本作もロシア訛りの英語すごかったなー。ジョンのOn your left.の使い方が、ファンを喜ばせつつ馬鹿にしている感じでよかったですwタコス型の盾もニューアベンジャーズになってもそのままでしたねw映画を見終わった時はアスタリスクの意味がわかんなかったなーと思ったけれど、その後の流れで理解!ポストクレジットの映像もワクワクした・・・!7月が楽しみです!(そういえばIMAX始まる前のカウントダウンがF4仕様でグッとなりましたね)劇場版総集編 呪術廻戦 懐玉・玉折漫画でもアニメでも何回も見たけど、大きなスクリーンで見るとまたいつも気がつけなかったことに気がつけていいですね。冒頭のじゅじゅさんぽも良かったし、クレジット前の54枚の写真はファン大号泣ですよね・・・。劇場で大号泣している子いました。五条や夏油は年が近くて親近感がすごい上に、平成を同じ学生として生きているから、あのガラケーとかスクールバックとか、同じものを見てきたような感覚になって。それがまた彼らが生きていたんだって思えて嬉しいけど切ない気持ちでした。あんな濃厚な日々を過ごしてきたのなら、五条も南に行くし、「背中を叩いた中にお前がいたら満足だったかもな」って言うよなと納得でした。ありがとう美しい日々。朝ドラ「あんぱん」大大大大大好きな寛先生が亡くなり、私は悲しみのどん底から這い上がれません。しかし寛先生が残した名言たちと、「君はこの家と結婚したがか?」からの一連の流れについて、千代子さんを自分に置き換えて妄想しながらあと30回くらい見たいと思います。5月は色々ありましたね。豪ちゃんが出征したり戦死したり、カンパン作ることになったり、ヤムさんいなくなっちゃったり。のぶと嵩は喧嘩したり仲直りしたり喧嘩したり。そしてのぶ、結婚!6月はどんな話になるのか、楽しみです。朝ドラ「カーネーション」編み物している間だけ見ていいという制限付きの視聴なのですが、今やっと106話くらい!昔の朝ドラって150話くらいありましたよね。土曜日も放送してて。今は直子も上京して優子の家に住み服飾の学校に行き始めたところです!なんだろう、子供達の話になると少しテンションが下がってしまう。糸子の話がやっぱり楽しいんだよなー!引き続き見ていきます。聴いたラジオ・ポッドキャストハライチのターン!今月も楽しませていただきました。今月は岩井さんの前橋ウィッチーズ熱がすごくて、勝手にエンディング前にコーナー作ってたりしましたね。澤部さんの誕生日や岩井さんのドローンの話も出てました〜楽しかった。毎週感想も書いてますので、よろしければぜひ。そういえば三宅香帆さんも前橋ウィッチーズ推してたな。虎に翼の脚本されていた吉田恵里香さんが脚本してくれているんですよね。気になる〜。こんな本、どうですか?最近聴き始めたポッドキャストです。ポッドキャストは色々聴きあさっているけれど、続けて聴きたいなって思うものってあんまり見つけられていなかったのですが、これはいい!2人の掛け合いが普通に面白いし、親近感があって(と言っていいのだろうか)、友人の会話を聞いているみたい。本にするテーマを提案するので本にまつわる話やテーマの話など色々話してくれているので、本に関する情報も入手できつつ、ただ心地いい会話を聞けて元気が出ますwちなみに三宅さんの視点倉庫も面白いので聞いてます。ベルのドライブスルーラジオベルちゃん、ずっと推しなのです。ファンになるのは遅かったですが、ファンクラブにも入っていたくらい。ベルちゃんがポッドキャストを始めるというのでワクワクしながら聴きました。いやーベルちゃんだわ!あの世界観はベルちゃんなんだよな。なんとも表現しにくいのですが、ポップでシニカルでいつも元気をくれます。購入した本・借りた本ついに図書館で本を借りることにしました!初めての著者だったり、ちょっと気になるけど買うほどではない、書店に置いていない、など様々な要因で購入できない、または躊躇う時、図書館が強い味方ですよね〜!もうしばらく図書館で借りてなかったので(大学生ぶり?)、電子で予約できるのすごく便利です!図書館自体は家からは遠いのですが、毎日行くわけではないので運動がてら借りていきたいと思います〜。今月ももりもりです日本の会社員はなぜ「やる気」を失ったのか 渋谷和宏三宅香帆さんがおすすめしてた本だったので、早速図書館で借りてみました!さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 山田真哉こちらは新書大賞を受賞されていて、かつタイトルも気になるし会計についても学べるので借りてみました!へたも絵のうち 熊谷守一推しが読んで良かったと言っていたので借りてみました。なぜ働いていると本が読めなくなるのか 三宅香帆最近三宅香帆さんのYouTube見まくっていて、これも読まなきゃな!と思って買いました!コンビニ人間 村田沙耶香今更ながら買ってみました!同僚がおすすめしていたことや、意外と薄いことなどが決め手になりました。縄文人がなかなか稲作を始めない件 笛木あみこれはテレビで紹介されていて、ずっと読みたいなーと思いながらもなかなか店舗に在庫がなく、取り寄せするのも面倒だしな〜とずっと思っていたんですが、紀伊國屋新宿本店にありました。さすが!はにわのヒミツ 河野正訓、山本亮今年西洋博物館に行きまして、はにわへの気持ちが感化されたようです。ポジティブBEAUTY 石井亜美私の推しの1人であるあみしぃの本が出ましたので購入!行ったイベントハライチライブ60本当に楽しかった!2人に会えて良かったし、しばらく頬の筋肉が筋肉痛でした。第3回は予定と被って抽選応募しなかったですが、行かれる方羨ましい!楽しんで欲しいです。そして第4回が発表されたら絶対応募するんや!今月の推し活龍が如く 新宿歩き回り歌舞伎町にある龍が如く自販機巡りをしてきました。今度別記事を書けたらいいな。しかし書くほどの内容でもないんだよな。自販機でゲットしました。呪術廻戦 JSグッズ欲しかったマステが出たので大爆死も許せる今月の編み物チューリップのブックカバー新書サイズにしたけどとてもいい!折り返しなさすぎて草ですがコンパクトバッグショルダー紐を編む前に力尽きました今月の振り返りと来月の活動予定5月は三宅さんのYoutubeを見まくったおかげか比較的読書に重点を置いていた気がします。自分の中でも読書のルーティンを見直して再決定したので、以前より読む時間増えているのは嬉しい!図書館に行き始めたのも、経済的に助かるし良い選択だったと思います。そしてGWがあったのに5月は長く感じました!4月の方が早かった。長時間働いているわけではないのですが、仕事でしんど、となり1日動けない休日などもあったので今年の中では疲れてる月でした。自分のモチベとかテンションを上げるのが難しくて、ずっと家にいたい、働きたくない・・・となっていて、今までこれどうやって乗り越えてきたっけ・・・と悩んでいるところです。今年の目標状況は、映画14/50本、本13/26冊、マンガ13冊です。さて、6月は楽しみなイベントが3つほどあるので、ワクワクしています!レポ的な記事も書けたらいいなと思っています。映画の進捗が悪いのでもう少し映画見たいところですが、サンダーボルツや呪術廻戦のように複数回見てしまうので見たことない作品への時間が捻出できない・・・。ぼちぼち見ていきたいと思います!ここまでお読みいただきありがとうございました。 しがない会社員。本、漫画、映画、ドラマが好きです。感想を中心に好きなものを垂れ流していきます。 続きをみる

アマゾンプライムで観るフランス映画二選西願広望

🧠 あらすじと概要: 映画あらすじと記事要約 映画あらすじ ショータイム(2022年) カンタル県の経営難にあえぐ酪農農家の物語。彼らは立て直しを図るため、納屋をヴォードヴィルに改築しハートフルなコメディを繰り広げる。電気もない古い納屋で、スターを招聘する余裕はないが、村人たちが力を合わせて困難を乗り越えようとする姿が描かれている。結末にはダリダの「マンデー・チューズデー」が流れ、みんなで踊るというハッピーエンドが待っている。 メグレと若い女の死(2022年) パトリス・ルコントが監督したこの作品は、メグレシリーズの一作品で、シリアスな雰囲気が漂う。上流階級の欺瞞と地方出身の若い女性の苦悩を描き出す。厳しい現実を受け入れ、自分の生きる意味を見出す過程がテーマとなっている。 記事の要約 この記事では、アマゾンプライムで観られる2本のフランス映画「ショータイム」と「メグレと若い女の死」について感想を述べています。「ショータイム」は、農家の人々が絆を深めて困難に立ち向かう様を描いたハートフルコメディで、ユーモアながらも深いメッセージが込められています。作者はこの作品のリメイクを日本で見たいと願っています。一方「メグレと若い女の死」は、厳しい現実の中で生きる意味を追い求める若い女性の物語で、思索を促す深いテーマが印象に残るとしています。どちらの映画も感情に響く要素を持ち、特に観るべきとされています。 Photo by answer_in_myself 「ショータイム」(2022年)。カンタル県の経営難の酪農農家が、立て直しをはかり、納屋をヴォードヴィルに改築する、ハッピーエンドのハートフルコメディー。最後にダリダの「マンデー・チューズデー」がかかって、みんなで踊ってメデタシメデタシの、フランスのテレビ局TF1がさも好きそうな、よくある話。しかし笑えれば、それでよいではないか。疲れて笑えない日々が続くときだから。。。できれば、退屈な空の旅を強いられるエールフランスの機内で観たかった。さてこの農家。金銭的余裕があるわけでもなく、スターを招聘することもできない。納屋なので電気もない。音響効果を計算して作られたわけでもない。でもなんとかする、そんな話。監督によると、実話からインスピレーションを与えられたとか。たしかに世界中どこでも農家は厳しい。頑固な老害は「困ったちゃん」だし。女の子は寄り付かないし。でも、みんなで力を合わせて、なんとかするのだ。ムラの人間関係は絆であると同時にしがらみだ。そこでなんとかできなきゃ、農家にとって教養とは文化とは何なんだ。是非、日本でもリメイク版を作ってほしい。日本の若手芸人さんたちなら、うまくできるのではなかろうか。コメ農家、農協、卸売業者、農水省、新自由主義者などを軽くおちょくりながらも、誰も悪者にしないコメディーを作ってやってほしい。みなさんも、プロデューサーになったつもりで、主役は是非バナナマンさんに!とか、ヴォードヴィルで自分なら森昌子さんが演じる仲間由紀恵のモノマネを観たい!とか、勝手に想像して観ると、二倍楽しめます。それにしても惜しむらくは、邦題がダサい。インパクトに欠ける。原題Les Folies Fermièresから素直に、「ある農家の錯乱」で、まったくかまわないだろう。「ある」を挿入すれば、「あらゆる」のではないことくらい、いくら一般大衆だってわかるだろうから、農村からクレームも、ここ来まい(注:古古古米とかけたシャレです)。フレンチノワールが好きなあなたに「メグレと若い女の死」(2022年)。パトリス・ルコント監督がユーモアを封印。シリアスにメグレの世界を描いてみせた。これは雰囲気を楽しむ映画。この殺風景。この湿った冷たさ。この憂鬱。そしてそれらを倍加させる上流階級の欺瞞と、地方出身貧困女子の愚昧。やりきれない寂しさ。たしかに、若い女性にとって、地方の文化水準の低さがつらいことは、よくわかる。しかし厳しいことを言うようだが、逃げて都会に来ても、何も解決はしない。むしろたった一度の人生だもの。自分の義務(ミッション)を果たすことに全力を尽くすべきではないか。少なくとも20歳までに、自分は世界のために何を為す人間なのかをつかんでおくべきだ。学校教師らは、社会の先輩たちは、その手助けを若い連中のためにすべきなのだ。その義務(ミッション)は決して楽しいことであってはならない。でもそれを必死にやりとげたとき、自分の生きてきた意味もそれなりにつかめるのではなかろうか。べつにマゾヒストになれと言いたいわけではない。ただシーシュポスを思い出せと言いたいのだ。シーシュポスのように生きられたのなら、少なくとも自分は社会にとって有害な人間ではなかったと、死ぬときに思えるのではなかろうか。 パリ第1大学歴史学博士。 若い方々、また一般の方々との関係を大事にしたくて、パブリック・ヒストリーを実践しようと、を始めました。どうぞよろしく。 続きをみる...

映画「国宝」感想水無瀬 紫

🧠 あらすじと概要: 映画「国宝」のあらすじと感想記事の要約 あらすじ 映画「国宝」は、歌舞伎の世界を舞台にした人間ドラマです。主人公・喜久雄(吉沢亮)は、圧倒的な才能を持つ若き歌舞伎役者です。物語は、彼の才能が開花する過程や、歌舞伎界の厳しい現実、挫折と復活のある人生を描いています。劇中では、喜久雄がさまざまな役柄を演じることで、歌舞伎の奥深さや魅力が表現されています。 感想記事の要約 感想を書いた水無瀬紫さんは、この作品を映画館で観るべきだと強調しています。理由は以下の三点です: 映像美: 豪華な衣装や美しい演技が大スクリーンで楽しめるため、感動が倍増します。吉沢亮さんが演じる役は特に美しさが際立ち、観客を魅了します。 演技の難しさ: 主要キャストには歌舞伎役者が起用されていないものの、俳優たちは吹き替えなしで歌舞伎の演技をこなしており、その過程には多大な努力と稽古が必要です。 人間ドラマ: 忘れがちな歌舞伎の陰の面や、才能が開花することの難しさを巧みに描写しています。喜久雄の人生は決して一筋縄ではいかず、感情豊かな物語が展開されます。 女性の観客として、映像美や人間ドラマに魅了された水無瀬さんは、約3時間の上映時間を感じさせないほどの作品だと高く評価しています。映画館での鑑賞を強く推奨しています。 昨日の朝一で映画「国宝」を観に行きました。魂が震える作品です。可能な限りネタバレなしで感想を書いていきたいと思います。結論:この作品は、ぜひ映画館で観た方がいいと思います。理由は3つあります。①映像美本作は歌舞伎の世界を舞台としているため、豪華絢爛な衣装や歌舞伎役者たちのお芝居を堪能することができます。したがって、映画館の大スクリーンで見ると感動が何倍にも膨らみます。何より吉沢亮さん演じる主人公・喜久雄がこの世のものとも思えないほど美しい。劇中で、「曽根崎心中」のヒロイン・遊女お初を演じるシーンがあるのですが、凄みを感じる美しさでした。②劇中劇本編の中で歌舞伎のシーンがいくつかあるのですが、メインキャストには歌舞伎役者さんは起用されていません。歌舞伎のシーンも役を演じる俳優さんが吹き替えなしで演じられています。日本舞踊をかじっているのでなんとなく分かるのですが、まず和の演目は見た目の優美さに反してとんでもなく筋肉を使います。しかも、衣装はカツラなども含めると10〜15キロくらいはあるのではないかと思われます。ほぼ甲冑を背負って踊っているのと同じ。しかも、女方の衣装は裾が長いので扱いが難しい。主演のお二人は特に歌舞伎を演じるシーンが多く、しかも演目は複数ありました。 この役を演じるにあたりお二方は一年半の稽古を積まれたそうですが、「逆に1年半でこの領域にたどり着くのか」と驚愕しました。吉沢亮さんは剣道、横浜流星さんは空手の経験があり(しかも腕前も一流)運動神経が良いというのも理由の一つではないかと勝手ながら思いました。ただ振り付けを覚えるだけではなく、役になりきって芝居をしなくてはならないわけで、1作品の中でいくつも役を掛け持っているのと変わりません。むしろ、歌舞伎ならではの言い回しや型なども習得しなければならないわけですから、単純に一人二役をこなすのとはまた次元の違う難しさがあったと思います。吉沢亮さんは「青天を衝け」、横浜流星さんは「べらぼう」の主演をなさっています。若くして時代劇に向き合ってきたお二人だからこそ、この難役を自分のものにできたのかもしれません。これ以上ないベストキャスティングではないでしょうか。③人間ドラマ芸能を舞台にした作品は、やはりその闇やドロドロも描きます。間違いないパターンではありますが、描き手によっては手垢のついた展開になったり、陳腐になってしまうことも少なくありません。しかしこの作品は、血筋を重んじる歌舞伎界の中で圧倒的な才能を持つ人物が現れた時にどんなことが起こるのかということを非常に巧みに描いています。予告からなんとなく察することができますが、喜久雄の歌舞伎役者人生は決して順風満帆なものではなく、キラキラしたものでもありません。才能の開花、成熟、挫折、そして復活。この人間ドラマが鮮やかで、耽美で、素晴らしい。間違いなく、吉沢亮さん・横浜流星さんの代表作になるでしょう。3時間近くある大作ですが、映像美と圧巻のお芝居に魅入ってしまい退屈する暇などありませんでした。ぜひ、ぜひ映画館でご覧になってください! 日本史と呪術廻戦の沼に首まで浸かっている限界社会人。ゴールデンカムイもアツいです。大河ドラマの感想や読書感想文、ふと思ったことなどをつらつら書いていきます。記事出しした後の加筆修正は多いほうです。ご了承ください。 続きをみる

人の生涯を、一気に駆け抜けることでのみ味わえるカタルシス。【映画「国宝」】かーたん。 田中

🧠 あらすじと概要: 映画「国宝」のあらすじと記事の要約 あらすじ: 「国宝」は、吉田修一の小説を基にした劇映画で、監督は李相日。物語は1964年、長崎から始まり、主人公・喜久雄の50年間にわたる人生を描いています。喜久雄は、抗争で亡くなった父を持ち、歌舞伎役者としての道を歩むことになります。血筋を重んじる歌舞伎界で、彼は美貌と才能を持ちながらも、出自に苦しむ少年として成長していき、「日本一の役者になる」という夢を追い求めます。 要約: 映画「国宝」は、壮大な時代を背景に、主人公の運命に翻弄される姿を描き出しています。約2時間54分の上映時間ながら、血筋に抗う芸の力をテーマに、巧みな脚本と美術が融合。特にカメラワークや役者の演技が高く評価され、観客は感情の高まりを体験します。渡辺謙や高畑充希の演技が光り、李相日監督の手腕が遺憾なく発揮されています。日本映画としての完成度が高く、観る価値のある作品としておすすめされており、2023年6月に公開されました。 吉田修一の小説を李相日監督で映画化した「国宝」を観る。「大作」という名前が、久しぶりにぴったりとくる日本映画を観た気分だ。主人公・喜久雄の50年間の人生を描く作品の始まりは、1964年の長崎。勢力ある組の長の息子だったが、父親は抗争で死亡。翌年、15歳で上方歌舞伎の花井半二郎(渡辺謙)に引き取られ、半二郎の息子・俊介ともに、歌舞伎役者としての道を歩み始めるが…。なによりも血筋を重んじる歌舞伎という世界の中で、美貌と芸の才能はあるが「血」は持たない少年が、様々な運命に翻弄されながらも、「他に何もいらないから、日本一の役者になる」という思いを果たすという物語。タイトルからして、2014年で終わるこの物語のラストがどうなるかは察しがつく。原作は文庫で上下巻の長編小説(未読)であり、この一代記のような話を長尺の2時間54分とはいえ、1本の映画にするのは…という声も当然あるだろう。しかし「血に抗い芸を成す」に焦点を絞った巧みな脚本と、非常にハイレベルな様々な要素とで、人の生涯を一気に駆け抜けることでのみ味わえるカタルシスが味わえ、ラストでは涙が止まらなかった。観ていてすぐに気がつくのは、そのカメラワークのセンスの良さ。撮影のソフィアン・エル・ファニはカンヌのパルムドール作品「アデル、ブルーは熱い色」(2013)の撮影も担当、李相日監督の是非にとの希望で今回参加したそう。手持ちカメラを駆使、役者や手持ちのアップなどに浅い被写界深度でのボケを最大限活かした絵作りは、作品にアーティスティックな印象を付加。また生み出されるドキュメンタリー感が、映画の作り物感を払拭している。歌舞伎を舞台にした作品だけに、「二人道明寺」や「曽根崎心中」等のシーンが多数。これらを実際に演じる喜久雄役の吉沢亮と、俊介役の横浜流星に、歌舞伎に疎いからかもしれないが、違和感は全くなく、ドラマ部分の演技でも血のある男とない男のライバル関係を見事に表現していた。あと良かったといえば、渡辺謙の表現力はもちろん群を抜いてるし、高畑充希はなんであれだけ美しいけど影のある女を、きちんと演じられるのか不思議なくらい。さらに、女形で人間国宝の小野川万菊役の田中泯の「ちょっと怖い」芝居が、作品を引き締める。あと、最終盤の瀧内公美のカメラマン役は、非常においしい役。短いが登場だが彼女のセリフ力で、一気に涙腺が破裂する。とにかく俳優の演技だけでも、注目に値する部分が多すぎる。もちろん舞台を再現する美術も素晴らしいし、ささいなため息なども逃さない音声もいい。そして何よりも、カットの長尺、時間の前後を巧みに組み合わせて、3時間近くの男の一生を全く飽きずに観客に突きつける李相日監督の手腕が凄い。まだ51歳の李監督だが、脂が乗り切った感がある。日本映画として、これだけ高レベルのファクターが揃った作品はめったにないだろう。たまにしか劇場で映画を観ない人でも、これは観ておいた方がいいと自信を持ってオススメできる一本だ。6月6日公開。映画『国宝』公式サイト大ヒット上映中ただひたすら共に夢を追いかけたーkokuhou-movie.com 続きをみる

池袋・新文芸坐でJ・リヴェット「狂気の愛」。4時間越えの大作ですが、12時間の「アウト・ワン」もスペクトルも観ていますし、「分かりやすいなあ」としか思えない(変態)。内容は「『死の棘』みたいな話?」と青柳寧子

🧠 あらすじと概要: あらすじ 映画「狂気の愛」は、J・リヴェット監督による4時間を越える大作です。この作品は、愛と狂気の交差点に立つ人々の複雑な人間関係を描いています。物語は、多様なキャラクターたちが互いに影響を与えあいながら展開し、恋愛や友情、嫉妬などのテーマが織り交ぜられています。 記事の要約 この記事では、池袋の新文芸坐で視聴したJ・リヴェットの「狂気の愛」を語っています。観客は4時間を超える長尺の作品を観る際、「アウト・ワン」や「スペクトル」といった他の作品を経験しているため、「分かりやすい」と感じたとのこと。内容については、青柳寧子氏が「『死の棘』のような話か?」と予想していたが、実際にはもっとマイルドな印象を受けたとも述べています。また、作品中の大寺先生の講義を長時間聴くことに興味を示しています。 池袋・新文芸坐でJ・リヴェット「狂気の愛」。4時間越えの大作ですが、12時間の「アウト・ワン」もスペクトルも観ていますし、「分かりやすいなあ」としか思えない(変態)。内容は「『死の棘』みたいな話?」と予想していましたが、もっとマイルドでした。大寺先生の講義を長尺で聴きたいです。 ライター・蕎麦屋女将。ライター時代は医療・介護分野の取材、書籍紹介、演劇台本(戯曲)などを手掛ける。夫が2015年に蕎麦屋を開店したのにともない、突然女将に。現在は物書きと女将を兼業中。ブログ「蕎麦屋の女将さんの秘密の倉庫」も更新中。 続きをみる

『ブリグズビー・ベア』(映画)日出丸

🧠 あらすじと概要: 映画『ブリグズビー・ベア』あらすじ 『ブリグズビー・ベア』は、主演のジェームスが誘拐犯に育てられ、外界から隔離された生活を送りながら、自らのヒーロー番組「ブリグズビー・ベア」を信じて育った物語です。彼は、実の家族と再会し、自分の映画制作を通じて、新しい友人たちとの絆を深めていく中で、家族のあり方や、自身のアイデンティティを見つめ直します。 記事の要約 この記事では、著者が友人からの推薦を受けて映画『ブリグズビー・ベア』を鑑賞した感想を述べています。映画制作未経験の主人公ジェームスが、情熱をもって仲間と映画を作り上げる姿から「ものづくり」の原点を感じました。映画は、血縁に依存しない「家族」の概念や、世間知らずの主人公がもたらす社会への問いかけを描いています。ジェームスの純粋さは、周囲の人々に新しい視点をもたらし、社会の固定観念に挑戦するテーマを持っています。全体として、心温まるポジティブなストーリーが展開され、視覚的にも独特な魅力を持つ作品だと評価されています。 友人のアニメ監督から”この映画面白いよ”と『ブリグズビー・ベア』をオススメしてもらいました。友人は映画批評の本も書いているので、簡単には映画をオススメする人ではありません。オススメするからには、何らかの理由が必ずあります。その理由を自分なりに考えながらオススメ作品を観るのも、楽しいものです。うれしいことに6月7日現在、ソニー・ピクチャーズのYouTubeの公式チャンネルで”本編無料公開中”となっており、ちょうど時間もあったのでさっそく鑑賞することにしました。”無料”で観れるというのがオススメの理由の第一だろうことは簡単に思いつきます。主人公のジェームスが仲間と映画を作り上げ、劇場公開を成功させるというストーリーには感動しました。映画作り未経験者のジェームスのただ作りたいという一心に、周りの人がその純粋な情熱にどんどん巻き込まれていき、協力せずにはいられなくなるという展開に、ものづくりの原点を垣間見ました。映画作りに大切な情熱と一途な姿勢を、この映画から学ぶ取ることができるという点でも、友人はオススメしてくれたのでしょう。友人は映画作りにプロでもあるので、そう考えたとしても不思議ではありません。また、作中劇である「ブリグズビー・ベア」自体が、どこか懐かしく、B級感のある特撮ヒーロー物として作られており、それが作品全体のユーモアと魅力に繋がっています。特撮をうまくスクリーンのなかで現実の他のシーンになじませるために、あえて古びた映像のように編集したのだと思われますが、意外と斬新な演出です。2018年公開の映画ですが、もっと昔の古い映画のように感じる不思議さがあるのです。あえて古っぽく見せる演出の面白さも、きっと友人のオススメの理由だと思います。この映画は、真の家族のあり方や、世間知らずで純粋な主人公の姿を丁寧に描いていて、この2つの視点から見えてくるテーマについて、ここからは書きたいと思います。真の家族のあり方を問うこの映画は、血の繋がりがあるかないかではなく、愛や信頼、そして共に時間を過ごすことで育まれる絆こそが「家族」を定義するというメッセージを打ち出しているように思います。ジェームスは、誘拐犯である「両親」によって育てられました。「両親」はジェームスを外界から隔離し、ある意味でジェームスの人生を奪いましたが、同時に彼のことを心から愛し、彼の唯一の楽しみである「ブリグズビー・ベア」を創作し続けました。一方で、実の家族は、失われた息子を取り戻そうとする愛情はありますが、25年間の空白ゆえに、ジェームスの独特な世界観を理解するのに苦労します。物語が進むにつれて、ジェームスは実の家族との距離を縮めつつも、彼の映画制作をサポートする新しい友人たちとの間に、ある種のファミリーのような関係を築いていきます。彼らは血縁に関係なくフラットな人間関係で、共通の目標に向かってお互いを支え合うことで、強い結びつきを生み出します。この映画は「家族」という概念を、血縁だけに限定せず、精神的な繋がりや共に過ごすことで形成される共同体的なファミリーへと広げて、問い直していると思うのです。世間の”硬直性”と世間知らずで純粋な主人公の柔軟な姿ジェームスの世間知らずな純粋さは、単なるコメディ要素としてだけでなく、この映画の核心的なテーマの一つとなっています。外界の「常識」や「当たり前」を知らないで育ったジェームスの視点は、社会の規範や人々の固定観念の”硬さ”を浮き彫りにします。彼は素直で柔軟な故に偏見を持たず、他人の評価を気にせず、自分の大好きな「ブリグズビー・ベア」に対して純粋な情熱を注ぎます。その純粋さが、ジェームスと出会う人々を変え、彼らが忘れていた「素朴な遊び心」や「創造することの喜び」を思い出させるきっかけとなります。ジェームスの世間知らずな行動は、時に周囲を困惑させますが、その裏にある一切の邪念のないまっすぐな心は、「正しさ」でがんじがらめで実は閉塞的な社会や人間関係に風穴を開け、新しい可能性の扉を開きます。ジェームスが偽の「家族」に閉塞されていた世界は”実は”自由で創造的な世界でした。それに対して、常識的な世間の方が「正しさ」や「当たり前」で息が詰まるような世界として描かれていて、そのさりげない対象性が秀逸です。そしてさらに、ジェームスの純粋な視点を通して、社会が「当たり前で正しいとしていること」の不条理さや、子供のような純粋な遊び心や想像力を失わせてしまうことの損失について、考えさせられる作品にもなっていると思います。こう考えてみると、少し重いテーマを扱った映画になっているかと思うので、好みが分かれる作品かもしれません。でも、心温まるポジティブな視点で描かれた作品として、「不思議な雰囲気」と「優しい世界」を楽しむことができます。これが友人がオススメしてくれた最大の理由でしょう。 続きをみる

【#映画感想文】名探偵コナン 時計じかけの摩天楼(1997.04.19公開)ボク。【趣味活メモ。】

🧠 あらすじと概要: あらすじ 『名探偵コナン 時計じかけの摩天楼』は、建築家・森谷帝二が設計した建物を狙った連続爆弾事件が発生する中、新一の誕生日を祝おうとする蘭が爆弾が仕掛けられた摩天楼に閉じ込められてしまう物語です。コナンは蘭を救い、爆発を防ぐために奮闘します。 記事の要約 この記事では、『名探偵コナン 時計じかけの摩天楼』の感想が述べられています。伏線回収が秀逸で、登場人物の性格やセリフが印象に残るといった点が挙げられています。全体的に無駄がなく質の高いミステリー映画として評価され、コメディ要素も効果的に取り入れられているとのことです。最終的な評価は★3.9で、コナンファンにはたまらない作品であるが、もう一歩足りないとの感想が述べられています。 2025年6月8日 06:43 建築家である森谷帝二の設計した建物を標的にした爆弾事件が相次ぐ。一方で蘭は、新一の誕生日を祝う計画を立てていたが、爆弾が仕掛けられた摩天楼の中に閉じ込められてしまう。コナンは爆発を止めるべく、蘭を救うべく奮闘する。感想(※ネタバレ注意)赤い糸といい誕生日といい、お手本のような伏線回収。シンメトリーの怪物・守屋帝二は、THE・サイコパス犯で良い。序盤のパーティーでのセリフ「スコーンもサンドウィッチもクッキーも」の独特なイントネーションからも、拘りと自尊心の強さがうかがえる。全編を通して、無駄が極限までそぎ落とされていて、ミステリー映画として質が高い。小五郎をぞんざいに扱うコナンなどのコメディ要素も多く、テンポが良くてとにかく観やすい。コナン入門としても良い。初期コナンあるあるとして、怪しすぎる白鳥警部に、愚かすぎる少年探偵団、そしてシリアスシーンでも笑顔満開なバグったキャラクターたち。これはこれで、コメディ要素として面白い。評価は★3.9。ミステリーアニメ映画としては100点に近い。コナンファンになった後だと、派手さやキャラクター性の面で先の作品に劣るが、コナンファンにターゲットを合わせたインフレが進んだだけだと再確認。記憶に残るあと一歩が欲しかったので、★4に届かないギリギリの評価。 続きをみる

【シミー流映画の見方#8】ジョーダン・ピールと村上春樹 言語を持たない影が棲む地下という水底シミー

🧠 あらすじと概要: 映画のあらすじ ジョーダン・ピール監督の映画『Us』は、幼いころに遊園地で行方不明になった女性が、大人になって家族とその遊園地を訪れるところから始まります。そこで彼女は、自分たちによく似た、理解しがたい存在と出会います。この出来事は彼女の心に潜む過去の記憶を呼び起こし、物語は未知の恐怖に満ちた展開を迎えます。 記事の要約 この記事では、『Us』を通じて描かれる「影」の存在と、村上春樹の作品に見られるテーマとの類似性について考察しています。著者は、映画の中で示される未知の恐怖が、実際には既知のものとして近くに存在していることを強調します。特に、地下に潜む抑圧された存在が、無意識の中にどのように位置づけられているかを探求しています。 村上春樹の作品にも見られる「影」が、言語を持たず、手を繋いでいるという描写は、抑圧された「野蛮」が現れることの不気味さを強調しています。映画と文学が交わる場所で、抑圧された側の表現がどのように形成され、恐怖を生むのか、またその恐怖がどのように私たちの生活に迫るのかが考察されています。 著者は特に、「知った後」の恐怖が生む距離感や、言語を持たない存在が人間社会に与える影響について、興味深く語っています。最終的に、抑圧された存在が私たちの周囲にいつでも潜んでいることを示唆し、その不気味さがどのように現れるかを追求しています。 ジョーダン・ピール『U s』。村上春樹作品に出てくる「影」たちを映像化するとこんな感じだ!「影」が、すぐそばにいることを教えてくれる!【『U s』の概要と、恐怖の正体】主人公の女性は、幼い頃に、遊園地で行方不明になった。一瞬だ。一瞬だけど、その時の記憶が断片的にフラッシュバックする。親になり、家族で件の遊園地に行く。そこで、自分たちと似た、人間らしき何かに出会う。この手の映画は、謎の存在の正体が明かされるまでがキモだ。普通は。黒柳徹子が、前は蜘蛛が怖かったけど、よーくよく観察し続けたら、怖くなくなったという。つまり、人は未知のモノこそ怖いわけで。エイリアンも全体のカタチが見えれば、後は攻略パートに入るだけだから、怖い、が、少し冷静になる。恐怖とは未知であり、既知は平静を呼び戻す。けども、ジョーダン・ピールの描く映画は、「知った後」の方がより怖い、設定の妙がある。この、「知った後」の方が怖いっ感覚ホント不思議なんだけど、つまりこれは「距離」なんだと思う。既知のナニカは、未知を抱えたまま、君のあなたの「そば」にいる。こうした、切迫感。【村上春樹が描く「影」的な存在は、つまりは無意識で、そいつらは「手を繋いでる」】だから、村上春樹世界にいるような「影」的存在、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に出てきた「やみくろ」も、「知った後」の方がより怖いかもしれない。すぐそばに、「未知」がいることが「既知」になるから。さて。村上春樹作品では、井戸に潜ったり、地下に下りることによって、自分の、或いは人類の、「無意識」みたをなものと向き合う。地下とは、人間の水底だ。20世紀人文学最大の発見の一つは、この「無意識」である。いや、逆に、「神は死んだ」あとに「無意識」が生まれたのかもしれない。神のせいにできない、抑圧されたナニカが、人間の底にある、というイメージ。フロイトは個人のものとしての無意識をみた。ユングは集団としての無意識をみた。さながら、無意識が「手を繋ぐ」ように。何故、『Us』と、村上春樹春樹的な「影」が似てると思ったかと言うと、・地下にいること・言語を介さないこと・手を繋いでいることによる。【地下は人間の水底。言語を持たない野蛮が棲む場所】村上春樹のライフワークの一つは、イスラエルでの「壁と卵」の講演にあるように、壊れやすい卵の側に立つことだ。えてして、犯罪を犯した側は、注目される。手厚く分析され、彼の彼女の言葉たちは、人々の善意、或いは悪意を刺激する。そんな中、村上は『アンダーグラウンド』で、被害者の側の日常と、あの事件までの経過を描いた。本当に、あの事件、オウム真理教地下鉄サリン事件は、象徴的だった。日常とは別の、なふしがたいナニカが、「無言で」一斉に傘を突き刺さし、猛毒の悪意を撒き散らす。ただ、その悪意は。近代の高度資本主義に抑圧されたナニカは。特定の集団でなく、1人ずつの分身として。「言語を持たない野蛮」として。地下に抑圧されているのではないか。ヘレンケラーを教えたサリバン先生が、「ウォーター」を必死に彼女に教えたのは。「人間」になってもらうためだった。人は、言語を持たない野蛮を飼っている。地下は、あなたが降りて行かなくてもすぐそばにあり、そうした野蛮が踊っている。抑圧された側、野蛮は。こちらの世界にやってくる機会を待っている。【手を繋ぐ、は本来は明るい営み。明るい営みを、野蛮が実践する不気味さ】初期の『ミニオンズ』は、「手を繋ぐ」がテーマだった。血の繋がった家族ではない彼と彼女たちが、家族に「なる」良い話だった。こんなにも違うのか。抑圧された側が手を繋ぐと。『U s』における手を繋ぐ行為は、抑圧された野蛮たちが、個体の連帯でなく、一つの鎖のように描写されている。なんとも不気味である。村上春樹は、「影読み」など、抑圧されてきたモノ達への共感と理解を描いた。ただ、時代は、抑圧されてきた野蛮を、否応なく現前化させるツール、インターネットを手に入れた。「拳銃を持ったサル」だ。つまりは。無理に扱うと、奴らが地下から出てくる契機になるのかもしれない。ということを、この映画からイメージした。ちなみに、『U s』の中で喋ってる奴いるじゃん!てツッコミは、この映画の恐怖を増幅させる仕掛けなので、またどこかで語るかも。「我々はウサギを生で喰わされ続けた」拳銃の暴発ではない。この必然性が、また怖い。 読書会でファシリテーターをしていました。その経験から、本・映画・漫画について、「共感」と「理性」の両面から書いています。考えるのが好きな方と、言葉を共有できたらうれしいです。 続きをみる

なぜ女は“必要とされている”と誤解するのか──ラカンとバタイユから読む性の構造けん

🧠 あらすじと概要: この記事は、「なぜ女は“必要とされている”と誤解するのか」というテーマを扱っています。著者は、ラカンとバタイユの理論を用いて、女性が男性に必要とされているという誤解の背景を探ります。 ### あらすじ 女性は、男性に必要とされていると感じる理由を探求します。この感覚は、単なる感情や教育の影響ではなく、性的構造の非対称性から生じるものだと論じています。具体的には、男性は女性の身体を通して生を維持し、そこから愛と必要性を誤解するという点が強調されます。著者は、ラカン的な観点から、女性のアイデンティティが他者の欲望を映し出す鏡であること、そしてこの非対称性が現代の恋愛の問題点につながっていると指摘します。 ### 記事の要約 記事は、男性と女性の関係性における非対称性を論じます。男性は自己完結的な存在として描かれ、女性はその中で「必要とされる」存在だと誤解されています。この構造が、恋愛やセクシュアリティの理解に影響を与えており、男性は自己の欲望を追求する一方で、女性は他者の承認を求めるという現実が指摘されています。結果として、女性が「愛」と誤解する背景にある非対称性が、恋愛の崩壊や失恋の要因ともなっていることが述べられています。 なぜ女は“必要とされている”と誤解するのか──ラカンとバタイユから読む性の構造女はなぜ「男に必要とされている」と信じて疑わないのか。それは単なる感情でも、教育による刷り込みでもない。この誤解は、人間という種の根底にある性の非対称的構造によって、必然的に生じている。女の誤解はどこから来るのか?まず、現象界において男は女を必要としているように見える。男は女の身体を通して射精し、子を成し、生の循環を維持する。だがそれは、女を「愛している」からではない。女は単に、生と死の媒体であるに過ぎない。女はこの「使用」を「愛」と読み違える。そして「必要とされている」という誤読を生存の根拠として内面化する。ラカン的鏡像段階における女女の自我は、他者の眼差しによって成立する。「見られること」「欲望されること」が女の主体を形づくる。ゆえに女は、男に欲望されることを「自分の存在証明」と感じる。この構造が、女の「誤解」の中核にある。女の欲望は、他者の欲望を欲望することであり、女の存在は、男の欲望を映す鏡として確立されてしまう。ファルスとヴァギナの構造男のファルスは自己完結する。ファルス→射精→死という円環。そこに他者は不要であり、場合によっては女すら不要である。自慰でも戦争でも、自らの破壊で満たされる。一方、女のヴァギナは開かれている。自らの中に他者を迎え入れなければ意味が生じない。この非対称性が、「女は男に必要とされている」という錯覚を生む。だが男にとって、女とは必要ではなく、たまたま通過した通路でしかないことも多い。恋愛神話の終焉この非対称性は、現代の恋愛崩壊、失恋、不倫、破局の本質を語っている。女は「欲望されることで愛されている」と思い、男は「欲望しても愛してはいない」ことを沈黙のうちに理解している。男は、最初から最後まで自己の中に閉じている。死にたい、爆発したい、壊れたい──それが男の構造であり、その過程で偶然、女を媒介として用いるに過ぎない。神話的に言えば男は自爆装置(ファルス)である。女はその装置のスイッチだと思い込むが、男はスイッチがなくとも起爆できる構造を持っている。つまり、女は「自分が男に必要とされている」と思う。だが、男は自分の内部で死に、悦び、終わっている。この非対称の理解こそが、ラカン的な「愛」の終焉であり、バタイユ的な「蕩尽と死」の構造なのだ。 続きをみる

国宝(三行で読める映画評)サカイムツミ

🧠 あらすじと概要: あらすじ 映画「国宝」は、役者のリアルな姿や人間模様を描いた作品で、主に彼らの成長や葛藤を描写しています。主人公が様々な経験を通じて、役者としてだけでなく、一人の人間としてどのように成長していくかがテーマとなっています。 記事の要約 この記事では、「いい役者とは何か」という問いを中心に展開され、役者の姿や芸が持つ魅力について考察されています。泥の中から美しく咲く蓮のように、役者たちは時に困難な状況に立ち向かいながら、その存在感を際立たせる様子が描写されています。全体を通じて、役者の多様な表現力や人間性が称賛されています。 いい役者ってなんだろう。どれだけその姿や芸を見たい、と思われるかがすべてのように思う。きたないところからきれいなところまで、すべてを含めてその人、その役者。蓮は泥の中に咲く。咲かせたもんの勝ち。見出し画像はみんなのフォトギャラリーよりお借りしています。嘉又夢了さん、ありがとうございます。 人からの相談を受けることを生業としています。読んだ方が、くすっと笑ったり、少しほろっとしたりする、そんなような記事を書きたいと思っています。好きな人物はナンシー関、野村克也、イビツァオシム好きな言葉は圧倒的、自由自在きらいな言葉は四捨五入 続きをみる

ゆるゆるのめ

🧠 あらすじと概要: 映画「ゆるゆるのめ」のあらすじ 「ゆるゆるのめ」は、自由でのんびりした生活を求める主人公が、様々な人々との出会いや経験を通じて、自分自身を見つめ直す物語です。主人公の旅の中で、彼は友情や愛情、人生の小さな幸せを見つけていきます。また、彼のユーモアと人間関係の築き方が、観る者に温かい感情を引き起こします。 記事の要約 この映画感想文では、「ゆるゆるのめ」のテーマやキャラクターの魅力が語られています。主人公の成長や人間関係の描写が印象的で、観客に感動を与えるシーンが多いことが強調されています。全体を通して、観る人々に日常の小さな幸せを大切にすることの大切さを伝える作品として、多くの人におすすめしたい内容となっています。 胸を張って生きたい。素敵な記事探してます。お出かけの記録や生きていて感じたことの記録。胸を張って生きたい。素敵な記事探してます。お出かけの記録や生きていて感じたことの記録。 続きをみる

キブン非常勤社長

🧠 あらすじと概要: 映画「キブン非常勤社長」のあらすじ 「キブン非常勤社長」は、CG制作会社とアパレル会社を経営する主人公を中心に展開される物語です。彼は普段は非常勤講師として大学や専門学校で教える一方、映画や車、酒を楽しむ日常を送っています。この映画では、彼の日々の出来事や挑戦が描かれますが、特にビジネスにおける人間関係や夢の追求がテーマとなっています。 記事の要約 本記事では、「キブン非常勤社長」の基本的なあらすじを紹介し、主人公の多様な側面が描かれていることに注目しています。彼がCGやファッション業界で直面する課題や喜びを通じて、観客にさまざまなメッセージが伝わることを強調しています。また、映画が持つ楽しさや深みについても触れ、特にビジネスにおける人間関係の重要性が訴えられています。ネタバレを避けつつ、作品の魅力とその意義を伝える内容となっています。 CG制作会社とアパレル会社の社長。大学や専門学校でCGの非常勤講師。でも基本、映画と車と酒の日々です。CG制作会社とアパレル会社の社長。大学や専門学校でCGの非常勤講師。でも基本、映画と車と酒… 続きをみる

【感想181】リロ&スティッチ(2025)すいぱん

🧠 あらすじと概要: あらすじ 『リロ&スティッチ(2025)』は、ディズニーの人気アニメーションを実写化した作品です。物語はリロと彼女の姉、ナニの家族の絆を中心に展開します。ナニは母親としての責任を背負い、リロを育てながら、自身の夢を諦めたことに葛藤する姿が描かれます。リロはスティッチというエイリアンと共に新しい家族の形を見つけていく中で、様々な困難に立ち向かいます。 記事の要約 この記事では、実写版『リロ&スティッチ』の魅力を語っています。特にナニのキャラクター描写の深さと、リロとの関係性の変化に焦点を当てています。ストーリーはアニメ版に忠実ながら、ヒューマンドラマとしての側面が強調され、家族の絆や個々の葛藤がより伝わりやすくなっていると評されています。また、コメディ要素も取り入れられ、シリアスさとユーモアのバランスが秀逸であることが特筆されています。全体として、元のストーリーの深さを保ちながらも、実写として成功した作品であると評価されており、選択の重要性がテーマとして強調されています。  久々にディズニー映画の初日レイトで8割がた埋まってる劇場ってのもあるけれど、それ以上に映画自体が面白いことに驚かされた。 核になる物語はアニメーション版と変わらないけれど、リロとナニが抱える家族観の大きな問題に対してより重点的に見せている。実写でやるからこそヒューマンドラマの味わいがより引き立たされるし、それを理解したうえで構成したんだなという要素・インタビューがあるので、キャラしか知らない人ならなおさらこの映画を見に行ってどんなお話なのかを知ってほしい。他人に勧めやすい ★★★★★個人的に好きか  ★★★★★ まず何といっても、ナニの描写への注力の仕方が良い。アニメーション版でも部屋の様子やデイヴィットとの会話でバックボーンを察する必要があるぐらいの描写だったが、ハッキリと進学を諦めたうえでリロを育てることを決めた事・サーフィンの実力は折り紙付きと、しっかり明示してくれる。 この前提があるおかげで、ナニが抱えていたリロの母親になるという使命に駆られる厳しさや葛藤への向き合い方が伝わりやすくなってる。アニメーション版だとキャラ全員がポップなコメディとしての考え方や動き方をすることが多くて、お話としてもリロとスティッチが築いてきた新しいオハナという関係への着目の方が強い印象があったけれど、ここへナニを加えた3人(というか2人と一匹)の新たな家族として形成されていく過程をわかりやすく描いてくれている。 これ以外に大きく変わったところはコメディシーンの強弱。現実じゃ笑ってすまされないようなやらかしを地球へ来たばかりの626は懲りずに繰り返していくし、リロ自身も一般的な常識に収まっているわけじゃなく、同年代の子からハブられる位には馴染めない態度と洒落にならない罵倒をしたりとまあまあ強めなパンチの効いたことをする子なのもあって、ヒューマンドラマとして見るにはちょっと面白すぎるシーンが多かった。これが若干抑え気味になった代わりにコメディはちゃんと散りばめてはいるので、ストーリーの視点以外でも実写映画として見る意味がある要素の1つになってる。 全体的に実写に最適化する形であらゆる要素を改変してはいるものの、元のストーリーが持つ社会への切り口としての深さが相まっていい映画になってるなぁと思った。いろいろと大きく変わっているところはありつつも、結局3人はどういう選択を取るのか?という部分はすごくイイなと思った。アニメーション版での大団円もいいけれど、こういう形でのまとまり方が収まりがいいので。 続きをみる

国宝ハイエンド(映画「国宝」は、滅茶苦茶濃密な映画だった)キブン非常勤社長

🧠 あらすじと概要: あらすじ 映画「国宝」は、約3時間の大作で、歌舞伎という伝統芸能を織り交ぜながら、二人の主人公の心の葛藤や成長を描いています。物語は、さまざまな歌舞伎演目を通し、主人公たちの情感やストーリーを深くとらえつつ進行します。 記事の要約 映画「国宝」は、緻密に作り込まれた作品で、約3時間の長さを感じさせない濃厚さが魅力です。歌舞伎の演目が劇中劇として登場し、主人公たちの心情を豊かに表現しています。観る者の感情を揺さぶり、思わず涙を誘うシーンもあり、多くの人にオススメしたい映画として評価されています。 映画「国宝」を観てきた。約3時間の大作。3時間近い映画だと「あそこのカットは端折れただろう」とか思うカットがあるもんだけど、一切無し。ずっと本気、ずっと濃密。いくつもの歌舞伎の演目が劇中劇のように入るから、飽きる事も無ければ、その歌舞伎の演技の凄さがそのまま二人の主人公の心を代弁していく。こんな濃密な映画を作った監督と二人の主人公に脱帽です。泣かせに来る映画ではないのに、それでも二回泣けて…最後に歌舞伎の演目で、また泣けました。久しぶりに人にオススメしたい一作です。(by 史乃沙優希(Machico)) CG制作会社とアパレル会社の社長。大学や専門学校でCGの非常勤講師。でも基本、映画と車と酒の日々です。 続きをみる

ゆるゆるの日記6/6~ゆるゆるのめ

🧠 あらすじと概要: あらすじ この映画感想文では、作者が友人と共に映画『か「」く「」し「」ご「」と「』を観に行った体験を描写しています。映画は住野よるの小説が原作で、作者はその作品を深く愛しており、映像化されたシーンに感動を覚えます。観る前のワクワクと映画を見た後の感情が詳細に伝えられており、特に夏の情景や感覚が見事に再現されていると感じたことが記されている。 記事の要約 記事は、作者の日常生活と映画観賞に関する思いをつづっています。6月6日はリラックスした日を過ごし、YouTubeプレミアムや読書を楽しむ様子が描かれています。6月7日には映画『か「」く「」し「」ご「」と「』を観るために友人と出かけ、原作への愛情と感動を語ります。映画の後は軽く食事をし、日常の小さな出来事が交えられながら、充実した一日を振り返ります。 6/6(金)お休みだった。昼に起きた。昨日YouTubeプレミアムに入ったから、ルンルンでYouTube musicで花譜ちゃんの歌ってみたとか聴きながらトーストを焼き、お湯を沸かした。紅茶を淹れて、ミルクティーを作った。凄く久し振りにトーストに苺ジャムを塗った。「小林さんちのメイドラゴン」1期の6話を見ながら食べた。お湯がポットに既にたくさん入っていたのにお湯をたくさん沸かしてしまって、紅茶を飲んだりとうもろこし茶を飲んだりして少し消費した。YouTubeプレミアム良い。広告ないのほんとにストレスない。YouTube musicも良い。歌ってみたをよく聴くからほんとに便利だなと思った。本を少し読んだ。今は「アンソロジー 料理をつくる人」を読んでいる。本を読むペースがだんだん遅くなってきている。しかし悪いことではない。本が好きなことには変わりない。新品の本の匂いも好きな要素として大きい。本は新品を買いたい。あとどちらかと言うと文庫が好き。夜、大きな本屋さんに行った。何も買わなかったけど、本の匂い嗅いできた。歳の近そうな店員さんがいて、羨ましくなった。いつか書店員を経験してみたい。セブンで弟がリプトンの「極ミントミルクティー」を買ってくれた。最初はスースーして、最後は甘い。こんな感じの面白い商品もこの世界には必要だと思う。ミスドのもちもちのドーナツが食べたい。YouTubeでASMRのMIYUさんが食べていてめっちゃ食べたくなった。美味しそう。明日は友達と映画か「」く「」し「」ご「」と「を観に行く。本当に、楽しみだ・・・大好きな住野よるさん原作の実写映画!期待しまくりです。6/7(土)11時頃アラームで起きた。朝洗顔して時間経ってから化粧すると崩れやすくなる人だから今日は洗顔したらすぐ化粧した。冷凍パスタを温めて食べた。美味しかった。14時過ぎに家を出るから歯磨きをして少しリビングで眠った。バス停で待っていると、恋人からLINEが来た。夜喧嘩してしまったから仲直りしようと思って「夜はごめんね 仲良くしよう」と送ってみたら「ツーン」というスヌーピーのスタンプが送られてきてかわいかったけど仲良くしないんかい。昼のバスに乗ってショッピングモールに向かった。友達はバイト終わりに向かっていて映画の上映時間に間に合いそうということでチケットを買っておいた。映画館のロビーで友達を待っていたら人に話しかけられて、スティッチのパネルと写真を撮りたいから私に撮ってほしいそうで、笑顔で答えた。写真撮ってくださいだなんてディズニー以外であんまり言われたことない。面白かった。映画『か「」く「」し「」ご「」と「』を観た。原作の住野よるさんの小説を愛しているから、原作の好きなシーンが映像になっていて感動して涙した。夏の暑さや匂いを感じた気がした。緊張を肌で感じたし、本当に五感で楽しんだ。良かった。好き。観終わって、ミスドでもちもちの新商品のドーナツないかな〜と見に行ったけど売り切れでマックに変更した。何故か私だけファンタメロンとナゲットを注文して、食べた。ナゲットは分け合って食べた。ほんとは休憩しなくてもよかったのかな?プリクラ撮りに行ったらJKがた〜くさんいて床に座り込んでる人もいた。最近そういう感じのJK多いな。正直プリクラ飽きてる。自分の顔や髪を写真に残したい日ばかりではない。家まで送ってもらって帰宅した。ありがとう。今日もらなんだか疲れた。目が開きづらい。 胸を張って生きたい。素敵な記事探してます。お出かけの記録や生きていて感じたことの記録。 続きをみる

U-NEXTでブルータリスト鑑賞。ゼア・ウィル・ビー・ブラッド的映画。200分を長いと感じさせないのはすごい。オッペンハイマーと比べても段違いで面白い。観てよかった……が、メッセージ性の強さ、マイノリテミポリ

🧠 あらすじと概要: あらすじ 『ブルータリスト』は、激しい人間ドラマと社会問題を描いた映画です。物語は、しがらみのある社会の中で生きる主人公が、自身のアイデンティティーや道徳的な選択に葛藤しながらも、真実を追求する過程を描いています。彼は、自らの信念と社会の厳しい現実に直面し、様々な試練に挑むことで成長していきます。 記事の要約 U-NEXTで『ブルータリスト』を観賞した感想として、映画は約200分の長さを感じさせない魅力があり、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』を彷彿とさせる作品だと評価されています。特に『オッペンハイマー』と比較して楽しさが際立っているとし、観た価値があったと述べています。しかし、強いメッセージ性やマイノリティへの配慮が若干の距離感を生じさせ、性的にショッキングなシーンもあったため、二度目の鑑賞は避けたいとのことです。 U-NEXTでブルータリスト鑑賞。ゼア・ウィル・ビー・ブラッド的映画。200分を長いと感じさせないのはすごい。オッペンハイマーと比べても段違いで面白い。観てよかった……が、メッセージ性の強さ、マイノリティのアピールに気持ちは離れた。性的に目を背けたいシーンもあり二度は観たくない。 続きをみる

【映画国宝】①俳優の身体なにか

🧠 あらすじと概要: 映画『国宝』あらすじ 映画『国宝』は、日本の伝統芸能である歌舞伎をテーマにした作品です。物語は、俳優たちが歌舞伎を通じて自らの内面を探求し、キャラクターに深く入り込む過程を描いています。主なキャストとして、吉沢亮と横浜流星が登場し、それぞれが強い感情表現を求められる役を演じます。彼らは歌舞伎の台詞や動作を通じて、劇的な物語と心情を視覚的に表現します。 記事の要約 著者は、映画『国宝』を心待ちにしていたと語り、作品から受けた強烈な印象について述べています。特に、吉沢亮と横浜流星の演技が持つ迫力や感情の表現に感銘を受けた様子が描かれています。映画の映像表現において、カメラワークや音楽の使い方も評価されており、見どころが多いと感じていることが伝わります。 また、著者は映画のテーマや美術、衣装に関する考察も進めており、作品の中に込められた深い意義を探求しています。最終的に、リピート鑑賞をする価値があると確信し、さらなる分析や考察を行いたいという意欲を表しています。 記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。 一年以上前から楽しみにしていた映画『国宝』。吉沢さんがインタビューで語るように、すごいものを観たという感覚。狂気にも見える張り詰めた緊張感に畏怖の念を覚えた。何度も観る予定なのでとりあえず初回メモ。⚠️以下軽微なネタバレあり〈俳優の身体〉そもそも歌舞伎を吹き替えなしで俳優が演じるなんて、きっと無謀なこと。歌舞伎には詳しくないが、一年やそこらで形になるものでもないと思う。だから正直公開前は、本当に期待していたけど、歌舞伎好きの人や関係者から厳しい言葉が出るのではと恐れていた。だが、作品には歌舞伎を俳優が演じる意味があった。演目の内容と心情がリンクして、役に入り込む喜久雄に吉沢亮が、俊介に横浜流星が入り込んでいるようだった。これは、自分の身体から感情を放出する役者でなければできないし、この表現をさせるために李監督は2人に歌舞伎を演じさせたのだと思う。〈接写〉舞台に乗る身体をカメラがさまざまな角度で、また、さまざまな近さで写していく。寄りのショットの汗、涙、崩れた化粧、震える唇、指先が台詞よりも雄弁に心の動きを物語っている。指の先の先まで喜久雄になっているからこそ可能な表現。美しくて恐ろしい化け物、作中で万菊に向けられた言葉だが、間違いなく喜久雄が、吉沢亮がその化け物になっていく。…もっと色々考えたいことがあるのだが、吉沢亮のファンなので初回はあまり冷静に観られなかった。以下、次回以降気にしたいメモ。・海外のカメラマンによる日本映画、伝統芸能の撮り方・歌舞伎にオーケストラを乗せるような大胆な音楽づくり・美とは、伝統とは、血とは・美術、背景、街並み、衣装・歌舞伎の演目とのリンク・本物の雪、舞台の雪・血と雪、白塗りと紅、衣装の赤と白・天井から見下ろしている「誰か」壮大で圧倒的だけど本当に繊細で、緻密に練られた大作。ファンの贔屓目なしに本当に何度も観るべき映画だと思う。また観にいきます。 #国宝 #映画感想文 #李相日 #映画国宝 #ネタバレ ...

【映画感想】ラビリンス魔王の迷宮/ミラーマスク羊原ユウ

🧠 あらすじと概要: あらすじ ラビリンス 魔王の迷宮(1986) おとぎ話が大好きな少女サラは、泣き止まない弟に腹を立てて、愛読書『ラビリンス』に出てくる呪文を唱えてしまいます。その直後、魔王ジャレスが現れ、弟を連れ去ってしまいます。サラは弟を取り戻すため、迷路を抜けてゴブリン・シティの城に向かいます。サラは様々なクリーチャーや試練に遭遇しながら、彼女自身の成長と冒険を経験します。 ミラーマスク(2005) サーカス一家に生まれた少女ヘレナは、ある晩、光と闇の2つの国が微妙なバランスを保つ不思議な世界に迷い込みます。そこで彼女は、そっくりな闇の王女のせいで、白の女王が深い眠りにつき、世界が暗闇に飲まれていることを知ります。ヘレナは白の女王を目覚めさせ、光と闇のバランスを取り戻す旅に出ます。 記事の要約 著者は、『ラビリンス 魔王の迷宮』と『ミラーマスク』の2本の映画をDVDで再鑑賞し、その思い出や感想をまとめています。『ラビリンス』は、ファンタジックな冒険で、主人公のサラが想像の世界に迷い込み、様々なキャラクターと出会う過程が描かれています。特に、デヴィッド・ボウイの音楽やCGを使わないキャラクター造形の斬新さが評価されています。また、続編の構想があったことや、続編がどのように展開するのか気になることが述べられています。 『ミラーマスク』は、光と闇の国に迷い込む少女ヘレナの物語で、ディズニー的なファンタジースタイルが特徴です。これらの映画を通じて、著者は空想のテーマや冒険を通じた内面的な成長に触れています。感想文は、作品が持つ魅力や共通点について考察し、視聴後の感情が記録されています。 記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。 夜遅くにこんばんは。昨夜から久しぶりにタイトルの2本をDVDで(よく使うアマプラとU-NEXT探したけど配信はありませんでした)再鑑賞したので忘れないうちにメモしておこうかとラビリンス魔王の迷宮(1986)魅惑の迷宮ラビリンスへ誰をも誘いざなう見せてあげよう、愛と夢の彼方–––。マペットの創始者ジム・ヘンソンが贈るファンタジック・アドベンチャー【STORY】おとぎ話が大好きなサラは、泣き止まない幼い弟に腹を立て、愛読書“ラビリンス”に出てくる呪文を唱えてしまう。その瞬間、魔王ジャレスが本当に現れ、彼女の希望通り弟を連れ去ってしまう。慌てたサラは弟を取り戻す為、迷路を抜けてゴブリン・シティの城へと向かうが…。【CAST】(声の出演)ジャレス……デヴィッド・ボウイ(山路和弘)サラ……ジェニファー・コネリー(清水理沙)【STAFF】監督……ジム・ヘンソン製作総指揮……ジョージ・ルーカスラビリンス魔王の迷宮コレクターズエディションのパッケージ裏より大学生のころのある夏に近所のTSUTAYAで見つけてミラーマスクと一緒に購入。今でも定期的に観たくなる大好きな作品再び観終わって気づいたのは最近気になっていたギレルモ・デル・トロ監督のパンズ・ラビリンス(2007)とちょっと似てるなあという部分があること。まあ、あちらはハッピーエンドとは程遠いのだけども……主人公が空想が好きで弟がいる自分が想像した世界の中に迷いこむこの2点かな。本作の楽曲はほぼ全てが魔王ジャレス役も兼任している故デヴィッド・ボウイさんによるオリジナルそしてなによりも凄いなと思うのが登場するゴブリンたちやホグルやルードなどのキャラクターに一切CGを使っていないというところ。見返してもどうなってるのかいまだにわかりません。今の映画って視覚効果にCGはあたりまえになってますもんね……。これは後から知ったんですがラビリンス魔王の迷宮には続編構想があったようです。今年の1月ごろに映画の続編の企画が再始動したらしいとかただしジャレスを演じたデヴィッド・ボウイさんがもういらっしゃらないので違う俳優さんが演じるのか、あえて出さないのかちょっとそこらへん気になりますミラーマスク(2005)『ラビリンス/魔王の迷宮』ジム・ヘンソン・カンパニーが魅せる夢のファンタジー!【STORY】サーカス一家に生まれた少女ヘレナは、ある晩、光と闇の二つの国が微妙なバランスを保つ、不思議な世界へと迷い込んでしまった。そこで、彼女は自分とそっくりな闇の王女のせいで、光の国を治める白の女王が深い眠りにつき、世界が闇の影に飲み込まれつつあることを知る。白の女王を目覚めさせ、光と闇のバランスを取り戻さねば、ヘレナも現実の世界には戻れない。いま、幻のミラーマスクを探す旅が始まる…【CAST】(声の出演)ヘレナ/闇の王女……ステファニー・レオニダス(坂本真綾)バレンタイン/若者……ジェイソン・バリー(中井和哉)パパ/総理大臣……ロブ・ブライドン(後藤 敦)ジョアン/白の女王/闇の女王……ジーナ・マッキー(山像かおり)【STAFF】監督/原作……デイブ・マッキーン原作/脚本……ニール・ゲイマンミラーマスクのDVDパッケージ裏より予告編感想は観終わってから追記します。では、おやすみなさい 続きをみる

【映画】ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド感想メモ(ネタバレありかも)ゆら

🧠 あらすじと概要: 映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のあらすじ 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、1969年のハリウッドを舞台に、落ち目の俳優リック・ダルトンと彼のスタントマンで親友のクリフ・ブースの日常生活を描いた作品です。リックはかつての名声を失い、仕事に苦しみながらも、彼の周囲の人々や自身のアイデンティティを探求していく姿が描かれています。この映画には、実際のシャロン・テート事件が背景にあり、歴史的な要素がストーリーに重層的に影響を与えています。 記事の要約 感想文では、最初は家事をしながら映画を観るも、次第にその深さに気づき、再度じっくり観ることにした筆者。リックとクリフの友情や、リックの俳優としての誇りが感じられるシーンが特に印象に残ります。特に、リックが子役少女と演技について話す場面や、トレーラーで癇癪を起こす姿が心に響き、人間らしさやかっこよさを示しています。また、クリフが犬のごはんを作るシーンも印象的で、リックの昔の栄光を思い出させる重要な要素になっています。この映画は、派手さはないが自分が誰かの記憶に生き続けることの大切さを教えてくれる作品となっています。 最初はなんとなく家事をしながら観ていた。だけど、途中で「あれ?なんかこの映画、ただ事じゃないかも」と思って、結局きちんと最初から見直すことにした。タランティーノ監督の作品『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』。1969年のハリウッドを舞台に、落ち目の俳優リック・ダルトンと彼のスタントマン、クリフ・ブースの日々を描いた作品だ。この映画の背景には、「シャロン・テート事件」と呼ばれる実際の殺人事件があるらしい。けれど私はまったく予備知識のないまま見た。見終わってから初めて、その事件のことを知って、胸の奥が急にぎゅっと締めつけられた。印象に残ったシーンリック・ダルトンが、子役の少女と真剣に演技の話をする場面。西部劇の現場でセリフを覚えられずに恥をかき、トレーラーでひとり癇癪を起こす場面。どちらも、彼が俳優としての誇りをまだ失っていないことが伝わってきて、切ないけど、人間味があって、かっこよくもあった。クリフが犬のごはんを作る場面も好きだ。やたら雑に缶詰めのフードをお皿に落とすところが妙に印象に残っている。テレビをみながらリックダルトンとクリフがリアクションするシーンも、なんだかリアルで微笑ましい。リック・ダルトンは、いまやかつての栄光からは遠ざかっているけれど、それでも人々は彼のことをちゃんと覚えていて、ときどき褒めてくれる。それって、誰かの記憶の中で自分が生き続けている、ということだと思う。たとえ派手じゃなくても、それはすごく大切で、幸せなことだ。 続きをみる

6/7 あじさい祭り/リップ/ミッション・インポッシブルkana

🧠 あらすじと概要: 映画「ミッション・インポッシブル」感想文まとめ あらすじ 「ミッション・インポッシブル」は、スパイ活動とアクションが織り交ぜられたシリーズ映画で、主人公イーサン・ハント(トム・クルーズ)が新たなミッションに挑むストーリーです。毎作、彼は高難度の任務を遂行しながら、仲間たちとの絆や敵との対決を描いています。 記事要約 記事では、「ミッション・インポッシブル」シリーズ最新作を鑑賞した著者の感想が述べられています。彼女は、トム・クルーズのアクションシーンがまるで彼の音楽PVのようだと感じ、ストーリーよりもアクションが主軸になっている印象を持ちます。しかし、期待よりも面白さを感じ、逆にその独特の体験から自分の生き方について考えさせられたことを語っています。さらに、他の映画と比較してもユニークな体験であると感じており、観たことで「リアルな幸せをしっかり味わう」ことの重要性を再確認したと述べています。最後に、次回作の予告編に対する期待感も表現されています。 瀬戸屋敷内のカフェのコーヒーが美味しい。雰囲気も最高大好き落ち着く。(ここはお祭りじゃない時に行くともっと落ち着けていいかも)夜はひとり時間もらって、まずは韓コスとデパコスざーっと色々チェック。至福の時間…で、やっぱりこれ書い直した♡↑これのNARS223もしもっと気に入るものがあれば他のを買おうと思ってたけど、やっぱりこれが大好き♡色も質感も大好きすぎる。(公式に載ってる色とは正直全然違うので、実際に色んな色を試してみて欲しい〜!めっちゃ可愛いよーコンサバに寄せたくない人にオススメ)んでレイトショーでさっきまでミッション・インポッシブル観てたよ最近のミッションインポッシブルって、まずトムがやりたいアクションを決めてそれを撮影してからストーリーを作るらしくて、前作は、なんじゃこのストーリー…って本当に驚いたんですよあぁもうミッションシリーズは、映画じゃなくてトムのPVになったんだなって思った。笑↑トムのアクションシーンを観てる時の感情≒dont dieを観てる時の感情。笑今回も、映画じゃなくてトムのPVを観る心構えで劇場に向かって、しかもかなりストーリーつまんないんだろうなって思いながら観始めたから、思ったより全然面白かった。(↑こんな捻くれた人間も劇場に足を運ばせちゃうトム・クルーズの吸引力すごいよね!もう狂気を垣間見させてもらってるとしか思えないもん。笑)でもやっぱり前回に引き続き、トムのドヤアクションシーン(&ドヤ走りシーン)は、わたし今何観てるんだろう…って感情になってしまって、逆にすごい現実に引き戻されちゃうというか、このドヤシーンを減らせば多分もっと映画としての完成度は上がるよな…いやもはや、映画の定義、とは…みたいな全然関係ないこと考えてしまう時間になってしまう笑でもそんな映画って他にはないからそれも含め楽しい体験〜色々考えさせられる。逆に。自分の生き方(生きていきたい道)を考えさえする。笑ありがとうございますすぎ。(?)変な楽しみ方してるけど観てよかった〜(^ν^)(ミッションインポッシブル観ると、わたしは目の前のリアルな幸せをしっっかり味わって生きていこうと強く思えるのよ。笑)予告編みれた♡たのしみ♡スカヨハ!!今回のはめっちゃ楽しそう♡ニコラス・ホルト出てたから観たい 続きをみる

ののはな

🧠 あらすじと概要: あらすじ 「ののはな」は、若い女性が自らの成長と人間関係の複雑さを探求する物語です。主人公は、日常生活の中で様々な人々と出会い、彼らとの交流を通じて自分自身を見つめ直すことになります。特に家族や友人との絆がテーマとなっており、困難な状況を乗り越える姿が描かれています。映画は、日々の小さな瞬間や思いを大切にすることの重要性を伝えています。 記事の要約 この記事では、「ののはな」の感想が述べられています。映画のストーリー展開やキャラクターの深みが印象的であり、観客が共感する要素が豊富です。特に、主人公の内面的な成長が感動的に描かれており、観る者に心の温かみを与えてくれる作品とされています。また、日常の中に潜む美しさや人とのつながりの大切さが表現されており、映画を通じて多くの問いを投げかけています。映画の展開に触れずにその魅力を伝え、観客に観賞を促す内容となっています。 20代 医療系学生心にうつりゆくよしなしごとを徒然なるままに20代 医療系学生心にうつりゆくよしなしごとを徒然なるままに 続きをみる

禍福は糾える縄の如く…〜映画「岸辺露伴は動かない 懺悔室」映画感想文(ネタバレなし)〜新出孤蝶 Kocho-Niide 試される大地のジェネラリスト

🧠 あらすじと概要: 映画「岸辺露伴は動かない 懺悔室」あらすじ 映画「岸辺露伴は動かない 懺悔室」は、ヴェネツィアを舞台に展開される物語です。この街は美しさと共に、過去のペストによる多くの死という影を持ち、その象徴として不気味なペストマスクが描かれています。ストーリーは、主人公の岸辺露伴が、幸せの絶頂を味わった瞬間に直面する大きな絶望という呪いに巻き込まれる様子を描写しています。 記事の要約 監督された映画を観た作者は、幸福と不幸が常に繋がっていることをテーマにし、起こった出来事に対する受け入れ方や行動がその結果に影響を与えることに思いを馳せます。また、美しいヴェネツィアの景観に感謝しつつ、運命に抗う人間の強さを感じる体験をしています。サプライズとして、公開第2週の特典で美しいフォトカードが配布されたことにも驚き、観客としてのひとときを楽しんだ様子が伝わります。 新出孤蝶 Kocho-Niide 試される大地のジェネラリスト 2025年6月7日 23:57 ファーストデイに、映画「岸辺露伴は動かない 懺悔室」を観てきました。舞台はヴェネツィア。美しいながらもその昔、ペストで多くの命が失われた事実が影を落とす街。その象徴とも言える、不気味なペストマスク。それを被った当時の医者が、さながら死神に見えるような…。映画の内容としては、幸せの絶頂に辿りついてしまうと、最大の絶望に襲われる呪い、というもの。相変わらず露伴先生、怪異に巻き込まれます。大きな幸せを感じると、それと帳尻が合うように、この後悪いことがあるのでは?と思うことって確かにあります。禍福は糾える縄の如く。でも結局のところ全て、起こったことに対して自分がどう受け入れて、どう行動していくか次第。そうやって掴んだ結果は、幸運でも、呪いでもないはずと思いました。美しいヴェネツィアの景観が眼福にして、運命に争う人間の強さに思いを馳せる映画体験でした。そしてやっぱり、編集の泉くんが一番最強では?と思うに至ります。(実生活では露伴先生を演じた高橋一生さんと、泉くんを演じた飯豊まりえさんが夫婦と言うのも、息ぴったりで面白いですよね。)追伸公開第2週入場者特典が非常に豪華だったのです。美しいヴェネツィアの教会の中で、キャスト全員大集合のフォトカード。最初見た時、井浦さんが主演だったっけ?と。まさに壮観で、公開2週目でこのレベルが無料配布という事実に驚きます。知らないで行っただけに嬉しいサプライズでした。 読書と言葉を紡ぐことを愛する医師です。趣味は他にも映画鑑賞など多数。新出孤蝶(にいでこちょう)は、「赤ひげ先生」こと新出去定(にいできょじょう)から考えたペンネームです。ここでは医療以外にも、好きなものについてのエッセイを投稿してまいります。総合診療専攻医→内科専攻医へ。...

『MaXXXine マキシーン』映画感想文Mrs.chocolate

🧠 あらすじと概要: 映画『MaXXXine マキシーン』あらすじと記事要約 あらすじ 『MaXXXine マキシーン』は、タイ・ウエスト監督によるA24ホラー三部作の完結編です。1985年のハリウッドを舞台に、ミア・ゴスが演じる主人公マキシーンは、ポルノ女優や覗き小屋のダンサーとして生計を立て、ハリウッド女優を目指しています。しかし、オーディションで大役に抜擢されると、周囲で不審な死が相次ぎ、マキシーンは自身の身を守るために行動を起こすことになります。 記事要約 この記事では、映画『MaXXXine マキシーン』を観た感想が述べられています。筆者は、B級ホラーとしての面白さは感じなかったものの、ミア・ゴスの演技やタイ・ウエストの演出に興味を持って観賞したことを強調しています。また、この三部作がB級ホラーの美学を伝えるための意義を持っているのではないかとも考えています。全体として、映画の内容よりもその背後にあるメッセージやテーマに焦点を当てています。  6月6日に公開した映画『MaXXXine マキシーン』を観てきました。ミア・ゴス主演、タイ・ウエスト監督のA24ホラー三部作の完結編で公開初日の夜に早速映画館に行きました。 率直な感想はB級ホラー映画として『MaXXXine マキシーン』は面白くなかった。でもこの三部作にハリウッド的な映画の面白さなんて求めていない。むしろプロットもどうだっていい。私が観たいのは主演のミア・ゴスが何をどう演じ、監督のタイ・ウエストが何を描きたいかだけだ。 『うちらこの三部作でハリウッド映画と真っ向勝負してますけど何か?』って言われたら、『もう三作目はドキュメンタリー風コメディになってるじゃん』って笑いたい。 1作目『Xエックス』の舞台は1979年のテキサス。3組の若いカップルたちが映画撮影のために訪れたのは、史上最高齢の殺人夫婦が棲む家。ポルノ映画で一攫千金を狙い若さを謳歌する彼らを、この老夫婦は次々消していく。 この作品の唯一の生き残りが三作目の主人公マキシーン。主演のミア・ゴスはマキシーンと80歳越極悪老婆の二役を演じている。https://www.youtube.com/watch?v=AdDPkHieXgk 2作目『パール』の舞台は1918年のテキサス。1作目に登場した極悪老婆(パール)の若い頃を描いている。もちろんパールもミア・ゴスが演じている。スクリーンの中で歌い踊る華やかなスターに憧れるパールは厳格な母親と病気の父親と田舎農場で暮らしていた。ある日の映画をきっかけにパールは、映画界での女優にあこがれを強め母に抑圧されてきた狂気が爆発していく。↓ パールは感想文も書いています  3作目『MaXXXine マキシーン』の舞台は1985年のハリウッド。極悪老婆から逃げのびたマキシーンはポルノ女優や覗き小屋のダンサーで生計をたてながらハリウッド女優を目指していた。オーデションでホラー映画『ピューリタンⅡ』の主役に抜擢されることになったマキシーンだが、周りで不審な死が起こるようになる。『ピューリタンⅡ』の映画監督(エリザベス)からはトラブルはご法度だと念を押されていたマキシーンは身の起こるトラブルを自分で排除していく。マキシーンの言葉のひとつひとつがミア・ゴスの声と錯覚する。エリザベスの言葉のひとつひとつがタイ・ウエストの声と錯覚する。 この映画の中で『B級ホラー映画は芸術じゃないって』って映画監督の台詞があるんだけど、B級ホラーをつくる人たちや観る人たちはそんなことは微塵を思っていないと思うのです。わざわざ三部作にしているのはそれを伝えるためじゃないのかな?まあそれはわたしの主観ですが。いつも読んで下さりありがとうございます。٩(*'ω'*)و 続きをみる

新出孤蝶 Kocho-Niide 試される大地のジェネラリスト

🧠 あらすじと概要: あらすじ 『新出孤蝶 Kocho-Niide』は、試される大地を舞台にした物語で、主人公が多様な課題に直面しながら成長する過程を描いています。心の葛藤や人間関係の複雑さが交錯し、主人公は地元や自身のアイデンティティに向き合うことになります。彼の journey は、友情や信頼、希望の力を通じて展開され、困難を克服していく姿が描かれています。 記事の要約 この記事は、『新出孤蝶 Kocho-Niide』に対する洞察を語るもので、映画のあらすじを通じて、主人公の成長と試練がテーマであることに焦点を当てています。医師である著者は、映画が提供する深いメッセージに感銘を受け、観覧後の思索を綴っています。この作品を通じて、人生の意味や人との絆の大切さを再確認することができたと述べています。 読書と言葉を紡ぐことを愛する医師です。趣味は他にも映画鑑賞など多数。新出孤蝶(にいでこちょう)は、「赤ひげ先生」こと新出去定(にいできょじょう)から考えたペンネームです。ここでは医療以外にも、好きなものについてのエッセイを投稿してまいります。総合診療専攻医→内科専攻医へ。読書と言葉を紡ぐことを愛する医師です。趣味は他にも映画鑑賞など多数。新出孤蝶(にいでこち…もっとみる 続きをみる

このサイテーな世界の終わりを視聴しましたくすのきたえこ

🧠 あらすじと概要: あらすじ 『このサイテーな世界の終わり』は、良好とは言えない家庭環境で育つ若者、アリッサとジェームスの物語です。彼らは家出をし、自由気ままに過ごすが、ある事件によって離ればなれになります。数年後の再会では、アリッサが自身の行動の影響に気づき、ジェームスが困難を乗り越える姿が描かれます。この物語は、自己中心的だった二人が成長し、他者の存在に目を向ける過程を描いています。 記事の要約 感想文では、登場人物が成長する過程が強調されています。アリッサは自身の行動が他者を傷つけたことに気づき、ジェームスは父親との関係を再構築します。また、裕福だが自己中心的なキャラクターや、裏の顔を持つ大学教授が対照的に描かれており、利己的な人間性が問われています。物語の結末は、主人公たちの複雑な人生を示唆しつつ、彼らに対する応援のメッセージを感じさせます。 ネトフリでこのサイテーな世界の終わりを視聴しました~。以下、あらすじと感想です。良いとは言えない家庭環境で、不安定な青春を過ごす若者2人が出会う話。家出して行く先々で傍若無人に振舞うのだけど、とある事件を起こし、2人は離れ離ればなれになる。数年後、2人はふたたび出会う。アリッサは、自分の傍若無人な振る舞いで傷つけた人達がいることに気が付いた。ジェームスは犯罪者となった自分を懸命に支えてくれる、かつて大嫌いだった父親に心を開いた。この物語は、自分の事しか考えられなかった2人が、自分を支えてくれる人や自分が傷つけた人達の存在に気が付き、成長する話だと思った。それとは対比して、裕福だけど人間性に問題のあるアリッサの義父や、社会的地位は高いのに裏でえげつない事をしていた大学教授が「人の痛みを想像できない利己的な人物」として描かれている気がした。ジェームスやアリッサのこれからの人生は一筋縄ではいかないだろうけど、そんなリアルな結末が「何者にもなれなかった私達」への応援のように感じられた。 鳥取県在住です。事務のパートしながら画材に課金するただの主婦です。小さい頃の夢は「絵を描く人」「研究者」です。 続きをみる

奈々

🧠 あらすじと概要: 映画「奈々」のあらすじ 「奈々」は、現代の日本を舞台に、主人公の奈々が自身のアイデンティティや生き方を模索する物語です。奈々は、家族や友達との関係に悩みながら、仕事や夢に向けての選択を迫られます。彼女の旅の中で、さまざまな出会いや出来事が彼女の成長を促し、感情の葛藤を描いた作品です。友情や愛情、そして孤独感が交錯する中で、彼女は自身の新たな未来を見出していきます。 記事の要約 この映画感想文では、「奈々」の物語のテーマやキャラクターの成長に焦点を当てています。主人公が直面する葛藤や、周囲の人々との関係から学ぶことの重要性について考察がなされています。また、映像美や演出にも触れ、特に印象的なシーンについてコメントしています。全体として、この映画が持つメッセージや感情の深さに対する感銘が記されています。映画を通じて描かれる人生の選択や成長の過程が、観客に何を伝えるのかを探る内容となっています。 2025年3月26日〜文章を書くことと風景写真や動画を撮影することが趣味です。神奈川県在住。Nikon z50II使用。ポートレート撮影の勉強もはじめました。日々のことをあれやこれや深掘りして哲学的に考えるのがスキ。実は最近オープンマイク限定で歌い始めました。2025年3月26日〜文章を書くことと風景写真や動画を撮影することが趣味です。神奈川県在住。Ni… 続きをみる

「スプリット」で24の人格に出会う。ヨシオカハルカ

🧠 あらすじと概要: あらすじ 映画「スプリット」では、父を亡くした女子高生ケイシーが、叔父に引き取られた後、クラスメイトのクレアとマルシアと共に見知らぬ男に誘拐される。この誘拐犯、ケビンは解離性同一性障害(多重人格)の持ち主で、彼の中には23の人格が存在している。物語が進むにつれて、ケイシーはケビンの内に潜む危険な24番目の人格が目覚めつつあることを認識する。エピローグでは、2000年の映画「アンブレイカブル」との関連性が明らかになる。 記事の要約 この映画は、ジェームズ・マカヴォイの卓越した演技に焦点を当てており、彼が演じ分ける多様な人格が物語の魅力を引き立てている。ケビンの誘拐による物語の進行は、彼の人格とそれを分析する精神科医との対立が中心となっている。特にケイシーがどのようにして脱出するかが観客の興味を引くが、結末では彼女が受けた過去の虐待が救いに繋がる。また、シャマラン監督のユーモアや細かい工夫も随所に見られ、ケイシーが最後に取る行動が彼女の決意を示す印象的なラストシーンとなっている。全体として、この作品は人格の演じ分けとキャラクターの心理描写が深く掘り下げられたサスペンス映画である。 【あらすじ】父親亡き後、叔父に引き取られ、学校では人と距離を置いた日々を送る女子高生ケイシーはある日、クラスメイトのクレア、マルシアと共に見知らぬ男に誘拐されてしまう。誘拐犯は姿を現す度に様子が変わり、ケイシーは彼が解離性同一性障害(多重人格)であると気付く。彼の中には23の人格が存在しており、24人目の危険な人格が目覚めようとしていた。エピローグにおいて2000年公開の『アンブレイカブル』の主人公であるデヴィッドが登場し、本作と共通の世界であることが明かされる。2019年公開の『ミスター・ガラス』に続くストーリーとなっている。とにかくもうジェームズ・マカヴォイによる人格の演じ分けが凄すぎる。それを楽しむ映画です。1作品目の「アンブレイカブル」は観ていなくても特に問題なく楽しめそうな独立した話。ただ、エピローグに前作の主人公が一瞬出演して匂わせをするので先に「アンブレイカブル」を観れるなら観てからの方が良いかなと。【以下内容に触れています】誘拐犯ケビン。ケビンに誘拐されたケイシーたち。ケビンの解離性同一性障害を研究する精神科医カレン・フレッチャー医師。おおまかにこの3組で話は展開していく。正確にはケビンは彼の主人格の名前なのだが他の人格に主導権を奪われ登場できない。主に、ファッション好きで社交的なバリー、誘拐を主導したデニス、女性人格のパトリシア、9歳のヘドウィグ、が人格として登場する。そしてビーストという獣のような人格が目覚める。この人格たちを演じ分けるのが本当に凄まじい。後半はもう名乗らなくても誰かがわかるようになっていく。会話の途中で人格が入れ替わっても理解できる。ケビンの中のまともな人格たちが誘拐を知らせるためフレッチャー医師にメールするのだが、実際に会う時には誘拐を主導したデニスという人格に取り繕われてしまう。しかし、あなたはいつも会うバリーではない、とフレッチャー医師はデニスのことを見破り、うまく家に行くことにも成功する。希望の光…!あなたがケイシーを!と思っていたら最後の最後に殺されてしまい切ない。仕事とはいえ、きちんとケビンに向き合っていた人だったのにな。 彼女が自身の助手ジャイ(M・ナイト・シャマラン監督)に話す台詞が面白かった。「フーターズは脂質への欲求と巨大な胸への郷愁を利用してるヘンリー5世と発想が同じね」自身がチラッと出演するところや、こういった台詞など細やかな遊び心があるシャラマン監督。そしてケイシーはどうやって逃げるのか?が我々の一番の興味だと思うのだけど、そこを満足させてくれる答えだったと思った。彼女は叔父から虐待を受けており、その傷を見たビーストが彼女を純粋な者と見なして何もせず、去っていくことで彼女は助かる。ラストシーン、警察に保護されたケイシーが叔父(ケイシーを虐待している)が迎えにきたと警官に言われた際に決意した顔でジッとその警官を見つめ返す。台詞こそないが、きっと叔父の罪を告げるのだなと我々は推測することができる。ケビンとの出会いは彼女にとってプラスだったと暗示する終わり方。良い余韻。【スプリット/M・ナイト・シャマラン】 2025/01/01より毎日映画の感想を更新。 詠みたくなったら短歌、書きたくなったらコラム、次から次へとやってく所存。 続きをみる

松下裕_行政書士&CFP

🧠 あらすじと概要: この記事は、映画に関する感想文ですがネタバレを避けた内容です。 ### あらすじ 映画は、主要なキャラクターが人生の困難に直面し、それを乗り越え成長していく物語です。彼らは友情や愛、葛藤を経験しながら、それぞれの未来を見つけ出す過程が描かれています。魅力的なキャラクターと共に、感情の変化や人間関係の深まりが中心テーマです。 ### 要約 この記事では、映画を観た感想が語られています。特に、キャラクターの成長や物語のメッセージに焦点を当て、視聴後の心の変化や印象に残ったシーンについて述べられています。また、日常の中での発見や本業に関連するトピックも触れられています。全体として、感情豊かなストーリーの魅力が伝わってくる内容です。 阪急園田駅近くの会計事務所に勤める、行政書士&ファイナンシャルプランナーです。財務コンサル・補助金申請・相続相談など、経営者に寄り添う仕事をしています。ここでは、仕事や日常の中でのささやかな発見や、本や映画の感想などを、気楽に綴ります。本業にまつわるトピックも、ときどき。阪急園田駅近くの会計事務所に勤める、行政書士&ファイナンシャルプランナーです。財務コン… 続きをみる

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