月曜日, 6月 9, 2025
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リー・ミラーが伝えた真実あらかわてんこ

🧠 あらすじと概要:

映画「あらかわてんこ」のあらすじ

映画「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」は、20世紀を代表する写真家リー・ミラーの人生を描いた作品です。彼女は華やかなモデルから転身し、戦争報道写真家として活躍しました。映画では、彼女の遺した歴史的な写真を通して、第二次世界大戦という激動の時代における人々の苦悩や、見えない傷を映し出しています。若い男性ジャーナリストとの対話を通じ、ミラーの内面や彼女が抱える複雑な感情が紐解かれていく様子が描かれています。

記事の要約

映画を観た感想を交え、著者はリー・ミラーの存在に強く惹かれたことを述べています。彼女の写真には戦争の裏にある見えない傷や、本当の人間の姿が写し出されており、それを伝えることが彼女の使命だったことが感じ取れます。また、女性としての苦しみや不当な扱いを訴える意義も強調されています。著者自身は、ミラーの生き方が現代の女性たちにも影響を与えるものであるとし、観客が彼女の作品を通じて自身の生き方を考えるきっかけになればと願っています。また、ヒトラーの浴室での写真に関する考察も行われ、戦争の終わりを象徴する重要な記録として引き合いに出されています。

リー・ミラーが伝えた真実あらかわてんこ

あらかわてんこ

上映開始前、観客席に私はひとり。251人収容のスクリーン9。

本編上映前に、もうひとり若い女性がやって来て、ふたりになった。

貸切状態で観たのは、
「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」

恥ずかしながら、彼女のことは全く知らなかった。
でも、恥じることはない。この映画の製作総指揮・主演をつとめたケイン・ウィンスレットだって、最初は戦争報道記者として名前は知っている、そんな程度だった。そんな彼女が使命感を持って製作した映画。

Xでこの映画の投稿を見て、強く引き寄せられた。映画に呼ばれたという感覚。すぐに観に行こうと思った。今の私には、これだ!と。

本作を観る前に「シビル・ウォー アメリカ最後の日々」を観るといいという、ありがたいアドバイスに従い、アマプラで「シビル・ウォー」を観た。主人公は、リー・ミラーがモデルとなっている。

リー・ミラーは、華やかなトップモデルから報道写真家へ転身した、20世紀を代表する写真家。

彼女の死後、自宅の屋根裏部屋にしまってあった、彼女が命をかけて撮った(まさに、生命と自分の精神を、全身全霊かけて撮った)歴史的記録の数々。

若い男性ジャーナリスト(実は…私は最後まで気づかなかった)との対話を通して、遺された写真は紐解かれる。

『傷にはいろいろある。見える傷だけじゃない』

彼女が負っている傷が疼き出した第二次世界大戦。犠牲になる人々。とりわけ女性や子どもたち。彼女が愛する、楽しい時間を共にした友人たちの苦しみ、見えない傷を抱えているリーにとって、戦争で表になることない、知られることのなかったはずの、隠蔽された恐ろしい真実を撮り続けることは、リーが生きていく上で、どういう意味があったのだろうか。存命の間に、その意義を彼女は確信できたのだろうか。

リー・ミラーを演じたケイト・ウィンスレットは言う。
「恐らくリーは戦場で初めて、自分自身の真実に気づき本当のリーになった」と。

戦争報道記者としての期待される役目と、リーの心は乖離している。
破壊された家、束になった死体、リンチに遭う少女、銃を撃つ兵士…一瞬の見える断片を映しながら、リーの瞳は、『見えない傷』をも映していた。

ドイツ人と交際していたフランス人の少女は、内通していたとして、大勢の前で、見せしめとして髪を刈られる場面。髪を刈られる彼女の、こぼれ落ちそうなほどの大きな瞳はリー・ミラーの瞳と対峙している。リーの押すシャッター音が、私の頭の中で重く響いた。実際、内通していたかは私にはわからないが、

少女の瞳が語る言葉にならない悲しみが、私の瞳にこびりついて、胸が苦しくなった。

抗えない不条理を逃すまい、戦争は人が死ぬだけではない、建物が壊れるだけではない、こんな見えない傷が生まれているんだ!という、知るはずもない真実を伝えたい!
リーの写真には、そんな叫びが込められているように思う。

リーが残したのは、写真だけではない。
戦争報道記者という仕事を通じて、女性が前線で、意思を持って働く姿を示してくれた。

ケイト・ウィンスレットは言う。
「時代を間違えて生まれたと思えるくらい、今の時代に合っている」  

私は、女性であることを軸(武器)に物事を発信されることには少しばかりの抵抗があった。
世の中の不利益が全て『女』だから受けるものではないと思っている。

だが、内通を疑われ、髪の毛を刈られた少女のように、「女性だから」受けた惨い仕打ちがある。
(リーは、自分の受けた傷を真正面に受け止めていたと感じる)

リーは、戦争の後ろにある見えない傷を映し出すのと同時に、当事者であるのに女性だからという理由で行動を制限されたり、男に決定権があることに憤りを感じていた。

女性が不当な扱いを受けなくてはならない時代の中で、リーは突き進んで行った。タフはタフだったとは思うが、それは自らの精神を代わりに差し出していたものだった。本当は、強くはなかったと思う。でも、強くいなくてはならない理由があった。自らの見えない傷と、大勢の女性たちの傷と、消えていく命、隠蔽される惨状。リーは、それらを背負い、立ち向かっていた。リーが決死の思いで撮った写真は、「VOGUE」には掲載されなかった。

「この写真は不安を煽ってしまう「みんな先に進まないと…」

「先に進むですって?収容所にいた少女はどうやって先を進むの?」

リーは戦争そのものではなく、戦争下で生きる、もしくは生きられない人たちを知ってほしかったのだ。
リーの写真は、プロパガンダの材料なんかじゃない。

リー・ミラーを映画にしたいという動きはずっとあったそうだ。大勢の「男性」たちが映画化しようとしていた。屋根裏部屋に脚本は保管されている。息子のアントニーさんは、持ち込まれた脚本に納得がいかず、なかなか実現には至らなかった。しかし、ケイト・ウィンスレットの熱い思い、生き方に共鳴したのだろうか、(彼女のファンであるのはもちろん)、母親リー・ミラーと重ねて見てたのだろう、ケイト自身もリー・ミラーと自分を重ねていたことを感じ取ったのもあるだろう、映画化が実現した。男性の書く脚本では、『ピン』と来なかったのも頷ける。ケイトの言う通り、今の時代に生まれていれば、間違いなく不条理な世界を打開する先鋒に立ち、導いてくれたに違いない。私も話してみたかった。「今、こんなことで苦しいんだ」って。「あなた、なんかに抗って、動いてる?」と笑われそうだ。

リーの撮影した写真で、象徴的なものに、
《ヒトラーの浴室のリー・ミラー》(1945)
という写真がある。

第二次世界大戦で最も象徴的な写真の 1 つ

ヒトラーが自殺を図ったその日に、ヒトラーのアパートで、リーが被写体となり、撮影された。「ヒトラーでさえ、ふつうの人間の習慣を持っていたようだ」と書き残している。

アメリカ人女性が、戦争下の敵国ドイツ・ミュンヘンのヒトラーの浴室に入る姿は、何か抗い、戦うミラーではなかったように感じた。リーの葛藤は感じられないが、ヒトラーの写真と共に撮影したことで、「戦争は終わり」だということを自分に言い聞かせるメモリアルにしたのかも知れない。

この後のリー・ミラーのことを思うと、彼女が命をかけて築いてきたことに敬意を表するとともに、多くの若い方々にも、ぜひこの作品を観て、自らの生き方を考えるきっかけになればなと思う。

あらかわてんこ

医療機関(眼科)に勤務、シュライバーしています。出版社ひろのぶと株式会社の株主。 旅することでエネルギーをチャージ。旅先では地元スーパーへ必ず行きます。 唐揚げ、豚の角煮、焼きたらこは毎日食べたいほど好きですが、毎日食べていません。



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