🧠 あらすじと概要:
映画『父と僕の終わらない歌』のあらすじと要約
あらすじ
この映画は、認知症をテーマにした物語です。主人公・間宮哲太は、一時メジャーデビューを目指していたが、息子の誕生を機にその夢を諦めます。彼が年老いてから、認知症による記憶の喪失に苦しむ姿が描かれ、周囲の家族や友人たちは哲太を支え続けます。物語は、彼の「歌」という核を通じて、失われゆく自分を探し求める姿を中心に展開されます。
記事の要約
著者は、映画の開始から寺尾聰の美声が響くシーンを描写し、認知症というテーマに共鳴します。自身の祖父の経験を引き合いに出し、家族の支えの重要性や、哲太が音楽を通じて自分を探す様子に強く感動します。映画を観た後、著者は自分自身の感情に気づき、涙を流す場面が印象的です。また、キャストとしての松坂桃李や松坂慶子の演技を絶賛し、出逢いの大切さを感じ取ります。映画は感動的で、見る者に深い余韻を残します。
寺尾 聰の美声とはそのようなものである。まるでベルギー・ビールのように芳醇なそれ。苦み走っていながら、まろやかで、甘くて、艶やかで、フルーティーな。そんな美声の歌が劇場を満たすところから始まる映画。
それが『父と僕の終わらない歌』である。
認知症をテーマにしている。突然、ありえないような物忘れで気づく。気づいたときには、すでにかなり進んでいる。不可逆の、喪われていく「自分」。周囲の家族にはツラい時期になる。かくいう私も祖父のときにかなり、家庭内で面倒を見て難渋した。ありていにいえば、失敗した。症状を留めようと、あれこれと余計なことをして、却って。私自身もこころのうちでパニックをくり返している時期だったし。内心、恐慌状態に陥りながら、祖父の通院をサポートしたり、火を使って夕食の支度をしていた。
もう、どれほど昔の話か。
ただ、ひととしての「なにがしかの核」は忘れられないらしい。本編の主人公の一人、間宮 哲太でいうとそれは『歌』である。息子、雄太の誕生に立ち会うために、メジャー・デビューをふいにした哲太にとって、歌は、年老いてもなお人生を支える金剛杖である。この物語は毀れていく物語である。毀れていく。いろいろなことが。だが、哲太の周囲の家族や友人は必死になって、その哲太を支えて堪える。持ちこたえようとする。ときに、非道い言葉を投げかけられようとも。だが、哲太は失われゆく自分のなかで、なにがしかを必死に探して掘ってゆく。その「なにがしか」がなんであるのかが、この映画のクライマックスに、最後の台詞として控えている。
まるで、自身の始原へと帰還するような。
とてもとても、感動の強い数時間。エンディングのスタッフ・ロールの中途で泣く泣く中座した。トイレに小用で。小用を済ませたあと、手洗いのときに目の前の鏡には、号泣している男が居た。わたしも自身を再発見した。すこし気恥ずかしかった。
サングラスをして初夏の陽気の、陽光の街中へ出でた。
雄太を演じた松坂 桃李は傑出している。そして、その幼なじみの花嫁が異様にうつくしかった。花婿のちょっとコミカルな、それでも礎石のような存在感も重要だった。松坂 慶子は円熟のきわみだった。
出逢いとは出遭いである。
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