🧠 あらすじと概要:
映画『聖なるイチジクの種』あらすじと要約
あらすじ
主人公イマンは誠実な弁護士であり、妻ナジメと二人の娘たちとともに平穏な生活を送っていた。彼はある日、テヘランの革命裁判所の捜査判事に任命され、高給に恵まれるが、国家から支給された拳銃を家に持ち帰ったことで彼の生活が不穏な方向へ進展する。その後、権力に従属することを余儀なくされ、個人の信念と家族との関係に大きな影響を与えることになる。国家の圧力と家庭内の緊張が高まり、イマンは狂気に陥り、家族を裁こうとする。
物語は、イマンと家族の間の対立、国家による抑圧、そして彼らがどのように逃避を試みるかを描いたもので、最後は映像を通じて女性たちの抗議が示される。
要約
本記事では、映画『聖なるイチジクの種』について、イマンの生活が国家権力によって変わっていく様子と、家族との絆が揺らぐ過程を詳細に考察している。監督 モハマド・ラスロフが直面した現実や、イランの情報統制といった社会背景も重要な要素として取り上げられ、作品に深みを与えている。
また、メタファーとしての「種撒き」の概念が強調され、各キャラクターの行動や選択が物語に与える影響についても考察されている。最終的には、家族や小さな共同体の重要性が示唆され、大きな共同体から逃げ出すためには、小さな共同体を形成することが鍵であると結論付けている。

🎥 モハマド・ラスロフ監督作品『聖なるイチジクの種』の考察をライトに行います!!
🎬 知っておくべきこと
・監督は、本国イランから国を批判した映画を製作しているとして8年の禁固刑とむち打ちの有罪判決を下され、ギリギリのところ逃げてきて遠隔で映画撮影を続けた。捕まった俳優もいる。
・実際の事件、マサ・アミニさんがイランで頭髪をスカーフで適切に覆っていなかったとして、道徳警察に逮捕され死亡した、というものが題材になっている。
・イランの情報統制は、イスラム革命以来、政府によって厳しく管理されており、メディア、インターネット、ソーシャルメディアなど監視されまくっている。
・タイトルは、イチジクの種は鳥の糞を通じて他の木の近くに落ち、その木を「締め殺して」成長するという生態からつけられた。
🎞️ あらすじ:起
両サイドの人型パネルはおそらくイランの
宗教関係の偉人。何度も映るので呪いの元凶かも。
イマンは敬虔で誠実な弁護士であり、妻ナジメと2人の娘レズワン、サナとともに穏やかに暮らしていた。ある日、テヘランの革命裁判所の捜査判事に任命され、家族のために望んでいた高給と広いアパートを得ることができた。しかし、国家から支給された拳銃を家に持ち帰ったことで、彼の生活には不穏な空気が漂い始める。
🔫8発の銃弾
種を撒くような象徴的なシーン
思わず弾数を数えてしまう
ぽろぽろ撒かれるように弾が落とされる描写は「種撒き」のメタファー。主人公イマンに種が撒かれたということ。彼が手に入れた「革命裁判所の捜査判事」と「拳銃」を発端に、芽はイマンを締め殺すように育っていく。
のちのイマンのセリフ
「どんな呪いが私に降りかかったんだ?」聖廟(聖者の墓廟)に訪れるシーン
自分の役割の重さを感じて祈っている
🎞️ あらすじ:承
政権に反抗するものには容赦ない
全国的に広がる政権への抗議のなか、イマンは、自らが判事として任命された理由が「裁くこと」ではなく、「承認すること」であると知る。証拠を見ずに死刑判決を承認する任務、そして匿名でいることを強いられる日々。一方、娘の友人がデモで撃たれ、家族の間に秘密と不信が生まれ、やがて家庭の絆も揺らぎ始める。
🔫 友人サダフの銃撃被害
散弾銃の弾も種撒きのメタファー
娘の友人サダフが散弾銃で撃たれて、母ナジメが弾を取り出すシーンは、劇中でも1番記憶に残るシーンでした。もちろん散弾銃の弾も種撒きのメタファー。
🎞️ あらすじ:転
父親が呪われるのは『シャイニング』的
今作のイマンも呪われている
イマンの拳銃が消えたことをきっかけに、彼は家族への疑念を深める。娘たちと妻を同僚に尋問させ、「家の中でも安心できない」と言い放つ。その後、自身の個人情報がネット上に晒され、家族を連れて山の実家へと避難するが、その道中、追跡劇が発生し、家族内の緊張は臨界点に達する。イマンは実家で家族全員を「裁判」にかけ、カメラを前に自白を迫るという狂気に陥る。
追跡してきた人「あなたの家族にあなたが何をしているのか知らされるのが怖いですか?」
娘を裁判にかけ撮影までする
🎞️ あらすじ:結
『シャイニング』のように追いかけられて
父親イマンから逃げる
妹を守ろうとするサナの行動により、家族はイマンの暴走から解放される。追跡の末、娘たちはついに父と対峙し、サナが地面を撃ったことで、父は崩れ落ちる地面とともに姿を消す。物語は、ヒジャブを脱ぎ抗議するテヘランの女性たちのリアルな映像で幕を閉じ、個人と国家、家族と抑圧の物語が静かに終わりを告げる。
『アノーラ』のようなディズニー批判かと
邪推してしまうくらい気になる地面に埋もれるイマン
『シャイニング』のジャックは雪に埋もれていた
👥 小さな共同体の重要性
母ナジメは、サナの髪が青い件について「みんな変わっていく」と言っていた。
それに対してイマンは「神はかわらない。娘たちにはそう教育しないと。」と言った。この発言からもイマンが取り憑かれているものが「歪んだ国の体制からなる信仰」であることが分かる。しかし、サナは初めからイマンに言っていた。「娘たちは父親が必要な時期」「娘たちと話してほしい」「彼女たちと関われば理由がわかる」と。
母ナジメは元々はイマンやイラン政府に従う姿勢であったが、サダフ銃撃の件から「暴力は暴力しか生まない。」ということを悟り、政府の命令より家族を優先する姿勢に変わる。
そして、イランの外へと逃げていく。
そのくらい大きな共同体から 外へ逃げる作品 は近年では珍しくなく、よく描かれています。
ただ、ひとりではなく「友」や「家族」など小さな共同体を形成し、またはその共同体を取り戻し、大きな共同体からでます。
逆に考えると、大きな共同体から抜け出したいなら、小さな共同体を作れということですね!
今作とは少しずれてしまいましたが…
📝 最後に監督のインタビュー記事を置いておきます!気になる方は読んでみてください!
🎨 映画でも音楽でも絵画でも、芸術は素晴らしいです。外の世界にいる人間たちはこうやって芸術を通してこのような世界を知って、外側から団結して内側にアプローチする。
いつでも時代を切り開いていくのは芸術 であることを忘れてはならないですね!!
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