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概要
この記事は、矢村功が「信じる力」を中心に、ブランドやマーケティングの構造を宗教や哲学の観点から探求する内容です。マーケティングの本質を「信じること」「意味を与えること」に関連づけ、ブランドの形成とその社会的役割について考察しています。また、矢村自身の経験を元に、異なる視点からブランドを分析し、次の世代のブランド論についても示唆を与えています。
要約
- 矢村功は20年以上のマーケティング経験を持ち、ブランドや宗教の関係を探求している。
- ブランドが「何を信じさせるか?」を問い、信じることの構造を分析。
- 重要な洞察:ブランドの根底にはキリスト教の影響が流れ、信頼や真実の理解には文化的な前提がある。
- マーケティングは「価値を創る営み」とされるが、「意味」を生み出すのが本質である。
- 現代のマーケティングにおける宗教的な構造や、哲学的な視点も含めた議論が必要。
- 具体的なテーマ:ブランドを「意味」として捉える視点、宗教や神話から読み解くマーケティング、次のブランド論の探求など。
- 更新は週1回予定で、読者と共に思考を深めていく意向を示している。
この記事を通じて、ブランドやマーケティングが根底で持つ「信じる力」の重要性を強調しています。
あの夜、煙の向こうに見えたもの
彼と僕は、坂のてっぺんにある小さなシガーバーに入った。真空管アンプが奏でるジャズの旋律と氷がグラスの中で回る音が耳に心地よい。葉巻の煙がゆっくりと天井にほどけていく。
彼は、ミュンヘンに拠点を置くブランディング会社のCEOで、僕は当時、国内外に300店舗を展開するアイウェアブランドのマーケティング責任者として、ブランドの再構築プロジェクトを進めていた。彼とは1年近く議論を重ねてきて、プロジェクトは大詰めを迎えていた。
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創業者の想いをどうビジョンとバリューに翻訳するか?
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ブランドの一貫性をどう保つか?
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社内にどう熱を伝播させていくか?
議論はいつも白熱してスリリングだった。そして僕たちは不思議と気が合った。その一方で、彼の語る「真実」や「信頼」という言葉の奥に、僕とは異なる“前提”があるような違和が見え隠れする。それは、お互い母語ではない英語でのコミュニケーションだからという問題でもなく、文化や国の違いという説明では解像度が低すぎる、変な感覚だった。その夜、煙の向こうに、ふとひとつの言葉が降りてきた。
「ブランディングの根底には、キリスト教が流れてる」
驚くほど明瞭な感覚だった。
宗教というより、それは「構造」の問題だと直感した。彼が世界をどう見ているのか──その起点には、明らかに一神教的な世界観が流れている。同じ言葉を使っていても、そこに託す意味の“根っこ”が、まるで違っていた。
僕の経歴と視点
あの神楽坂での直感は僕の中で静かに、しかし確かに、ひとつの問いを芽生えさせた。ブランド、宗教、イデオロギー、哲学、そして資本主義。それぞれ異なる領域に見えるこれらのテーマが、少しずつ朧げに、けれど一本の線でつながる感覚。「信じること」「意味を与えること」「秩序を築くこと」これらを支える“構造”こそが、ブランディングやマーケティングの奥底にあるものなのではないか?そう考えるようになった。僕は外資系広告代理店からキャリアをスタートし、グローバルブランドのマーケティングコミュニケーションを担当した。その後、日本企業に転じてマーケティング責任者として、国内外の事業に携わったのち、オーストラリアのマーケティングファーム日本支社の立ち上げに参画。日本企業や行政の海外展開に携わってきた。直近では、群馬県の地方創生プロジェクトの一環としてアートホテル「白井屋ホテル」の立ち上げと運営責任を担った。20数年、商材や立場をさまざまに変えながらも、プロのマーケターという職能で生きてきた。その中で、僕の根底で低く鳴り続けていたのが、この問いだった。「なぜ人は何かを信じたがるのか?」この問いは、もはや一職業人としての関心を超えて、僕自身の“生き方”や“見方”そのものを揺さぶるようなテーマになっていった。
その答えを知りたくて、現在は独立して、企業のマーケティング支援を生業としながら、研究者としての活動も並行して続けている。
ブランドは「信じる力」の装置である
マーケティングは「価値を創る営み」だとよく言われる。けれど、その「価値」とは何だろう?よく言われる、「機能的価値」や「情緒的価値」という言葉ではとても整理しきれない。人が「意味がある」と信じたとき、初めて立ち上がってくるものではないだろうか。そして、そうした“意味”を生み出す構造として、もっとも長く人類に寄り添ってきたものこそ、宗教である。神話によって世界を語り、儀式によって秩序を築き、共同体によって信仰を育んできた。その仕組みは、確実に現代のブランドやマーケティングに引き継がれている。社会学の祖 マックス・ヴェーバーは、プロテスタンティズムの労働観と禁欲こそが近代資本主義の精神を形成したと論じた。成功は“神の恩寵”の証とされ、経済的合理性と倫理が結びついていった。マーケティングとは、それをドライブするための技術だとも言えるかもしれない。でも、いま世界は変わり始めている。「正しさ」だけでは人は動かず、合理性だけでは物語にならない。
だからこそ、ブランドやマーケティングの奥にある「信じる構造」を、改めて見つめ直すことには意味があるように思うのだ。
こので綴っていくこと
このでは、これまで20年以上マーケティングの現場に携わってきた経験を踏まえながら、宗教や哲学、社会思想といった視点との“往復”のなかで、ブランドの構造や役割を見つめ直していこうと思っています。
マーケティングは、しばしば「戦略」や「手法」として語られがちです。けれど僕にとってそれは、人や社会の“信じ方”と深く結びついた営みでもあります。このでは、実務と思想を行き来しながら、ブランドとは何か、人は何を求めてそれを信じるのか、そんな構造的な問いに、ゆっくりと言葉を当てていきます。
扱うテーマは、たとえばこんなものです。
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ブランドを「意味」として捉える視点
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宗教や神話、哲学から読み解くマーケティングの構造
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「正しさ」に疲れた時代の、次のブランド論
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日本的な「多神教的ブランド消費」という可能性
更新は週1回を目標に、寄り道しながら、自分自身の思考も深めていけたらと思っています。
最後に
ブランドも、宗教も、哲学も、資本主義も。それはすべて、人が何を信じ、どう生きるかという営みの中で育まれてきたものだと思います。このでは、そうした“構造”を手がかりに、迷いながら、時に立ち止まりながら、少しずつ世界の見え方を探っていきたいと思います。ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
次回以降も、ゆるやかにお付き合いいただけたら嬉しいです。
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