🧠 あらすじと概要:
この記事は、音楽家フランク・ザッパの生涯と彼の影響力についての映画『Zappa』の感想文です。
### あらすじ
フランク・ザッパは1940年にカリフォルニアで生まれ、1993年まで生きました。彼は1960年代のヒッピー・ムーヴメントの中で登場し、ロックの枠を超えた音楽を創造しました。ザッパは音楽にユーモアを取り入れ、高尚なものと悪ふざけを同列に見なす独自のスタイルで知られています。彼はジャズやブルーズ、さらには現代音楽の影響を受けつつ、さまざまなジャンルを融合させ、自身の音楽を作り上げました。
### 記事の要約
筆者はザッパの音楽と彼の生涯を振り返り、彼が持つアメリカの精神を評価しています。ザッパは自己表現の重要性を説き、音楽産業に対する批判も行っていました。彼は完璧主義者であり、自身の音楽を追求し続けた結果、自由と民主主義のシンボルとなりました。この記事は、シネマート新宿でのドキュメンタリー映画『Zappa』の鑑賞をきっかけに書かれたもので、ザッパの思想や影響力に感謝する形で締めくくられています。
没後かれはロックの殿堂に入りもしたけれど、しかし、その活動は20世紀の、とくにエドガー・ヴァレーズ、準じてチャールス・アイヴィス、ハリー・パーチの影響を受けていて、現代音楽専業の作曲家になっていても、不思議はない人だった。しかし、現代音楽の専業作曲家で飯が喰える奴はいない。そこでザッパはロック・ミュージシャンとして、カネを稼ぎはじめる。そしてさんざっぱらロック・シーンで知性あふれる乱暴者として活躍した後、はやすぎる晩年、みずからカネを出して、世界一流のオーケストラを雇い、
かれが作曲したオーケストラ・ピースを世に問うた。
だが、こういうふうにザッパの生涯をまとめるのも、微妙に違うのだ。なぜなら、ザッパは他方で、黒人たちのブルーズ~リズム&ブルーズもまた愛していたし、はたまたサン・ラを愛した。かれはあらゆる音楽を等価に見なし、あらゆるジャンルの音楽語法を混ぜこぜにして、自分が作りたい音楽を創造した。おれは自分が聴きたい音楽を作る、自分が聴くために。もしもおれ以外にもそれを聴きたいとおもってくれる人がいたならば、
サイコーだ。
なんてシンプルなプリンシプルだろう。表現者にとってもっとも大事なことを、たんじゅんな言葉でかれは言う。他方、音楽産業にとってミュージシャンなんてものは、カネを産み出すニワトリに過ぎない。ラリパッパのアホな天才でいて欲しいのだ。なお、ザッパは(あの時代にあって!)ドラッグをやらなかった。ザッパは完璧主義者のコントロール・フリーク、自分が雇ったミュージシャンたちとともに。朝から晩までリハをして、
完璧なライヴ・ツアーを実現した。
ザッパはチェコがソヴィエト連邦から離脱し、民主化したときには、国賓待遇で招かれ、いかにもザッパらしいライヴで、大観衆のチェコ人民を熱狂させた。かれらにとっては、ザッパこそが自由と民主主義の国、
アメリカのヒーローだった。
ぼくはフランク・ザッパに、最良のアメリカ精神を見る。おそらくそれは、マーク・トゥエインからトマス・ピンチョンまで
流れていたものではなかったか。
フランク・ザッパは言った、アメリカが世界をむちゃくちゃにする前にやるべきことがあるんだ。もしもザッパがいまのアメリカを知ったなら、
いったいどんなことを言うだろう。
なお、このエッセイはシネマート新宿で、ドキュメンタリー映画『Zappa』を観ての、映画感想文でもある。シネマート新宿さん、すばらしい映画をかけてくださって、
ありがとうございます。
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