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スピリチュアルに嫌悪感を感じてしまう正体HISASHI/心理学マーケター/

🧠 概要:

概要

この記事では、著者HISASHIがスピリチュアルに対する嫌悪感の理由を探るとともに、そのビジネス面や信仰に依存する状況について考察しています。著者自身はスピリチュアルを否定するわけではありませんが、ビジネス活動や信仰の押し付けに対して批判的な立場を示しています。

要約の箇条書き

  • 著者はスピリチュアルを否定していないが、ビジネスと信仰の混乱に疑問を抱いている。
  • スピリチュアル関連のビジネスには悪影響を及ぼす人々が多い。
  • 神社を訪れた経験を通じて、スピリチュアルのイベントの運営や参加者に対して不安を感じた。
  • エネルギー値を測るイベントについて疑問を持ち、自身の価値観を重視するよう強調する。
  • スピリチュアルや宗教に対して知識を深めることが受け入れられる理由の一つであると述べる。
  • 決断疲れという現象に触れ、怪しいものに挑戦することが豊かさにつながる可能性を指摘。

このように、スピリチュアルに対する態度や体験を通じて、社会的な価値観や個人の心のあり方について深い考察がなされています。

スピリチュアルに嫌悪感を感じてしまう正体HISASHI/心理学マーケター/

HISASHI/心理学マーケター/

2025年6月3日 03:16

最初にはっきり言っておくが筆者はスピリチュアルが嫌いなわけではない。目に見えない世界は必ず存在すると考えているし、神様や仏様、精霊や幽霊だっていないとは思っていない。

今回の記事の内容は決してスピリチュアルを否定するものではなく「スピリチュアルという目に見えないものを扱ってビジネスをする人間と、そこに群がって努力を忘れ【信仰】というものに溺れる人間」の嫌悪感を書いていく。

「スピリチュアルを活用したビジネス」もそんなに否定する気にはならない。ビジネス自体結構曖昧な世界が多いし、科学だって人の捉え方によっては宗教だし、宗教だって人によっては科学と主張するだろう。占いや姓名判断、風水などがいい影響を与える場面だってあるし、筆者自身も神社でのお参りはなんだか神秘的なものを感じる。だからこそお賽銭は投げるし、手を合わせてお願いをする。ただだからと言ってそのお願いを叶える努力の99%は自分の努力によるものだと思いたい。もちろん運もあるし、周りの協力もあるだろう。それも実力に感じられるように普段から善行を行なっていくことが悪いとは思わないし、その努力は報われていくと思いたい。ただよくよく考えて欲しい。悪いことやってる奴が豊かで幸せそうだったりしないか?この「悪いこと」も結論個人の捉え方によってしまうのだ。2016年に間違いなく時の人だった、ドナルドトランプも「この世にFACT(真実)はない。あるのはOPINION(意見、主張)のみである」と

このopinionsの意味を個人的には「解釈」と捉えている。結局はどこに真実があるのかなんて、各個人の価値観やポジションで変わってしまうのだ。

「ニーズに死を」という記事がある。とても面白いのでぜひ読んでみてほしい。人々のニーズによってイノベーションは生まれた。という一節があるが、筆者もそう思っていた。ただマーケティングを学ぶべば学ぶほど、そうではないことに気づく。

「イノベーションは人々の勇気によって生まれた」という表現を記事の作者が発言しているがとても心に刺さる表現だし、その通りだと感じている。

その上でスピリチュアルもニーズ(需要)を生み出すことという点にとって間違ってないし、経済は周り新しいイノベーションを産んでいると思う。
ただスピリチュアルに信仰しているだけではなく、その信仰を「押し付けてくる」人々がこの業界には多い。

今日兵庫にある西宮神社というところに行ってきた。素晴らしい神社だったし、何かエネルギーのようないいものを摂取したような感覚で、行って良かったと心から思う。
今回この西宮神社に行くことになった理由が、神社には正しい回り方があると、その周り方やいいエネルギーの受け取り方を教えてくれるという会があり、面白そうと思って参加してみた。

その「会」が大問題なのだ。参加費がかかるのはいい。面白いと思えた内容だし、価値提供していると感じたから参加したわけなので。朝集合し、まずは参加者の顔と目が酷かった。年配の方が多いのはそういう会だし当然ではあるが、あまりにも目の奥に光を感じられなかった。感覚として、共にいたいと思える人たちではなかった。なので会が始まる時も少し離れて参加していたが、運営もまぁ酷かった。

筆者がイベントをやっている人間なので、目線が違うかもしれないが、システムとしても良いとは思えるような会ではなかった。

会がスタートする際に「先生」と呼ばれる、いわゆるすごい人が紹介された。こちらから見たらただのおっさんで、色々語ってはいたが、全部「ビジネス」を感じてしまったのだ。その後に参加者の「エネルギー値」を測ることができるらしく、左手の薬指を先生に触ってもらうのだ。ん?なんか測るのは先生の感覚?でも数字でるの?でそれをみんな信じてるの?大体一般的な人で5000くらいらしい。みんな並んで測ってもらったら1000,1200.600.2800.みたいな感じで言っていく。この会によく通う人は間違いなく顔馴染みなんだろう、20000とか30000とか言われていて筆者の番になり「1800」と言われ、思わず笑ってしまった。エネルギー値とは?ハテナが出過ぎて、多くの疑問が浮かび上がってしまった。

それ先生の匙加減でしょ?これで良いなら自分でも全くおんなじこと適当にできるわと。

先生も商売だから仕方ないのかもしれない。ただあまりにもただのおっさんに(なんの覇気もない)勝手に数字を決められるということに腹が立ってしまった。エゴだが間違いなく参加者の中でダントツでエネルギー高いと思えるし、もし収入や成果、結果で見るなら間違いなくベスト3には入ると思える。それくらい死んだ目をした老人が多かった。

営業されてもあんまり不快に思ったことはないが、この感じはあんまり体験できないので、そういった意味でみなさんぜひ行ってみて欲しい。

正しい周り方もよくよく考えてみれば、神様がそんなちょっと間違えたくらいで良いエネルギーくれないなんて懐小さいわけないよなと思い、会に混ざらずほとんど1人で楽しんだ。
会の人間と共に行動することのほうが悪影響になると感じたからだ。

多くの変化に対して怪しいと感じるなんかわからない不快感に対してなんとなく今日感じたストレスをぶつけてみました。怪しいものや胡散臭いものは多くあると思います。

でも「知識のない科学は宗教に見える」というのはすごく腑に落ちる言葉で、もしかしたら自分の知らない世界をもっともっと勉強すれば、受け入れられる部分が増えるのかもしれません。その上でどうするのかを判断する方が【豊か】な気がします。

現代は多くの情報があるし「絶対に稼げる!」とか「現代人は投資するべき!」みたいな強い意見に流されてしまう傾向があると思います。それは昔もそうかもしれないけれど「決断疲れ」だと思うんです。みんな決めたくないんですよね、でも決めなきゃいけない。

だから決めてくれる人が出てくると、しがみつきたくなっちゃうし、決めることを恐れた親の教育によって子供たちは決断の練習もできないまま大人になってしまっていると思います。

だからこそ、怪しい、胡散臭いと思ったものにダイブしてみるのも楽しいし、豊かだと感じます。

HISASHI/心理学マーケター/

愛知県↔️大阪株式会社PEF 代表マーケティングとイベントの会社です。仕事のことを書いていきます。



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