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概要
この記事では、ジャズ音楽家セロニアス・モンクの姿勢を通して、自分を信じることの難しさについて語られています。著者は自身の音楽活動の経験を振り返り、外部からの意見や評価に影響を受けながら、自分のスタイルを貫くことの重要性とその苦労を述べています。特に他人の期待や批評に悩む過程を通して、自己信頼の本質に疑問を感じながらも、モンクの姿勢に憧れる気持ちを描いています。
要約の箇条書き
- ジャズ界の巨人ソニー・ロリンズがセロニアス・モンクについての言葉が印象的。
- モンクの孤高の姿勢が評価されている理由について触れる。
- 著者は自らの音楽活動を振り返り、他者の忠告に迷いを感じた経験を共有。
- 20代後半から30代前半にジャズバンドでの活動があり、成長と葛藤があった。
- 「他のメンバーに比べて技量が劣っている」という批評に影響を受ける。
- 基礎を固めるために一時的にバンドを離脱し指導を受ける決断をするが、相手が音信不通になる。
- 自分を信じることの難しさ、一貫したスタイルを貫くことの重要性を再認識。
- モンクの姿勢が如何に大変で、評価に繋がったかを考え、著者自身も自己信頼の模索が続いている。
自分を信じることの難しさを強く実感させられた言葉があります。
それは、ジャズ界の巨人ソニー・ロリンズが、孤高の天才セロニアス・モンクについて語った一節です。
彼はいい曲をいくつも書いていた。それをわざと難解な演奏にしてみせる。もう少し聴き手に歩み寄ってもいいように思っていたし、実際にそう忠告をする人もいた。それでも彼は頑として受けつけず、わが道を歩んでいた。その姿勢は尊いと思う。あそこで妥協していたら、セロニアスがこれほどの評価を受けるようになったかわからない。
珠玉のJAZZ名盤100 (著)小川隆夫
この言葉を読んで、私はある経験を思い出しました。
他人の忠告に翻弄され、自分のやってきたことを見失ってしまったことがあったのです。その体験を交えて、この言葉の重みについて書いてみたいと思います。
順調だった音楽活動
私は20代後半から30代前半まで、ジャズバンドにトランぺッターとして在籍していました。そのバンドは、地域のイベントやジャズバーで演奏する活発なバンドでした。そんな私は、トランペット歴はわずか2年。当時の私は本当に下手でした。それでもバンドに迎えられたのには、いくつか理由がありました。もともとピアノやベースで5年ほどジャズを演奏していた経験があり、理論やスタイルに関する知識はある程度備わっていました。また、何よりジャズに対する強い情熱を持っており、その熱意がジャズバーのマスターや周囲の音楽仲間に伝わっていたのです。こうした点を踏まえたうえで、「これから伸びていくだろう」という期待も込めて、バンドに迎えてもらったのだと思います。
加入後は、とにかく練習に打ち込みました。時間があればトランペットを手に取り、なんとか半年ほどで人前でも吹けるレベルには持っていくことができました。
体験した「外からの声」
このバンドはとても活動的で、忙しい時には月に10本ほどライブが入ることもありました。土日はほぼ埋まり、平日の夜も練習や本番でスケジュールがびっしり。人前に出る機会が増えるほど、いろいろ人からさまざまな意見をもらうようになります。その中で最も多かったのは、「他のメンバーに比べて技量が劣っている」という声でした。もちろんそれは自分でも分かっていたし、メンバーも承知のうえで「これから成長してくれたらいい」と思って一緒に演奏してくれていたのです。そんなとき、ほとんど面識もない吹奏楽経験者(以下、Aさんとします)からこう言われました。
「基本ができていない。自分が徹底的に教えてやるよ。」
この言葉に、私の中で信じてやってきた音楽への気持ちが揺らぎ始めました。
いえ、その前から葛藤の兆しはあったのです。
音楽活動への葛藤
はじめは、好き という気持ちを原動力に音楽活動をしていました。ジャズが好き、トランペットが好き、バンド活動が好き、それだけで十分だったのです。しかし、人前で演奏し、謝礼をもらうようになり、次第に演奏への責任を感じるようになっていきました。また、さまざまな批評や助言を受ける中で、「このまま“好き”だけで続けていいのか」という迷いも芽生えてきました。加えて、メンバーとの関係も徐々にぎくしゃくしていきました。責任感ばかりが強くなり、しかし実力が伴っていない。そんな曖昧な立ち位置が、人間関係が悪くなる要因だったと思います。そんな自分の曖昧な立ち位置が、今考えると仲が悪くなる一因だったと思います。そんな時にAさんの「鍛えてやる」という申し出があったのです。
私は悩みに悩んだ末、バンドを一時離脱し、基礎を固めるためにAさんに師事する決断をしました。
Aさんの肩透かし、からの模索
ところが、Aさんが指導してくれたのは最初の1回だけでした。
その後は「忙しい」の一点張りで、徐々に音信不通になってしまいました。「基礎を固めて出直す」という私の決意は、行き場を失ってしまいました。その後、バンドも脱退。基礎練習のために別の練習相手を探したり、体験レッスンを受けたりと、自分なりに模索しました。けれど、音楽活動へのガソリンが切れてしまい、今はほぼ引退状態です。
結局、何が自分を信じることだったのか
振り返ってみると、音楽活動の中で何度も岐路がありました。
そのたびに、どの道を選ぶのが 自分を信じること だったのか、今でも分かりません。・バンド活動を続け、他人の批判に耳を貸さず、自分のスタイルを貫くこと・基礎力が足りないと思いながらも、とにかくバンドを続けること・Aさんがいなくなっても基礎練習を継続し、改めて人前に立つこと・音楽から距離を置き、仕事や家族にリソースを注ぐこと(今のルート)結局、未だに分かりません。
もし「音楽」を最重要とするなら、Aさんがいなくなっても基礎練習を続け、進化した姿で再び舞台に立つという選択がベストだったのかもしれません。
けれどそれは、膨大な時間とエネルギーを音楽に注がねばならない、茨の道でもあります。一方で、「人生」という広い視点で見れば、他人に翻弄されながらも、今の選択は必ずしも間違いではなかったのかもしれない、そんなふうにも思えるのです。
モンクへの憧れ
だからこそ、冒頭のモンクの話に強く惹かれるのだと思います。誰が何と言おうと、自分のスタイルを貫いたモンク。
その 貫く という姿勢がいかに難しく、いかに膨大なエネルギーを必要とするか。
その結果、唯一無二の音楽が生まれ、モンクは伝説になった。
ソニー・ロリンズが言うように、「あそこで妥協していたら、今の評価はなかったかもしれない」のです。
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