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便利なモノというのは、それが便利な分だけ、何かを奪っていくような気がしてしまう。
何か、というのは、それが無かったときにはできていた工夫や技術のような、形なきものであることもあるし、入れ替えられてしまったもとの道具そのものだったりもする。
便利に「進化」したのだから、より劣る結果しかもたらさないモノも技術も必要ないのだというのも理はあるが、本当にそうなのかなあという疑念もある。いろいろなこと、モノについて最近そんなことをよく考える。
それは新しいものを取り入れ(られ)ない老頭児(ロートル)の言い訳なのだろうか。
筆者には子供が3人いて、働きながら子育てをしてきて育児の一番大変だったピークは過ぎた感がある。この春から長女は社会人で、次女は大学生。赤ちゃんだった末っ子も中3で、もう誰も、赤ちゃんでも、乳幼児でも、幼児でも、児童ですらない。
スマホのおかげで子供の動画を撮るハードルがだだ下がりになっている。編集もシェアも容易になり、気の利いた子供動画が雪崩のように日々流れてくる。
子供の描く人間が、ある時期みな「頭足人」になるように、子供の言動や動きには共通した既視感のあるものも多く、しばしば他所の子の挙動に見入っては、幼かった頃の我が子を思い出してしんみりしている。
思うに、洗い物のせいで子供の面倒を見るのが大変だったあんな時期にこそ、食洗機などというものは導入するべきだった。
今は縦型だけどあの頃、ドラム式洗濯機にして、乾燥まで毎日回していたのはまあまあ正解だった。今はモノが多すぎて床がないが、あの頃ロボット掃除機を走らせていたのもまあまあ正解だった。
いずれにしろ、あの頃、あんなに目を三角にして家事家事言わなくても良かった。小さい子供たちを抱っこして、もっと親ものびのび遊べば良かった。もっと……。
そんなふうに思ってしまう昨今、あの頃はなくて今はある、カインズの「厚手吸水マイクロファイバークロス BOX 10枚入」を前にしても、これがあの頃あればもっと便利だったのに、いろんなストレスがなかったのに、もっと楽にできたのに、いろいろ……と、しんみりしてしまったのだ。
なんだこれ。柔らかすぎる。ふわふわ。拭きやすい。洗いやすい。分厚い。いろんなものを引っかける。掻き取る。吸い込む。水気の汚れを。液体を。あの頃の床を、あの頃のテーブルを、あの頃の子供椅子を、家で、出先で、洗って再利用もできるけど、使ってすぐ捨てることも可能で。
掃除道具も、マイクロファイバークロスも、こんなにも、進化している。
ああ、あの頃の私は何を使っていたかな。「おしり拭き」を多用していたか。海外製品を試していた。古タオルを刻んでいた。その時々で最適だと考えられた方策を、その時々で一生懸命やっていたのだから、それはそれで無意味ではなかったし、工夫もしていたし、間違いではなかった。でも。
しかしいま、進化したこのようなモノを手にして、「もう戻れないなあ」と感じ入っている。なんだろうなあ。ものすごく、負けた感。あの「子育て真っ最中」に、ずっとずっと今より必死で時間もなかったかつての私に、こんな赤ちゃんの衣類みたいなふわふわを、味わわせてやりたかった。
失われた時を、来し方を振り返り、思わず固まってしまう衝撃的なテクスチャーのマイクロファイバークロス。10枚入り298円で、絶句した。