🧠 あらすじと概要:
あらすじ
『ナミビアの砂漠』は、自己中心的で苛立たしい女性の生態を描いた映画です。主人公カナは、周囲の人々を巻き込みながら自由に生きていく姿が描かれ、彼女の行動規範は常に謎に包まれています。映画は、男社会へのアンチテーゼを底流に持ちながら、主人公の周囲の男たちとの複雑な関係も描写しています。観客は、彼女の行動に苛立ちながらも、次々と裏切られる展開に引き込まれます。
記事の要約
山中瑶子監督による『ナミビアの砂漠』は、苛つくキャラクターを描きつつも、観客を退屈させない巧妙な作品です。主人公カナは、周囲の人間関係において自己中心的に振る舞い、その苛立たしさが逆に観客を魅了します。映像美と丁寧な演技が際立ち、特に河合優実の演技が高く評価されています。映画のテーマには、男社会への批判が根底にあり、主人公の行動が持つ意味を理解しようとすることが映画の肝となります。全体として、本作は観客に思考を促しつつも楽しませる独特の体験を提供しています。
到底一緒にいたら大迷惑な女の生態観察のような映画、なのにまるで退屈せず、まさかまさかの期待を裏切りまくり度が圧巻なのは確か。この腐れアマ!と一般的には呼ばれて当然の女ですが、勝手上等、自分が第一で上出来、ってのが本音でしょ。逆に言えば幸せな女なんですね、そこに気付かせてくれる意味で本作は傑出している。
根底に男社会へのアンチテーゼが横たわり、札幌のすすきのでの日本的不可避の愚行を妙に素直に詫びる男の滑稽なこと。そんなこと、どうでもいいや、の本音を隠し、一応嫌がって見せる事の面倒臭さ。彼女の行動規範が何処にあるのか、そんなの判ってたまるかが骨子。だから観客の苛つきは百も承知の意地汚さ。ホント面倒くさいけれど、次の瞬間も裏切ってくれるマゾ的快感が徐々に熟成されれば本作はOK。されなければ、最低最悪で終わる。
哀れな男を寛一郎がロン毛で演ずる
当然に、脚本があり、ラフなドキュメンタリー調に見えてもアングル替えての複数カメラを駆使し、随分と丁寧な撮影がなされている。その中で、ほとんどリアル?と見紛う役者の動きを称賛することは簡単ですが、カメラの中で呼吸し生きる生身の人間に憑依したわけで、頭で考えた演技だったらこんな風にはならないと思う。それを実現出来た事は当然に素晴らしいけれど。
もちろん本作をアマプラで鑑賞しようとしたのは、ズバリ河合優実見たさです。「サマーフィルムにのって」「不適切にもほどがある!」「あんのこと」「ルックバック」「悪い夏」「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」と観て、現在の朝ドラ「あんぱん」の蘭子を見守っていれば、昨年鑑賞出来なかった本作は押さえるべきだから。
二人目の男を金子大地が扮し、この二人の壮絶プロレスが見もの
あの気怠い鼻にかかった声が特徴の将来の大女優は、ふと大昔の桃井かおりを思い出す。いったい何を不貞腐れているのだろうと他人を巻き込む桃井に対し、河合は周りはまるで関係なくひたすら自身の内面に腐ってゆく。そんな感じ。あの名作「幸福の黄色いハンカチ」1977年の桃井の役は、当初は山口百恵にオファーされてたとか、百恵の再来なんて言われている河合にここで繋がる。
このシーンは本人を客観視したパーツですが、無くてもと思う
こんな、敢えて言う「悪女」の心象風景をナミビアの砂漠に求める監督の意図は正直まるで分かりません。別に分からなくっても全然構わないし、「あっ、そうですか」としか思わない。逆に種明かし的なシチュエーション動画を見せられたら、本作では厭らしくなってしまう。多分彼女には一生行けない場所でしょうしね。劇中やたら登場する「天然水」と砂漠の水場に意味を持たすのも馬鹿馬鹿しい。そんな解答を主人公カナに言ったら、逆切れされますよね。
考えるより、そのまんまのリアクションを受け入れれば、本作は輝きます。
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