水曜日, 6月 4, 2025
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アメリカ人の本音 / 「怒りの葡萄」すだちくん

🧠 あらすじと概要:

あらすじ

ジョン・スタインベックの名作『怒りの葡萄』は、1930年代のアメリカ大恐慌時代を背景に、貧しい農民たちがカリフォルニア州を目指して旅をする物語です。主人公のトム・ジョードは、困難な状況に直面しながらも家族と共に苦しい道のりを歩み続けます。固い信念を持つ母や仲間たちとともに、困窮や社会的不平等に挑む姿が描かれています。映画は原作の重苦しい雰囲気から少し希望の光が見える結末となっており、スタインベックのキリスト教的テーマや倫理の視点も強調されています。

記事の要約

記事では、『怒りの葡萄』がアメリカ文学の金字塔として評価される理由や、映画化された際の変更点について述べられています。スタインベックの作品が貧困や社会的不平等を描く一方で、それがキリスト教の教えといかに対立しているかを探り、観客に深い思索を促すものです。また、製作側の意向で希望を感じさせるラストシーンが追加されたことに言及し、価値観の変化についても触れています。この映画は、過去の作品を現代の観点から理解する重要性を喚起しています。

アメリカ人の本音 / 「怒りの葡萄」すだちくん

すだちくん

I wouldn’t pray just for a old man that’s dead, ‘cause he’s all right. If I was to pray, I’d pray for folks that’s alive and don’t know which way to turn.
(俺はここで死んでる老人のためには祈らない、だってもう成仏してるからさ。もし祈るとすれば、生きていてどちらへ行けばいいのか迷っている連中のためさ)

Jim Casy

1939年に出版され、全米図書賞やピューリッツァー賞を受賞したジョン・スタインベックの名作『怒りの葡萄』(原題は The Grapes of Wrath)は、今日でもアメリカ文学の金字塔と見做されている。貧しい農民たちがカリフォルニア州を目指して旅立つも、大恐慌の最中で職にありつけず、人間らしく扱ってもらえない苦悩を描いた本作は、出版の翌年にジョン・フォード監督によって映画化された。僕は学生の頃に本作を読んで「暗いよ!」と感じたものだが、映画は原作よりも少しだけ希望が見えるように終えている。ここは映画のなので、アメリカ文学談義は全て省略する。オクラホマ州の片田舎から一家でカリフォルニア州を目指す、という筋書きはもちろん『出エジプト記』がモチーフであり、1960年のルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「若者のすべて」のように、都会に出てきた一家が挫折するという物語の雛形のようになっている。「怒りの葡萄」では主人公トム・ジョード(ヘンリー・フォンダ)と、その母親が主要なキャラクターだ。

この物語がアメリカ人に好かれている理由は、スタインベックという作家がキリスト教というテーマをしっかりと提示したからだ。そのことは本作の題名がヨハネの黙示録の一節を示していることにも表れている。映画の全篇にわたって登場人物たちの貧しい様子が描かれ、それはそれで同情を誘うものの、しかし貧困がテーマではない。このような困窮を招いている原因は、アメリカという国家や州政府、あるいは大地主や企業経営者たちが、キリスト教の教えに背いて利潤ばかりを求めているからではないのか、という目線が一貫している。こうした宗教や倫理と、経済の繁栄という目的が、残念ながらアメリカでは両立していないという指摘は多くの文学や映画で描かれてきた。先日記事にしたポール・シュレイダー監督の「魂のゆくえ」もそうであるし、PTAの2007年の映画「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」はまさにこのテーマで撮られた現代の「怒りの葡萄」のような作品だ。

また、物語の舞台は大恐慌の時代なので、トムたちの一家もまたフーヴァーヴィル(Hooverville)と呼ばれるホームレスたちの集落に辿り着き、貧しい労働者たちが官憲などによる reds (共産主義シンパ)の摘発に怯えていることも描かれている。これはキリスト教徒のジレンマのようなものであり、イエスの教えに従えば従うほど社会主義者のように見えてしまう。実際にスタインベックが本作を発表すると「社会主義者だ」という抗議の声もずいぶんあったらしい。しかし、「怒りの葡萄」を鑑賞してトムに同情する観客たちの多くは、アメリカが喧伝する繁栄に資するような行動とは、キリスト教の教えと相容れないものであると薄々感じている。本作はこの”本音”を描いたからこそ金字塔なのだ。

We’ll go on forever, Pa, ‘cause we’re the people.
(私たちは永遠に進むんだよ、お父さん、だって私たちが人民なんだもの)

Ma Joad

映画は後半になるほど原作と少し異なる展開になり、ラストシーンで母親が独白するところはずいぶんと希望に満ちたものとなっている。これは製作を務めた20世紀フォックスの大幹部ダリル・ザナックが”原作は左翼すぎる”という理由で付け加えたものだそうだ。これは当時の世相をよく表しているエピソードである。このように、価値観というものは時代によって変化するものなのだから、現代人は現代の物差しで過去を振り返るべきではない。過去の価値観を”知る”ことが大切なのだ。
ヘンリー・フォンダの代表作であり、アメリカ映画らしい映画だ。

すだちくん



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