🧠 あらすじと概要:
映画あらすじと記事要約
映画あらすじ
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ショータイム(2022年)
- カンタル県の経営難にあえぐ酪農農家の物語。彼らは立て直しを図るため、納屋をヴォードヴィルに改築しハートフルなコメディを繰り広げる。電気もない古い納屋で、スターを招聘する余裕はないが、村人たちが力を合わせて困難を乗り越えようとする姿が描かれている。結末にはダリダの「マンデー・チューズデー」が流れ、みんなで踊るというハッピーエンドが待っている。
- メグレと若い女の死(2022年)
- パトリス・ルコントが監督したこの作品は、メグレシリーズの一作品で、シリアスな雰囲気が漂う。上流階級の欺瞞と地方出身の若い女性の苦悩を描き出す。厳しい現実を受け入れ、自分の生きる意味を見出す過程がテーマとなっている。
記事の要約
この記事では、アマゾンプライムで観られる2本のフランス映画「ショータイム」と「メグレと若い女の死」について感想を述べています。「ショータイム」は、農家の人々が絆を深めて困難に立ち向かう様を描いたハートフルコメディで、ユーモアながらも深いメッセージが込められています。作者はこの作品のリメイクを日本で見たいと願っています。一方「メグレと若い女の死」は、厳しい現実の中で生きる意味を追い求める若い女性の物語で、思索を促す深いテーマが印象に残るとしています。どちらの映画も感情に響く要素を持ち、特に観るべきとされています。
「ショータイム」(2022年)。
カンタル県の経営難の酪農農家が、立て直しをはかり、納屋をヴォードヴィルに改築する、ハッピーエンドのハートフルコメディー。最後にダリダの「マンデー・チューズデー」がかかって、みんなで踊ってメデタシメデタシの、フランスのテレビ局TF1がさも好きそうな、よくある話。しかし笑えれば、それでよいではないか。疲れて笑えない日々が続くときだから。。。
できれば、退屈な空の旅を強いられるエールフランスの機内で観たかった。
さてこの農家。金銭的余裕があるわけでもなく、スターを招聘することもできない。納屋なので電気もない。音響効果を計算して作られたわけでもない。でもなんとかする、そんな話。監督によると、実話からインスピレーションを与えられたとか。たしかに世界中どこでも農家は厳しい。頑固な老害は「困ったちゃん」だし。女の子は寄り付かないし。でも、みんなで力を合わせて、なんとかするのだ。ムラの人間関係は絆であると同時にしがらみだ。
そこでなんとかできなきゃ、農家にとって教養とは文化とは何なんだ。
是非、日本でもリメイク版を作ってほしい。日本の若手芸人さんたちなら、うまくできるのではなかろうか。コメ農家、農協、卸売業者、農水省、新自由主義者などを軽くおちょくりながらも、誰も悪者にしないコメディーを作ってやってほしい。
みなさんも、プロデューサーになったつもりで、主役は是非バナナマンさんに!とか、ヴォードヴィルで自分なら森昌子さんが演じる仲間由紀恵のモノマネを観たい!とか、勝手に想像して観ると、二倍楽しめます。
それにしても惜しむらくは、邦題がダサい。インパクトに欠ける。原題Les Folies Fermièresから素直に、「ある農家の錯乱」で、まったくかまわないだろう。
「ある」を挿入すれば、「あらゆる」のではないことくらい、いくら一般大衆だってわかるだろうから、農村からクレームも、ここ来まい(注:古古古米とかけたシャレです)。
フレンチノワールが好きなあなたに
「メグレと若い女の死」(2022年)。
パトリス・ルコント監督がユーモアを封印。シリアスにメグレの世界を描いてみせた。これは雰囲気を楽しむ映画。この殺風景。この湿った冷たさ。この憂鬱。そしてそれらを倍加させる上流階級の欺瞞と、地方出身貧困女子の愚昧。
やりきれない寂しさ。
たしかに、若い女性にとって、地方の文化水準の低さがつらいことは、よくわかる。しかし厳しいことを言うようだが、逃げて都会に来ても、何も解決はしない。むしろたった一度の人生だもの。自分の義務(ミッション)を果たすことに全力を尽くすべきではないか。少なくとも20歳までに、自分は世界のために何を為す人間なのかをつかんでおくべきだ。学校教師らは、社会の先輩たちは、その手助けを若い連中のためにすべきなのだ。その義務(ミッション)は決して楽しいことであってはならない。
でもそれを必死にやりとげたとき、自分の生きてきた意味もそれなりにつかめるのではなかろうか。
べつにマゾヒストになれと言いたいわけではない。ただシーシュポスを思い出せと言いたいのだ。
シーシュポスのように生きられたのなら、少なくとも自分は社会にとって有害な人間ではなかったと、死ぬときに思えるのではなかろうか。
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