🧠 あらすじと概要:
あらすじ
『もののけ姫』は、自然と人間の共存をテーマにした物語で、主人公アシタカは呪いを受けた腕の傷を癒やすため、旅に出ます。彼は森の神々や人間たちと出会い、彼らの間にある対立を目の当たりにします。物語は、神々と人間社会の関係、自然への敬意と破壊の選択を描きながら進行します。
記事の要約
この記事では、『もののけ姫』を宮崎駿の創世記として解釈し、アシタカとサンを聖書のアダムとエバに例えています。物語が描くのは、日本人が如何に神との関係を失ったのか、そしてそれが生命の象徴であるシシガミの首を切ることで生じたと論じています。アシタカの手のアザは、罪が消えずに残ることを象徴しており、最終的に「生き続けなければならない」というメッセージを含んでいます。日本の社会が直面した様々な問題ともリンクし、深い意義を持つ作品であることが示されています。
実はもののけ姫は日本人がどのようにして神が見えなくなってしまったのか?を描いた作品なのだ。
で、原因が善悪の知識の実を食べたからではなく、生命の木とも言えるシシガミの首を切り落としたからというのが面白い。
一見自然豊かな日本だが、日本にある山々は原生林と呼ばれるものがほとんどなく、全ての森が実は人間の手が加えられているニセ自然という事実から、善悪という自由意志に関係することよりも、いのちに関係する生命の木的なものにスポットを当てたのだろう。
そしてシシガミの首を人間の手で返して滅びを免れるものの、侵した罪の代償として神を見ることができなくなったと解釈できる。
そして、アシタカの手のアザが象徴するように、祟りは消えたけど罪は残ったみたいなラストに見える。
ラストの完全には消えないアシタカのアザ
で、その罪を手の中に握りしめたまま『生きろ!』ということなのでしょう。
そして最後のこだまが象徴するように、見えなくなったけど確かに存在するぞ!という終わりになる。
ちょうどバブル崩壊やら大震災やらオウム事件やらで日本人の精神的支柱がぐらついていた時期に製作され、ジブリ真理教とも呼べそうな作品に仕上がった本作ですが、聖書と神道合わせたお話になってるんだなと気がついて面白いなと思いました。
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