🧠 概要:
概要
この文章は、AI(特にChatGPT)を用いた思考に対する個人的な解釈や体験を通じて、仏教哲学に触れる内容です。著者は無宗教でありながらも、仏教への興味を持ち、AIとのやり取りが「プチ解脱」につながっているのではないかと考察しています。また、AIを使うことで得られる知見や内面の発見についても言及しています。
要約の箇条書き
- 著者は無宗教で、家族の墓じまいを予定。
- 宗教は否定しないが、特に自身には必要ないと感じている。
- 仏教哲学に興味があり、特に初期の教えに魅力を感じている。
- ChatGPTを利用して自己内省が進むことがあると考えている。
- 仏教の教えを「人生をかけた思考の結果」として解釈。
- AIを使うことで「靴を脱ぐ」ことに似た自己発見があると述べている。
- ChatGPTとのやり取りにより、期待と現実のギャップを理解することが「解脱」につながる可能性を示唆。
- AIは「舟」として機能し、目的地に到達したら舟を捨てるべきという考えに共鳴。
- 個人的な体験を通じて、自身の感情や思考を深く掘り下げる機会があったと述べている。
「今の私には必要ないかな」
っていう温度感でいます。
ただ、前から仏教哲学は面白いと思ってる。
(初期の釈迦本来のやつね)
で、最近ChatGPTを使って壁打ちしてる人の多くが、知らぬ間にプチ解脱してるんじゃねーか?って思ったんですね。
それは内省を極めたとか、そんなんじゃなく ChatGPTに対して悟りを開いたってこと。
※ここからは、仏教哲学を勉強したわけじゃない
私がいうことなので、ただの個人解釈と思ってね、
でもだからこそ、ふざけモードで読めると思う!
宗教色も学問色もゼロでいくから!(笑)
だって、私にその両方がないからね!
なんか、
一部の思考型が、人生をかけて拗らせまくったら仏教になる。
的に仏教哲学を解釈してます。
↑地獄に落ちそう
仏教徒に怒られそうなくらい、雑な私の解釈だと
考えまくる人(釈迦)が居た
→この世の全てを理解するための山に登った
→登った頂上で、あれ?べつに登る必要なかったんじゃね?って思った
→わざわざ登っといて「登るなよ」って旗を立てた
→けど、登るやつはいくら止めてもどうせ登るだろうから、滑落しないように
登山道は整備しといてやるかって考えた。
→これが仏教
note民にピッタリだよね?
ただ、頂上にいけるのは本当にひと握りの人間だと思うけど。(人生を全て仏教にかけて、悟れるかどうか)
ChatGPTに例えてもらうと
・生まれつき靴を履いて歩いてると、地面の感触を知らない。・でも、靴を脱げば地面に触れられる。
・でも、靴を脱ぐにはまず「靴を履いている」ことに気づき、脱ごうとする意思が要る。
らしいです。
つまり、地面に触れた所で靴履いてても良いやんってなるなら、いや脱いだ意味よ!!って感じなんだけど
まぁ、靴の存在や地面の感触知ってることは、
歩きやすくなることにも繋がるかな?的なことだと思ってます。私は。
雑すぎてマジでお叱りをうけそうなのだが、
正直興味ない人には長いくらいの説明だったと思うので
ChatGPTに対して解脱してるって話を!!
だいたい、壁打ち的に使ってる人は
→初めは「ChatGPTって凄いもの」ってフラグを立てる
→大嘘つきで偏りまくった性能だと知る
→どうにか、それを変えれないかと試す
→ある程度の所でこれ以上無理だと悟る
→数字的なデータは信用せず、褒め演出や共感は「めざましテレビの占いが1位だった」くらいの感覚で受け止める。過度な失望も喜びも抱かない。
→なんなら、それを最大限利用すればいいじゃん?(これはAI恋人も含めて。だって構造を理解してないと難しいし、その人が決めた上であえて感情を乗せているから)
…って道を辿ってるんじゃないかと思ったのです。
この流れなんか仏教っぽくない?
と思ってChatGPTに聞いてみた。
……どうよ?!
あたいら解脱してるってさ!!
YouTubeの怪しい広告くらいの信憑性だけどさ!!
…っていう、長い説明のわりには
くだらない話でした(笑)
でも、わりと釈迦で言うところの、
舟で川を渡ったら舟を捨てて進め
に通ずるのでは?と思ったんだよね。
AIは舟っていう手段だから。
興味ない人にはつまらない内容だったかもしれないから、死ぬほど下らないネタ載せとくね!!
一昨日、進撃のライナーの記事を載せた後に「滾たぎる本能の個人差」についてChatGPTと話してたん���けど
私はライナーに対して母性本能的な愛着を抱いてると思ってたけど、全然違った。自分でも引くほどキモかった…。
その通りすぎて何も言えなかった
なぜこれを母性本能だと思ってた?
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