かつては「イケてる白人のための服」として、セクシーで排他的なイメージ(広告宣伝から店舗スタッフ採用まで多様性を排除していた)を誇ったAbercrombie & Fitch(アバクロ)。だがその時代錯誤なブランディングはSNS時代に通用せず、一時はブランド崩壊寸前に。しかし、2015年以降アバクロは驚異的なV字回復を果たします。単なるロゴ刷新やセール強化ではありません。ブランド哲学の再定義から、SNS戦略、店舗体験、社会貢献まで、あらゆるチャネルで「顧客との信頼関係」を再構築したのです。
「排他の美学」とアバクロの盛衰
Netflixが2022年4月に配信したドキュメンタリー『ホワイト・ホット:アバクロンビー&フィッチの盛衰』は、ファッションブランド「アバクロ」の栄光と没落を描いた衝撃作です。筆者自身も2009年、東京・銀座6丁目に登場した旗艦店をテレビのニュースで見て、「これは自分が行く店ではない」と直感しました。入り口には上半身裸の外国人男性モデルが立ち、店内にはクラブさながらの爆音BGMと香水の香りが漂っていました。そこには、強烈な“選民意識”が感じられました。
この作品が描くのは、まさにその「選民的ブランディング」によってもたらされた成功と、その後の失墜の過程です。アバクロは長年にわたり、ターゲットではない層を意図的に排除することで、「排他的なエリートブランド」としての地位を確立してきました。その中心にいたのが、当時のCEOであるマイク・ジェフリーズ氏です。作品では、彼の経営思想には排他主義的な価値観と、彼自身の性的指向が深く関係していたと指摘されています。
なお、ジェフリーズ氏はこのドキュメンタリーへの協力を拒否しており、監督の考察の一部は推測の域を出ていません。ただし、当時のブランドを支えていたスタッフやモデルたちの証言からは、アバクロ内部で何が起きていたのか、その実態が鮮明に浮かび上がってきます。
エリート主義とセクシャル・ブランド戦略の構築
ジェフリーズ氏は、100年以上の歴史をもつ老舗紳士服ブランド「アバクロンビー&フィッチ」を買収し、「上流階級 × セックス × 排他性」を融合させた新しいブランド像を打ち出しました。価格帯は若者向けに抑えつつ、店構えや接客、広告では徹底的に“選ばれし者”を演出しました。ラルフローレンの名門感とカルバン・クラインの性的イメージをミックスさせたそのスタイルは、「アバクロを着れば自分も特別になれる」という幻想を若者に与えたのです。
ショッピングモールに構えた店舗には、大音量の音楽が響き渡り、白人モデルが踊るように接客し、裸の男性ポスターとムスクの香りが空間を満たしていました。こうした非日常的な演出は、若者の自尊心を刺激し、アバクロの売上は急上昇しました。1996年には、ニューヨーク証券取引所への上場も果たし、ブランド神話は頂点を迎えました。
社会の価値観変化と急転直下の転落
しかし、こうした栄光の時代は長くは続きませんでした。2000年代後半からインターネットとSNSが広く普及し、企業に対する倫理的な視線が厳しさを増すなか、アバクロの排他的なブランド戦略は次第に批判の対象となっていきました。
たとえば、
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ロゴTシャツに見られた人種差別的なデザイン
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店舗スタッフ採用時の容姿や人種による選別
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広告撮影を手掛けていた写真家ブルース・ウェーバー氏に対するセクハラ疑惑
などが相次いで告発され、ブランドイメージは一気に失墜しました。
1990年代には「アバクロを着る=イケている」という図式が成立していましたが、2002年には映画『スパイダーマン』で“嫌な奴”として描かれるキャラクターが全身アバクロを着て登場するなど、世間の認識は180度変わっていきました。
ブランド戦略:包摂性を土台に据えた再定義
かつてのアバクロは、CEO自ら「太った人は着ないでほしい」と発言するなど、排他性をマーケティングの軸にしていました。2015年以降、この価値観を真逆に転換します。
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ブランドミッションを「すべての人が自分らしくあるためのサポート」と定義
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DE&I(多様性・公平性・包摂性)を経営中核に据えた社内カルチャー変革
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採用方針、広告審査基準、社内研修すべてを刷新
▶ 実践ポイント:
「誰のために存在するブランドか?」を問い直し、社外発信と社内文化を一致させる。
クリエイティブ:リアルで共感される表現へ
再生戦略の鍵は、広告ビジュアルの大転換でした。
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あらゆる人種・体型・年齢のモデルを起用(例:車椅子モデルや肌疾患を持つモデル)
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撮影はレタッチなしの“ノーフィルター”原則
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モデルの背景を語るストーリー型動画(60秒)も展開
▶ 実践ポイント:
「美しさ」ではなく「人間らしさ」を伝える構成が共感を生む。
SNS戦略:UGCとマイクロインフルエンサーによる“共創型”
Z世代との距離を縮めたのがSNSでの信頼構築です。
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TikTokでは“朝の支度ルーティン”に自社服が登場する自然な投稿を展開
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Instagramでは「#AbercrombieStyle」キャンペーンでUGCを促進
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フォロワー1万~10万規模のマイクロインフルエンサーと定常的に契約
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ソーシャルリスニングを活用して炎上予防や改善提案に即対応
▶ 実践ポイント:
売るより「一緒に語る」関係性構築が肝。
EC・アプリ戦略:モバイルファーストで“迷わせない”
オンライン販売は機能性×共感の両輪設計。
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アプリ内で「身長170cmでこのサイズ」「似た体型の人のレビュー」機能を実装
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リマインド通知や限定割引でカート放棄を防止
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購入後は「コーデ写真を投稿しよう」とSNS導線付きのメール配信
▶ 実践ポイント:
サイズやフィット感の不安をなくし、購入後の“語り”までを設計。
5|店舗体験:売場から“ブランド体感空間”へ
物理店舗は、もはや売場ではなく体験の場です。
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薄暗く香水まみれだった店内を、明るくナチュラルな雰囲気に刷新
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スタッフは“店頭モデル”ではなく“ブランドアンバサダー”として接客訓練
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フィッティングルームには「あなたが映えるライティング」と音楽演出
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フォトブース、SNS連携パネルなど“映える”導線も設計
▶ 実践ポイント:
「顧客が語りたくなる瞬間」をデザインに織り込む。
広告とプロモーション:体験価値と文化文脈をセットで発信
ただのセール告知ではZ世代に刺さらない。意味ある体験と共に届ける戦略へ。
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YouTubeショートやSpotify広告で「共感できる日常シーン」に寄せたストーリー展開
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プライド月間には特別な製品+寄付付きキャンペーンを実施
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イベント参加型キャンペーンや、参加者のストーリー紹介で共感を醸成
▶ 実践ポイント:
広告は「押しつけ」ではなく「共に意味を育てる場」。
データ活用とKPI管理:全チャネルを定量的にモニタリング
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SNSでは投稿保存数・UGC生成数・コメント感情などを週次で集計
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ECではA/Bテストで購入率向上を繰り返し実施
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インフルエンサー単位でROIを算出し、無駄な起用を抑制
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店舗ではレシートのQRアンケートでNPSを回収
▶ 実践ポイント:
感覚でなくデータで「共感の手応え」を計測する。
社会貢献とストーリーテリング:CSRで終わらない“企業の人格化”
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LGBTQ+支援団体とパートナーシップ契約を締結
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環境配慮素材の使用状況を年次で報告
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社員が登場するストーリー動画で「企業の顔」を見せる
▶ 実践ポイント:
「私たちの買い物が、社会を良くする」という共感接点を提示。
おわりに|アバクロが教えてくれたこと
かつて「自分たちがかっこいいと思う世界だけを売る」ことに固執し、ブランド崩壊を招いたアバクロ。そのアバクロが、自分たちの価値観をゼロから見直し、顧客の声と向き合い、再びZ世代に愛されるブランドに返り咲いた姿は、「マーケティングとは誰のためにあるのか?」という問いに強烈な答えを示しています。アバクロはもはや「服を売るブランド」ではありません。“共感”という感情を設計し、顧客と一緒に生きるブランドへと進化したのです。
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