🧠 あらすじと概要:
あらすじ
『サブスタンス』は、身体に関する過酷な描写を持つホラー映画で、視覚的なグロテスクさと共に、音響的な不快感が際立つ作品です。物語は、身体の変容や痛みをテーマにし、特に注射のシーンや人間の身体そのものに焦点を当てています。観客は、登場人物のエロティックな側面と、同時にグロテスクな側面に引き込まれ、さまざまな感情が刺激される体験をします。
記事の要約
この記事では、『サブスタンス』を観た感想が語られています。映画の視覚的・音響的な不快さが強調され、特に注射シーンが苦痛を伴うものであったことが述べられています。著者は、この映画が単にグロテスクな描写を提供するだけでなく、観客の「見る」行為自体を問い直すことを意図していると考えています。また、本作は「ボディジャンル」に分類されるとし、エロティックな要素とグロテスクな要素が観客の身体に直接的に影響を与え、非対称な視線の関係を批判する作品であると論じています。
これが『サブスタンス』を見た感想だ。
グロテスクな描写のオンパレード。
それはまさに”阿鼻叫喚”と言うにふさわしいものだった。
視覚的な不快さだけではない。音もまた不快だった。
人の咀嚼音を誇張したサウンド・ミキシングは、最近耳にした音の中で、ダントツで不快だった。
そして個人的にキツかったのは、注射の場面だ。作品前半では、5分に1回は注射をしていた気がする。ただでさえ私は注射が苦手なのに、スクリーンにデカデカと注射針が映し出されたら、たまったもんじゃない。
ちなみに、本作は人の身体を多く描くため、”ボディーホラー”と称されている。しかし本作は、”ボディジャンル”にも当てはまると考えられる。映画研究者の佐々木友輔は、ボディジャンルを以下のように説明している。
映画研究者のリンダ・ウィリアムズは、物語よりも身体表象の過剰なスペクタクル性を打ち出し、とりわけ抑えられない感情や叫びといった恍惚(エクスタシー)的な表現を特徴とする映画ジャンルとして、①ホラー、②ポルノグラフィ、③メロドラマを挙げ、これらを「ボディジャンル Body Genre」と総称した。またこれらのジャンルは、スクリーン上に過剰な身体が映し出されるだけでなく、視聴者の身体(情動)に直接的に働きかけてくる点も重要である。ホラーであれば、その恐怖描写に人びとはぞっとしたり、身を強ばらせて、冷や汗をかいたりする。ポルノグラフィであれば、性的な興奮を覚え、快楽・快感を味わう。メロドラマであれば、悲劇的な物語に感動し、涙を流すというように。
ミュージックビデオの身体論⑩ボディジャンルとしてのミュージックビデオ
本作の”エロティック”な場面は、観客の”身体”に影響を与えるだろうし、”グロテスク”な場面には吐き気すら覚えるかもしれない。つまり本作は、登場人物の身体をエロティックかつグロテスクに描くことで、観客の下半身を熱くさせると同時に、観客の顔を引きつらせるような、ボディジャンルに属する作品と言えるだろう。
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とはいえ、そもそもなぜ本作は、ここまで”気持ち悪い”場面が多いのだろうか?
監督の趣味だから、とも考えられる。あるいは、監督が影響を受けたと公言する、デヴィッド・クローネンバーグへのオマージュとも考えられる。
しかし私は、この映画が過剰なまでに”気持ち悪い”場面を描く理由は、観客から安易に”見られる”ということを拒絶し、外見至上主義という狭義の意味だけではなく、”見られる”という広義の意味でのルッキズムを批判しているからではないかと考える。
そもそも、「見る」と「見られる」には非対称な権力関係が存在する。なぜなら、「見る」側は「見られる」側を一方的にまなざしているからだ。たとえば、かつて身体に障害にある人を見世物として消費する「見世物小屋」があったが、これはまさに「見る」側と「見られる」側との非対称な関係を示す典型的な例だろう。
なお、こうした見世物小屋の文化を描いた作品としては、『エレファント・マン』が挙げられる(『サブスタンス』にも影響を与えたという)。
それに、ルッキズム(lookism)という言葉は、”look”から派生したものだ。
とすると本作は、過剰なまでに”気持ち悪い”場面を映し出すことで、観客からの視線(look)に対してさえ冷や水を浴びせているのかもしれない。それを示すかのように、本作の終盤では、「観客」たちに”真っ赤な冷や水”が浴びせられている。つまり本作は、過剰なまでに”気持ち悪い”場面を映し出すことで、観客が映画を「見る」という根源的な行為自体を問いに付すような画期的な作品だと言えるだろう。
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