🧠 あらすじと概要:
あらすじ
『夜の流れ』は、1960年の日本映画で、料亭女将・藤村綾(山田五十鈴)とその娘・美也子(司葉子)の複雑な感情を中心に展開する物語です。二人は同じ男性、板前の五十嵐(三橋達也)を愛し、関係が発展する中で綾は職を失ってしまい、娘の芸妓修業に頼ろうとしますが、やがて綾は五十嵐を追い神戸への旅を決意します。一方、置屋「七福」の芸妓たちも、それぞれに厳しい現実を抱え、奔放でありながらも内面に葛藤を抱いています。
記事の要約
本記事では、映画『夜の流れ』の主演キャラクターやテーマについて詳しく分析されています。特に旧世代と新世代の対比が際立ち、山田五十鈴が演じる情熱的な母と、司葉子が演じる冷静な娘の対立が重要な軸となっています。また、芸妓たちの悲喜劇を通じて、1960年の女性像が豊かに描かれ、多様なキャラクターがそれぞれ異なる生き様を見せます。
記事の最後では、成瀬巳喜男と川島雄三の共同監督による作品としてのバックグラウンドが触れられ、どのシーンがどちらの監督によるものかという好奇心を誘う内容となっています。全体として、映画が描く人間ドラマと時代背景が巧妙に交差する様子が強調されています。
花柳とは「花街柳巷 (りゅうこう) 」の略》芸者や遊女。また、遊里・遊郭を意味する言葉。「芝居と音曲 と花柳界とは江戸芸術の生命である。」と語ったのは永井荷風だったが、しかし戦後、児童福祉法の影響で子ども時代からの修業が難しくなり、さらに昭和40年代の娯楽・接客業の多様化により花柳界は衰退。芸妓の数は減少し、1960年にはすでに落日を迎えつつあった。
そんな1960年当時の花柳界を舞台に、東宝の巨匠:成瀬巳喜男と、東宝の売れっ子監督:川島雄三が、松山善三のオリジナル脚本で共同監督を務めた「夜の流れ」は、華やかそうに見えて世知辛い花柳界をジメジメかつカラッと描いた、不思議な味わいの映画だ。世代は違えど松竹出身の映画監督三名が頭首そろえているのも不思議な感じだ。
あらすじは以下の通り。
料亭の雇われ女将・綾(山田五十鈴)と娘・美也子(司葉子)は、同じ板前・五十嵐(三橋達也)に想いを寄せていたが、綾と五十嵐の関係が発覚し、綾は職を失う。二人は美也子の芸妓修業で生計を立てようとするが、最終的に綾は五十嵐を追って神戸へ向かう決意をする。
一方、置屋「七福」の芸妓たち(水谷良重、横山道代、星由里子、北川町子、草笛光子)は奔放に見えても、それぞれに厳しい現実を抱えていた。
山田五十鈴周辺の旧世代のパートと、草笛光子周辺の「七福」の若い芸妓たちによる群像劇の(あえて言うなら)新世代のパートとが、つながっているようで、つながっていない不思議な映画。あらすじを追いかけるとうまく整理できないので、手元のメモを参照に、それぞれのキャラクターをChatGptに整理してもらった。合点がいった。
まずは旧世代のパートから。
◆ 山田五十鈴 ― 女将「藤村綾(あや)」
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性格・立場:情念の女。男への執着が凄まじい中年女性。
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キャラクターの軸:一人の男をめぐって娘と激しく対立する。冷静なようでいて、突如激情に駆られる「火山型ヒロイン」。
三橋達也演じる「力」から別れを切り出されて逆上し、包丁を持ち出す――その怒りと絶望の表情は、鬼気迫る狂気そのもの。
演技表現:能面のような怒り、黒澤映画的なド迫力の絶叫。
例:「分かれるくらいなら、一緒に死んで」
転落と再起:噂が広まり、店を追われ、村上弥生(演:越路吹雪)にポストを奪われる。だが男への想いは断ち切れず、神戸へと彼を追うように旅立ち、画面の奥へと消える。
象徴性:滅びの美学。激情型旧世代女性の終焉。
◆ 司葉子 ― 女将の娘「藤村美也子(みやこ)」
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性格・立場:冷静・気品・自己犠牲の娘。
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キャラクターの軸:
外見的には「美人アンドロイド」。感情の振れ幅が見えにくいが、静かな覚悟と気高さを持つ。
母と男をめぐる三角関係の中で、心の中に秘めた葛藤が次第に表出。 -
感情の爆発:別れの日、五十嵐に対して、「戦争の影をずっと引きずって、他人の同情を誘って女を不幸にして、それでいて自分は綺麗でいようとする、あなたは卑怯だ!」と冷静にして痛烈な批判を浴びせる。
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結末:母を支えるために芸妓となることを選ぶ。
最後は静かに、しかし誇り高く歩む彼女の姿が画面の手前に向かってくることで物語が終わる。 -
象徴性:戦後日本女性の新たな自己決定と独立心。滅びゆく母とは対照的に、前へ進む美の象徴。
◆ 三橋達也 ― 板前「五十嵐力」
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性格・立場:陰気で触れられることを忌避する男。
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キャラクターの軸:シベリア抑留による精神的・身体的傷を抱えた男。片足が不自由。
その影響で、他者との関係に極端な嫌悪を抱く。女の情念から逃げ、自由でいたがる。
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対女性関係:綾の愛情に押し潰されそうになり、別れを告げるも包丁沙汰に。美也子にも深くは関われず。
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象徴性:戦後の傷を引きずる男性性の陰影。自己愛と無責任の塊。逃げるだけの存在。
◆ 志村喬 ― パトロン(綾の後援者)「園田浩一郎」
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性格・立場:老獪で冷酷な資本家。
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キャラクターの軸:
綾の生活を支える「金の出し手」だが、支配・コントロールすることでしか人を愛せない男。娘・忍に対しても距離がある。 -
象徴的台詞:「戦争と平和、どっちとしても儲かる、それが資本家、それが悪人。」
→ 資本の冷酷な論理を体現する人物。
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象徴性:戦争責任から逃れた戦後資本家の典型。情も道義もなく、金だけが真実。
◆ 中丸忠雄 ― 園田の秘書「高見沢」
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性格・立場:体制順応の官僚タイプ。
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キャラクターの軸:
常に志村のそばに仕え、空気を読み、波風を立てずに立ち回る小物。 -
象徴性:無責任体制の潤滑油的存在。個を持たず、制度の一部として存在。
◆ 白川由美 ― 園田の娘にして美也子の親友「園田忍」
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性格・立場:美しく静かなオブザーバー。
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キャラクターの軸:
司葉子と並び立つと「美人アンドロイド」感が強く、生身の情動とはやや無縁な印象。
周囲の葛藤を横目に、冷静に事態を観察。 -
象徴性:美しさと無表情の皮肉。傍観者の冷淡さ。
続いて、新世代のパートを。
■一花(草笛光子)
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役割:群像劇の中で最も情感を帯びた主役格。芸妓たちの憧れの存在。
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キャラクター:気品と美貌を備えた大人の女。静かな情熱と哀愁を内に秘めている。
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エピソード:
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呉服屋の若手イケメン店員滝口速太(宝田明)と密かな恋仲。
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夫(北村和夫)とは別れたつもりだが、籍は抜けておらず、執拗に付きまとわれる。
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宝田の支援で離婚届を提出し、未来へ進もうとした矢先、元夫により駅で無理心中に巻き込まれて死亡。
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印象:「悲劇を纏った喜劇的キャラ」。結末において最も衝撃を与える存在。
■ 紅子(市原悦子)
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役割:自殺未遂を繰り返す「死にたがり」キャラ。
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キャラクター:極端な自己破壊衝動を持ちながらも、どこか憎めない奇矯な存在。
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エピソード:
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睡眠薬やガスによる自殺未遂を重ねるが、どれも未遂に終わる。
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大型犬を溺愛し、同じ皿で蕎麦を食べるほどの愛犬家。
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印象:極端な行動が逆に笑いを誘うブラックユーモアの担い手。
■ 金太郎(水谷良重)
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役割:芸妓仲間の中での「良心」的ポジション。
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キャラクター:奔放でお酒好き、だが義理堅く情にも厚い。
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エピソード:
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飲み過ぎて客を無視するなど、プロ意識に欠ける場面も。
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不良学生に辱められた過去を持つが、彼らに対し痛快にビールをぶっかけ、「バカヤロウ!」と一喝。
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山田五十鈴の退去後の面倒を見たり、司葉子に芸妓としての支度をさせたりと、実質的に“場”を支える人物。
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印象:最もバランスの取れた芸妓像。人間味があり、観客の共感を呼ぶ。
■ 小町(北川町子)
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役割:草笛光子と同様、過去の男に悩まされる芸妓。
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キャラクター:クールで現実的なタイプ。終始達観している。
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エピソード:
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呉服屋の主人と新たな関係を築くが、過去の夫がしつこくつきまとう。
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夫に「あなたはいらない」と明言、離婚届提出を冷静に処理。
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最後は駅で待ち合わせるが、草笛同様、無理心中未遂の対象となる。
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印象:草笛とは対照的に、感情を抑えて現実的に振る舞うが、最終的には運命の波に巻き込まれる。
■ 万里(横山道代)・あけみ(星由里子)
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役割:若手芸妓の一群としての存在。草笛・水谷・市原との対比役。
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キャラクター:
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万里は軽妙なキャラ。草笛たちとのグループで、夜の街をハシゴする場面では陽気な女子会の担い手。
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あけみは無邪気だが、学生たちにいたずらされるなど被害者的立場。
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印象:浮かれた芸者たちの中で「世代交代」や「時代の価値観のズレ」を象徴。
■ 脇役たち
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宝田明演じるは草笛の恋人。頼りがいのある優男。離婚の手続きを支援するが、最後は失意に沈む。
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北村和夫演じるは草笛の元夫。ストーカー的に執着し、結局無理心中に及ぶ。最も“陰惨な”存在。
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学生たちは水谷良重を侮辱・搾取しつつ、平然とエリート就職を自慢する恥知らずな若者像。就職先の並び(住友物産、三菱商事、国際銀行、IBM)は高度経済成長の幕開けを象徴。
総括:
旧世代のパートは、「情念」と「冷徹」、「過去」と「未来」、「母と娘」を二項対立で見せつける構造になっており、特に山田五十鈴と司葉子の対比において、演技と存在感の「質の差」が如実に表れる。
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山田五十鈴=旧世代の情念、暴発するエモーション
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司葉子=新世代の自己犠牲、静かな決断
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三橋達也=逃げる男たちの象徴
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志村喬=戦争と資本主義の冷血な申し子
情念の継承と断絶を描いた心理劇として非常に濃厚なパートだ。
他方で新世代のパートは、芸妓たちの明暗が交錯する群像悲喜劇であり、男に依存せずに自立を目指す者、過去に縛られる者、呑気に騒ぐ者など、多様な女の生が鮮烈に描かれている。
草笛光子と北村和夫の壮絶な結末が、作品全体のコントラストと重層性を決定づけており、水谷良重の痛快な怒り、市原悦子の奇態、小町の冷静さなど、すべてが「1960年の女性像」を濃密に浮かび上がらせている。
もちろん、脚本の完成度もあるだろうが、ここまで人間というものを腑分けできているのは、ひとえに、2人の監督の力が大きいだろう。共同監督だからなしえた完成度の高い、これぞ、ザ・文芸映画というべきスケールの作品だ。
…それはそれとして「どこのパートをどちらの監督が撮ったのか」を知りたくなるのが人情である。
男どもが総じて情けないのは成瀬巳喜男的だし、芸子たちがやたらエネルギッシュなのは川島雄三的。旧世代を描くのは成瀬巳喜男が順当で、新世代を描くのは川島雄三だろう。いや、熱心なファンはその逆だと言っている。あるいは「セットでの撮影は成瀬、ロケでの撮影は川島と分担した」というプロデューサーのインタビューもあるぞ。
謎が謎を呼ぶ奇妙な作品。はたして真実はいつもひとつなのか。ここは川島雄三本人の言葉を借りて本記事を締めよう。
「夜の流れ」
成瀬さんが藤本真澄なんかと共同プロデュースしている、成瀬さんと僕との共同監督作品です。最初のプールの場面が川島で、チンドン屋の出てくるところが成瀬、などと文春だったかの映画欄にありましたが、そのチンドン屋のところが僕の演出だったり、なんてところのある写真です。僕は成瀬さんみたいな撮り方じゃありませんが、いっしょにやっていて勉強になりました。撮影部分の割ふりをやったら、芝居として面白くないところばかりきたので、酒を飲んで成瀬さんにおこったことがありました。
「サヨナラだけが人生だ 映画監督川島雄三の生涯」今村昌平・編
白井佳夫インタビュー「川島雄三 自作を語る」より引用
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