🧠 あらすじと概要:
映画「どうすればよかったか?」は、監督の藤野知明氏が自身の姉に関する物語を描いたドキュメンタリーです。物語は、優秀だった姉が20代で統合失調症を発症し、家族がその病気を受け入れられない様子から始まります。藤野氏は、姉の病気が治療を必要とするも、親の反対に遭い、サポートを受けられない状況や、自身が映像の道を志すきっかけとなる過程を追います。映画は、映像記録を通じて、家族の愛情とその複雑さ、社会のメンタルヘルスに対する理解の変化を描写し、観客に深い感銘を与えます。
### 記事の要約
映画「どうすればよかったか?」を観た著者は、身近な体験から映画に興味を持つ。しかし、重いテーマに対し躊躇したものの、映画館は多くの観客で賑わっていた。物語は、優秀な姉の統合失調症の発症と、それを受け入れられない家族との葛藤を描いている。特に、弟の藤野氏が映像を通じて姉への愛情を表現し続ける姿は、家族の絆や痛みを劇的に映し出す。彼と姉の関係は、運命的なものを感じさせる。映画は、メンタルヘルスや家族の愛の重要性を訴える作品となっている。
映画「どうすればよかったか?」を見てきた。ポレポレ東中野という、単館ロードショーを扱う映画館で上映されていた。以前はよく単館系の映画を見ていたので、映画館に行っただけでわくわくした。スマートフォンが書店を潰したと言われる。しかしAmazonプライムは、ネットフリックスは、映画館を潰したのだろうか。それについてはよくわからない。私はアマプラで映画を見ることが多くはないからだ。映画を見るとなると2時間程度はかかるので、覚悟がいる。途中でやめることはできるが、映画を見るからには一気に見たい。そうすると画面が小さく、途中で中断する誘惑の多い自宅視聴は、私に言わせると映画鑑賞にはあまり向いていないのだ。それはともかく、映画館はお客さんでいっぱいだった。
ちょっと個人的ににやっている活動の関係で、私はこの映画に興味を持った。とはいえ重そうな内容なので、行こうと決めてからも、実際に見に行くのを躊躇したくらいだ。それなのにいったいどこのどんな人たちが、この映画に関心を持ったのだろうかと不思議だった。しかしあとで知ったが、結構ヒットしている作品であるようだ。
冒頭、撮影者の姉の叫び声から始まる。撮影者でありこの映画の監督である弟の藤野知明氏が、たまらずウォークマンで録音した音源であるらしい。姉が若い頃の映像はないので、始めの部分は写真と藤野氏のナレーションで展開していく。おいおい、この映画はずっとこの調子が続くのか? と若干不安になる。それまで優秀だった姉が、二十代で統合失調症を発症し、いったんは医者にかかるのだが、すぐになんの問題もない、とされて退院する。
しかし弟はそのことに疑問を持ち続ける。その結果、自分が参ってしまう。大学生のとき、カウンセラーに相談し、姉も診てもらう手筈をつけるところまでいくが、両親の反対に遭い、結局断念せざるを得なかった。
この両親というのが、二人とも医師だ。そのことは事前に知っていたので、私はエリート意識バリバリの、嫌な人種を想像していた。しかし映像で見る限り、そんな感じの人たちには見えないし、特にお父さんなんかはよさそうな人にも見える。しかし、昔はメンタル疾患は、今では想像もできないほど差別的な扱いだったし、そもそも統合失調症は割と最近まで、精神分裂病という差別的に呼称だったのだ。たとえエリートでなくとも、優秀だった娘がそんな病になることは受け入れがたいだろうし、エリートなら何をか言わんや、だ。しかしちょっと不思議だったのは、両親が、いつまで経っても娘の病気を受け入れられないことだった。時代だろうか。姉を助け出すことはひとまず諦め、まずは自分自身を救うべく家を出るため、大学卒業後、弟はいったん就職する。しかし彼は31歳の時に、映像の専門学校に通い始める。それからはビデオカメラを使って、家族を撮影し始めた。そこからは実際の映像で、映画の話も進んでいく。藤野氏が31歳のときに勉強を始めた映像記録は、意外にも、その後何十年にもわたって続けられるのだ。いつまでも両親が病気を受け入れないので、いつまで経っても娘は適切な治療を受けられない。それどころか娘が勝手に家を出て、ニューヨークまで行ってしまったことを契機になのか、両親は娘を自宅に軟禁してしまう。途中で事態が転換するのだが、これ以上書くとネタバレにもほどがあるので、やめておく。この映画を見て思ったことがいくつかある。まずは、家族によって実際に記録された映像の持つ力である。迫力というか、説得力が半端ない。
それから私が思ったのは、弟の姉に向ける視線だ。藤野氏は撮影することを通してしか、自分を保てなかった面があるのではないかと思うが、それでもそもそも基本的に、姉に対する温かな愛情があるのだと思う。それがなければ、いくら映像の勉強をしたからと言って、ここまでの記録はできないのではないか。
この家族が幸福であったのかはわからない。しかし、弟であり監督である藤野氏は、結果的にこの映画を撮影するために、映像の道に進んだのだろうし、やっとの思いで撮影したであろう作品は、確実に観客に届いている。この家族はこの映画のために、このような経過を辿ることになったのではないかとさえ思える。
運命はあるのだ、と思わされた作品。非常に印象的だった。(了)
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