日曜日, 6月 8, 2025
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その商品はどんな豊かな時間を提供しますか? ~商品の価値に気付かされた話~あんアラフォー週末弾丸ひとり旅の人

🧠 概要:

概要

この記事は、著者がBtoC向け商品の販売に関わる中で気付いた、商品の価値とその背景についての考察を述べています。著者は、製品の機能性だけでなく、顧客との心の結びつきや、商品が提供する「豊かな時間」の重要性に気付きます。この体験を通じて、商品のプロモーション方法や価値の見方を大きく転換させたことがまとめられています。

要約の箇条書き

  • 著者はBtoC販売に従事していたが、商品の価値や価格について深く考える日々を過ごした。
  • 扱っていたのは「ちょっと良い日用品」で、無印良品の5~10倍の価格帯の商品。
  • 商品の機能性だけでなく、購入後の体験や心の豊かさが商品価値に影響することに気付いた。
  • 例として、洋服ブラシが「お気に入りの洋服に向き合う時間」を提供することを挙げた。
  • 商品を通じて得られる時間や体験があることで、その商品が価値を持つとの理解を得た。
  • 商品の機能性は重要だが、顧客の感情や思い出に基づく価値提供も重要視されるべき。
  • 販売戦略は、「どんな豊かな時間を提供できるか」に基づくべきであると考え直した。
  • 他社との競争が激化する中、商品の唯一無二の価値はその体験の提供にあると強調した。

この内容は、商品が単なる物体でなく、顧客の生活や心に影響を及ぼすものであることを示す重要な洞察です。

その商品はどんな豊かな時間を提供しますか? ~商品の価値に気付かされた話~あんアラフォー週末弾丸ひとり旅の人

あんアラフォー週末弾丸ひとり旅の人

2025年6月7日 16:51

私は最近までBtoC向けの商品販売に関する業務に携わっていた。
どうしたら商品が売れるのか。日本国内はもちろん、海外にも商品の持つ価値を理解してもらい、適切な価格で売ることができるのか。そうしたことを日々考えていた。

扱っていた商品の多くは「ちょっと良い日用品」
例えばグラスやお皿をはじめとした食器、ブラシ、タオルなど。分かりやすく言うと無印良品に売っているもので、価格は無印良品の5~10倍くらいだとイメージしてもらえれば大体合っていると思う。

逆に言えば、無印良品ではその商品を5分の1から10分の1の価格で買える。
こうした商品をどうすればお客様に買っていただけるのか。どうすればそれだけの価値があるのだと伝わり、価格に納得感が生まれるのか。
この仕事に携わっていた数年間、毎日そんなことばかり考えていた。

この業務を担当する前はセールスもマーケティングもプロモーションもやったことが無かったし、大学は社会学を専攻していたが実学からはかけ離れており「モノを売る」ということには一切興味がなく、経営学には一切触れて来なかった。完全に素人から商売の一端に触れることになったのである。このため、日々の現場で起こること、メーカーさんとのコミュニケーション。本当にありがたいことに、そこから全てを勉強させていただいたと思う。

そうした日々の中で「モノを売るって奥深い!」「価値に価格が付き、それを認めてもらえるって面白い!」と気付きを得たこともたくさんあって。

経営学の本では常識のことかもしれないけれど、せっかくなので現場で得た学びを残しておきたいと思う。

私が当時、最も感銘を受けたことは、「商品」の価値はプロダクトの機能性に限定されないということの気付きだった。

リアルの店舗に買いに出かけた時。目の前には商品=プロダクト=具体的な物体がある。そのモノを使うと生活が便利になるかもしれない。または、みんなが持っているものを得ることができるなど、社会性を得られるのかもしれない。

いずれにせよ、その「商品」を入手することにより、何か具体的に得られる機能、生活が便利になる効果があるからこそ、私はそれに期待をしてお金を払っていた。

明確に意識していたのは、商品における具体的な機能だったと思う。

例えば、洋服ブラシという商品がある。そのブラシ自体の材質がどうなのか。使い勝手はいいのか。ブラシを使うことで、今自分が不便を感じている生活に、どのような利便性をもたらすことができるのか。

主にそうした機能性があって、その機能性により生活が変わるイメージを具体的に持つことができるか、そうした期待値が高ければ高いほど、商品を買いたいと思わされていたし、そこに納得感があれば買っていた。そういう理解である。

しかし、実際に商品を売る方から、モノを売ることを考えつつお客様と接してみると、商品を買うことは必ずしも機能性に限定されないと思った。

私がそれを感じたのは、仕事でとある洋服ブラシと関わっていた時のことだった。洋服ブラシは、ウールやカシミヤ等の洋服に毛玉ができたときに、毛玉を取ったり毛流れを整えることで大事な洋服が長く着られる、あるいは埃やチリを取り除く。そうした機能性を持つ商品である。

だからこそ、そのプロモーションを考える時、それらの機能を最大化しており、使いやすいものなのだとアピールすることが最も効果的な訴求なのではないかと考えていた。

例えば、コンパクトで持ち運びができることや、軽くて手に負担がかからないこと。使いたいと思ったときにいつでも使えるように形や収納性に工夫があること。値段に見合った材質等が使われており、所有に一定程度の納得感があること。そんなところかと思っていた。

前述のとおり「ちょっと良い商品」、無印良品の5~10倍くらいの価格となる商品を売ろうとしていたので、価格に対する納得感を作ることが大事と考えており、値段に見合った素材等が使われている、いかにこだわりを持ってつくられた商品であることを言語化して整理し、アピールしていく必要があると考えていた。

ただ、ある日、とある方とお話していたときに、こんな話を伺った。
洋服ブラシをお買い求めになるのは、お客様がお気に入りの服を買った後なのだと。
洋服ブラシを使うと大事な服が長く大切に着られるという話をすると、お客様は納得して買ってくれるのだという。 それはほんの雑談だったと思う。ただ、その話が私の頭の片隅にずっと引っかかっていた。そしてある日、確かウインドウショッピングをしていた時だった。あっと突然ひらめいた。

洋服ブラシを買いたいというお客様は、洋服ブラシを使って長く着たい、大事にしたいと思う洋服をお持ちである。

お客様は、そのお気に入りの洋服を大切にしたい。大切に扱いたい。
もしかしたら、洋服ブラシを掛けるということは、そのお客様にとっては手間なのではなく、そのお気に入りの洋服に向き合うことのできる、貴重で豊かな時間なのかもしれない。
もっと言えば、お客様はそんな「洋服を大事に使う私」を大切にしたいのではないか。

そう考えると、このブラシが売っているのは、洋服の毛流れを整えるという機能だけではなく、「お客様がブラシを使ってお手入れすることで、『この洋服が好き』『この洋服を着られると幸せ』『だから大事にしてもっと長く着続けたい』という、お気に入りの洋服と向き合うことのできる豊かな時間を売っている」そう捉えることができるのではないか。
ブラシが提供するのは、単なる機能ではなく、お客様が「好きなもの、お客様の思い入れ」を大事にできる、そうした時間や体験なのではないだろうか。

この気付きは、自分の中で商品に対する考え方を大げさではなく180度転換させた。その商品を使う時間で得られる喜びや精神の豊かさまでが価値なのだとしたら、必ずしも機能が高ければ高いほど良いというわけではない。

私が担当していたのが電子機器や電化製品のような生活を便利にする商品ではなく、まさに無印良品に売っているようなライフスタイル商品であることも大きかったと思う。

洋服ブラシから派生して考えると、同じような機能を持つものとして毛玉取りがある。電池式の毛玉取りは100円ショップでも買えるし使い方も簡単だ。何回か掛ければあっという間に毛玉が取れる。ただし、洋服の毛は薄くなるなど、少し傷んでしまうかもしれない。一方で、洋服ブラシは素材が良いものを買えばそれなりの値段になる。毛玉取りのように簡単ではないしコツもいる。しかし、毛玉取りのように服を傷めてしまうことは少ない(と言えるのではないか)。

また、思い入れのある洋服を、お気に入りの洋服ブラシでブラッシングする。自分の好きなものに丁寧に向き合うことができる時間づくり。そこまでを価値として提供できるのは、毛玉取りには難しいのではないか。

大切なものに向き合う時間を大事にしたい。
手間暇をかけられることこそが、「タイパ」「コスパ」と叫ばれる、この忙しい社会において何よりも貴重で豊かなこと。
そう捉え直すと、洋服ブラシの持つ価値や可能性が、一気に広がった気がした。
それまで考えていた「いかにこだわりを持ってつくられた商品であることを言語化して整理し、アピールしていく」ということはは、単に価格の納得感を作るだけではなく、「その商品を使うことで、お客様にいかに豊かな時間を提供できるのか」という観点からも重要なのではないかと考え直した。

この観点から商品を見直していくと、これまでは気が付かなかった価値にも気が付き、ますます面白いと感じるようになった。私はよく海外旅行に行くので、海外での購買行動を思い至ったのだけど、観光地のマーケット(お土産等を売る市場やバザール等)は、日本人からするとよく「ぼったくり」と言われている。そこで取り扱う商品は、その多くが市場価格よりも割高だからだ。しかし、市場の商売人は大抵コミュニケーション能力が抜群に高く、商品のことをやたらと説明してくれたり、試食を進めてきたり、現地のことを妙に気さくに紹介してくれたりする。そうしたコミュニケーションは、意外と帰国した後も印象に残るものである。

そのモノ自体が現地のスーパーで買うよりも高かったとしても、「海外における現地の人との交流という体験時間」も価値に含まれていると捉えるのであれば、それはそれで成立しているのではないか。そう思うようになった。

その商品は一体どんな人に使われて、その使われるときには、どんな気持ちを与えたいのか。食器であれば、その食器が食卓に上がるときに、どんな気持ちを感じさせたいのか。どんな会話を生み出したいのか。贈答品であれば、その商品を送ることで、送り手をどんな気持ちになってもらいたいのか。どんなメッセージを伝えたいのか。

商品を使ったときの感性、その時にどんな気持ちになるか、どんな時間を過ごして欲しいか。

そこまでを商品の持つ価値だとすると、プロモーションの仕方もまったく異なってくるような気がする。

また機能性については、最初は唯一無二の商品だったとしても、いずれは競合他社が現れる。日々技術革新が行われる中で機能性だけを追及すると、いつか必ず陳腐化する。洋服ブラシには毛玉取りが現れたように、機能性で強みを語るのは難しくなる日が必ず来る。

しかし、「商品をめぐり、どんな豊かな時間を提供できるか」という価値はそう簡単には真似されない。唯一無二だと思う。

商品を認知するとき、購入するとき、使う時にお客様にどんな気持ちになって欲しいのか。その商品にどんなメッセージや想いを込めているのか。だからこそ、どのように商品にこだわっているのか。

それを掛け算して積み上げていく先にこそ、商品の唯一無二と言える強みや価値が生まれるのではないだろうか。

以上が私が商品を売る現場で感じた日々の気付きである。今はもうこの業務からは離れてしまったので、日々の中で気付きを得て、それを実践に移し、成果を確認していく。そんなPDCAが回せなくなったことを寂しいなと思う。

だけど、自分の経験が誰かの次の気付きになったら嬉しいので、こうして書き残しておきたい。

あんアラフォー週末弾丸ひとり旅の人

アラフォー。普段はお堅い会社員。突然思い付きで週末に弾丸でひとり旅に行く。国内も海外もどちらも好き。仕事や旅行での気づきの備忘録。



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