一瞬で崩れた日常
爆破の威力は凄まじく、建物は半分が吹き飛び、骨組みが露わになりました。空からは無数の紙が舞い散る。オフィスの書類だろうか。
その日も職員たちはいつも通り出勤し、同僚と朝のあいさつを交わし、それぞれの仕事場へと向かっていたはずです。
ビル内にはデイケアも併設されていました。
働きながら子育てをしていた親たちは、その朝も愛しい我が子を預けて仕事に向かったのでした。
作中では、そんな親のインタビューもありました。
画面越しにも、その痛みと喪失がずっしりと伝わってきて、胸が苦しくなりました。
「生きて出られたら、生き方を変えようと思った」
印象に残っているのは、爆破後、何時間も瓦礫に埋もれていた女性の証言でした。彼女は身動きがとれず、自分がどうなったかもわからないまま、静かに人生を振り返ります。「もし生きてここから出られたら、自分の生き方を変えようと思った」
──その言葉が胸に響く。
やがて救助隊に発見され、助け出された彼女は、自分がオフィスの椅子に座ったままの姿勢で瓦礫の下にいたことを知るのです。
誤報と混乱、そして「内なる敵」
現場は騒然とし、情報も錯綜していました。メディアは公式発表を待たず、犯人は「イスラム系のテロリスト」だと報じ、さらなる混乱を招くことになります。でも、実行犯ティモシー・マクベイは、アメリカ人でした。彼は元陸軍兵で湾岸戦争に派遣された経歴を持っていました。逮捕のきっかけは、ナンバープレートのない車を運転していたことでした。
まるで偶然のように見える逮捕劇の背後には、政府による緊迫した捜査が同時進行していました。
なぜ彼は、テロを起こしたのか?
事件の背景には、1993年のテキサス州ウェイコで起きた「ブランチ・ダビディアン事件」があるとされています。
連邦政府の武力介入に反発し、報復として実行された──という見方です。
しかし、彼が軍隊で見たこと、経験したことも無関係ではないのでは、と私は感じています。
彼の内面にもっと光を当ててほしかった、とも思いました。
マクベイは裁判の末、死刑判決を受け、2001年に刑が執行されました。──奇しくも、あの「同時多発テロ」の年。
偶然だとしても、何か不気味さを感じます。
ドキュメンタリーが教えてくれたもの
この作品は、事件の経過と関係者の証言を中心に構成されており、マクベイ個人の深堀りはあまりありません。
それでも、あの爆破事件がアメリカ社会に与えた爪痕の大きさを、私はようやく実感した気がするのです。
168人の死者、そのうち19人は幼い子どもだった──数字の向こうには、それぞれに人生があった。家族がいて、日常があった。
私たちはときに、目をそらしたくなるような悲劇に直面します。
でも、それでも「起こったことを見つめる」ことが、ドキュメンタリーの、そして私たちの大切な役割なのだと、改めて感じました。
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