「パソコン業界 東奔西走」の番外編としてお送りしている特集企画「ニュースリリースで振り返る、時代を築いたPCたち」の第10回はソニーだ。
ソニーのPCといえば、VAIOを想起するユーザーも多いだろうが、それ以外にも、PC黎明期には、ソニーらしいPCが相次いで発表されていた。
ソニーのPC事業は、2014年7月から、VAIO株式会社として独立。投資ファンドの日本産業パートナーズ(JIP)が出資して再建を図り、2025年1月からは、ノジマの傘下で次の成長戦略を推進しているところだ。
今回の企画では、ソニーグループ広報部、ソニー広報部の協力を得て、保管してあったニュースリリースを提供してもらった。VAIO登場までのPCのニュースリリースを全文掲載する。
SMC-70
最初のニュースリリースは、1982年11月18日に発表した「SMC-70」である。ソニーの最初のPCと位置づけられている製品だ。
ニュースリリースにもあるように、米国市場において先行して販売を開始。漢字メモリーを追加することで日本語表示ができた。グラフィックス重視のPCと位置づけている点もソニーらしいところだ。
SMC-70は、CPUにはZ-80Aを搭載、メインメモリは48KBで、SONY・BASICを内蔵。3.5型FDDを最初に搭載したPCでもある。発売時には、東京、名古屋、大阪に限定して販売することが記されているのも興味深い。一方で、SMC-70の市場投入にあわせて、PCを専門で担当する事業部、営業部を設置したことも明記している。
HITBIT HB-55
1983年10月3日に発表したのが、MSX規格のPC「HITBIT HB-55」である「ひとびとのHITBIT」という愛称で、初めての人でも、すぐに楽しめる新たな形のホームPCとして発売した。
ソニー独自の住所録、スケジュール、メモを搭載し、1個のカートリッジに約80人分の住所録を作ることができた。ソニーでは、これらのソフトウェアを「コンピュータセクレタリー」と定義。HIT BITの特徴の1つに位置づけた。
また、ソニーブランドのMSX対応ソフトウェアを13種類ラインアップ。ゲームや教育、ホームマネジメントなどのソフトウェアを積極的に販売する姿勢を示していた。ちなみに、HB-55のイメージキャラクターには松田聖子さんを起用していた。
Quarter L
1989年3月13日に発表したのが「Quarter L」である。AX仕様のPCであり、32bit PCとしては、初めて20万円台(27万8,000円)を達成。ソニーには珍しく低価格化をニュースリリースの中で訴求している。
1987年に発表した32bitワークステーション「NEWS」で実現した「文書処理革新」の促進を目的に発売した製品とも位置づけており、NEWSとの接続利用も提案。さらに、NEWSにおいて目指した1人1台のエンジニアリング環境と同様に、一般オフィスでも1人1台のPC環境を実現するための戦略的製品としている。
VAIO
1996年6月18日(米国時間6月17日)、米国の家庭市場向けに発売したPC「PCV-70」および「PCV-90」が、VAIOブランドの最初のPCである。ニュースリリースは英語版で用意。最後に日本語での抄訳が添付されている。
VAIOは、Video Audio Integrated Operationの頭文字を取り、ロゴマークは、アナログの「波」から、デジタルの「101010」への流れをイメージ。アナログとデジタルの融合を象徴したという。日本市場では、1997年6月に、「PCV-T700MR」として、国内VAIO第1号機を投入している。
VAIO PCG-505
1997年10月15日に発表したB5ファイルサイズのノートPC「VAIO PCG-505」は、VAIOの存在感を一気に高めた製品だ。世界で初めてPCの筐体全面にマグネシウム合金を採用。軽量化、薄型化とともに高級感を演出することにも成功しており、「銀パソ」ブームを日本に巻き起こした。
🧠 編集部の感想:
ソニーのPCの歴史を振り返る特集は、技術革新とデザインの進化を感じさせる内容です。特に、VAIO PCG-505の登場がもたらした軽量化と高級感は、今でも多くのユーザーに影響を与えています。ソニーの独自性が光る製品群は、PC業界の発展に大きく貢献したことが分かります。
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