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ホーム小ネタ【東京新聞】寄り添い弁護士さん「(元連合赤軍メンバーでも)人は変わりうる」 

【東京新聞】寄り添い弁護士さん「(元連合赤軍メンバーでも)人は変わりうる」 



 検察の運用で「事実上の終身刑化」が懸念される「マル特無期」。
この「マル特無期」に指定されている可能性がある受刑者(77)の身元引受人になっている元検事がいる。
現在は、「寄り添い弁護士」として活動する古畑恒雄弁護士(92)だ。「人は変わりうる」を信条に、この国の更生のあり方を問い続けている。
検事と弁護士の双方の立場から刑事司法の現場を見てきた古畑さんの思いとは。(木原育子)
◆「君と社会で会えると信じ、祈っています」
 時計の文字盤を秒針が駆け抜けていく。「時」だけが誰にでも平等に与えられている。1980年代に製造されたセイコードルチェのクオーツ。腕時計の黒い革バンドに、誰かが使い込んだ跡がみて取れる。
 4月中旬、東京都内。腕時計が入ったケースを大事そうに抱えていたのは元検事の古畑恒雄弁護士(92)だ。「彼が出てきたら、真っ先に着けてやりたいと思いましてね」。温和な口調に優しさが相まって、その場全体の空気をもとかしていくようだ。
 「彼」とは、1972年2月、あさま山荘事件を起こした連合赤軍のメンバーで、無期懲役判決を受けて服役中の吉野雅邦受刑者(77)だ。そして、この時計の持ち主は、吉野受刑者の一審で、無期懲役の判決を言い渡した故・石丸俊彦裁判長だ。
 石丸さんが退官した3年後の1992年から吉野受刑者の両親を介して手紙のやりとりが始まった。クリスマスや年賀状などで「明日を備えて生き続けてください」「君と社会で会えると信じ、祈っています」と送った石丸さん。クリスチャンだったため吉野受刑者に聖書を贈ったこともあった。
◆「模範囚なら18年ほどで仮釈放が認められたが…」
 その石丸さんが2007年に82歳で亡くなった後、遺言により遺族から古畑弁護士に「出所したあかつきには、これを身に着けて社会復帰してほしい」と、黒革の時計が託された。吉野受刑者の判決時に、石丸さんが身に着けていた時計だった。
 吉野受刑者はベトナム戦争下で学生運動が広がる中で、「共産革命」運動に身を投じた。その後、リンチ殺人やあさま山荘に立てこもっての銃撃戦などで17人の死に関与したとして、殺人罪などの罪に問われた。
 1979年3月、検察は死刑を求刑。一方、石丸さんは犯行の重大さを指摘しつつ、連合赤軍組織での地位や力関係を考慮し、無期懲役判決を言い渡し、吉野受刑者にこう説論した。「被告はその全存在をかけて罪を償ってほしい」
 古畑弁護士は、「当時はしっかり服役し、模範囚であれば、18年ほどで仮釈放が認められた時代だった。40年以上たって、まだ仮釈放にならない状態を石丸裁判官はどう思っているだろう」とつぶやく。
※詳しくは下記リンクより

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🧠 編集部の感想:
古畑恒雄弁護士の信念「人は変わりうる」という言葉は、刑事司法における更生の可能性を示唆しています。無期懲役の受刑者に対しても、社会に戻る希望を持つことの重要性を感じました。過去を背負った人々に寄り添う姿勢は、私たちが考えるべきテーマを浮き彫りにしています。

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