🧠 あらすじと概要:
映画『ブリジット・ジョーンズの日記 サイテー最高な私の今』のあらすじと要約
あらすじ
本作は、愛するマーク・ダーシーを失ったブリジット・ジョーンズ(レネー・ゼルウィガー)が主人公。幸せな家族生活を送るはずだった彼女の平穏は、マークの死によって一変。子育てに奮闘する中で、未亡人としての新たな生活に直面します。友人の後押しで恋愛市場に戻ることを決意したブリジットは、新しい理科教師ミスター・ウォーラカーとの出会いや、年下のロクスターとの関係の築き始めますが、子供たちやマークの思い出との葛藤に苦しむ姿が描かれています。
記事の要約
『ブリジット・ジョーンズの日記 サイテー最高な私の今』は、シリーズ最終作として、ファンへの愛情が込められた作品。過去作のオマージュや、小ネタが散りばめられ、笑いと涙の両方を提供します。大切な人との別れや新たな人生の選択を通じて、等身大の女性の葛藤を描くことで、観客に深い感情を呼び起こし、エンドロールではシリーズの名場面が再現されるなど、ファンに響く要素が詰まっています。情緒豊かな作品で、何度でも観返したくなる魅力があります。
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最近、ヒュー・グラント氏を見ただけで吹き出してしまう、黒木りりあです。
先日、遅ればせながら大好きなロマコメシリーズの最新作『ブリジット・ジョーンズの日記 サイテー最高な私の今』を劇場で観てきました!シリーズ最終作となる本作、寂しい気持ちを抱えながらも鑑賞したのですが、シリーズ史上最高傑作といわれるだけあって、シリーズのファンへのラブレターのような作品だな、と感じました。笑って泣いて、とにかくすべての感情を経験できる一作で、充実した時間を過ごせました。
ということで、今回は『ブリジット・ジョーンズの日記 サイテー最高な私の今』について、語っていきたいと思います。
『ブリジット・ジョーンズの日記 サイテー最高な私の今』とは?
『ブリジット・ジョーンズの日記 サイテー最高な私の今』(”Bridget Jones: Mad About the Boy”)は、2025年2月に英米でリリースされた映画です。2001年に公開された映画『ブリジット・ジョーンズの日記』(”Bridget Jones’s Diary”)の第4作目にして、シリーズ最終作となっています。原作はイギリスの作家ヘレン・フィールディングの同名小説です。
主人公ブリジット・ジョーンズを演じるのは、もちろんレネー・ゼルウィガー。本作の新キャストとして、子供たちの通う学校の厳しい先生ミスター・ウォーラカー役として、ローレンス・オリヴィエ賞などを受賞し大英帝国勲章を授与されたほどの実力を持つ、キウェテル・イジョフォーが出演。さらに公園で出会った年下男性ロクスター役として、ドラマ『ホワイト・ロータス/諸事情だらけのリゾート』(”The White Lotus”、2021年-)や『One Day/ワン・デイ』(”One Day”、2024年)で注目を集めた、レオ・ウッドールが出演。そしてもちろん、ダニエル・クリーヴァー役はヒュー・グラント、マーク・ダーシー役はコリン・ファースが再度演じています。
『ブリジット・ジョーンズの日記 サイテー最高な私の今』あらすじ
紆余曲折を経て、ようやく最愛のマーク・ダーシーと結ばれたブリジット・ジョーンズは、ビリーとメイベルという2人の子供に恵まれて幸せな日々を送っている、はずだった。しかし、4年前にマークがスーダンでの人道支援中に帰らぬ人となってしまい、未亡人となってしまう。奇跡の生還を果たした元恋人のダニエル・クリーヴァーに子守を任せ、ブリジットは友人との祝いの席に出かける。そこで彼女は、再び恋愛市場に戻るべき、というプレッシャーに直面する。
ビリーとメイベルを学校に送り届けたブリジットは、新しくやって来た理科教師ミスター・ウォーラカーと出会う。厳しく堅物なため、決して好かれるタイプではない彼だったが、人々に平等に厳しくするところを見て、彼女は嫌悪感を抱かなかった。
ある日、ビリーとメイベルを連れて公園に行ったところ、三人そろって木登りに失敗し、降りれなくなってしまう。そんな一家を救ってくれたのは、パーク・レンジャーであるロクスターだった。ブリジットよりもかなり年下な彼だったが、マッチングアプリを通じて連絡を取り合うようになり、そのまま二人の関係は驚くほど順調に進展していった。メイベルもすっかり彼になじんだが、ビリーはいまだに父親の死を受け入れられないでいた。そしてまたブリジットも、マークを恋しく思い続けていた。
ようやくTVプロデューサーとして職場復帰を果たしていたブリジットは、ある日、ビリーのクラスで自身の仕事を説明することになる。そこでブリジットはついつい、ミスター・ウォーラカーとの議論が白熱しすぎてしまう。
大切な人との永遠の別れ、今ある大切な家族、そして新たに出会う人々。幾度目かの人生の転機で直面した現実の壁を前に、ブリジットはどうにか進んでいこうとするのだが……。
『ブリジット・ジョーンズの日記』と『高慢と偏見』
イギリスを舞台としたロマコメ映画の中でも特に大きな支持を得ている映画『ブリジット・ジョーンズの日記』。2001年の劇場公開以降、世界中から広く支持されていた印象です。続編となった2004年の『ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月』(”Bridget Jones: The Edge of Reason”)、そしてまさかの12年越しの続編となった2016年『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』(”Bridget Jones’s Baby”)に続き、本作では約10年ぶりにブリジットがスクリーンに帰ってきました。ファンとしては嬉しい復活でありつつも、本作が最終作というのは切なくもありました。
何よりも切なかったのは、ブリジットの運命の相手マークの死です。本作の原作となる小説は2013年に出版されていたため、マークの死は前から知っていて覚悟していました。ですが、この原作小説はシリーズの第3巻なのですが、映画の3作目はこの原作を元にしていなかったため、「マークが生き延びた!」と喜んでいたところからの本作だったので、より切なかったです。そもそも、マーク・ダーシーのいない「ブリジット・ジョーンズの日記」とは、と思う自分がいました。これは広く知られた話ですが、『ブリジット・ジョーンズの日記』は、ジェイン・オースティンの小説『高慢と偏見』(”Pride and Prejudice”)を原作とした作品でした。『高慢と偏見』は世界的に読み継がれる名作のひとつで、度々映像化されていますが、なかでも1995年にBBCにて製作されたドラマシリーズ版は傑作とされ、現在でも高く評価され多くの支持を集めています。このドラマシリーズ版でヒロインの相手役となるフィッツジェラルド・ダーシーを演じたのが、コリン・ファースでした。『ブリジット・ジョーンズの日記』の原作者であるヘレン・フィールディングはこのファース演じるダーシーを元にマーク・ダーシーというキャラクターを作った、と公言しています。そのため、本作の映画でもマークをファースが演じています。
その、作品のインスピレーション元でもあるマーク・ダーシーが亡くなるという筋書きは、私にとっては非常に大きな衝撃でした。
とはいえ、『ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月』は同じくオースティンの『説得』(”Persuasion”)を原作としていたものの、3作目はオースティン作品とのつながりはほとんどなさそうだったので、そこから脱した路線なのかな、とも思いました。
とはいえ、マークは亡くなっていても作品全体での大きな存在感がありました。やはり、彼の存在はこのシリーズになくてはならないものだな、と再認識させられました。
シリーズのファンへのラブレター
『ブリジット・ジョーンズの日記 サイテー最高な私の今』を見た率直な感想は、「本シリーズのファンへのラブレターのような映画だな」というものでした。正直言ってしまうと、私は3作目の『ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期』があまり好きではありませんでした。作品自体はとても面白かったのですが、やはりどうしてもマークとダニエルの対立関係が肝だと思っていたので……。(『高慢と偏見』のダーシーとウィッカム図ですよね。)ですが、あの3作目もここにたどり着くためにあったんだな、と思えるほどに『ブリジット・ジョーンズの日記 サイテー最高な私の今』は愛情の溢れた作品だと思いました。
とにかく一番嬉しかったのは、過去3作へのオマージュのシーンがふんだんに用意されていたことです。うっかりすると見逃してしまうほどに、隅から隅まで小ネタが満載で、瞬きすらも惜しいほどでした。小ネタはそれ以外にもたくさんちりばめられていて、ディズニーからハリー・ポッター、イギリスの文化ネタまで、みんなが思わずクスクスしてしまうものばかりです。特に気に入っているのは、ブリジットの友人ジュードが「トイレで泣く」みたいなセリフがあり、演じるシャーリー・ヘンダーソンが「ハリー・ポッター」シリーズで嘆きのマートルを演じたことにかけてるネタかな、と一人で爆笑してしまいました。ブリジットの日記、矯正デカパンにスケスケのドレス、危険な料理に酒、そしてマークのアグリージャンパー……どこをとってもブリジットの過去作を思い出させるものばかりで、ファンとしては嬉しくもほろりと来てしまう場面でした。大好きな「All By Myself」ネタもちゃんとあって、嬉しかったです。ミスター・ウォーラカーとロクスターが取り巻くブリジットの恋模様は、全く同じではないもののどこかマークとダニエルを彷彿とさせる部分もあり、プロット面でも過去作へのオマージュを感じられました。
そして、『高慢と偏見』といったら、水に飛び込むヒーローネタがすっかりBBC版のコリン・ファースからの定番となっていますが、本作ではロクスターが完璧な飛び込みを披露していて、さすがだな、と思いました。あのシーンは制作陣の熱量をとても感じたと同時に、「絶対に飛び込みが来るな」と瞬時にわかるシーンで、ロマコメだなぁ、とつくづく感じました。
笑ったシーンもたくさんありましたが、ついつい涙がこぼれてしまうシーンもたくさんありました。特に、大切な人との永遠の別れを、どう受け入れるのか。年齢を重ねてからより身近に感じられる「生命の循環」についてのブリジットの戸惑いや葛藤が、とてもダイレクトに伝わって来て、自分自身もいろいろと考えさせられました。こうやって、等身大の女性を描き続けるのが、このシリーズの醍醐味である高く評価されるポイントだと、改めて実感しました。
ミスター・ウォーラカーのように現実的すぎるのも考え物ですが、夢を見すぎたりまやかしでごまかすのも、良くないのかな、でもそれが必要な時もあるよな、と映画を見ながら悶々と考えていましたが、それを考え続けるのが、人生なのかもしれません。
そして、エンドロール。もう、本当にファンの心に響く最高のエンドロールでした。シリーズの過去作の名場面がふんだんに使用されていて、本当に最後まで、ファンの心に刺さるファンレターのような作品だと感じました。
細かいところまで小ネタが満載な作品でもあるので、配信が始まったら繰り返し、何度でも観たいな、と思いました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
機会がありましたら、他の記事にも足を運んでいただけると、幸いです。
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