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【映画評】『けものがいる』…を『けものがいた』にする前に?レインウォッチャー

🧠 あらすじと概要:

映画『けものがいる』のあらすじ

『けものがいる』は、フランスとカナダの合作で、ベルトラン・ボネロ監督による2023年の作品です。物語は、女性ガブリエル(レア・セドゥ)が1910年、2014年、2044年の3つの時代を生き、転生する様子を描いています。特に近未来2044年において、AIの指示で「無駄な感情」を排除するために前世を遡る処置を受けるという独特な設定が展開されます。作品全体を通じて、「愛」とは何か、感情が失われることの意味が深く掘り下げられます。

記事の要約

本作は、ガブリエルというキャラクターが様々なクリエイティブな職業に便乗しながらも、内面に抱える不安や恐怖を通じて「感情」の重要性を問いかけます。各時代を通して、創造性や人間性の喪失が描かれ、特に2044年という未来には変えられる可能性が示唆される一方で、愛や生命の喪失に関する危機感が強調されます。理性と感情の間で揺れる現代社会へのメッセージが込められており、技術に依存することの危険性も内包しています。映画はその美しいビジュアルと共に、観客に深く感動を与え、状況を見過ごすことのリスクを訴えかけます。

【映画評】『けものがいる』…を『けものがいた』にする前に?レインウォッチャー

レインウォッチャー

2025年5月16日 22:57

La Bête / The Beastフランス / カナダ,2023

監督:ベルトラン・ボネロ

公式サイト
https://kemonogairu.com/

輪廻転生・レア・セドゥ!って叫ぶとなんだかかっこいい。

そんなわけで、今作はセドゥ演じるガブリエルという名の女性が3つの時代、100年以上を超えて転生する物語である。

1910年、2014年、そして2044年。主軸は近未来2044年にあって、AIの指示に従って「無駄な感情(トラウマ)を失くす」ために前世を遡る処置を受ける…という、「はにゃ?」上等の展開。
これは劇中でも触れられるように仏教的な輪廻と解脱のスゝメって感じに呑み込めば良いと思うのだけれど、すわハードなSFか哲学か、と思わせて実はシンプルな物語とメッセージにまとまっている巧みな映画でもあると思った。というのも、3つの時代が交錯しながらずっと一貫して「同じこと」を言い続けているからだ。

すなわち、「そこに愛はあるんか」である。

この愛とは《感情》と言い換えてよく、更に《創造性》や《人間性》とイコールで結ばれる。この構図が、輪廻というシステムを通して繰り返し描かれるのだ。

3人のガブリエルは誰もが何かしらクリエイティブな仕事(ピアニストや女優)に就いている・あるいは就こうとしているのだけれど、うまく言語化できない不安感を抱えている。この漠とした不安・恐怖の予感が、目に見えない《けもの(獣)》というわけだ。

この《けもの》とは何だったのか?
どの時代においてもガブリエルは洪水や地震(、そしてシンギュラリティ?)といった厄災や、やはり輪廻のたびに出会う青年ルイ(ジョージ・マッケイ)との悲恋を経験する。この厄災や悲恋といった運命の予感が《けもの》だったのか?…と思わせつつ、真の狙いはどうやらその先にあることがわかってくる。

それは「感情の喪失」であり、創造性/人間性の喪失、愛…ひいては生命の喪失だ。
《感情》の対極にあるものといえば《理性》であり、このピックアップによって裏側からテーマが補強されている。《理性》に紐づくのは論理や技術(テクノロジー)であり、常識(※1)、効率性(※2)だ。ピアニストの技術(※3)、女優が演技をするグリーンバック、そしてAIが弾き出す「最適な」選択。

しかし、創造性や人間性を豊かにするのは時に「無駄」と呼ばれる要素のはず
人間はそのむかし考えることを始めて以降《理性》を突き詰めてきたわけだけれど(すくなくとも西洋思想的な文脈では)、果たして《理性》に偏りきってしまった先に幸福はあるのか。極まった《理性》はいつか、人を食い荒らす《けもの》と化すのではないか。そんな危機感で鐘を鬼連打するのがこの映画といえるだろう。

この危機感は、ベルトラン・ボネロ監督が常に抱えてきた要素でもある。『メゾン ある娼館の記憶』『サンローラン』といった作品を観ると、片や19世紀末の高級娼館、片や20世紀を代表するファッションデザイナーの半生を取り扱った全く別々の作品でありながら、いずれにも過ぎ行く時代の変遷に伴って「忘れ去られる」美や価値観を惜しむ眼差しが通底していることがわかる。(※4)

このクセを「懐古厨乙」と片付けることは容易かもしれないけれど、今作においてそれはわたしたちが直面している現在と接続し、一段階上に昇華されたように思う。

相似関係にある3つの時代において、もうひとつ強調されるのは「間に合わなかった」という感覚である。ガブリエルとルイはどの時代においても悲劇を経験することになるのだけれど、それはいずれも(形を変えながら)遅かった、届かなかった…という結果を伴っている。そして当然のことながら、3つの時代の中で2044年のみがわたしたちの現在から見て(かろうじて)変えられる可能性のある《未来》だ。

誰もが『けものがいる』と気づいている、気づくことができる状況にあるのに、このまま見過ごしていて良いのか。気づけば『けものがいる』は『けものがいた』に転じているかもしれない。そんなことを、謎や隠喩をふりまきながらもある意味メロドラマティックで直感的に理解しやすい《感情》をもって、そして何より映画そのものの美(※5)がもつ説得力と共に伝えてくれている。

ただ、安易にアンチ・テクノロジー映画とは言い切るべきではない、とも思う。歴史上、《理性》によって《感情》的な創作物が進化してきた側面も否めず、もちろん映画もその例に洩れないからである。すべては天秤上のグラデーションなのだ

今作でテーマ曲的に使われるのは、ロイ・オービソン『Evergreen』

Evergreen=色褪せない愛を歌った名曲だけれど、この物語の中ではどうしても皮肉に響く。またもう少し拡大して考えると、そもそも不朽の、守るべき確固たる《人間性》とか《創造性》なんてあるんだろうか?という問いも生まれ得る。上述したように、《感情》と《理性》はグラデーションの中にあるからだ。
わたしたちはきっとAIの作った音楽や絵にだって感動できる(できてしまえる)し、そのうちロボットとセックスするようにもなるだろう。もしかすると、その広がり、人がもつ「可能性」それだけが真にEvergreenといえるのかもしれない。

注なるもの

※1:《理性》が排除しがちな無駄を「リスク」と言い換えて、恋愛の選択と重ねてみせるのにはフランスらしいお国柄を感じてみたり。

※2:これを表すかのごとく、エンドロールにもある挑発的な仕掛けが施されている。

※3:1910年のガブリエルはピアニストで、アルノルト・シェーンベルクの楽曲に取り組んでいるが「感情がつかめず難しい」と口にする。

シェーンベルクといえばいわゆる現代音楽の走りにも位置付けられることのある作曲家であり、「十二音技法」という作曲体系を確立させた業績で知られる人物。この理論先行派なイメージは、この映画における《感情》vs《理性》の構図に重ねられているのだと思う。

ただ、わたしとしてはシェーンベルクの音楽は好きだし、《感情》をしっかりと動かされる。それに何より、調性(長調とか短調とか)という従来の音楽が持っていた枠組みから自由になろうと試みたそのアプローチはまさに《創造的》だとも思うのだ。

↑『月に憑かれたピエロ』とか大好き。

※4:年号の表示とかポップなスプリットスクリーン(画面のコマ割り)、クラブでのサイケデリックなダンスシーンとかも頻出技。

※5:耽美で色気たっぷりな美術の色彩で魅せる1910年、ドキュメンタリー的な撮影も盛り込んだ2014年、荒涼とした冷たい画面でディストピアを表現する2044年。
各時代パートで異なる映像の旨味を提供してくれるほか、占い師の赤い部屋やバーのテーブルランプなどにはデヴィッド・リンチの香りも。



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