🧠 あらすじと概要:
この記事は、呪いをテーマにしたホラー映画の魅力を探るもので、特に「呪い系」のホラーが持つ独自の魅力と観賞方法を紹介しています。以下はあらすじと要約です。
### あらすじ
呪い系ホラー映画は、人々を怨念や幽霊が襲うことで成り立っており、日本の『呪怨』や『貞子』、海外の『エクソシスト』などがその例です。これらの映画は一般に、単調で怖がらせ方がワンパターンだとされますが、この記事では呪い系ホラーは「最強の支配型ホラー映画」として、観客の心に深く入り込む力を持つと述べています。
### 要約
記事では、呪い系ホラーを「精神を支配する快楽」として楽しむための3つの視点を示しています。1つ目の視点は「他者による支配感」を体験することで、自身の無力さを味わうこと。2つ目は、呪いを社会や歴史のメタファーとして捉えることで、現実との関連性を見出すこと。最後の視点は、映画が終わった後も呪いが続いているような感覚を楽しむことです。また、呪いを楽しむ理由として、近代の科学的思考や教育の影響、自信過剰な自己評価について言及し、それが恐怖体験を強化していると考察しています。
この記事は、呪い系ホラー映画をただの娯楽として消費するのではなく、深い理解と体験を通じて楽しむ方法を提案しています。
呪い系ホラー映画。例えば日本でいえば『呪怨』『貞子』『残穢』など、海外では『エクソシスト』や『呪詛』などのホラー映画は「呪い」が原因となり、幽霊や怨念が人々を襲うジャンルです。 しかし、呪い系のような幽霊系ジャンルのホラー映画は「幽霊ものは単調だ」「怖がらせ方がワンパターン」と敬遠する人もいます。
ですが、それは非常にもったいない。呪い系ホラーこそ、私たちの思考、感情、日常を静かに侵食していく”最強の支配型ホラー映画”です。
本記事では、そんな呪い系ホラーをただの消費型娯楽ではなく、”あなたの精神を支配する快楽”として味わうための、3つの視点を紹介していきます。
1.呪いを楽しむ3つの視点
視点①「自分の意志が無効化される瞬間を楽しむ」
呪い系ホラーの核心は”他者による支配”であり、呪い系の恐怖の本質は、”抗えない力”への絶対服従感。 例えば、ホラー映画『SMILE スマイル』では呪いのように連鎖していく恐怖が再現されており、一度呪縛に囚われると免れられない。 この映画のように理屈でもルールも通じない上、逃れられないのです。
「自分は、いかに脆く、無力で、支配される存在か」をあえて味わうのです。
【映画紹介👇】
視点②「呪いは”社会”や”歴史”のメタファーをして受け取る」
呪いは個人の過ちではなく、社会や歴史、土地、集団が蓄積してきた歪みの象徴であるという捉え方。
それは時に家族、時に村や国家。登場人物がどんなに努力しても、「終わらない呪い」。
そこに”現代社会の構造”が重ねられていると気が付くと、ホラーはただのフィクションではなく、現実そのものになるのではないでしょうか?
視点③「映画を観終わったあとも、呪いが続いているという遊び方をする」
「呪いは映画の中で終わらない」という呪い系ホラーの恐ろしい演出は”終わり”が示されないということ。 だからこそ、映画が終わったあとも、自分の日常が侵食されているような感覚で行動してみたりできるんです。
これはまさに一つの楽しみ方とも言えます。
一時期、SNSで話題になっていた『呪詛』。まだ観ていないかたは、楽しむのにはおすすめできる作品です。
2.なぜ”呪い”を楽しめるのか?怖がれるのか?
これは現在人の合理性に基づくものが原因であると思われます。
①科学的思考の浸透(近代合理主義)
近代では、科学的思考が生活に根付き、「根拠」や「データ」で物事を判断するのが正しい、という価値観が広がりました。
そのため、無意識下でも自分の判断も客観的で正しいと思いやすです。
②教育の影響(論理的思考の刷り込み)
現代の教育では、数学的・論理的思考を重視している傾向があり、「論理的に考える=正しい」と無意識的に刷り込まれています。
③自己効力感の過信
人間は恐ろしい物語や病気を題材とした物語を見た時など「そうはいっても自分には起こらない」と信じる傾向があります。
また「自分は間違っていない、間違いにくい」と信じる傾向もあり、さらに現代ではSNSなどで自分の意見が支持されたりすると、その傾向がさらに強化されます。
おわりに
この合理性が逆に”呪い”という不明瞭な存在を強固なものにしていきます。
つまり、私たちは合理的であり、理論に基づかないことはあり得ない。そう過信すればするほど、不確かな存在は頭から排除される。
そしてそれが姿を現した時、私たちの脳は自然にその存在を拒絶し「恐怖」として体験化されるのです。
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