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概要
バイロン・シャープの『ブランディングの科学2』では、マーケティング戦略におけるターゲティングの重要性について再考させられる内容が展開されている。特に、特定の顧客層を狙う「ターゲティング」が非効率的であるとの指摘があり、すべての顧客を対象にすることがブランド成長のカギであると主張されている。
要約
- マーケティングの基本法則: ブランド成長には「ダブルジョパディの法則」や「ライトバイヤーの獲得」が重要である。
- ターゲティングへの疑問: 従来の「STP分析」に基づくターゲティング戦略が非効率であるという観点が示される。
- すべての顧客を対象に: ブランドは「特定の誰か」ではなく、「そのカテゴリーのすべての顧客」をターゲットするべきである。
- 顧客プロファイルの類似性: 競合ブランド間で顧客の特徴が驚くほど似ていることがデータで確認されている。
- 新規顧客の源: 新しい顧客は主に競合ブランドの顧客であることが「購入の重複の法則」として知られ、多くのデータで支持されている。
- マーケティング戦略の再考: 閉じたターゲット設定から広いリーチを目指すことが、マーケティングのROIを最大化する鍵となる。
- 次回の展望: 市場全体に対して「何をすべきか」を次回の記事で解説予定。
前回の記事では、「ダブルジョパディの法則」や「ライトバイヤーの重要性」といったブランド成長の基本法則は、新興市場、サービス業、B2Bといった「新たなフロンティア」においても、例外なく機能することを紹介しました。これにより、「私たちの市場や業界は異なる」という思い込みが揺らいだ方もいたのではないでしょうか。
さて、ブランド成長の鍵が「より多くの顧客を獲得すること」、特に「ライトバイヤーの獲得」にあることは理解できました。では、ここからがマーケターにとって最も悩ましい問いかもしれません。それは、「一体、誰をターゲットにすべきなのか?」という問いです。
従来のマーケティングの教科書を開けば、必ずと言っていいほど「STP分析(セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング)」の重要性が説かれています。「20代の流行に敏感なアーリーアダプター層」「健康志向の強い都市部在住の30代女性」「環境意識の高いミレニアル世代」… このように、特定の顧客セグメントを定義し、そのペルソナに深く刺さるメッセージを磨き上げ、ピンポイントで狙い撃つことこそが、効率的で効果的なマーケティングだと教えられてきました。特に、新興市場のように消費者の価値観が多様化しているとされる市場や、B2Bのように顧客のニーズが専門的だとされる業界では、「ターゲティングこそが成功の鍵だ」という信念は根強いものがあります。
しかし、『ブランディングの科学2』は、このマーケティングの金科玉条とも言える「ターゲティング戦略」に対しても、痛烈な疑問符を突きつけます。本書が導き出す結論は、あまりにもシンプルであり、そして多くのマーケターにとっては衝撃的かもしれません。それは、あなたのブランドが狙うべきターゲットは、特定の誰かではなく、「そのカテゴリーのすべての顧客」である、というものです。
今回は、なぜ特定の顧客層を狙う「ターゲティング」がほとんど無意味なのか、そしてなぜ「ライトバイヤー」を含むすべての人々を狙うべきなのか、その科学的根拠を、本書に掲載されている具体的なデータと共に解き明かしていきます。「誰にでも売る」ことの重要性を理解したとき、マーケティング戦略が新たな次元へと進化するかもしれません。
第1部:顧客プロファイルはどこでも同じ ― 新市場における「普通の人々」
あなたがもし、あるブランドのマーケターだとしたら、「特別な顧客」に向けて、特別なメッセージを届けようとするかもしれません。しかし、『ブランディングの科学』シリーズが一貫して示す最も衝撃的な発見の一つは、「競合するブランド間で、顧客のプロファイル(特徴)は驚くほど似通っている」という事実です。
性別、年齢、収入、学歴、ライフスタイルといった人口統計的なデータから、価値観やライフスタイルといった心理的な特性(サイコグラフィックス)に至るまで、あらゆる角度から分析しても、同じカテゴリー内のブランド間で、顧客層にマーケティング戦略を左右するほどの明確な差はほとんど見られないのです。
『ブランディングの科学2』は、この法則が新興市場やサービス業といった多様な市場でも当てはまることを、数多くのデータで裏付けています。
例として、本書では韓国のファストフード市場における各ブランドの顧客プロファイルが紹介されています。ロッテリア、マクドナルド、KFC、バーガーキングといった主要ブランドの顧客について、性別、年齢層(18~24歳、25~34歳)、所得層(低所得者、高所得者)、子供の有無、フルタイム就労者の割合などを比較しています。結果は驚くほど似ています。例えば、男性顧客の割合は、ロッテリア47%、マクドナルド52%、KFC51%、バーガーキング53%と、どのブランドもほぼ半数です。18~24歳顧客の割合も、13%~16%の範囲に収まっています。他の項目でも同様で、特定のブランドが突出して特定の層に支持されているという事実は見受けられません。
この傾向は韓国に限ったことではありません。本書では、ブラジル、中国、インド、インドネシア、ケニア、メキシコ、ナイジェリア、ロシア、南アフリカ、韓国、トルコの11カ国におけるファストフードブランドのユーザープロファイルの平均絶対偏差が示されています。これは、各国内でのブランド間の顧客プロファイルのばらつき度合いを示したものですが、性別で2~6%、年齢で2~4%など、その偏差は極めて小さいのです。つまり、どの国においても、ファストフードの各ブランドの顧客層は似たり寄ったりだということです。
サービスカテゴリーでも結果は同じです。ブラジル、中国、インド、インドネシア、ロシア、南アフリカ、韓国の7カ国における銀行業界の顧客プロファイルの平均絶対偏差や、8カ国(メキシコ、ナイジェリア、トルコが加わる)における電気通信サービス業界の顧客プロファイルの平均絶対偏差も、同様にブランド間の差が小さいことを示しています。例えば、銀行顧客の性別構成のブランド間差は平均4%、電気通信サービスでは平均3%です。
これらのデータが一貫して示しているのは、新興国の消費者であっても、特定のブランドに熱狂的な忠誠を誓う人々は稀であり、多くの人々は複数のブランドを状況に応じて使い分ける「ブランドスイッチャー」ということです。つまり、あなたのブランドの顧客は、競合ブランドの顧客でもあり、その逆もまた真なり、ということです。この現実を直視すれば、特定のニッチなセグメントを見つけ出し、そこに特化したメッセージを送るという従来のターゲティング戦略が、いかに非効率的であるかが見えてきます。
第2部:新規顧客はどこから来るのか? ― 競合の顧客こそが最大の供給源
では「新しい顧客」は一体どこからやって来るのでしょうか? まだ誰も足を踏み入れたことのない未開の市場でしょうか? それとも、全く新しいニーズを持った新種の消費者でしょうか?
『ブランディングの科学』シリーズが示す答えは、もっとシンプルです。あなたのブランドの新規顧客のほとんどは、現在、競合ブランドを購入している人々なのです。そして、これは「購入の重複の法則(Duplication of Purchase Law)」として知られています。この法則は、どのブランドも、その顧客基盤を、市場シェアにほぼ比例した形で、カテゴリー内の他のすべてのブランドと共有する、というものです。
簡単に言えば、市場シェアの大きなブランドAの顧客の多くは、次に市場シェアの大きなブランドBも購入していますが、市場シェアの小さなブランドCはあまり購入していません。これは、顧客が単一のブランドに忠誠を誓うのではなく、複数のブランドのレパートリーを持ち、その中から選択的に購入していることの直接的な結果です。
『ブランディングの科学2』は、この「購入の重複の法則」が、新興市場や多様な製品カテゴリー、サービスにおいても普遍的に観察されることを、具体的なデータで示しています。
ここでは例として、中国のヘアケアブランド市場における購買重複のデータが紹介されています。市場シェア54%のトップブランド「パンテーン」の購入者のうち、実に56%が「H&S」(シェア49%)も購入しており、39%が「フケ用リジョイス」(シェア33%)も購入しています。一方で、シェア14%の「クリア」を購入しているパンテーン購入者は17%に留まります。パンテーンの顧客は、他の大きなブランドも併用する傾向が強く、小さなブランドはあまり併用しない、という典型的なパターンです。
この傾向は、より競争の激しい市場でも見られます。メキシコのファストフードブランド市場の購買重複データ(2014年、6ヶ月間)では、例えば「バーガーキング」(購入者率56%)の顧客のうち、65%が「ドミノ・ピザ」を、63%が「KFC」を、そして62%が「マクドナルド」も利用しています。どのブランドも、他の主要ブランドと高い割合で顧客を共有しあっているのです。
ソフトドリンク市場でも同様です。トルコのソフトドリンクブランド市場の購買重複データ(2014年)を見てみると(表3-8)、トップブランドである「コカ・コーラ」(購入者率70%)の顧客の59%が「ファンタ」を、48%が「ペプシ」を、そして40%が地元の有力ブランド「ウルダグ」も購入しています。コカ・コーラの顧客だからといって、ペプシを全く飲まないわけではないのです。
これらのデータが明確に示しているのは、ブランドの成長機会は、主に競合ブランドの現在の顧客の中に眠っているということです。マーケティング活動の役割とは、この競合ブランドのユーザーたちに、次の購買機会で自社ブランドを思い出してもらい、手に取ってもらう確率を少しでも高めることにある。自社ブランドの既存顧客だけを囲い込もうとしたり、まだ見ぬニッチなセグメントを探し求めたりするよりも、はるかに現実的で効果的なアプローチと言えるでしょう。
まとめ:ターゲットは「全員」。幻想を捨て、市場全体と向き合う
今回は、『ブランディングの科学2』が示す、ターゲット顧客に関する衝撃的ながらも極めて重要な2つの事実を見てきました。
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競合ブランド間で顧客プロファイルに大きな差はない。 性別、年齢、価値観に至るまで、あなたのブランドの顧客と競合の顧客は、本質的に同じような人々である。したがって、特定の層を狙い撃つ従来のターゲティング戦略は、ほとんどの場合、非効率的である。
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ブランドの新規顧客は、主に競合ブランドの顧客からやってくる。 すべてのブランドは、市場シェアに応じて顧客を他のブランドと共有しており、成長とは、この共有されている顧客層に、いかに自社ブランドを選んでもらうかの確率を高めるゲームである。
これらの事実は、多くのマーケターが時間と予算を費やしてきた「理想の顧客像(ペルソナ)」の策定や、ニッチ市場の探索といった活動の有効性に、根本的な疑問を投げかけます。「我々のブランドの顧客は特別だ」「このセグメントを攻略すれば成長できる」といった考えは、多くの場合、データに基づかない「幻想」に過ぎないのかもしれません。
マーケティングのROI(投資対効果)を最大化するためには、狭いターゲットにリソースを集中させるのではなく、カテゴリーの購入者全体(つまり、ライトバイヤー、そして競合の顧客を含むすべての人々)に広くリーチできるメディアやチャネルに予算を配分することが、より賢明な判断となります。
さて、狙うべき相手が「市場全体」であることは分かりました。では、その「市場全体」に対して、私たちは具体的に「何を」すれば、彼らは数ある選択肢の中から私たちのブランドを選んでくれるのでしょうか? 次回の最終記事では、この最も重要な問いに対する答えを紹介します。『ブランディングの科学2』が示す、ブランドを成長させるための2つの具体的なエンジン、「メンタル・アベイラビリティ(心理的想起のされやすさ)」と「フィジカル・アベイラビリティ(物理的な買いやすさ)」の構築について、詳しく解説していきます。
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