🧠 あらすじと概要:
あらすじ
『Perfect Days』は、役所広司が演じる平山を中心に、現代社会に生きる一人の男の日常を描いた映画です。彼は必要最低限の物しか持たず、自分の価値観に従ったシンプルな生活を送ります。日常の中で、他者が見逃しがちな小さな美や喜びを見出す彼の姿が印象的で、ポスト・パンデミックの時代における理想的な生き方を模索しています。
記事の要約
映画を観た感想として、自分の記憶が新しいうちに備忘録を残したいという気持ちが述べられています。平山の生活は、必要を知り、日常の中に小さな美を見出す姿が描かれ、その平穏さには深い喜びがあると語られています。監督の意図は、理想化された人物を通じて現代人の生き方へのメッセージを伝えることです。
特に「影」と「木漏れ日」というテーマが強調され、平山の生活に見られる禅的な要素が評価されています。ラストシーンについては、観客がそれぞれの人生を思い起こさせる感動的な場面となっており、賛否が分かれるものの多くの感情を引き起こす瞬間が描かれています。全体を通じて、現代的な価値観に対する問いかけがなされており、映画が持つ強烈なメッセージが印象深いと締めくくられています。
『Perfect Days』見ました!すみません。観る観ると言いながら、今更観ました(笑)
とても面白かったです!!わたし役所広司さん大好きなんですけど、すごいよかった!だんだん平山本人に見えてくる不思議。まだ、記憶が新しいうちに備忘を残しておきたいと思います。
多くを持たず、必要を知り、そうやって今必要な1冊だけを手にする。誰かの価値観でなく、自分の価値観にただ没入する。それが意味のない写真であれ、お寺の庭に芽吹いた紅葉であれ。他の人々が見逃してしまう些細なものに目を留めることができる。
監督自身がインタビューで語っていたことだけれど、これはポスト・パンデミックのわたしたちの在り方の理想。新たな始まりへの想いがこもった物語です。多少理想化された人物ではありますが、平山の世界は現代人のわたしたちを惹きつけてやまない。
そういう日々を淡々とこなす。その毎日のルーティンの中にもゆらぎがあって、そのささやかなゆらぎすらも受け入れる、喜びに溢れていました。これを監督は映画の最後に「木漏れ日」という日本語で表現してみせた。
現代人の夢見る理想を見事に現した傑作です。
注)ネタバレあり
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影
このままを終わっても良かったのですが、もう少しわたしが感じたことを深堀りしてみたい。今はまだフワフワしていて言語化が難しいのだけれど。自分の整理のためにも。
この映画のモチーフは影です。「木漏れ日」という言葉につなげたかったかもしれない。たびたび映像として現れる「影」を見た第一印象、直感的にプラトンのイデア的だと感じた。わたしは、この影の先にある光に監督の描きたい理想をみたのだと思います。
監督はこの平山の人生から漏れ出る木漏れ日に、イデアの夢をみていますね。これは物に溢れて、不必要を必要だと思わされ、不相応の金のなる仕事に振り回されている、功利主義的な感性の中に生きる現代人からみた、理想の夢でもあります。
これを「禅」的である、と表現したレビューもいくつか見かけます。確かに、日本の禅的な感覚「日日是好日」の感性を見事に映像化しているという点に異論はありません。多くのシーンが呼吸からはじまり、平山のルーティンの繰り返しや、ささやかな「ゆらぎ」を受け入れる姿勢は、禅の「あるがまま」を体現している。
日々の繰り返しをただ受容する平山はどこか神格化された存在にすら見えた。それは全てを今に注いでいるからです。今を喜び、今に怒り、今を哀しんで、今を楽しむ。「今度は今度、今は今」でも、その今はかならず「海につながっている」んだよ、という強烈なメッセージがありましたね。これが平山の生き方。
問題のラストシーン
ところが、ラストシーンだけは違います。これは過去への追憶ですね。この情感こそが人生だ!これこそが生の醍醐味だと、大声で主張してそのままラスト走り抜ける。さぁ、新しい日だと、束縛からの開放の自由を高らかに歌うBGMに乗せて、嬉し泣きとも、憂いともともとれる平山の表情にただ感動した。このシーンに撮影監督がファインダー越しに肩を揺らして泣いてしまったってエピソードがインタビューで語られてましたね。涙の意味は、観客それぞれの人生が見つけてくれる、とでも言わんばかりに余韻をもたせ映画は終わる。このシーンは賛否わかれるようだけど、わたしはめっちゃ好きだった。
でも、「禅」であったらそんなことする必要ない。
BGMは流さないし、無音の中で、「今度は今度、今は今」「海」の向こうに沈みゆく夕日に溶け込むように平山がただ高速道路を駆け抜ければ、それでよい。
これはね、禅的な理想をイデア的なフィルターを通して描いている物語なんです(個人的感想ですw)。だから、第一印象わたしが白黒の影の描写をみて、プラトンのようだと思った直感はたぶん正しかった。
平山の毎日にどこか禅的な要素が垣間見える。それは「日日是好日」と瞬間瞬間を完全なものとして受け入れる精神に通じる。でも、映画全体のトーンや監督の視点って、どこか西洋的で、イデア的な理想を追い求めるニュアンスが漂う。平山の生活は、物質や欲望から解放された「本質的な生き方」の投影、つまりイデアの影を映してるように感じるんですよね。特にラストの涙は、禅の静かな受容を超えて、もっと人間的な未練や感情が滲み出てて、そこがイデア的な「完璧さへの憧れ」とリンクしてる気がする。
これを監督自身が気づいてないわけない、と思うんですよね。
ラストシーンを撮るとき監督は役所さんに、平山のこの数週間で起こったことをただ思い返して、という指示だけをした、なんて記事を見つけた。役所さんはこのオーダーに見事に応えた。木漏れ日のような今この瞬間のゆらぎだけをみていた平山に「過去を見ろ」とは…。
このラストシーンをみて、わたしは「はっ」と我に帰ったんです。
なんせ、このラストシーンに「とても感動した」「感動してしまった」からです。役所さんの演技はもちろんだけど!w このシーンがとっても素晴らしいと思った。
だからこそ、次の瞬間ガツンと揺さぶられたように感じたんです。全編で描かれてきた「禅」だと思っていた感覚が、まさにイデアのフィルターを通した「ZEN的」なものだったってことに気付かされたから。
このフィルターを通してみる世界に感動しているわたしもまた、功利主義的な現代の感性に染まる灰色の人間のひとりなのだなと。映画から漏れ出る強烈な光に自らの影をみたのかもしれません。
りなる.
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