🧠 あらすじと概要:
あらすじ
映画『ORLIK』は、主人公クラレンス・オルリックが理想の自分と現実の姿の間で揺れ動く様子を描く物語です。彼は孤独や誇りに苦しみながら、選択を迫られる日々を過ごします。作品の中では、視覚的なコラージュや色彩豊かな映像が特徴的で、観客はオルリックの内面を追体験するように、刺激的な情報を受け取り続けます。
記事の要約
この記事は、『ORLIK』を観た感想を書いた日記のような形式です。作者は映画に強く引き込まれ、作品に隠されたテーマや制作背景について考察しています。最初の鑑賞後、衝撃を受けつつも何が起こったのか理解しきれなかったが、再度観ることで冷静に分析できるようになったとしています。映画は孤独や自己表現の苦悩を描いており、多くの人に共感を呼ぶメッセージが込められていると感じました。また、監督の人間性や制作秘話にも触れ、作品を通じての映画愛が伝わってきたと綴っています。映画の後、作者自身の表現活動への思いも新たにし、視聴を強く勧める内容となっています。
とりあえず予告だけで度肝抜かれた!カラフルだけどどこかノスタルジーを感じる色合いの場面が、サブリミナル効果やフラッシュバックかのようにバババババッと脳裏に焼き付いていく。嫌いじゃない、むしろこういうの大好き(ニチャ…)
とにかくこれはなんなんだ?という印象。
アップリンクのサイトや動画概要欄、監督のhaiena氏のインタビュー、映画レビューサイト、ストーリーに関する文字情報は多々あるものの何も読まず6月28日の回に行く。(一日一回レイトショーのみ)
昼間からレコード屋回りとちょっと酒も飲んでほろ酔いだったが、そんなほろ酔い気分で浸りながらしんみり見るようなものではなかった。
劇中に登場する印象的な電話のベルや銃声の爆音にはドキッとする。とにかく夢中で画面を見つめていた。鑑賞後のツイート(にちょっと脚色)↓
主人公クラレンス・オルリックは理想の姿と自分の置かれている現状、誰にも理解されない孤独と誇り高く持ち続ける自尊心の間に揺れ、常に選択を迫られ、押し付けられ、苦悩する。観客側は一瞬のまばたきも惜しいほど転換の激しい、情報量の多いコラージュと極彩色の画面に圧倒され続ける。オルリックと共にこちらも頭を抱えていると、また電話のベルに叩き起こされる。
ただただ変化し続ける現実を生き続けるしか他ない。
前情報なく行ったおかげで時間軸おろか登場する場所すらもあまり理解してなくて、あーなんかすげーもん見ちゃったな〜とかその程度の気持ちだった(語彙無いねー)
上映の毎日アフタートークがあるようで、この日はhaiena監督、オルリック役・金子貴伸、芳野桃花が登壇。(敬称略)監督とはすでにツイッター上で何度かやりとりしていたので、文体のまんま物腰柔らかそうな人が出てきてびっくりしたというか合点がいったというか。
制作秘話の他にも、監督がローソンのコーヒーを愛飲しているだとか日常的な話も出てきてほっこりというか不思議な空間だった。
で、鑑賞後これは絶対見るべきと夫にLINE送って別の日の予約も即完了。
6月2日の回で2回目を鑑賞。1回目はとにかく全てが衝撃的で頭が追いつかなかったが、今度はパンフレットやインタビュー、人様のレビューなども隈なく読み漁ったおかげか冷静に画面を見つめていた。
どこが虚像でどこが現実か、完全に理解するのはやはり不可能だが、セリフの間合いだとかクセになってきて時々ぼんやりしながら見るのがちょうど良くなった。
アフタートークではhaiena監督、オルリック役・金子貴伸、ミラー役・黒崎純也、司会には蔵ゆうきが登壇。(敬称略)司会の蔵さんから「オルリックは監督自身の話なのか?」という質問に、監督は「オルリックのように夢に向かってもがいてる、もがいた経験は誰にでも当てはまるんじゃないか」(要約なのでニュアンス違ったらすみません)と回答。
オルリックの生い立ち、パンフレット内の監督のメッセージ、また作中セリフに登場するとある日本の作家の出生エピソードも点と点が繋がる部分は確かにあるかもしれないが、私ももしかしてこれは監督の自叙伝なのかな?と思っていた節があったのでハッとさせられた。
オルリックの抱える、自分はもっと高みへいけると信じる自尊心や、全てが賞賛されるわけではない苦悩、自分に必要なのか分からないどうすればいいか判断も迷う決断を迫られるのも、決して他人事ではない。
何かを表現する人、したいと思っている人、していなくても日々を生きる人、悩みの大きさは人それぞれ、全ての人間へのエールだったのかもしれない。
主人公オルリック、haiena監督が重なる部分で言えば、本編全体を通して感じられる『映画』に対しての莫大な愛を、時に荒々しく、時に真っ直ぐに、時に朗らかに綴ったラブレターであることは間違いないと言える、のかも。
アフタートークで監督は「映画の制作陣一人一人、この映画を見てくれた一人一人との縁を大事にしたい」「この映画を見つけてくれて、足を運んでくれてありがとう」と何度も仰っていた。
トークでの俳優陣とのやり取りは和気藹々としていてたが、制作にあたってぶつかり合ったことや苦労話、それを乗り越えた上の戦友のような仲間だとも話していた。
実際ツイッターで監督(と俳優陣)は一人一人の感想に返信したり、本当にマメな方だなと印象を受けていた。
6月2日のトークでは感極まった監督の涙が見られ、笑いに変わったが↑のような俳優陣との関係性や、監督の人柄が少しだけ知れていたので結構グッときて私も泣きそうだった。
吉祥寺での上映はあと数回。お勧めしまくってるがもちろん万人にウケるものではないかも知れない。それでも人生のどこかで刺さる日は来ると思う。何かピンと来るものがあったら絶対間違いはないと思います!
限りある残りの上映を見逃さないもよし、後から知るもよし、追加上映(全国で展開されることを切実に願う)を待つもよし、どこかの誰かが見つけられますように。見つかりますように。
写真も撮って頂きました!嬉しかった
ここから自分語り
私自身も数年DJを中心になんやかんやしていて最近DJmixCDを初めて出したり、ここ一年くらいはイラストをCDジャケットにしたり、歌ったり、動画制作の依頼を受けたりと「世の中に表現を形で残す」ことを少なからずしている方だ。
10代の頃は田舎ながらも舞台役者をしていて、朗読劇で学校をまわったり、地域の文化活動貢献なんかもしていた。
形は様々ではあるが、「自分を表現する」ことをやめていないんだと、オルリックを見て改めて痛感させられた。おそらくこの先もやめる気はない。オルリックのような孤独な生き方(幼少期のトラウマによる現実逃避)、もがき、自分はこれからどうすればいい?、自分にも重なる部分はやはり多々存在する。今の自分の心の隙間に、パズルのピースがハマったかのような映画だった。そんなタイミングでこの映画を見つけ、足を運んだのもまた一つ縁なのかもしれない。
追記メモそもそもなんでカンガルーや動物の頭を使った擬人化表現なのか?という質問に、アニメ映画版「銀河鉄道の夜」を監督が子供の頃繰り返し見ていたのが原点であるという。
監督のYouTubeにも『ギンガテツドウ』なる楽曲が。
私も宮沢賢治に関してはオタクな方なので(今不定期で開催している朗読イベントも宮沢賢治の掘り下げをしている。あと最近銀河鉄道と賢治関係でイメージソングも作った照)、そういった点も共通点で嬉しかった。
カムパネルラのモデルの一人ともされている保阪嘉内の地元まで行った
子供の頃、ジョバンニが活版印刷で働いてるの見て、この世の仕事は活版印刷のバイトしかないんだ、大人になったらこれをやるんだ……と本気で信じていた程だ。真面目に働くジョバンニとはかけ離れ、無職とDJですわ、ガハハ……
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