金曜日, 5月 23, 2025
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『魔物(마물)』は究極の“アンチグルメドラマ”だ “食べない料理”が炙り出す人間の本性


 近年、テレビドラマにおいて「グルメ」は欠かせない要素となっている。火付け役となったのは、言うまでもなく『孤独のグルメ』(テレビ東京系)である。2012年に深夜枠で放送が開始されて以降、地味ながら根強い人気を保ち続け、今や年末の特番が風物詩と化すほどのシリーズとなった。

 グルメは人を癒す。日常の疲れを忘れさせ、画面の向こうの料理に没入することで、一種の“疑似満腹感”を得られる。『作りたい女と食べたい女』(NHK総合)や『しあわせは食べて寝て待て』(NHK総合)のように、食事を通して人々が心を通わせ合ったり、日常のささやかな幸せに気づく作品も多い。

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 だが、2025年4月期の金曜ナイトドラマ『魔物(마물)』(テレビ朝日系)は、そんなグルメドラマの文脈に真っ向から異を唱える。いや、正確には、グルメドラマの形式を巧妙に利用しながら、その本質を徹底的に裏切る。これは、“食べるドラマ”ではなく“食べないドラマ”である。そしてそのことが、食という行為に潜む欲望と暴力性を、強烈に浮き彫りにしている。

 『魔物(마물)』の最大の特徴は、各話のタイトルに韓国料理の名前が用いられている点にある。第2話「愛欲のキムチチゲ」、第3話「偽りのサムギョプサル」、第4話「ほじくってケランチム」と、まるでムード歌謡のような言葉選びが印象的だ。

 実際には、これらの韓国料理は「食べるため」に登場するのではない。むしろ、食卓を囲むことによって噴出する怒り、悲しみ、嫉妬――そうした悪感情を爆発させるための装置として登場するのである。

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 たとえば、主人公の弁護士・あやめ(麻生久美子)が、恩師である大学教授・名田(佐野史郎)の通夜に出向いた第2話。葬式は日本式だったが、なぜか珍しいことに通夜ぶるまいとしてキムチチゲが登場する。

 やがて、あやめが名田の殺人容疑をかけられている凍也(塩野瑛久)を連れてきたことが明らかになると、その場は一気に険悪な雰囲気に包まれる。遺族の一人が鍋を手にして凍也に突進し、彼をかばったあやめは、全身キムチチゲまみれになってしまう。食べるという行為は行われず、むしろ“食べない”ことが、登場人物たちの関係性の断絶を象徴するのである。

 こうした構図はほぼ全話に共通している。第3話では、あやめが母の誕生日祝いに韓国料理店を訪れるものの、娘へのチクチク言葉が止まらない両親に耐えかね、サムギョプサルを一口かじっただけでその場から逃亡。第4話では、凍也があやめと関係を持っていることに気づいた凍也の妻・夏音(北香那)が、怒りを露わにしてケランチムを箸で突き刺す。

 『魔物(마물)』において料理とは、人々の間に存在する見えない亀裂を顕在化させるトリガーなのだ。だからこそ、普段は食欲を刺激するはずの韓国料理の色彩も、かえって胃もたれするほどの情念を喚起させる。





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編集部の感想:
『魔物(마물)』は食べることがテーマではなく、食べないことで人間の本性や感情の闇を浮き彫りにする新しい試みが魅力的です。グルメドラマの常識を覆し、料理をトリガーにした人間関係の緊張が見事に描かれています。これにより、視聴者は食事を通じた感情の複雑さを再認識させられるでしょう。

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