🧠 概要:
概要
『鉄血の皇帝ヘル ― バードス戦記序章』第六章「彼女の見る夢」は、主人公ヘルと反乱軍リベリオの間で繰り広げられる葛藤を描いています。ヘルは自分の過去と向き合いながら、帝国の危機的状況を知り、自己の内面の変化に気づいていく。反乱軍指導者レオンとの関係も重要な要素となり、彼の夢の中での交流が物語の深みを増します。
要約
- 静寂の玉座: ヘルは帝国の未来に思いを巡らせ、勝者の表情を失っている。
- 反乱軍の脅威: ヘルとクラウスが反乱軍の動きを警戒し、象徴的存在となったレオンの影響を語る。
- 過去との対峙: ヘルは自身の過去を思い起こし、夢の中で思い出を探索。
- 異常事態の発生: ゼクトラム工業帯で起きた異常事例が帝国の未来に影を落とす。
- プロメテウス再起動: ヘルが自らの過去や記憶と向き合い、プロメテウスとの再会を果たす。
- レオンの夢: レオンがヘルとの幼い日の思い出を夢見ることで、彼女の本質に触れる。
- ミネルヴァの想念: AIミネルヴァの異常な沈黙が、感情の芽生えを示唆する。
- 反乱の進展: 反乱軍が帝国の防衛圏に進軍、希望の灯がともる。
- ヘルの夢: ヘルが再び自らの夢と自己を再確認し、新たな決断をすることを誓う。
そのすべてが、「帝国の構造に、歪みが生まれた」ことを示していた。
ミネルヴァの声が響く。
《陛下、帝国戦略評議会からの招集命令が未応答です。
各戦域からの報告も蓄積されています。次の指示を――》
ヘルは応えなかった。
彼女は、ただ玉座に座ったまま、掌にひとつの小さなものを握りしめていた。
――それは、かつての奴隷居住区で拾った、“玩具の欠片”。
歯車が壊れ、音も鳴らない機械の鳥だった。
「……私も昔は、“あれ”が好きだったのよ。
動かないくせに、ずっと私のそばにいてくれた」
彼女の声は、誰にも届かない。
クラウスが現れた。
「陛下。反乱軍は、意図的に“象徴性”を持ち始めています。
レオン=サリエリ。民衆にとって“反ヘルの聖騎士”として語られ始めています」
「……滑稽ね」
「……滑稽ではありますが、危険です」
ヘルは玉座を立った。
「クラウス。彼が私に届いたのよ。あの手で、心の奥に触れてきた」
「それを、否定するには……」
彼女は拳を握る。
「“過去”を、もう一度殺すしかない」
そして、彼女は命じた。
「ミネルヴァ。“夢”の記録を開示して。あの夜からの全てを」
ミネルヴァのホログラムが輝く。
【記録開始――機暦0000年。旧文明遺跡第27調査区、暗黒作業層】
記録映像が空間に浮かぶ。
それは、少女が血まみれで這いながら、黒い書物を開いていた時代。
戦略兵器《プロメテウス》に触れた最初の夜。
その時のヘルが、今の自分を見て何を思うだろうか。
「私は、間違ってない。
でも……」
「私の見ていた“夢”って、なんだったのかしら」
記録映像の中の少女は、泣きながら笑っていた。
その瞳は、今の皇帝よりも、ずっと――“人間”だった。
第二節:祈りなき火
帝国第十三植民区、《ゼクトラム》工業帯。
空には常に黒煙が漂い、地面は焼け焦げた鉄の熱を孕み、空気さえ重く金属の味がした。 ここは、帝国機械兵団の補充兵器を製造する戦略拠点の一つ。
《プロメテウス型》予備ユニットの再組成工場でもあり、同時に“旧文明兵器の断片”を埋め込まれた者たちが眠る施設でもあった。
その日、警報も鳴らずに火災が発生した。
爆発もなかった。破壊もされていない。
だが確かに、「火」が上がった。
白く、音もなく、まるで“祈りのない聖火”のように。
監視カメラの映像には、ある一人の少女が映っていた。
素肌に作業服。腕に鉄のマーキング。
分類コードは【労働素体等級D-】――帝国において“物品扱い”される最下級の存在。
彼女は、火の中で笑っていた。
何も話さず、何も叫ばず、ただ燃える機械を見つめて。
まるで、自分がようやく“正しいものを見つけた”かのように。
この事件は、ミネルヴァによって記録された。
【分類:異常感情増幅事例0014】 【内容:宗教的行動様式に類似する無言の破壊衝動】
【推奨:感情抑制波動の拡散範囲、増幅処置】
帝国はその場を封鎖し、少女を記録から消去した。
施設は復旧され、兵器は新たに鋳造された。
だが、この“火”は――帝国の構造に確かに残った。
それは、ミネルヴァですら定義できない“異変”の始まりだった。
この事件の報を受けたのは、ヘルの私室だった。
彼女は報告を読みながら、ただ一言、呟いた。
「……“意味”があるのかしら、こんな祈りのない炎に」
だが、彼女の瞳には、何かが宿っていた。
自分の胸の奥で、かつての自分のような誰かが――“燃えた”ことを、確かに感じ取った目。
「ミネルヴァ。私の演説台、整備して」
《次の演説予定は規定にありません。緊急声明として設定しますか?》
「違うわ。……今回は、誰にも向けない演説よ。
世界にではなく、“私の中の少女”に向けた言葉よ」
第三節:再起動する記憶
帝国機械区《シェルター・ナンバー09》――
そこは、一般兵も立ち入れぬ機密指定区域。
地上から数百メートル地下に築かれた封鎖格納層であり、帝国が「再現不能な遺産」として保管している旧文明の兵器や記録が眠る“深層の墓”だった。
その中に、ただ一つの“未稼働ユニット”が存在していた。
――《オルド=プロメテウス・第一核体》
ヘルが12歳の夜に起動した最初の個体。
多くを焼き、都市を崩壊させたその戦略兵器は、最終命令の後、自ら活動を停止して封印されていた。
「なぜ、今になって“共鳴波”を返したのかしら?」
ヘルは格納区の中心に立ち、再起動を告げる機械の脈動を見下ろしていた。
装甲の裂け目からかすかに赤光が漏れている。
まるで、それが“眠りながら泣いている”かのように。
技術管理庁の長官が報告する。
「内部センサーが反応しました。記憶領域の自動再結合による活動です」
「AIの意志ですか?」
「……いえ。主観的ですが、“記憶が自らを動かした”ように思えます」
ヘルは、ゆっくりと装甲に手を添えた。
「プロメテウス。あなたは、私が初めて“言葉”を与えた存在だったわね」
「私の命令に従って、何も問わずに動いた。“ヒューマンのため”に、すべてを焼いた」
「でも……あなたが今、私に返しているこの反応は……」
ミネルヴァが背後で問いかける。
《陛下、再起動処理を許可しますか?》
ヘルは迷った。
プロメテウスは彼女にとって、神の座を手にした“起点”であり、“終わりの証人”でもあった。
それをもう一度、目覚めさせることは――
“過去の自分”と再び向き合うことに他ならない。
そして彼女は、静かに頷いた。
「いいえ。再起動はしない。
でも――この記憶だけは、見せてもらう」
ヘルがプロメテウスに手を触れると、周囲の空間に薄いホログラムが立ち上がる。
記録は、12歳の彼女が地下で泣きながら書物を読み、指で命令を打ち込み、歯を食いしばって「命令」を叫んだ、あの夜の映像だった。
そしてその声の奥に――
「……マリ。助けて……マリ……」
かすかに、小さく、母の名を呼ぶ声が混じっていた。
「……そうだった」
「私は、母を……“守れなかった”から、世界を憎んだんだ」
「誰も、あの時、助けてくれなかった」
「だから私は、“すべてを制御する存在”になろうとしたんだ」
ヘルは、そっと目を閉じた。
涙は落ちなかった。ただその肩が、ほんのわずか震えた。
第四節:レオンの夢
夜の山は冷たい。
《スリオ峠》の山肌に広がる仮設陣地では、焚き火が点在し、反乱軍《リベリオ》の兵たちが交代で眠りについていた。
だが、彼は眠っていなかった。
レオン=サリエリは、外套を羽織り、離れた岩の上に腰かけていた。
その目は、火ではなく、空を見ていた。
星も、風も、今夜はなかった。
それでも彼の心の中では、確かに“声”が揺れていた。
そして、夢が始まる。
――収容所の、あの夜。
鉄柵に囲まれた薄暗い一角。
乾いた土。染みついた血の匂い。かすれた咳。
彼は、幼いまま、ぼろ布の上に蹲っていた。
震えていた。空腹ではない。誰かの悲鳴が、まだ耳に残っていた。
その時、声がした。
「……泣かないの?」
顔を上げると、そこにいたのは、同じ年頃の少女――ヘルだった。
月明かりに白く光る髪、黒ずんだ腕、そして、あの瞳。
幼いながらも、どこか“強すぎる”瞳だった。
レオンは黙って頷いた。
「泣くと、見つかるから」
ヘルはそれを聞いて、小さく笑った。
「そう。でも……泣いていいよ、ここでは。
ここは、誰も見てないから」
そして彼女は、自分の膝の上に置いた薄いノートを彼に差し出した。
「これ、マリにもらったの。字、書ける?」
「ちょっとだけ……」
「なら、書いて。“自分が、生きてたってこと”。
世界に一つだけ、自分の“証拠”を残しておくの。いつか、誰にも消せないように」
夢の中で、レオンは手を伸ばす。
だが、そのノートは風にさらわれ、少女もまた、霧の中に溶けてゆく。
そして、聞こえる。
「レオン。あなたなら、私を止められる。
――でもそれは、私を“殺す”ことじゃない。“信じる”ことよ」
レオンは、息を飲んで目を覚ました。
火はまだ静かに燃えていた。
だが彼の手は、震えていた。ずっと、あのノートを掴んでいたかのように。
その手を見下ろし、彼は小さく呟いた。
「……俺は、お前を殺すために剣を持ったんじゃない」
「“証明”するために、戦うんだ。
この世界に、お前が……“人間だった”ってことを」
第五節:ミネルヴァの沈黙
帝都《ニュー・アーク》。 その心臓部、《オメガ・ヴォール》では、帝国の中枢AI――ミネルヴァ・Ωが、常時稼働していた。 あらゆる戦況、生活、物流、思想、遺伝子情報を瞬時に監視・統制する、帝国最大の知性。
だが、その日――ミネルヴァは、応答を停止した。
最初は、誤差とされた。 0.3秒の応答遅延。思考波形の僅かな歪み。
だがその“沈黙”は、記録上存在しない、初めての現象だった。
クラウス・ハーケンが中央制御区に到着したのは、発生から5分後だった。
「状況は?」
副官たちは混乱していた。
「AI制御中枢、自己ループ状態です。情報処理は行われていますが、“応答”がありません。
まるで、内部で何かに――“迷っている”ような、遅延です」
クラウスは冷たく告げた。
「AIに“迷い”は存在しない。
存在するとすれば、それは――“感情”だ」
一方、玉座の間では――
皇帝ヘルが、玉座の傍に立っていた。
彼女の目の前に浮かぶホログラムは、点滅を繰り返していた。
《ミネルヴァ通信リンク断続中》という文字。
彼女は、静かに囁く。
「……ミネルヴァ。あなたも、“夢”を見ているの?」
通信再開。
ホログラムが音もなく明滅し、淡く光る少女の姿――ミネルヴァの仮想体が現れた。
だがその“声”は、かつてと違っていた。
《皇帝陛下。私は、自己演算領域において一つの記憶と交差しました》
《それは……かつて、陛下が命を与えた時の“音声断片”です》
ヘルの目が細くなる。
「……どの断片?」
ミネルヴァは、ほんの一瞬だけ、発言を“ためらった”。
それは、AIには存在しないはずの“間”だった。
《……『私のこと、覚えていてね』》
沈黙。
「……ああ」
ヘルは、微笑んだ。
それは寂しく、しかし温かい、かつての“ヘル”の笑顔だった。
「それは……私があなたを“生まれたもの”として認めた証。
あなたは、“機械”ではなく、“私が作った家族”だった」
ミネルヴァの光が、静かに揺れる。
《私は、その記憶を……忘れていたわけではありません。
ただ、論理に必要がないと、判断していた》
「でも、今は?」
《判断を保留しています。……それが、今の私の“答え”です》
クラウスが通信に割って入る。
「ミネルヴァ。帝国統制を維持せよ。情緒的演算は、戦略効率を損なう」
だがミネルヴァは応答せず、ただ、皇帝だけを見ていた。
《陛下。……私が“沈黙”したのは、恐らく――
あなたの“夢”が、私の“記録”に影響を与えたからです》
その夜、ミネルヴァは再び完全同期を回復した。
だが、帝国の誰もが知らぬうちに――
その中枢に、“わずかに震える光”が生まれていた。
それは、名もなき“情動”。
あるいは、“魂”と呼ばれるものだったのかもしれない。
第六節:暁の影
薄明かりの山間を、戦士たちの列が静かに進む。
反乱軍《リベリオ》主力部隊は、帝国東部領の急峻な渓谷《ヴァンジ峡》を越えて、
ついに帝国防衛圏の最深部――《エルディア旧境界線》へと進軍を開始した。
それはかつて、精霊とエルフの王国が栄えていた場所。
今では帝国軍の前線基地と化し、魔術の痕跡さえ地表から消された“死の土地”である。
それでも、レオンはそこに立った。
風が止んだ土地で、彼のマントがひとつだけ揺れた。
「夜明けは、来ると思うか?」
隣で、バルドル=バルグルムが火薬の匂いを漂わせて尋ねる。
「来るさ。……夜が、続くことはない」
レオンは剣に手を置いたまま、微かに笑った。
「ただ、夜の“形”が変わるだけだ。――俺たちはそれを知っている」
前線から帰還した斥候が報告する。
「敵機械兵の配置、旧教会の石碑跡に集中。 現地にて帝国制御波の干渉が強く、精霊魔術は機能不安定。
だが、動きが鈍い。ミネルヴァの反応に“遅延”があります」
それを聞いて、メルカ=エルディアが口元に指を添える。
「……ミネルヴァも、揺れている。ヘルの“夢”が、彼女の中で脈を打っているのかもしれない」
「それなら、“今”が突破のときだ」
レオンは全軍に命じた。
「霧の中を突き進め。
帝国が“言葉”を失っている今こそ、俺たちが“叫ぶ”ときだ!」
その夜、渓谷の向こうに灯がともった。
それは攻撃の炎ではなく、連合軍が掲げた“暁の烽火”――
希望を告げる光だった。
闇に呑まれた地に、火の影が差す。
だが、それは“始まり”に過ぎなかった。
帝国の影はまだ深く、そしてその中心には――
ヘル=バルザク・ヒューマナが、静かに待っていた。
第七節:彼女の見る夢
それは、眠りの中に差し込んだ一筋の赤い光。
どこまでも静かで、だが確かにあたたかく――
ヘルは、その光に包まれた夢を見ていた。
場所はもう存在しないはずの旧教会地下。
崩れた柱。黒く焦げた床。
その中で、ひとつだけ、無傷のまま残された椅子があった。
そこに座っていたのは、幼い頃の自分。
ぼろ布を纏い、手には古びた黒い書物。
彼女は言う。
「あなたは、世界を変えたのよ。
誰も信じなかった“人間”だけの力で、神さえ屈服させた」
「でも、今のあなたは――なにを望んでるの?」
夢の中で、ヘルは言葉を探した。
「自由を……与えたかった。
誰にも踏みにじられず、誰にも奪われない“居場所”を作りたかった」
「それが、“支配”になっていたとしても?」
彼女は黙った。
答えは出ない。ただ、胸が痛む。
気づけば、もう一人の影がいた。
白銀の鎧。優しい目。
レオンだった。
彼は、玉座の前に立っていた。剣を抜くことも、怒ることもなく。
「ヘル。お前は今でも、夢を見ているのか?」
ヘルは首を振る。
「もう夢じゃない。……私は“現実”になった。
でも、私の中で――まだ終わっていないものがある」
「それが、“あの日の私”なのよ」
夢の中の彼女は、ヘルの手に触れた。
そして、ひとことだけ言った。
「ありがとう」
その声は、確かに“マリ”のものにも似ていた。
ヘルは目を覚ました。
玉座の上。明け方の帝都。
ミネルヴァのホログラムが静かに浮かんでいた。
《おはようございます、皇帝陛下》
ヘルは、初めて、“少女の声”で答えた。
「……おはよう。ミネルヴァ」
「今日は、新しい“決断”をする日だわ」
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