🧠 概要：
概要
『鉄血の皇帝ヘル ― バードス戦記序章』の第一章「奴隷の烙美和」は、奴隷として生まれた少女ヘルが、旧文明の禁書と出会い、戦略兵器を手に入れ、それを元にヒューマン帝国を築いていく物語です。彼女は異種族に「服従・奴隷化・根絶」といった選択を迫り、人間性とは何か、そして自らの運命を問い直しながら進んでいきます。物語は、彼女が全世界を掌握するまでの過程とその結果、孤独を深めていく様子を描いています。
要約の箇条書き
- 時代背景: 星暦5701年、バードス大陸の辺境。
- 出生の経緯: ヘルは奴隷として生まれ、母リナは兵士に捕らえられた奴隷女医。
- 幼少期の過酷さ: ヘルは幼い頃から厳しい環境で育ち、感情を抑えることを学ぶ。
- 学びの始まり: 廃棄された文書を読み取る能力を身につけ、新たな知識を得る。
- 出会い: レオンという少年と、母のような存在のマリと出会い、かけがえのない関係を築く。
- 事件: 武装盗賊団の襲撃により、仲間たちが犠牲になり、ヘルは復讐を決意。
- 旧文明の遺産: 石室で戦略兵器《プロメテウス》を発見し、起動する。
- 復讐の実行: プロメテウスを操り、盗賊団を殲滅。
- 心の変化: マリの死を経験し、命の重さと愛の形を学ぶ。
- 決意: 自らの力を使って世界を変える決意を固め、ヘルとして成長を遂げる。
星暦5701年、バードス大陸南西端。
地図に描かれぬ地――“ヒトの王たちすら忘れた場所”と呼ばれる辺境の集落で、一人の少女が産声を上げた。
空は雲に覆われ、土は乾いてひび割れ、人々の目からは光が失われていた。 その集落では、人間はもはや「人」ではなかった。
ただの資源。物資。数。――つまり、奴隷である。
母の名はリナ。 数年前、東方の戦地で敗れた兵士たちと共に捕らえられ、奴隷女医として兵舎で「処理」されていた女性だった。 男たちの慰み物として命じられるまま幾度も身を捧げ、ある日、命の火を宿した。
それが、ヘルだった。
子を成した相手の名も、顔も、種族さえわからなかった。
ただひとつだけ、赤い瞳を持った娘が生まれたのを見て、彼女は知った。
「この子は……“異物”だ」
それでも、名をつけた。
ヘル――地獄。
願いなどなかった。愛もなかった。ただ、呪いだけがそこにあった。
リナは出産から二日後、出血多量で命を落とした。
その日、集落の管理官は記録帳にこう書いた。
>「新規奴隷個体 H-0723（♀） 誕生。母体死亡、登録完了」
生まれてすぐに番号を与えられ、女たちの手で赤子の左腕に焼印が押された。
H-0723――この子が、世界に与えられた「最初の言葉」だった。
乳も与えられず、毛布もない。木箱に押し込まれた赤子は、三日三晩泣き叫んだ。
だが誰も助けず、誰も触れなかった。
それでも――死ななかった。
五歳の誕生日を祝う者はいなかった。
ただその日、彼女は「穴」に落とされた。
そこは古い鉱石採掘場。すでに崩落の危険があるため、成人の奴隷を投入できず、代わりに幼い子供たちが投入された。
光も届かぬその地下で、彼女は石を削り、鉄鉱石を分別し、叫ぶことも、泣くことも許されなかった。
他の子供たちは、少しずつ壊れていった。
言葉を失い、手を失い、やがて命を失っていった。
だが、ヘルは生き延びた。
彼女は、学んだ。 「痛みは、感情より優先される」 「感情は、生き延びるのに不要だ」
「記憶は、繰り返すためにある」
あるとき、地面に捨てられた紙切れを拾った。
《作業規則 第17条》――と記されたその一枚の文書。
それを、彼女は読んだ。
誰にも教わっていない。ただ、理解した。
それが、彼女の**最初の「異能」**だった。
第2節：沈黙の少女
鉱坑の空気は常に濁っていた。 炭塵、汗、血、そして死の匂い。
地上では「奴隷用採掘区画K」と呼ばれるその穴倉には、今や年端もいかぬ子供たちしかいなかった。
その中で、彼女は目立たなかった。
小柄で、寡黙で、どこにも感情を見せない少女。
他の奴隷が怯えるなか、ただ淡々と任務をこなし、上官の鞭にも声を上げなかった。
ヘルは、沈黙していた。
彼女は学んでいた。誰よりも多くを、誰よりも早く。
地下に投げ捨てられた古びた新聞、破れた伝票、作業指示書。すべてを一度見れば、完全に記憶していた。
そこに記された言語はバラバラだったが、彼女の中では“構造”としてつながっていった。
ある日、監督官がこぼした。
「おいH-0723、お前、この数字の羅列、読めるのか？」
無言で頷いたヘルに、監督官は紙を投げつけた。
「こいつは流通コードだ。物流の伝票をまとめておけ。雑用奴隷として働かせてやる。感謝しろよ」
その日から、ヘルは「鉱石仕分け」と「文書管理」の二重任務を負うことになった。
過酷さは増したが、彼女にとってはむしろ“読む”時間が増えたことが喜びだった。
仲間はいなかった。
人を信じることは、生き延びることに対して不要だったからだ。
それでも、ある夜、ふと目が合った少年がいた。
灰色の瞳をした少年。自分と同じぐらいの年齢、いや、少し年上だったかもしれない。
彼はよく、他の子供に水を分け、布を裂いて包帯を作っていた。
愚かだ、とヘルは思っていた。
「無駄だよ。助けたって、明日には死ぬかもしれない」
そのとき、少年は真っ直ぐに彼女を見た。
「……それでも、今日を救えるなら、意味はあるよ」
その言葉に、ヘルは眉をひそめた。
その夜から、彼はヘルの寝床の隣に来るようになった。
少年の名は――レオン。
第3節：出会い ― 母と、少年と
彼がいた場所には、もうひとりの人物がいた。
マリ。
落ち着いた物腰の中年の女性で、元は戦地の奴隷女医だったという。
彼女は子供たちの世話をする係としてこの鉱区に配属されていた。
限られた食糧と薬を公平に分け、泣く子供の頭をなで、咳き込む者には布を当てて抱きしめる。
それが、マリだった。
「あなた、名前は？」
初めて聞かれたその問いに、ヘルは答えられなかった。
「……H-0723」
「そう。ならば、好きに呼ばせてね。“ヘル”と呼ぶわ。あなたの瞳が、炎のように赤いから」
ヘルは、ほんのわずかに目を見開いた。
“ヘル”。それは、母がつけた名前だった。
まだ、幼い頃の記憶にかすかに残る、優しい声と共に。
マリは、何も言わず、微笑んだ。
その日から、ヘルは一日の終わりにマリとレオンと一緒に食事をとるようになった。
暖かな手。優しい笑顔。そっと寄せられる肩。
ヘルは理解していた。それが「家族」というものだと。
けれど、彼女はその言葉を口に出すことはなかった。
なぜなら、それが壊れることを、すでに知っていたからだ。
第4節：石室の呼び声
きっかけは、単なる落盤事故だった。
鉱床の奥で作業していた少年が一人、足場を踏み外して崩落に巻き込まれた。
監督官たちは面倒を避けるため、現場を封鎖し、埋まった少年の名を消した。
その翌日、ヘルは夜の帳の中で、こっそりと崩れた坑道に潜った。
誰にも見つからないように、身体を這わせ、わずかな裂け目を抜けて――彼女は“そこ”に辿り着いた。
それは、鉱脈の奥にぽっかりと開いた、石造りの空間だった。
幾何学模様が刻まれた壁、崩れた柱、光を放つ円形の床。
どこにも木も土もなく、ただ静かな冷気と鉄の匂いが漂っていた。
彼女は無言で歩いた。
なぜか、心臓が静かに鳴っていた。
その空間の中心、祭壇のような台座の上に、それは置かれていた。
――黒い書。
分厚く、革のような装丁に包まれ、表紙には読めない文字が刻まれている。
ヘルは、指を伸ばした。
その瞬間、背筋を雷が走るような感覚が彼女を貫いた。
文字が、記号が、図面が、言葉ではない情報の奔流が頭の中に流れ込んでくる。
脳が焼かれるような痛み。
だが彼女は、それを拒絶しなかった。
「もっと……もっと教えて」
それは、旧文明の“アーカイヴ”だった。
書ではなく、記憶媒体。
脳に直接“知識”を刻み込む、旧人類の遺産。
機械、戦術、統治、遺伝、言語、地図、構造式、破壊の理論、支配の手法。
ページをめくるたびに、彼女の内に、世界を“壊す”ための設計図が積み重なっていった。
彼女は、熱にうなされながらも、夜ごとそこへ通い続けた。
傷ついた指でページをなぞり、血まみれの目で線を読み、記憶する。
光のない地下で、彼女は“神に最も近い知識”を独占していった。
第5節：罪と知識
昼は石を運び、夜は黒い書を読み解き、身体は限界に近づいていた。
それでもヘルは止まらなかった。
ある夜、彼女は鉱区で倒れた。高熱と飢餓で動けなくなったのだ。
その身体を抱き起こしたのは、マリだった。
「あなた、何をしていたの……？ こんな身体で……」
マリは何も問わなかった。ただ、そっとスープの器を差し出した。
それは、マリの食糧の全てだった。
「食べて。……これは、命の味よ」
ヘルは、震える手で器を受け取った。
スープはぬるく、塩も薄く、だが……なぜか涙が出た。
その夜、ヘルはマリの膝に頭を預け、夢も見ずに眠った。
彼女にとって、それが**最初で最後の「安らぎ」**だった。
だが、幸福は長くは続かない。
集落に異変が起きたのは、その翌日のことだった。
他所から流れてきた武装盗賊団が、金になる奴隷を攫いに来たのだ。
火を放ち、鞭を振り、子供たちを列に並べさせ、反抗する者をその場で射殺した。
ヘルは、マリとレオンを探して走った。
耳を塞いでも聞こえてくる悲鳴。焼け落ちる天幕。蹂躙される女たち。
その中に、確かにレオンの声があった。
「ヘル、逃げろ！ 早く――！」
そして、マリの叫びが重なる。
「この子だけは……！ この子だけは、連れて行かないで……！」
ヘルは、見た。
血を流しながら立ちはだかるマリ。
背後にレオンを庇い、手に持ったスコップで盗賊の一人に殴りかかろうとする姿を。
次の瞬間、銃声が響いた。
マリは、倒れなかった。
胸を撃ち抜かれても、まだ腕を伸ばし、レオンを庇っていた。
ヘルは、駆けた。
その視界の中、誰かがマリを突き飛ばし、銃を向ける。
そして――
世界が、赤く染まった。
第6節：赫き巨神、目覚める
銃声。悲鳴。咆哮。焼ける臭い。
世界が崩れていく中で、ヘルの足は自然と動いていた。
――石室へ。あの“知識の在処”へ。
心は、怒りでも悲しみでもなかった。
ただ一つ、「認識」だけが彼女を突き動かしていた。
“もう、何もかも終わらせるときだ”――。
石室の最奥、光を失っていた装置のひとつへ、彼女は手を伸ばした。
アーカイヴの中でも封印指定された戦術遺物。赤く封印された文字で記されていた名。
《戦略殲滅兵器：オルド＝プロメテウス》
生体認証、精神リンク、神経照合。
通常であれば適合までに数時間を要する起動手順が、彼女に触れた瞬間、すべて解錠された。
【適合因子確認。起動条件すべてクリア】
【操縦者認証：H-0723 共鳴率99.92％】
その声は、冷たくもどこか哀しげだった。
ヘルは、心の中で静かに囁いた。
「すべてを、終わらせて」
石壁が砕け、床が崩れ、巨大な蒸気の柱が地を突き破った。
地表が震え、奴隷鉱区の中心部に巨大な“影”が現れる。
30メートルを超える機械巨人。全身を赤い装甲で覆い、胸部には放熱装置と巨大な光核。
頭部には眼のように輝く赤いスリット。背には破壊を担う主砲――
《プロメテウス》、目覚める。
彼女は、機体のコックピットに身を沈める。
その全身に、装置から神経が刺さる。
痛みはなかった。
「認識完了……目標：この世界」
指を動かす。瞳を開く。意志と共鳴し、兵器は応えた。
「初期熱線・最大出力。コード：“焼却”」
プロメテウスの胸部が開き、中心の光核が赫く脈打った。
次の瞬間、全域に轟音が響いた。
半径1キロの空間が、爆音と共に溶け落ちる。
建物は一瞬で蒸発し、盗賊たちは声もなく消滅した。
焼かれ、崩れ、溶け、すべてが赤と黒に染まっていく。
誰も――止められなかった。
第7節：マリの最期
視界の隅に、人影が見えた。
火の海の中、倒れた影が――わずかに動いていた。
「……マリ……？」
ヘルはプロメテウスの動力を落とし、コアから離脱した。
焼け焦げた地を、震える足で駆ける。
その場所にいたのは、血に濡れたマリだった。
左半身を焼かれ、髪は焦げ、呼吸は浅い。
だが、彼女は生きていた。
その胸に――レオンがいた。
マリは、両腕でレオンを包むようにして、盾になっていたのだ。
「マリ……なぜ……私が……あんなものを……」
ヘルの声は震えていた。初めて、涙がこぼれた。
マリは、微笑んだ。
焼けただれた唇から、かすれた声が漏れる。
「ヘル……生きて……あなたは……生きて……」
「やめて……私が殺した……！」
「違う……あなたは……生きるために……選んだの……」
マリの手が、震える指でヘルの頬に触れる。
「……それで、いいのよ……」
そして――
その手は、力なく、落ちた。
マリはもう、動かなかった。
レオンは、意識を失っていた。
彼女はレオンを背負い、灰の中を歩いた。
焼け落ちた街、沈黙した空。誰もいない、何もない焦土。
その中心に、赤い瞳の少女が一人、立っていた。
風が吹く。灰が舞う。空は、血のように赤かった。
そのとき、誰かが彼女を見たならば、こう呼んだだろう。
――レッド・ヘル
第8節：灰の中の少女
夜明けは、いつの間にか訪れていた。
だが、陽の光は差さなかった。
燃え尽きた地を、灰の帳が覆っていた。
その灰の中に、たった一人、少女が立っていた。
ヘルは、プロメテウスの肩に座り、ぼんやりと沈んだ空を見上げていた。 腕には、気を失ったままのレオン。
その手には、焦げた布の切れ端――マリの上着の一部。
「どうして……こんなことに、なったの……？」
誰にも向けられない問い。誰も答えない問い。
地上には、もう敵はいなかった。
盗賊団は全滅し、監督官たちは溶け、掘削場は地形ごと失われた。
だが、ヘルの胸には何一つ“勝利”の感触がなかった。
マリが死んだ。
ただそれだけが、胸の奥で脈打っていた。
その日、彼女は全てを見た。
世界の構造。暴力の連鎖。命の重さ。
そして、愛の形。
自分のために命を捧げた母のような人がいて――
それを奪ったのが、他ならぬ自分だったという事実。
彼女は立ち上がり、プロメテウスの光核に手をかざした。
「……あれ以上の力は、使わない。二度と……無駄に殺したくない」
そして、言葉を続けた。
「でも、奪われないために――私は、奪う側に立つ」
炎のような瞳が、地平を見据えた。
第9節：名前を持つ者として
数日後、彼女は再び歩き始めていた。
レオンは目を覚まさなかった。栄養失調と精神的ショック。
彼の命を支えているのは、彼女の腕の温もりだけだった。
どこに向かうのかも分からなかった。
ただ、彼女の中には確かな“核”が芽生えていた。
「世界は壊せる」
そして、
「壊した後に、創り直すこともできる」
その思想が、少女の中に刻まれていった。
かつて自分は、“番号”だった。
人間ではなかった。モノだった。
だが今は――違う。
「私は、名を持つ。記録のない子ではない。マリが呼んでくれた。レオンが覚えてくれている」
「私は、“ヘル”。」
風が吹いた。灰の中に立つ彼女の髪が揺れる。
その背後で、眠る少年の胸が、かすかに上下していた。
彼女は、そっと囁いた。
「……待ってて、レオン。私がこの世界を“変える”。それが――あの人の遺志だから」
その目に、炎が灯った。
それは、地獄の名を継ぐ者の決意。
そして、征服者の第一歩だった。
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