賭け事によって序列が決まる学園と、その学園にやってきて嵐を巻き起こす、凄腕ギャンブラー少女の物語が描かれる、日本の漫画『賭ケグルイ』。すでにアニメ化や実写ドラマ化、映画化を果たしている人気作品だが、その大胆な設定や物語、アクの強いキャラクターたちや駆け引きといった魅力が海外でも評価され、ついにカナダ発の「北米版」が、Netflixシリーズとしてリリースされた。タイトルは、『賭ケグルイ Bet』(原題:Bet)だ。
そんな本シリーズ『賭ケグルイ Bet』の評価は賛否両論だ。SNSなどの発信では、とくに日本の『賭ケグルイ』ファンからの酷評も少なくなく、海外でも否定的な意見を表明している視聴者が多い。同時に、大手批評サイトの一般視聴者の評価「オーディエンス・スコア」は、現時点で60パーセント以上の支持率を集め、楽しめたという声もかなりの数にのぼっているのが興味深い。
ここでは、この複雑な評価の裏には何があるのかを、本シリーズの内容を振り返り、率直な指摘を含めながら、日本の原作やアニメ版、実写ドラマ版と比較しつつ考えていきたい。
舞台となるのは、「セント・ドミニク学園」。そこは学業やスポーツよりもギャンブルが優先される治外法権的なカナダの寄宿学校。学生はギャンブルの結果によってランク付けされ、上位生徒は我がもの顔で学園を支配し、下位生徒は「ペット」として下働きのように扱われている。
ギャンブルの勝利に必要なのは、ゲームへの優れた判断力と計算、相手の心理を読む洞察力、そしてときにリスクを厭わない胆力だ。ライアン(アヨ・ソランケ)がメアリー(イヴ・エドワーズ)に敗北し、「ペット」となってしまうシーンが示しているように、その資質に欠ける者は敗者となるのが、この作品世界の常である。ちなみに、原作で“凡人”として、読者の目を代表する鈴井涼太(すずい・りょうた)に対応する役がライアンであり、学園きっての実力者・早乙女芽亜里(さおとめ・めあり)に対応するのがメアリーである。
失意のなかにあるライアンの前に、日本出身の転校生・ユメコ(ミク・マルティノー)が現れる。彼女は、類い稀なギャンブルの腕によって、トランプゲーム「スカーミッシュ」でメアリーを撃破。ライアンをペットの立場から救い出すことに成功する。そんなユメコが学園に足を踏み入れたのには、ある秘めた目的があった。

上品で気さくながらもどこか毒を含み、賭けのスリルに耽溺するユメコを演じるミク・マルティノーのエキセントリックさは絶妙で、日本の実写ドラマ版で夢子を演じていた浜辺美波に勝るとも劣らない存在感を示しているといえよう。マルティノーは、ドラマ初出演という大抜擢の配役となったが、期待以上のパフォーマンスを見せ、今後の活躍が期待される。
Netflix映画『ケイト』(2021年)でも日本人の少女を演じていた、日系カナダ人俳優マルティノー。彼女が、日本出身の役でドラマシリーズの主演を務めている事実だけで、隔世の感がある。いまアジア系の俳優の地位は、北米で高まってきている状況にあるが、マルティノーのように若い女性のアジア系俳優がドラマの主役を演じるというのは非常に珍しく、さらなるステップだといえるだろう。本シリーズでは、それだけでなく、さまざまな人種が入り乱れている。これは、北米の人種的多様性のリアリズムの反映だともいえよう。
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