土曜日, 5月 24, 2025
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『未完成の映画』感想🐸baku の 妄想解説

🧠 あらすじと概要:
映画『未完成の映画』は、ロウ・イエ監督が自身の過去作と向き合いながら、映画制作の過程とそれに伴う個人の葛藤、共同体の重要性を描いた作品です。

### あらすじ
物語は、ロウ・イエ監督自身を模したキャラクター、シャオルイが古いコンピューターを再起動するシーンから始まります。彼は中断したクィア映画の撮影を再開することを決意します。過去の作品が挿入される中、彼の映画製作の歴史が明らかになり、検閲を乗り越える努力が描かれます。主演俳優チン・ハオは初めは再開を拒むものの、自身の若い頃の自由さを取り戻す決意をし、撮影が再開されます。しかし、2020年の新型コロナウイルスの影響で撮影は再び中断され、スタッフ同士のコミュニケーションは限られた環境の中で続けられます。

### 記事の要約
執筆者は、この映画を通して個人の表現が検閲や外的要因によってどう揺れ動くかを考察しています。強調されるのは、共同体の力と、それが人々に希望を与えるというメッセージです。出演者たちのつながり、再び創作への情熱を取り戻す姿が描かれ、パンデミックという困難な状況でも人々が共に支え合って生きていく姿に感動を覚えます。また、映画の挿入歌についても賛美されており、特に『黄昏』が心に残ると述べられています。全体として、この作品は未完成であっても生き続けることの意味を描いた感動的な物語といえます。

『未完成の映画』感想🐸baku の 妄想解説

🐸baku の 妄想解説

2025年5月24日 09:29

ロウ・イエ 監督作品『未完成の映画』は、そのタイトルが示す通り、一本の映画の未完と再生を通して、個人と共同体、そして記録と検閲の狭間で揺れる表現者たちの姿を描いた実験的かつ感動深い作品です。

💻10年ぶりに電源が入ったコンピューターから始まる物語

物語は、シャオルイ( = ロウ・イエ 監督自身)が、10年前に中断されたクィア映画の撮影を再開しようと動き出す場面から始まります。10年ぶりに起動した古いコンピューター。そのデスクトップには、八大山人の水墨画『叭々鳥』が静かに佇んでいます。

作中にはロウ・イエの過去作『ふたりの人魚』(2000)、『スプリング・フィーバー』(2009)、『二重生活』(2012)、『シャドウ・プレイ』(2018)といった映像が差し込まれ、ロウ・イエの表現史が 1本の線 でつながっていきます。

ロウ・イエはこれまで、当局からの度重なる検閲や上映禁止処分を受けてきました。『ふたりの人魚』は上映禁止、『天安門、恋人たち』で5年間の映画制作・上映禁止処分を受け、フランス・香港合作の『スプリング・フィーバー』は、まさにその検閲をかいくぐって制作されました。

本作の冒頭でもシャオルイは語ります。「これは検閲を通る作品ではない。でも、それでも完成させたい」と。

🤝「若気の至り」は、再び情熱を呼び覚ます

当時の主演俳優チン・ハオは、再開の誘いを最初は断ります。「あの頃は若かった。いまは結婚して守るべきものがある」と。しかし、彼は思い直します。「あの頃の自分はもっと自由だった、つまらない人間になってしまったかもしれない」と。そして再び、カメラの前に立つ決意をします。

これは明らかにロウ・イエ自身の姿でもあります。年齢とともに増えていく責任、妥協。だが、それでも再び創作への情熱を取り戻す。それは決して一人ではできなかった。仲間の存在、そして “共同体” の力があったから。

🦠そして、世界が止まる ─ 2020年、春節直前のロックダウン

撮影が順調に進み始めた2020年1月、新型コロナウイルスの報が入り始めます。武漢から来たスタッフは帰宅を余儀なくされ、不安と混乱のなかで、撮影は再び中断の決断を迫られます。

ホテルは封鎖され、一部スタッフは脱出に成功するものの、多くは部屋に閉じ込められ、すべてのコミュニケーションがスマートフォンに限られてしまいます。

ジャン・チェン(=チン・ハオ)はホテルに、妻サン・チー(チー・シー)は生後1か月の赤ん坊と共に北京の部屋に。映像はすべて、スマホのレンズを通して私たちに届けられます。

スマホは、現実をそのまま記録する「証言のカメラ」であると同時に、離れ離れになった人々をつなぎ直す「絆の回路」としても機能します。

🔒映画制作禁止とロックダウン「閉ざされた世界」の中で

ロックダウンと、映画の検閲・制作禁止が重なります。外の世界との断絶、自由な表現の封鎖。しかしそのなかで人は、人と繋がることをやめない。リモート新年会で笑い合い、ホテルの廊下で踊る。誰かが誰かを思い、3分間の赤信号に合わせて黙祷を捧げる。

それは、閉ざされた世界のなかにある “共同体” 。

この映画が描くのは「未完成の映画」ではなく、むしろ「未完成でも構わない、生きて撮り続けることの意味」です。

📽️これはロウ・イエ自身の肖像

『スプリング・フィーバー』のジャンチョンは、おそらくロウ・イエ自身。本作でのチン・ハオもまた、ロウ・イエの分身のように描かれます。苦悩し、諦めかけ、それでも再び立ち上がる表現者の姿。

「守るべきものが増えて弱くなってしまった」このセリフは、ロウ・イエが自身に語りかけているようにも聞こえます。そして彼がもう一度カメラを回し続けられるのは、共にいてくれた仲間たちがいたから。

🤝終わらない記録、途切れない絆

本作は、映画という形式を通じて “共同体” の力を描き出した、静かで強い作品です。

パンデミックという誰もが経験した 閉ざされた世界 でも、人々は ”共同体” を形成して、また立ち上がることができる。どんな危機的な状況でもそれは人々の希望となる、ということを教えてくれる作品でした。

さいごに、、、

ロウ・イエ 監督作品の挿入歌には毎回泣かされます😭今回は『黄昏』がめちゃくちゃ良かった😭

今のところロウ・イエ 監督作品

個人的 お気に入り挿入歌ベスト3は…

1位:堯十三『他媽的』 『ブラインド・マッサージ』挿入歌

2位:張惠妹『解脫』 『ふたりの人魚』挿入歌3位:シャオ・リーベイ、リー・ジー『黄昏』

 『未完成の映画』挿入歌

🐸baku の 妄想解説

映画のレビューやサブカルなものを書いていきます。東洋哲学勉強しています。動植物いろいろ飼ってます。妄想考察して面白がる「Context Interpreter」目指してます。



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