🧠 あらすじと概要:
映画『侍タイムスリッパー』のあらすじと記事要約
あらすじ
『侍タイムスリッパー』は、主人公高坂新左衛門が時代劇の世界で活躍する途中で出会うさまざまな人々との物語を描いています。彼は、かつての名残とともに、自身の人生を振り返りながら一所懸命に生きる人々を見つめ、互いにバトンを受け渡していく姿が印象的です。
記事要約
この記事では、映画『侍タイムスリッパー』を観た感想とともに、主人公高坂新左衛門と「日本一の斬られ役」として知られる福本清三さんの人生に繋がりを見出しています。映画中に「どこかで誰かが見ていてくれる」というメッセージが響き、時代や流行を超えた普遍的なテーマの重要性が強調されています。また、大谷翔平選手のホームランや長嶋茂雄さんとの対談を引き合いに、世代間のつながりや、感情的なバトンの受け渡しについて考察しています。最終的に、物語の中で描かれる人々が繋がりを持ち、誰もが無意識のうちに次の世代に影響を与えていることを再確認します。
「日本一の斬られ役」として知られる福本清三さん。その朴訥で実直な人柄は、作家小田豊二氏の著書『どこかで誰かが見ていてくれる』でも紹介されている。
映画を見ているうちに『侍タイムスリッパ―』の主人公、高坂新左衛門と、この『どこかで誰かが見ていてくれる』で描かれる福本さんの姿に、強く通じるものを感じたのだ。そしてやはり、そこには大きなつながりがあった。
この映画で高坂の師匠である殺陣師・関本役は、当初福本さんが演じる予定だったと、映画の公式サイトに記されていたのだ。残念ながら福本さんはご逝去され、峯氏がその役を引き継がれたとのことと記されていた。
映画の作中においても、一度きりの人生を一所懸命に生きる人々へのエールとして、「どこかで誰かが見ていてくれる」という言葉が贈られていた。以前、講演会で小田氏から直接福本さんのお話を伺う機会があったためか、映画の全編を通じて、福本さんの面影が私の脳裏をよぎっていた。
至極当然のことながら、時代は確実に移り変わっていく。その時々の流行り廃りがあり、一世を風靡したものも、時と共に影も形もなく廃れてしまうのは世の必然である。昨今では、その「賞味期限」がますます短くなっているようにも感じられる。諸行無常という言葉が、実感として理解できる年齢になったので余計にその響きが大きく聴こえる。この映画は時代劇を題材にしているが、描かれているテーマはどんな分野にも通じる普遍性を持っている。
ここ数年、映画製作の舞台裏や映画そのものに言及する作品が多く公開されているが、どの作品からも先達へのオマージュが感じられ、心を動かされるのだ。『侍タイムスリッパー』にも同様の物があった。どこか小津映画を彷彿とさせるような画面づくりやとぼけたような演技に懐かしいものを感じた。
そんなことを考えていた矢先、長嶋茂雄さんの訃報が届いた。聞き耳を立てていると、職場では、その受け止め方が世代によって様々であることが判った。長嶋さんをリアルタイムで見てきた世代は沈んだ表情を浮かべ、少し下の世代は「王さんならよく知っているけれど」という反応。平成生まれの世代にとっては「名前は知っている」程度と、反応は見事に分かれていた。
帰宅し、たまにはテレビでも見ようかと思っていると、大谷翔平選手が今季23号ホームランを放った場面が映し出された。その姿は際立って美しく、なぜか涙が溢れるほどだった。打ち終わった後、何度も頷きながらダイヤモンドを一周する姿にも深く心を揺さぶられた。
この感情は何?長嶋さんと何か繋がりがあるのだろうか。自分の中の感傷が勝手に物語を紡いだのかもしれないと思いながらも、インターネットで検索してみた。
すると、Full-Countの記事に、2016年12月に大谷選手と長嶋さんが一度対談したという記述があった。当時22歳の大谷選手が、長嶋さんにバッターボックスでの心構えについて尋ねている。
「打席での心構えというか、どういう気持ちで打席に立っているか。配球を考えるのか、自分がどういうスイングをしたいかを優先するのかを聞いてみたいです」
抜群の勝負強さで「ミスタープロ野球」と言われた長嶋さんは、打者としても大谷選手を「大谷くんなら20本くらいなら目をつぶってでも打てる」と高く評価しており、間髪を入れずにこう答えたそうです。
「来た球を打つ。そして走る。投手の中には内角、外角と嫌らしい投手がいるけど、大した問題ではない。あと1つ、僕の場合は初球から打つ。1ボールからも打ちにいく。2ボールだったら打たないかな。2ボールになれば打者の勝ちだよ。1ストライク2ボール、1ストライク3ボールの時は勝負。そのカウントでは、その投手が一番いい球を投げてくる。それを必ず打つ、と思っていましたね」
シンプルかつ深遠なベースボールの真髄が、そこでは承継されていた。たとえそのことを知らずとも、頷きながらダイヤモンドを一周する大谷選手の姿に現れた所作、それ自体が心を打つものだったのだ。長嶋さんから大谷選手へ、確かなバトンが渡されたのだと感じた。
そして、それは『侍タイムスリッパー』で描かれていた、時代を越えて市井に生きる人々がバトンを繋いでいく物語とも重なった。誰もが、自身の物語を、知らず知らずのうちに次の誰かへと手渡していくのだと腑に落ちた。
『我が巨人軍は永遠に不滅です』という言葉の意味が、巨人軍を抜け出て広場に開放されたような気がした。
永遠に不変なものはなくとも、大切なものは形を変えながら受け継がれていく。そして、どこかで誰かが見ていてくれる。そう信じられた1日だった。
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