🧠 あらすじと概要:
『ノスフェラトゥ』は、1922年の『吸血鬼ノスフェラトゥ』をリメイクしたもので、ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』を基にした作品です。物語は1838年のドイツ、新婚の不動産屋トーマスが、古城の貴族に不動産を売るため長期出張に出かけるところから始まります。しかし、その貴族は恐ろしい吸血鬼で、奥さんや街も危機に晒されます。
記事では、現代的な解釈が加わったエレンが物語の中心にいること、吸血鬼の描写が恐怖よりも嫌悪感を伴うものであることが強調されています。また、吸血鬼に血を吸われることが性暴力の象徴として描かれている点も評価されています。本作のクライマックスではエレンが吸血鬼に立ち向かう様子が描かれ、その過程で「贖罪」というテーマが浮かび上がりますが、最終的には彼女の運命が悲劇的であることが示唆されます。全体として、暗さと美しさが共存する映像美と、現代的視点からみた吸血鬼の象徴性が印象的な作品です。
1922年の『吸血鬼ノスフェラトゥ』はブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』を勝手に映画化した作品で最初の吸血鬼映画ともいわれている。1978年にはヴェルナー・ヘルツォークによるリメイク『ノスフェラトゥ』も公開された。1922年の映画のリメイクってことでさすがにいろいろ古いのだが吸血鬼についての設定とか現代的な解釈もいろいろある。
1838年のドイツで不動産屋さんに就職したトーマスは新婚で幸せ。ちょっと精神的に不安定な奥さんが心配なのでささっと出世してどんと構えたい。なので遠方に住む貴族に城を売る大口の取引を成立させたいけど契約書は先方の住まいでしか書きたくないって言うもんだからしぶしぶ長期出張。しかし古城に住む貴族の正体は恐ろしい吸血鬼だったのでトーマス大ピンチ、なぜか奥さんも大ピンチ、なんならトーマスの住む街も大ピンチ、という話だ。
話自体はオリジナルの『吸血鬼ノスフェラトゥ』に近い。現代っぽい部分はリリー・ローズ・デップ演じるトーマスの妻エレンがむしろお話の中心になっているところだろう。リリーは時折見る悪夢に悩んでいて、そのせいでメンタルの調子が悪い時期もあったようだ。だからトーマスにめっちゃ依存してるし長期出張とか行ってほしくない。まあ映画見ている観客も「絶対にやめたほうがいい」と思ってるし奥さんのほうが正しい。不動産取引なんてインターネットが発達した現代でも気が重いのに1800年代で外国のお金持ちに大きい物件を売るってすごい仕事だ。プレッシャーでどうにかなりそうになるのもわかる。
ほうほうのていでたどりついた古城にはなんか重厚なしゃべり方をする貴族が直で挨拶してきてトーマスはビクビク。ドイツに残ってる上司は裸だし……ということで、この映画、暗闇をすごく美しく撮っていて撮影がものすごくいいんだけど、恐怖の対象である吸血鬼オルロック伯爵とその眷属はなんかあんま怖くない。というかちょっと面白い。撮影とか絵作りは本当に良くて、序盤、馬を失ったトーマスが四つ辻でオルロックの馬車に遭遇するシーは最近見た映画のなかでもかなり印象に残る絵作りで、えっこれもっと見てたい、と映画館で見とれてしまった。船からわわ~っとネズミが出てくる感じもわくわくする。
オルロック伯爵を演じるのは『IT』でペニーワイズを演じたビル・スカルスガルド。すごい仰々しくてちゃんと怖いんだが、吸血鬼ってほぼ人間と変わらないサイズ感なので慣れてくると仰々しい大きいひとに見える。しかも展開的にエレンにすんごい執着するので若い女に異常にこだわるおじいさんという感じでもう現実にいるタイプの恐怖。お前んちの嫁さん美人じゃねえか~みたいな絡み方してくる取引先のおじいさん、シンプルに嫌だ。怖いより嫌が先に来る。
ただこの映画のいいところというか2025年らしいアレンジとして、「吸血鬼に血を吸われる」ことが性暴力・性加害の暗喩として描かれているところ。最初に血を吸われるのはトーマスなんだけど、トーマスがオルロック伯爵の危機を男友達にわかってもらう時に吸血の跡を見せるんだよね。それを見て男友達は吸血鬼の脅威が近いことを納得する。吸血鬼は処女の血を好んだりして血を吸うのはセックスのメタファーだよねとよく言われるけど、それは別に性別に関係なく行使される暴力だし、トーマスは自分に残った噛み跡についてためらいながらも友達に開示する。勇気のいることだ。
エレンはかつて性的な発達を父に見つかって拒絶され、傷ついているところをオルロックにつけこまれて彼の情人となっていた過去を明かす。思春期になんかムラムラしちゃう感じは性別に関わらずある。でも女の子の場合その性欲を「存在しないもの」としてなかったことにされる。そこにつけこむ大人がいる。おぞましいけど、よくあることでもある。だからエレンが自分の過去に向き合ってあの吸血鬼絶対許さないモードに入ったときは「頑張れ~相手の弱点属性多いから勝ちようはいくらでもある!」と応援モードに入った。でもこれは『吸血鬼ノスフェラトゥ』なのでエレンはオルロックの死と引き換えに命を落とす。バンパイアハンター的な立ち位置の教授役のウィレム・デフォーはオルロックのドイツでの居城に火をつけながら「贖罪だ~~~!」と叫ぶ。この贖罪が何を意味するかはいろいろ考え方はあると思うけど、少なくともエレンには贖わないといけないものなんてなにひとつないよ。と思って私はすごく悲しかった。
そういえば、ウィレム・デフォーと女性の性的な主体性っていう意味ではこの映画は『哀れなるものたち』ともかなり近い映画になっているとも思う。
でもクライマックス、どうしても「若い女性とのセックスに夢中になって朝が来るのに気付かなかったおじいさんが死んだ」みたいに見えてしまって怖いよりもやっぱり「嫌だな~」が先に来た。そんな壮大に夜明けがきたみたいに撮られても……。
Views: 2