月曜日, 5月 19, 2025
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『サブスタンス』観たよ|メシ食うのマジしんどい山田集佳

🧠 あらすじと概要:

映画『サブスタンス』のあらすじと感想文の要約

あらすじ

『サブスタンス』は、デミ・ムーア主演のボディ・ホラー映画です。物語は、若い頃には大女優として名を馳せたエリザベスが、50歳になり仕事を失い、怪しい若返りの薬を試すところから始まります。この薬は彼女に若く美しいもう一人の自分、スーをもたらしますが、やがてエリザベスの人生を乗っ取り、彼女は自分と向き合うことになります。

記事の要約

著者はボディ・ホラーというニッチなジャンルを通じて女性の苦悩を描く本作に感銘を受けます。映画はフェミニズムのテーマを自然に描き出し、観客にとって意外な解釈や感動を提供することの面白さを強調しています。特に、食事やルッキズムに対する考察がリアルに描かれており、著者自身の食に対する苦悩と照らし合わせています。

さらに、女性が持つ身勝手な欲望や自己評価を掘り下げ、エリザベスの最後の選択についても深く考察します。過去の栄光や社会からの期待に苦しむ女性たちに共感しながら、自身のアイデンティティと向き合い続けるエリザベスの姿が、著者にとってのハッピーエンドと解釈される点も魅力的です。

全体を通して、映画は若さや美に対する社会的圧力を扱いながら、女性の内面の葛藤と成長を描いた作品であると結論づけられています。

『サブスタンス』観たよ|メシ食うのマジしんどい山田集佳

デミ・ムーア主演のボディ・ホラー。ボディ・ホラーってジャンルってそれなりにニッチだと思うのでこんなにボディ・ホラーという言葉を日本の興行で聞くのも珍しい。若い頃に大女優として活躍したエリザベスが50歳になって仕事を失い、怪しい若返りの薬を試したら、若くて美しいもう一人の自分、スーに人生を乗っ取られそうになり……という話。

こっちの動画でもいろいろ喋ってるので見てみてね~竹島さんの質問に「うおおそういうことを考えてたんだ」といろいろ気づけてすんごいすっきりしました。

動画の中で話してこれって重要かなと思ったこととして、ジャンル映画の手法でフェミニズムを描くのってすごく自然なことだよねという話があるかな。ホラーは伝統的に女性嫌悪的な側面が強かったし、妊娠を扱った『ローズマリーの赤ちゃん』や初潮が物語のきっかけになる『キャリー』なんかは「女性特有(とされている)の現象に対する男性作家・観客の興味津々の眼差しキショ……」みたいに思わなくもないけど、それでも女性のホラー映画ファンだってずっといたわけで、作家や制作会社の思惑とは別のところで、「この映画は私のための映画だ」と心を揺さぶられる体験があったのだって自然なことだ。意図した対象とは別のところに届いて、思わぬ解釈や感動が生まれてしまうから映画は面白い。私もガンダムに女性の苦しみをずっと見出しているわけで、そんなん富野は知らんがなって感じだろうけど、でも間違いなく私の人生の一部になってるからね。女性作家が活躍できるようになってきたら作家本人が好きだったジャンル映画のやり方で自分の中の核となるテーマを描くっていうのはごくごく自然なことだろう。しかもこの映画のすごいところは「『キャリー』はすごい映画だけど血のりの量を1000倍にするともっと面白いと思う」みたいなプリミティブな欲求を実現して実際に面白く撮っているところだ。映画って伝統的に男性優位な趣味だったので「女性だけど映画好きです」みたいなアティチュードを求められることが多かったわけだが、この映画はそういう留保はいっさいなくて、「好きなことを好きなように表現しただけだが」というエネルギーに満ちていて、その意味でもすごく嬉しくなった。

ルッキズムについての映画という話だけど美しさについての考え方って難しいな~と思うのは、他人の美については「え~全然太ってないよ~」とか「皺は人生のあかしだよね~」とか無責任なこと言えるけどいざ自分のスカートがきつくなったら「食べる量減らそ……」と狼狽する自分も知っているということ。他人の見た目よりもずっと自分の見た目のほうが気になるし、実態よりもずっと低く自分の姿、価値を見繕ってしまう謎の現象を思ってしまうし、私もダブルスタンダードなんだよな~と恥ずかしくなる。この映画の番組プロデューサーのおじさんはそんなギャップに苦しむこともないのだろうし、それも悔しいよな~。

言っておきたいのは食事の描写の話。私はあんまりごはんを食べるのが得意ではなく、「人間誰だって美味しいものを食べたいよね~」みたいなことを言われると「そっか~」となって会話にそれ以上参加しないようにしてる。だからこの映画の食事のシーンはすごくしっくりきた。食事に対する嫌悪感って人によってはすごいある。ダイエットとかをする人なら日常的にものを食べるってことはあのように見えてるんじゃないかなーと思う。たぶんエリザベスは若い頃は上の世代の女性とか男性とかがなんも考えずにメシをばかばか食ってるのを見て「信じられない」と思ってたんだろうな。だからフレンチを自分で作ってバカ食いするのは自傷行為以外の何物ではない。スタイル(ボディシェイプ的な意味で)を作るのって筋トレだと思われがちだが食べているものの方がよほど重要でもあるからね。

あと、エリザベスをデートに誘った男性がいるけどあの人とデートに行っても多分ぜんぜんよくはないよな~と見ていた。この映画は女性の身勝手な欲望もちゃんと描いているよ。でも、「軽薄なイケメンなんかと付き合わずに身近にいる温厚で優しい男と付き合うと幸せになれるよ~」みたいなのっていろんな映画とか現実の会話で出てくるけどそれはそれでクソくらえだと思います。まああの男性がエリザベスに釣り合わない(妥協の結果)って思うのも暴力的だとは思いますがエリザベスの主観としてはそうだろう。女も男も身の程知らずで破滅していい。映画ならそれが許されるでしょ。破滅しそうになっているのが友達だったらまた違うことを言うと思いますが……。

最後の最後、エリザスーは自分の殿堂入りのプレートと同一化して地面にシミになる。私は最初、なんて残酷なエンディングなんだろうかとちょっと怒りすら感じたのだが、二回目にこの映画を見たら少し印象が変わった。エリザベスは自分の過去の栄光についてのトロフィーや賞状なんかはぜんぜん部屋に飾ってない。今を生きている女性なのだ。自分の過去の栄光にすがっている生き方はかっこ悪いと思っているのかな、それも私はすごくよくわかる。上の世代の過去の自慢話うざいから……。それに、過去の栄光話って女性ってあんまり許されない。どんなに過去にすごいことをしても、「でも今はおばさんじゃんw」って言われるのがわかってるからね。一方で、男性の俳優はおじさんになってもヒーローの役柄は得られる。今現在の栄光、過去の栄光以上の栄光を女性よりもずっと得やすい。あの年齢まで第一線と自分が思える活躍を続けてきたエリザベスは本当にすごいし、すごいからこそひとよりもたくさん苦しんできたんだろうな。過去は過去。今の私には関係ない。そういうふうに思って生きるのはかっこいいけど、苦しいよ。
だから鏡を見るのをやめて本当の自分の姿で、星空を見ながら自分の殿堂入りのプレートと一体化することができたエリザベスのあのラストはハッピーエンドなんだろう。女性が「私の人生はこんなことをやり遂げたんですよ」って胸を張るのってすごく難しいことなんだ。たとえ過去の出来事でも、それはエリザベスの人生でやり遂げたことなのにね。キショイ業界のおじさんに妥協しまくってイヤな思いしまくったかもしれないけど、最後の最後に全身の血液をぶちまけて言いたいことも言えたわけだし。若い頃の自分、きっとたくさん苦しんだ自分とエリザベスは最後、血まみれファイトとそこからの血まみれショーを通じて和解できた。本当に、それができずに苦しんでいる女性はいっぱいいる。でも、若い頃の自分も年取った自分も私なんだから。世界がどれほど、その二人を別々の存在みたいに扱ってもね。



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