金曜日, 6月 6, 2025
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『ガール・ウィズ・ニードル』と『無名の人生』flealick

🧠 あらすじと概要:

あらすじと記事の要約

映画『ガール・ウィズ・ニードル』

第一次世界大戦後のデンマークを舞台に、実際に起こった事件に基づいた物語。ある町で人々が失踪する中、主人公の女性がその運命に巻き込まれていく様子が描かれる。予告編は鬱屈とした雰囲気を持っており、重いストーリーを想像させるが、実際にはそれほどのサイコスリラーではなく、希望の芽生えや人間の無常感を描いた良作になっている。

映画『無名の人生』

主人公の人生を10章に分けて描いたアニメーション映画。監督の鈴木竜也が一人で手掛けた作品で、アートスタイルは独特。物語は主人公の芸能デビューまでの過程が中心で、その後の展開はやや混乱を招くが、彼女の人生の真実に迫る姿勢が感じられる。

記事の要約

著者は『ガール・ウィズ・ニードル』の予告に持っていた期待や先入観を裏切られ、実際には重みのあるドラマとして評価。彼は、食糧難の中で奮闘する人々の姿や希望を描いているところに感銘を受けた。一方、『無名の人生』は期待していたにもかかわらず、展開に置いていかれる部分があったと感じている。結果として、期待した作品が逆転し、意外性や深さから難易のある体験となったと述べている。

『ガール・ウィズ・ニードル』と『無名の人生』flealick

ここ数ヶ月、シネマ5で幕間に散々目にしてきた『ガール・ウィズ・ニードル』の予告編。モノクロームの映像の向こうで何の料理か分からないが兎に角グツグツと煮立つ鍋。まるでレクター博士よろしく付けた仮面をズラし、出来上がった料理を貪る薄気味の悪い男。ソファの上で泣き叫ぶ赤ん坊と、いくつもの顔が重ねられた不気味なモンタージュ。そして、「その町では、よく人が消える」という宣伝文句とともにスクリーンに向かって暗い視線を送るいかにも幸薄げな痩せっぽっちの女…。第一次対戦後のデンマークで実際に起こった事件を下地にしているそうで、誰がどう考えても鬱映画である。トレイラーを観ただけで、この作品を観て爽快な気分で映画館を後にすることは…まずないだろうなと容易に推測出来る。何せタイトルからして“ニードル”だ。凶器が“ニードル”なのはまだ良いとして、“食う”のだけはどうにかならんかったのかよ?まあ、戦後の食糧難の時代のお話だし、たぶん、まあ、そういうことなんだろうな…と思い、鬱々とした気持ちで臨んだ『ガール・ウィズ・ニードル』の鑑賞。夕方17:40からの回で、この後同じシネマ5で20:15からは『無名の人生』の上映がある。最初は『ガール〜』があまりに鬱映画っぽいので口直し的に『無名〜』も観て行くか、などとぼんやり考えていたのだけど、受付で「『無名〜』は明日の晩は休映です」と言われたので、一週間の限定上映の両作を観るとすれば今晩ニ作続けて観るしかなくなってしまった。こういう時に限って昼間のジムでたっぷり走り込んで疲労困憊だったりして何とも間が悪い。で、『ガール・ウィズ・ニードル』なんだけど…………………….あ、そういうことッスか。

いや、正直これは個人的には良い方向で裏切られた。ハードコアなサイコスリラーを望む層には物足りないし、肩透かしだったかも知れない。当初のぼくの予想もほとんど外れた。良い意味で外れてくれた。“ニードル”とはそういう意味だったのか。時代的な背景もあって、全体の流れで言うとダウナー系の作品であるのは間違いないのだけど、もっとエグい展開を予想して、下手すると観に行くのを止めていたかも知れなかった一本だったのでこれはすごく良かった。というか、あんな予告編観たら誰だって勘違いするだろ!!!!!さて、ここからは少し毒を吐かせてもらう。ぼくはさほど熱心なプロレスファンだったとは言えないが、プロレスを八百長と断罪したがる輩が昔から一貫して嫌いである。だが、もっと嫌いなのは、たとえば名の知れない芸人だか誰だかが、“出来レース”という状況を表現するのに“プロレス”という言葉を引用してしまい、それを偶然目にした現役のプロレスラーが「おまえはプロレスラー全員を敵に回したからな」などという(脊髄反射的な)物言いをすることだ。本当に、書いているだけで胸糞が悪くなってくる。佐山聡、高田延彦、ミスター高橋、ケンドー・ナガサキ….過去にプロレス界の内幕やら不文律を暴露してきた先達らは何人もいる。では、これまで彼らに何か言ったレスラーがいただろうか?奥歯に物が詰まったような言い方ではなく、“おまえはプロレスラー全員を敵に回したぞ”と彼らに向かって言い放ったプロレスラーが一人でもいたか?ぼくはただの一人も聞いたことはないが。UFCが台頭してきた90年代前半に、新日本プロレスを支え続けた蝶野正洋が、くだらない八百長論争と無縁で居られたのはそういった業界の経緯や諸々をすべて飲み込んだ上で、それまでの所謂ストロング・スタイルこそを価値観の最上位に置いた震源地にあって、自分のプロレス観をコツコツと積み上げていったからに他ならない。“胸に付いたチョップの痕を真剣勝負の証として語ること”などよりも、そんな蝶野や武藤敬司の後姿こそが押し寄せるあらゆらる嘲笑や揶揄を雄弁に跳ね返してきたのである。同じように『ガール・ウィズ・ニードル』でジェンダー論を持ち出すのも脊髄反射的な滑稽さを感じる。「100年も昔の史実からいまだ横たわる不均衡を克明に浮かび上がらせる」?いまだ横たわる不均衡とはなんのことだ?人間は元々均衡ではない。すべからく不平等で不均衡なのだ。これまでも、これからも。人が地上に存在し、その営みが続く限り何一つ変わることはない。100年も前の価値観や道徳感の世界に現代のジェンダー観を持ち込んで浮かび上がるものがあるとすれば、1000年後の世でも相も変わらず横たわる不均衡とやらに右往左往しているであろう人間の間抜けさだけだ。マグヌス・フォン・ホーンは不平等で不均衡だからこそ、最後の最後でダウマ・オウアビューに弁明させたのだ。『ガール・ウィズ・ニードル』は良かった。時代に翻弄されながらも簡単には死ねない人間の無常感とわずかばかりの希望がしっかりと描かれていた。早くも名作入りが確定した仄暗い水底に沈む今や存在を忘れられた編み針のような本作のことは、北欧版“楢山節考”として記憶しておく。

本来『ガール・ウィズ・ニードル』の口直し的な意味で観ようかと考えていた『無名の人生』。それが『ガール〜』が想定外に良作でダメージが無かったために一瞬鑑賞する意味を失いかけたのだけれど、そのまま続けて観ることにした。事前の予告編でアイドルがどうのこうのという作品があったのは何となく覚えていたが、あまり関心が無かったのとそのタイトルまでは記憶に残っていなかった。『ガール〜』の件でシネマ5のホームページを見ていてようやく繋がった。主人公の生涯を全10章に分けて描いたアニメーション映画で、何でも1年半くらいかけて監督の鈴木竜也氏が一人で描いたものだそうだ。絵柄や表現手法としては、同じくアニメ作品の『サウスパーク』を思い起こさせるもの。まあ、そもそもアニメはガンダムとジブリくらいしか知らないのだけど、これって一体どこまで監督一人で描いたんだろうか?決して動きの多いアニメではないが、全然見応えがある。。。。。のだが、動きが無いのが仇になったのか芸能界のくだりになったあたりで一度意識が飛んでしまった。個人的な好みで言うと、芸能デビューするまでの描写は良かったのだけど、その後の怒涛の展開はちょっとついて行けなくなってしまったのが正直なところ。

クソ鬱映画だと決めつけていた『ガール・ウィズ・ニードル』が実は戦後の混乱期に生きる人々の姿を描いた良作ドラマで、むしろこっちが本命だと思って臨んだ『無名の人生』の方は早々と脱落してしまった。でも、まあ、そんなもんよね。

#映画感想文 #TheGirlWithTheNeedle #無名の人生

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flealick

[ Flows inside me – Always beside me ] 🇯🇵 It is better to be hated for what you are than to be loved for what you are not.



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