『アサシン クリード』シリーズの代名詞とも言える、歴史的建造物の精巧な3Dモデル化。日本を舞台にした『アサシン クリード シャドウズ』においても、討ち入りの舞台となる多くの城が最新研究をベースにした想像図から造られています。このレベルで再現した城郭を自由に歩いて回れるというだけでも申し分ないですが、日本の城は江戸時代の一国一城令や明治の廃城令によってほとんどは城趾だけしか残っておらず、本作に登場する城の多くも現地には石垣くらいしか残っていません。
それでも埋められた堀跡は道路などに利用され、曲輪の地形は残ったまま利用されていることが多いのです。衛星写真とゲーム中の再現を比較しながら、城の名残を観察してみましょう。
山崎城
築城:林直弘(南北朝初期)/ 縄張図掲載ページ
秀吉が明智光秀を討った「山崎の戦い」の後、2年間居城として安土に準ずる総岩垣に改築していましたが、大阪城への移転に伴い廃城。山頂を削って造られたコの字型の曲輪が特徴です。現在は天王山山頂の本丸跡だけが木を伐って整備されています。ゲーム中ではやや向きを変えて東向きに変更。
時代は下って幕末、禁門の変では長州側の敗残兵がこの場所で新撰組の追っ手と戦い自刃。それを祀った十七烈士の墓が城趾に安置されています。地名を冠するウィスキーも山崎城趾の直下にある蒸溜所で造られています。


坂本城
築城:明智光秀(1571年)/ 縄張図掲載ページ
信長の命で明地光秀が建築した琵琶湖畔の城。本丸の部分は琵琶湖に浮かぶような形で、安土に先駆けた総石垣の造りでした。「城の中に琵琶湖から船が入れた」という記録も残っています。本丸に接する高島大津線から、もう一本奥の湾曲した道路が二ノ丸を囲む水路の痕跡です。
本能寺の変の後坂本城を解体した資材で造られたのが大津城で、坂本城の構造を踏襲し、同じく琵琶湖の水に囲まれた本丸や二ノ丸になっていました。現在これらの琵琶湖に面していた城は全て無くなっており、埋め立てが進んだ地には夢の跡を見出すことすら困難です。


三木城、宮ノ上要害
築城:別所則治(1492年?)/ 縄張図掲載ページ
秀吉が別所長治と対峙した「三木合戦」の舞台。高台の地形はおおよそ残っており、曲輪の際の部分に林が残っているので輪郭が分かりますね。周辺のストリートビューから観ると高低差を確認できます。鷹尾城(高野城)の曲輪跡に市役所があるなど、現在は図書館や文化センターなど行政施設が集中して建てられています。

金ケ崎城(敦賀城)
築城:平通盛(平安初期)/ 縄張図掲載ページ
金ケ崎城はリアス式海岸の突端に造られたため、周囲が埋め立てられても急峻な高台部分は手つかずのまま残りました。ここは信長軍が浅井長政の離反で窮地に陥った「金ケ崎の戦い」の場所です。直前に朝倉から奪取した金ヶ崎城に秀吉が残り、殿として激戦を生き延びました。


小谷城
築城:浅井亮政(1523年?)/ 縄張図掲載ページ
浅井家の本拠地であり、長政の敗北でお市の方の運命が変わった場所でもあります。ゲーム中で東側の本丸までを採用していますが、小谷城は西側の尾根の支城も含めた小谷山全体を活用した山城です。


竹田城
築城:山名宗全(1431年)/ 縄張図掲載ページ
山城跡は、そのほとんどが現在では森に呑まれていますが、竹田城は石垣と曲輪が見通しの良い状態で整備されており、遠景から望む城郭が雲海に浮かぶ光景は「天空の城」とも形容されます。映画のロケも度々行われ、観光ルートも整備されてきましたが、石垣の破損や土砂の流出が増えており、文化財保存との兼ね合いが議論されています。


高槻城
築城:入江氏(南北朝?)/ 縄張図掲載ページ
平城の跡地は広い敷地が多く、グラウンドが必要な学校が置かれることも珍しくありません。戦時中は練兵場や高射砲の設置にも利用されました。高槻城三の丸跡地には高山右近が建てた天主堂があり、第二次大戦後に改めて高山右近を偲ぶカトリック教会が建てられています。

尼崎城
築城:戸田氏鉄(1617年)、(古)細川高国(1519年?)/ 縄張図掲載ページ
すぐ隣の大物(だいもつ)駅付近に室町期に建てられた「大物城」があり、これを戦国期に「尼崎城」と呼んでいました。この大物城の方を「尼崎古城」と便宜上わけることもあり、荒木村重のエピソードは尼崎古城で起きたものです。江戸の尼崎城は古城の移転改築という説もありますが古城の遺構も記録もほとんど残っていないため、どのような関係だったのかはいまだ分かっていません。
2019年に復興天守(オリジナルとは異なる形の再建)が完成。現時点で最も新しい天守と言えるでしょう。

後瀬山城
築城:武田元光(1522年)/ 縄張図掲載ページ
城趾全体が山林に埋もれ、一部残っている石垣が無ければ城跡とは分からないかもしれません。「長秀の茶室」と表記されている二ノ丸部分は「山上御殿」と呼ばれ、上等な茶器などがここから出土していることから、丹羽長秀はここで客人をもてなしていたことが分かります。

亀山城
築城:明智光秀(1577年頃)/ 縄張図掲載ページ
光秀の丹波攻略拠点として建てられた城。全体を囲んでいた堀のうち、本丸北側の保津川を活かしていた部分が池として残っています。戦前には荒廃していた城を新宗教として知られる「大本」の指導者だった出口王仁三郎が買い上げて整備。戦中に紆余曲折があったものの、現在でも同団体の私有地となっており、見学には窓口での受付が必要です。

交野城(私部城)
築城:安見右近(戦国期)/ 縄張図掲載ページ
ゲーム中の交野城はチュートリアルステージになるため、実際の交野城とは全く構造が異なります。現在はほとんどが宅地開発されていますが、5~6の曲輪が東西に連なる形で、土塁の一部は崩されずに残されています。

本作の地域は近畿一円に限られているので、いわゆる聖地巡礼の旅程も組みやすいのではないでしょうか。現地を訪れた際には、本丸跡だけで無く周囲に残る堀跡や高低差から全体の規模を足で想像してみましょう。
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